蒼の箱庭

葎月壱人

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終章

静穏

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目を閉じると思い出してしまうのは白馬と別れた時のこと。
去り際の言葉が今も胸に刺さったまま膿んだ傷口みたいな痛みだけが残っている。

“元気で”

勝手に今生の別れみたいに言わないでと怒る事も縋る事も出来なかった後悔が波みたいに襲ってきては押し潰されそうになる度に、残された私を抱きしめてくれた綾瀬と満身創痍ながらも駆けつけてくれた姫椿を思い出して自分を奮い立たせている。

ねぇ、白馬、苦しいよ。
独りじゃないのに、私の心は独りになってしまったみたい。
白馬が隣にいない日が来るなんて想像した事もなかった。
一緒に過ごした日々が偽りの上に成り立っていたとしても、初めから“商品”として私と接していたとは信じたくない。
聞きたい事、話したい事、私達には沢山ある筈なのに……その機会が消え失せた事を私はまだ受け止め切れていない。

ねぇ、白馬。
今、どうしてる?
私はまだ貴方を諦めきれていないの。





草木の匂いを連れた暖かい風が頬を撫でる。
目を閉じて瞑想していた真白は、悪戯に髪を靡かせチクチク肌を刺す髪のくすぐったさを我慢できずに目を開いた。
真白がいる場所は、いつものお気に入りの湖畔。
太陽の光が水面でキラキラ輝く光景を眺めながら、過ぎた日々に思いを馳せる……といってもまだ数日しか経ってないのだけど。

今、学園は激変の一途を辿っている最中にある。
“暗夜”が運営していた林檎の国の主導権は“天狼”へ移り、専属医レージの研究所となった。
学園の運営については何も決まっておらず、学園にいる大多数の生徒は普段と変わらない生活を送っている。
“朱の大会”出場者の真白、王李に関しては生徒達の噂通りに林檎の国を出たという事にして事態の収束に奔走している天狼の主、カフマが到着するまで学園の離れにある来客用の施設内で生活していた。

「真白ー!!」

呼び声に振り向くと、綾瀬の転移魔法で強制的に召喚され馬車馬の如く事務を処理らし続けているイミューノディフィシェンシーを連れた綺羅が手を振っていた。
真白も両手を振って答えながら、すぐ近くで花を摘んでいる綾瀬に声をかける。

「綾瀬、見て!お花!!」
「ん?」

いまだ眠り続けている姫椿の部屋に足繁く通う綾瀬が、毎日外でお花を摘んでいる健気な話を綺羅にしたからか、此方に向かってくるイミューノディフィシェンシーの両手には抱え切れない程色鮮やかな花束が用意されていた。

「いや、死んだ訳じゃないんだから限度ってもんが……」

ボソッと真白に愚痴ったつもりだったのに、笑顔を引き攣らせたイミューノディフィシェンシーがわざとらしく聞き返す。

「おや?クソ忙しい私の手を煩わせておきながら文句を言うと?」
「ワァ!オハナ、ウレシイ!!」

綾瀬の喜び方に腹を立て無言で足蹴にする様子を見ながら綺羅は真白の隣に腰を下ろした。

「昨日さ、綾瀬の話をしたら……みゅー先輩が予想以上に感銘を受けちゃって。居ても立っても居られない様子だったから今日は俺の転送魔法の精度強化って事で二人で朝から花屋巡りしてたんだ」

魔法の使用を認められるには保護者の許可もしくは組織に入って主人に認められなくてはいけない。
林檎の国に籍を置いている真白には身寄りがなく組織にも属していない為、魔法の発現が確認されたものの魔法の使用は一般的に禁止されていた。
そして今日、“天狼”の主であるカフマが林檎の国へ来るので“天狼”に属するか否かの判断を下される事になっている。

「あと、はい。お土産!」
「え?私に?」

キョトンとしている真白の手に置かれたのは淡いオレンジ色をした花の髪飾り。
日頃から前髪を後ろに流しアップにしておでこを出している真白の前髪を留めているのは、白馬からプレゼントされたらしい朱色のリボンが今も揺れている。
別に意図して贈った訳ではないけれど……少しでも気分転換になればいいな、という思いが少なからずあった。
あの日、忽然と姿を消した白馬の追跡は今も継続中だが見つかっていない。
雪乃の行方も白馬同様に掴めていなかった。
どこか元気のない真白を気に掛けているのは綺羅だけではなく、急に視界が暗くなったのを不審に思った真白が顔を上げると綾瀬が真白の頭上に花の雨を降らせ始めた。

