上 下
31 / 34
番外編

番外編 3 恩人 ② (ノイア視点)

しおりを挟む
「──リヒト、その少年は……?」

 浮気……ではないな。リヒトはこの十年の間ずっと寝たきりだったのだ。少年の見た目やリヒトの年齢からいっても私たちが出会う前、だというのもあり得ない。ではいったいこの少年は誰だというのか、そしてリヒトとの関係は──?
 それにしてもあまりにも小さすぎる、と見つめる目が少年を睨んでいるみたいになり、少年は怯えてリヒトの後ろに再び隠れてしまった。

「ノイア様、怖いお顔なさってはダメですよ。この子が怯えてしまいます」

 リヒトのいつもより強い口調に少しだけ戸惑う。

「あ……。いや……、いや、そうだな。そ、それでその子は誰なんだ?」

「その話は後にして、まずはご飯でも食べませんか? ノイア様もお腹が空いたままだとイライラしてしまいますでしょう?」

「そう、だな」

 不満は残ったが、素直に従うことにした。そもそもリヒトが私を裏切るはずがないのだ。一瞬でも疑ってしまった己を恥じ、こういうときはどっしりと構えるべきだと思ったがソワソワと落ち着かず、不躾にも少年のことをジロジロと見るのを止められなかった。少年はあのころのリヒトよりも全体的に小さくよく見るとあちこちに殴られた痕のようなものがあり眉間に皺が寄る。
 少年は目の前に置かれた料理を見つめ、ナイフとフォークを持ったはいいが戸惑っている様子だった。これも置かれたままをただ手に取ったというもので、食事のマナーを知らないように思えた。だからお腹は空いているように見えるのに一向に料理に手をつけようとしていない。私はますますその少年の正体が気になって仕方がなかった。だがそれとは別の話だと思い、さすがにこのままでは可哀想だと声をかけようとしたところで、リヒトがナイフで小さく切り分けた物を少年の前へと差し出した。少年はパチパチと瞬き、差し出された肉とリヒトの顔を交互に見て、リヒトが微笑むのを見ておずおずとそれを食べた。そして「んっ!」と小さく叫び、もぐもぐもぐもぐと夢中で咀嚼した。そこまで豪華な食事というわけではなかったが、少年にとっては初めて口にしたご馳走とでもいうのかそれとも空腹が故なのか、どちらにしても少年はこの料理を気に入ってくれたということだ。知らず口角が少しだけ上がった。
 次に少年はリヒトがするようにナイフとフォークを使い、少年の口には少々大きすぎる肉を一生懸命頬張っていた。リヒトはその様子を嬉しそうに微笑み、私もそれを咎めようとは思わず、黙って見守っていた。口の周りはソースや油でベトベトと汚れてしまっていて、リヒトはそれを微笑みながら自分用のナプキンで綺麗に拭いてあげていた。それはまるで幼い日の自分と母を見ているようで、鼻の奥がツンっとなった。両親と兄、四人で囲む食卓はとても幸せなものだった──。

 食事を終えても今度は少年の寝かしつけにかかり、私は待たされたままだった。しばらくの後、やっと私の元へやってきたリヒトは、

「僕が話をする前にノイア様の方からお話しください。僕に隠してることがおありでしょう? ここ最近僕に内緒でお出かけになっているのはどちらに?」

 怒っているようではなかったが、私が隠していたことはバレてしまっていたようだ。もしかすると手紙のことももっと前から知っていたのかもしれない。それでも私を信じて、私が自ら話すのを待っていてくれたのだろうか。だとしたらもうこれ以上内緒になんてできない。もしかしたら人でなしと罵られるかもしれない。そんな人間と一緒にいることはできないと愛想を尽かされてしまうかもしれない。──リヒトの反応が怖い。それでも私はリヒトに話すことにした。そうでなければリヒトに対して誠実ではないし、あの少年のことも訊けない気がした。
 長々と自分でも分からない不思議な話あの二週間を想像で補いながら語った。その間リヒトは目を瞑り、黙って聞いていてくれた。話し終わり、なにを言われるのかドキドキしながら待つ中、リヒトは意外なことを言った。

「──僕もそこへ連れていってはくださいませんか?」

「あそこへ……? 本当に今はなにもないのだぞ? いっても──」

 「意味がない」と口にしようとした言葉を飲み込んだ。私はその意味がない場所に足繁く通っているのだ。ならばリヒトがいくことを意味がないと言うのはおかしなことなのかもしれないと思った。私たちは早速明日あそこに向かうことにして、同じベッドであの少年を挟んで眠ることに不満を感じながらも眠った。少年の話はそのときに教えてくれるそうだ。






しおりを挟む

処理中です...