蒼の箱庭

葎月壱人

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第二章

掏り替えられた場所

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それは、真っ暗な視界が白んでくる所から始まる。

“真白……ごめん”

誰かが傍にいて震える声を絞り出して紡いだ言葉は、胸が締め付けられるくらい苦しくて悲しいものだった。
それでも何故か聞いている私より言った本人が深く傷ついている気がして無理に大丈夫だよって答えてあげたくても声が出せない。
そうこうしている間に視界が真っ暗になり、また冒頭のやりとりに戻っていく。
切り取られた一場面を永遠と繰り返している夢に背を向けて、もういやだ、と全てを放棄して深い眠りに落ちてしまいたかった。
けど、悲しそうな彼をあの夢に閉じ込めたままにはしたくない。

「白馬」

頬を伝う涙につられて目を覚ました真白は、知らない天井を眺めたまま暫く動けなかった。
現実でも夢でも似た様な体験をして……正直、疲れた。
どれだけ自分を追い込めば満足するのだろうかと考えながら水の滴る音に窓の方を向くと、外は雨だった。
暗雲から降り注ぐ雨は線を描き風に揺れる木々も相まって、まるで自分の心情を表しているみたいで目を逸らす。
鬱鬱とした気持ちのまま起き上がった時、散々な目にあった身体が何処も痛くない事に驚いた。
無我夢中で走った時に切った擦り傷も、殴られ腫れていた頬も浮腫んですらいない。
一体どうしちゃったんだろう?と考えながら、自分に掛けられていた漆黒のコートの存在に気づく。

「綺羅?」

返事がないどころか、気配すらない。
あれ?私……昨日どうしてたんだっけ?
思い違いをしていて本当は捕まってしまったのでは?
考えれば考える程、あり得る可能性に一気に怖くなった。

「や、やだ」

部屋にある扉という扉を開け放つ。
開けても開けても綺羅が見つからなくて不安は大きくなるばかり。

「いなくならないって、言ったのに……!!」

昔、綺羅が忽然といなくなった時の事を思い出してしまった。
毎日一緒にいて信頼を寄せていた人が突然居なくなる恐怖は、足元が崩れて何処までも堕ちる感覚に似ている。
あの時は、授業を全部すっぽかして学園中を捜し回っても見つからず、時間が経過する度にぽっかり穴だけが残った感じだった。
後から噂で“転校した”と聞き余計に悲しかった。
何も相談してくれなかった事も、置いて行かれた事も全てが腹立たしくて自分が情けなかった。
私が頼りないから、私が頼り過ぎてたから駄目だったんだと責めた。

いつかまた会えるときがあったら……
その時は、頼もしい姿を見せたいと思ってた。
なのに再会した今も私は助けて貰ってばかり。

どうしよう、また見捨てられたら。

待って!
まだちゃんとお礼も言えてないし、話したい事が沢山、沢山ある。
だからお願い、何も言わずにいかないで。

両手で力任せに最後の扉を開け放つと、洗面台の前で着替え中の綺羅と鏡越しに目があった。

「ま、真白?」

キョトンとした顔を見て心底安堵する。

「い、居なくなったのかと思っ……」

ふと綺羅の背中にある大きな赤黒い痣が目に入ってしまい言葉を失った。
真白の視線に気づいた綺羅は、何食わぬ顔でシャツを羽織る。

「起きて大丈夫?」

すぐ、はぐらかそうとするのは綺羅の悪い癖だ。
知られたくないのか踏み込まれたくないのか分からなくて、うやむやにしてたけど……もう見て見ぬ振りはしない。
真白は駆け寄るなり思いっきり綺羅のシャツを下ろした。

「ちょっ!?」
「これ、何?」
「あー……こ、転んだ?」

何てベタな言い訳だろう。
下手すぎる嘘に、真白は追求の手を緩めなかった。
毅然とした翠色の瞳に見つめられ、揺れる綺羅の金色の瞳が動揺してる事を表している。

「嘘。どうやって転んだらこんな風になるの?転んだって言うより何か当たっ……た?」

あれ?
何か引っかかる。
なんか、そんな様な状況があった気がする。
眉間に皺を寄せて考え込む真白の肩に両手を乗せて方向転換させた綺羅は手早く服を着ながら、話題を逸らした。

「真白、お腹空かない?備え付けの冷蔵庫開けてみたらさ、真白の好きなホットケーキあったよ」
「えっ」
「一回温めるとして……バターと蜂蜜、どっちがいい?両方?」
「り、両方」
「だよねー、それでバニラアイスも乗せるんだよね?なんて言ったっけな……そうそう!」

