蒼の箱庭

葎月壱人

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第二章

転落

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落下していく時に見えた空は清々しい位に澄んだ青空。
自分の身体がふんわり浮いた感覚は一瞬で、すぐに耳を劈くつんざ風の音と、強い力に引き寄せられる落下感。

“3階から落ちても死なない”

真白は漠然とそんな事を思っていた。
昔、本で読んだ事がある。
死ぬ確率が高くなるのは4階からだって。
勿論、打ちどころが悪くなければの話だがピシッと次々肌に当たる無数の枝木に全てを賭けていた。
木がクッションになって落下の衝撃が和らげばそれでいい。
地面までの時間が、試験開始の合図前みたいに長く感じられる。
全てを出し切れるかな?出来るかな。やるだけの事はやったのに安心出来ず自分を信じられない、あの不安でドキドキした、たまらない瞬間。

“お願い、死にたくない!!”

藁にも縋る思いだった。
衝撃に耐えるべく目を閉じ歯を食いしばりながら出来るだけ身体を丸める。
衝撃は、すぐに来た。
鈍い音と何か固めのクッションに背中からぶつかり地面を転がる。
全てを受け止め切った真白は地面に伏したまま、暫く身体を襲っていた落下感と衝撃に動けなかった。
節々の痛みと腕に無数のかすり傷くらいだろうか?今のところ骨折を思わせる痛みはなく、大怪我の部類はないみたいだと判断して安堵する。

「やっ、た。生きてる」

ブルルッ……

突然、口を震わす音に真白は心臓が跳ねるのと同時に顔を上げた。

「えっ」

真白のすぐ近くに横たわる白い馬に全身の血の気がさぁっと引いていく。
学園の離れにある湖畔で会った、あの馬だった。

「……私……」

地面に衝突したと思った時に、何か固めの物に当たったのを思い出す。
確かめようと這う様に近づいていき馬の首筋に腕を回して抱きついた。
温かい体温と少し早い呼吸音に涙が溢れる。

「ごめんなさい、ごめんね、痛かったよね……どうしよう」

泣きじゃくる真白を白い馬は鼻先で押しやった。
それからゆっくりと立ち上がり、前脚を鳴らすと、その場を一周してみせる。
まるで“大丈夫”と言わんばかりの動作に、真白は涙を拭いて立ち上がった。

「そっか。ごめんじゃなくて、ありがとうだね。本当に、ありがとう」

真白が深々と頭を下げると、その後頭部を甘噛みされる。
その時、遠くから男達の声が聞こえてきた。

「探せ!散れ!」

真白は身体を強張らせながらもすぐに追っ手だと理解した。
逃げなきゃいけない。
この場に止まれば、この子を巻き込んでしまう。

「ごめんね、私……行かなきゃ!本当、ありがとう!!」

最後に馬の頬に軽く口づけする。
それから男達とは反対の茂みに向かって走り出した。
走り去る真白を追い掛けようと馬が軽く脚払いしているすぐ側の茂みから、突然ピンク色のおさげ頭の姫椿が飛び出し馬の胴体に体当たりしながらしがみついた。

「みーつーけーたー!!!」

怨念がましい声をあげる姫椿を拒絶し全力で振り払うと、呆気なく尻餅をついて剥がれ落ち、屈辱だと言わんばかりに両手をついて悔しがっている。
激しく嘶くいなな馬が正面から姫椿を見た時、零れ落ちそうな瞳が恐怖に染まったのを見逃さなかった。

「“使役”」

ゾワッと地面から真っ赤な鎖が無数に伸びて馬を縛りつける。
抵抗を止め、全身を震わせる馬の前で勝ち誇った格好で姫椿は話始めた。

「あんた、私を誰かと勘違いしてるみたいだけど……」

姫椿の声は静かな怒気を含んでいた。
訝しむ瞳に映る自分を通して、この馬は双子の片割れ白椿を見ている。
何だかそれが無性に腹が立って、一言言ってやろうと時間があれば馬を探しに森へ来ていたのだ。

「湖畔で私に気づいた途端、逃げた時の事を言ってるんだからね!?私っ!根に持つタイプだから!!」

混乱して鼻息の荒い馬にズカズカ近づいて、臆する事なく顔を両手で挟むと怯える瞳を覗き込む。

「いい?私の名前は姫椿。白椿は双子の片割れ、私じゃない」

納得いかないのか姫椿の手を振り払おうとした馬の身体を、容赦なく赤い鎖が締め上げた。

「聞いて」

グッと力を込めて、額をつける。

「見て、しっかり、理解して」

言い聞かせながら手を離して数歩下がる。
馬は微動だにせず視線が真っ直ぐ自分に向けられているのを感じながら、姫椿は持ってきたハサミを使って耳のすぐ下辺りに狙いを定めて、おさげを切り落として見せた。
パラパラとピンク色の髪が落ちて、軽くなった頭を振る。

「これでどう?」

二度と間違えるなと暗に命令すると、観念した様に馬は静かに頭を前に下げた。

「……わかればいいのよ」

納得のいく態度に満足してから使役を解こうとした、その時だった。

「ーーーーー」

確かに聞こえた声に振り返るが、視線の先には森が広がっているだけで人の気配はない。
空耳か?とも思ったが、聞き覚えのある声に姫椿はどこへともなく呼びかける。

「王李?」

返事はない。
やっぱり空耳だと結論づけて、改めて大人しくなった馬に掛けていた使役を解こうと振り払ると、そこに馬の姿はなかった。

「……えぇー」

面倒な事だけが増えた気だけがして、姫椿は人知れず深い溜息を漏らした。
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