英雄じゃなくて声優です!

榛名

文字の大きさ
上 下
20 / 90

第20話 ある雨の一日です

しおりを挟む
その日は、朝から雨だった・・・

この侯爵領は王国内でも比較的雨量が多い。
容赦なく叩きつける雨音が、マユミを微睡みから目覚めさせた。

「雨?・・・つめたっ!」

外の様子をよく見ようと窓を少し開けたマユミだったが、その顔に雨水を受け、すぐに窓を閉めた。
・・・外は土砂降りと言っていい状態だ、今日は外出を控えた方が良いだろう・・・

では何をしようか?マユミはしばし考え・・・

「あ、え、い、う、え、お、あ、お・・・」

せっかくだから発声練習をすることにした。
雨音はなかなか大きい、きっと声を誤魔化してくれるだろう・・・
マユミは声を出すのが好きだ、こうやって声を出していると、気分がすっきりする。

(声優の性ってやつかなぁ・・・ここにはアニメもないのに・・・)

マユミのベッド・・・その枕元には竪琴が置かれていた。
吟遊詩人・・・確かに声優に近いものがある、自分はこのまま吟遊詩人として生きていくのだろうか?
竪琴をそっと手に取った、木の手触りが優しい・・・だが、まだマユミの手には馴染んでいない。

(はやく曲を教えてもらわないとな・・・)

「あ、え、い、う、え、お、あ、お・・・」

声を出しながら弦を弾く・・・36741528・・・ちょうど8つの音・・・マユミの声に竪琴の音が合わさった。
メロディーなんてものはない、意味のない音の並び・・・ただ指を慣らすための練習。
でも声を出しながらやると少し・・・少しだけ指がうまく動いた、マユミはそんな気がした。

・・・・・・


(遅い・・・)

エレスナーデは部屋で待ちくたびれていた。
自身のメイクと着替えを終えて、マユミが着替えにやって来るのを待っていたのだ。
・・・だが今日はなかなかマユミが来ない。

(また寝坊でもしているのかしら?)

先日、エレスナーデのベッドで文字通りすやすやと眠っていたマユミを思い出す・・・なかなか愛らしい寝顔だった。
・・・今日もあんな風にぐっすりと眠っているのだろうか?

(今日は雨だし、無理に起こさなくてもいいかしら・・・)

今日は寝かせておこう・・・そう決めると、エレスナーデは本棚の前に立った。
王都から取り寄せた様々な物語が並んでいる・・・その多くは彼女好みの恋愛物だ。

(なるべく短く・・・そして、わかりやすいものが良いわね・・・)

その中から何冊か抜き出して並べる・・・語って聞かせるのに良さそうな本達だ、後でマユミに持っていくつもりだった。
「初級魔術入門」と書かれた本も添える・・・果たして、マユミが魔術を使う所は見れるだろうか。

(・・・あまりたくさんあっても困るわよね)

取捨選択して何冊か本棚に戻す・・・その時、エレスナーデは本棚の隅の方・・・一冊の本に気付いた。
見るからに他の本とは違う・・・安っぽいと言うべきか、傷んでいると言うべきか・・・

(これ、まだあったのね・・・)

どこか懐かしそうな顔で、エレスナーデはその本を手に取った・・・その表紙には・・・

コンコン・・・ノックの音・・・執事のジーブスだ。

「お嬢様、朝食の用意が整いましてございます」
「わかったわ」

とりあえず本を置いて、部屋を後にする。
マユミはもう起きていたらしい、先に食卓に着いて待っていた。

「おはようナーデ」
「おはよう・・・まだ着替えていないの?」

マユミはパジャマ姿だった・・・そしてもちろんすっぴんである。

「今日はこのままでいいかなって・・・」
「もう、ちゃんとしてあげるから食べ終わったら部屋に来なさい」
「はーい」

無邪気に返事をするマユミ・・・まるで妹、いや娘でも出来た気分だ。
朝食を終え、マユミを部屋に連れていく・・・今日は菫色の服を着せようか・・・
最近すっかりマユミのコーディネートが楽しくなっていたエレスナーデだった。

「あれ、ナーデ、この本は・・・」
「吟遊詩人の仕事に使えそうな物語を選んでおいたわ、それと魔術の入門書・・・」
「ありがとう、ちょうどお願いしようと思ってたところだよ・・・うんうん使えそう、こっちが魔術の本か・・・」

どうやら、用意した本の内容はお気に召したらしい・・・魔術の本にも興味津々のようだ。
だがマユミの好奇心はそこで止まらず、もう一冊本が置いてあることに気付いた。

「あれ、この本は・・・」
「あっ」

さっき置いて行った「あの本」のことをすっかり忘れていたエレスナーデだった。
その表紙には、少々汚い字でこう書かれている・・・

『なーでのぼうけん だいいっしょう』

幼い頃にエレスナーデが書いた本だった・・・気付いていないのか、マユミはそのまま・・・

「や、やめ・・・」

・・・その本の頁をめくった。

・・・・・・


______



王都ヴァレス・・・ヴァレスティナ王国の首都。
大陸一の美しさと讃えられた白亜の王城を中心に、美しい街並みが広がっている・・・

その某所・・・
こちらは、にわか雨だった・・・不意の雨から逃げるように一人の人物が建物の中に入る。

「ふぅ・・・酷い目にあった」

雨に濡れた髪を拭きながら奥の部屋へと進む。
その部屋は、様々な物が雑多に散らかっており、独特の異臭が立ち込めていた・・・

「・・・でも、面白い情報を得たよ・・・グリュモールの森に巨大な光、その直後に侯爵が連れてきたという少女・・・うん、実に興味深い・・・興味深いよ」

その部屋の中央には、部屋の汚さとは不釣り合いの美しい絵画が一枚、飾られていた。
幼い少女が描かれた裸婦画・・・絵の少女の肌に指で触れながら、その人物は独り語っていた・・・

「ああ、やはりこんなものでは満足できない・・・異世界の美少女よ、待っていておくれ」

「とある界隈」では有名なその人物はその日・・・西へと旅立っていった。
目指すは、グリュモール侯爵領・・・

「待っていておくれ・・・ボクを満足させられるのは、きっと君だけだ・・・」

異世界の少女・・・その名をマユミというらしい。
しおりを挟む

処理中です...