「「背徳盛り」」

綺羅と真白の声が重なった。
悪戯っぽく微笑まれたその顔が、凄いでしょう?と言っているみたいに誇らしそうで、堪えきれずに真白も吹き出して笑い合った。
綺羅が覚えてくれていた事が素直に嬉しくて、不意に溢れた涙を拭いながら、この時ようやく実感できた暖かい気持ちを大事にしようと真白は密かに心に誓った。

綺羅との朝食は、久しぶりに楽しい時間になると思っていた真白はテーブルの席についてすぐに自分の浅はかな考えを悔いた。
眉目秀麗な綺羅と向かい合って座る気恥ずかしさが、真白を萎縮させる。
背丈は勿論大きくなってるし何気ない所作の一つ一つが見惚れる程、優雅で大人びている気がした。
そう思うからこそ、いちいち昔と比べ変わっていない部分を懐かしんで安堵している自分が、いつまでも子供じみたままで恥ずかしい。
そして一番の悩み処は、目の前に置かれたホットケーキ。
本当に美味しそうに盛りつけまでしてもらったにも関わらず、それほど食欲がない朝には、重い。
有難い筈の気遣いに対して、我儘な自分に辟易してしまう。
綺羅の前にはティーカップだけが置かれており、食欲旺盛だと思われている自分が余計に恥ずかしくて顔を上げにくくなってしまった。

「真白?」
「あっ!うん、美味しそうだなって」
「ここにあるのは口をつけて大丈夫なやつだよ、確認してあるから」

食べないの?と不思議そうに見つめられ、真白は焦りながらも心の中で自問自答を繰り返す。
テーブルマナーは大丈夫?
ーー授業で習ったから見られても大丈夫。
やだ、本当に緊張してきた……試験みたい。
色々悩み過ぎたせいで手が止まったままの真白に、綺羅は改めて声を掛けた。

「もしかして緊張してる?」
「そ、そんな事ない!!」

痛い所をつかれてしまい、言い方がキツくなってしまったことを後悔した。

「ご、ごめん。楽しくないとかじゃないの。只、何ていうか……」

弁解しようとして、どんどん墓穴を掘っている気がする。
真白の話を聞いている綺羅もキョトンとして首を傾げているし、多分、本当に言いたい事が伝わっていない。
混乱する頭の中を一旦、整理しようと深呼吸をした。

おかしいな。
男の子と食事するのってこんなに大変だったっけ?

「白馬とだったら全然平気なのに」

口をついて出た言葉にハッとする。

「あ、いや、その……」

しどろもどろになりながら、必死に何か言わなきゃとすればするほど言葉が見つからなくなっていった。
それと同時に考えない様にしていた白馬の事も、もう避けるのは無理だと心が悲痛に叫んでいる。

今でも鮮明に思い出す。
あの時の白馬の悲しそうな顔を。
嘘のない告白に向き合う事が出来ずにいるのは、夢の中の自分と同じだ。

長いような沈黙。
まるで叱られるのを覚悟した子供みたいに固まってしまった真白に綺羅はそっと語りかけた。

「少し見ない間に真白は変わったね」
「え?」

思いがけず吃驚して顔を上げると綺羅は珈琲を飲んでいる所で、言葉の真意すら表情も読めなかった。
変わった?私が?綺羅ではなくて?多く浮かぶ疑問符をそのままに穴が開くほど凝視すると、カップから口を離した綺羅に笑われてしまった。

「信じたいんだなって思って」

その言葉に、心臓が一際大きく跳ねて目頭が熱くなって涙が溢れた。

「あ、あれ?」

混乱している真白に綺羅はそれ以上何も言わなかった。
この学園で共に過ごした時間は自分の方が長い。
それだけ真白の事を理解している自信もあるから……つい真白の気持ちを汲み取ってしまった。

「ずるいよな……」

白馬は、短期間で自分と掏り替わった居場所に馴染み真白の心を攫っていった。
離れて初めて気づいたこの気持ちは、この先伝える事はない。

でも約束する。
この先、何があろうとも真白の味方であって一番の理解者である事を。

大丈夫、守ってみせる。
君の気持ちも、全て。

その為に力をつけて帰ってきたのだから。

感情の昂りが収まって涙を出し終えた真白は、落ち着くまで待っていた綺羅を今度は正面から真っ直ぐに見る事が出来た。
少々照れくささは残るものの、綺羅に“もう大丈夫”と小さく笑みを返すと安堵したように微笑みを返してくれた。
涙と一緒に胸に溜まっていた感情も流れたのか今朝からモヤモヤしていた頭も心も今はスッキリしている。

「そうだ。お礼、まだちゃんと言えてなかったよね?助けてくれて、ありがとう」
「そんな、大袈裟だよ。まさか上から落ちてくるとは思わなかったし。間に合って良かった」
「……………え?」
「ん?」

驚いた表情をする真白を見て、そこではじめて話が噛み合ってない事に気がついた綺羅は、自分の失態を滑らせ見事に自滅した口元を隠すが既に遅い。
真白が少しでも元気になって話しかけてくれたのが嬉しくて失念していたとは言え刺さる様な視線が痛い。

「上から?」
「あ、あーーー、………っ、ね?」

言い訳すら思いつかなかった綺羅が、ついには首を傾げて可愛さで誤魔化そうとし始めたのを見た真白の瞳は益々怪訝そうに細まってゆくだけだった。

「ねぇ、綺羅……話してくれない?」

ストレートに投げかけてみると、あまりの直球に少し面食らった綺羅の視線が揺れている。

(どうしよう)

真白に全てを明かすのは危険だと姫椿に釘を刺されている綺羅は口を結んで思考を巡らせていた。

学園の生徒達は林檎の国の商品として時間をかけて身体を作り変えられている為、一度外に出てしまえば徐々に命が尽きる短命の消耗品だと言ってすぐに理解する人なんかいない。
綺羅自身も林檎の国を出てから、口にするもの全てが口に合わず食べても吐いてを繰り返す地獄の日々を体験している。
そんな話を今の真白が聞いて耐えられるとは思えない。

綺羅が“天狼”という大きな組織に保護して貰えたのは、自らを検体として差し出す事により治療を受けたからだ。
その後、“天狼”の一員としての教養を身につけ、増援という形で林檎の国に再潜入をボスであるカフマに命じられた時のやりとりを鮮明に記憶している。
林檎の国の皆を……真白を救いたいと訴えた時、真顔で問われた。

「それに何の価値がある?」

林檎の国で人身売買が行われているのは、昔からだ。
近年、林檎の国で開催されるようになった“朱の大会”で、特定の子を賭け事に用いて更に利益を斡旋する輩が確認されたから、調査として姫椿と綾瀬を向かわせていた“天狼”は、何の音沙汰もなかった所にノコノコ現れた白い馬が姫椿の腕章を咥えてやって来た為に保護してみた結果、薬によって姿を変えられていた綺羅という情報源を得たに過ぎない。

「勘違いするな。俺達は慈善事業じゃない。不利益を排除する殺し屋だ」

淡々と告げる言葉はどれも真実だった。

「……なら、救うに値する証拠を提示します」

綺羅がそう答えた直後、カフマに容赦なく殴られた。
渾身の一撃は重く、振りかざされた拳が“青二才が戯言を言うな”と語っていた。
床に這いつくばり血の唾を吐き捨てながら己の弱さが悔しくてならない。
でも、諦めたくない。
何か方法があるはずだ。
純粋無垢なあの子を……真白を守りたい。
もう一度、なりふり構わず懇願しようとした綺羅の口を止めたのは、唇に当たるゴム手袋越しに伝わる冷たい手の感触だった。

「まぁまぁ、覚悟くらいは認めてやりなよ。それに林檎の国の検体は、もう少し保持してもいい」

飄々とした声の主は、“天狼”専属医師レージ。
ボサボサの黒髪に瓶底眼鏡といった胡散臭さ満載の男は、綺羅の殴られた頬を軽く触診してから仁王立ちのカフマを振り返る。

「不服そうだね?なら僕も追加で提案しよう。彼が救うに値する証拠が提示できなかった時は、その身体を掻っ捌いて魚の餌にしてやろう。これでどうだい?カフマ。魚料理、好きだろう?」

血塗れの白衣を身につけた変人は、硬い表情を浮かべたままのカフマに笑いかけると重苦しい沈黙の後、ようやくカフマは首を縦に振った。

「……いいだろう」
「ほら、解決した。さ、行っておいで?」

こうして殴り殺される所を命拾いした綺羅は、レージに小さく拍手されながら送り出されたのだった。
綺羅は長考の末、覚悟を決めて重い口を開いた。

「わかった。話すよ」

余計な事は喋るなと、身体を縛る赤い鎖がじんわり熱を帯びているのを感じつつ、自分の身に起きた事だけ掻い摘んで話し始めた。


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