「わ!?な、何っ?!」
「お裾分け。花冠、作れないからさ?今から頭にブッ刺していく」
「やめて!?普通にちょうだい?!」

真白の頭を剣山に見立てて生花をしようとしている綾瀬に非難めいた声を上げながら綺羅に助けを求めても、笑って真面目に取り合って貰えなかった。

「可愛いよ、真白」
「もう!!はいはい、ありがとうございます!!!」

半ばキレ気味に答えると満足そうに軽く頬を触ってくる綾瀬の仕草は猫をあやす様で居た堪れずに身じろぎしていると、イミューノディフィシェンシーが唐突に話始めた。

「そうだ。姫椿が目を覚ましましたよ」
「「「えっっ!!!!」」」

三人分の驚きを笑顔で受け流しつつ、道を譲る。

「い、行こっ!!行くよ!!綾瀬っ!!早く早く!!」

驚きのあまり固まる綾瀬を急かしながら、真白は自分に浴びせられた花をかき集めるとイミューノディフィシェンシーから残りの花を受け取って駆け出す。慌ただしい二人の後ろ姿を見送りながら、一人残って考え事をしている綺羅に声を掛けた。

「綺羅くん、どうされました?」
「うーん……ちょっと後悔してて。やっぱり重かったかな?髪飾りじゃなくて生花にすれば良かったかもって」
「何を選ぼうとも相手を思って選んだ気持ちに違いはありませんよ」
「……ですね!ありがとうございます」

屈託なく笑う綺羅の頭を撫でながら、話を続けた。

「何故、気持ちを隠してるのかお伺いしても?」

イミューノディフィシェンシーの質問に、綺羅は自分と真白を繋いでいる糸を可視化させた。
相変わらず綺麗な深紅の糸に触れながら運命の赤い糸みたいだと思うのに、これと同じ物が真白と白馬にも繋がっているのだから……これはもう運命の悪戯としか思えずにいる。

「俺、今のこの関係に満足してるんです。この関係の先でも結ばれたままなら……その時考えます。この件は未来の自分に投げました!」

例え悪戯に結ばれた物であろうとも、真白の近くにいたい気持ちは変わらない。
気を抜いたら馬になる変な体質になってしまったけど、将来は笑って“そんな事もあったね”って言える関係でいたい。
綺羅の清々しい表情に何度も頷きながら、イミューノディフィシェンシーは手を差し伸べた。

「益々、欲しい人材です。綺羅くん、うちに所属しませんか?薄給、精神崩壊必須、過酷労働とやりがい抜群ですよ?」
「あれ?何だろ、誘われてるのに全っ然嬉しくない!」
「では、ストレートに。……君が欲しい」

目を丸くした綺羅は真っ赤になりながら、差し伸べられた手を掴んで立ち上がる。

「誘い方が急にエグくなった!!」
「ふふ」
「でもちょっと嬉しいので検討します」
「ありがとうございます。良い返事をお待ちしています」





「俺の事、忘れてたらどうしよう」

姫椿のいる部屋へ向かう途中、綾瀬の足が止まるなり青ざめた顔でそんな事を呟いた。
姫椿が倒れてから、ずっと不安だったのだろう。
絶対そんな事ないだろうに変な不安に囚われている綾瀬に何て声を掛けるべきか思案している真白の耳に、目的の部屋から聞き慣れた声が聞こえ漏れてきた。

「だから、もう食べたくないんだって!!」
「好き嫌いはいけないよー?元気にならないんだよー?」
「だって毎日毎日食べてたんだよ!?もう、嫌。回復しなくていい、このままでいい」
「でも、綾くん困るんじゃない?だって幼女に手は出せないよ」
「幼女って言うな」
「もし手を出したら…………綾くんはロリコンって事かい?」
「想像しないで!!」
「じゃ、どういうのが食べたいの?」
「つまみ系がいいな!しょっぱくてー、固くてぇー」
「綾くんじゃん」
「ま、待って?!なんでそうなるの?」
「運動した後の絶妙な塩加減、筋肉質で引き締まった上半身……噛んだ時の反応プライスレス」
「よし、買った!!」

会話がダダ漏れであるとも知らずに楽しそうに談笑している姫椿とレージの声に、居た堪れなさを感じながら綾瀬を見ると青ざめた顔が耳まで真っ赤になっている。
屈辱、なのだろうか?唇を噛み締めたままズカズカ大股で歩いていくと扉を勢いに任せて開くなり大声を出した。

「買うなっ!!!!っ!もう、知らん!!」

捨て台詞を残したまま、部屋に入らずに別の場所へ向かっていく綾瀬を止めるべきか悩んでいると中から笑い声と共に真白を呼ぶ声がする。

「あはは!今日、ツン強めだなぁ。真白いる?真白ー!?」

ひょこっと顔を出すとベッドから上半身を起こした姫椿がヒラヒラ手を振って迎えてくれた。

「姫、だいじょうぶ?なんか……縮んでない?」

お見舞いの花を姫椿に手渡す真白の指摘に感心したレージが自分が座っていた椅子を真白に譲りながら答えた。

「よく気がついたね真白ちゃん。魔力不足にも関わらず力を酷使したオーバーワークによる症状だよ。この子はね、縮んで幼女になったんだ」
「ちょっと!!言い方!!」
「治るんですか?」
「治るよ、ちゃんと食べればね」

テーブルに置かれた食事を見ながら答えるレージをあからさまに無視した姫椿は、真白の手を取るなり持っていた黎明の鍵を握らせた。

「これ……?」
「大丈夫よ、真白!大丈夫」

姫椿の言葉に、涙が溢れる。

「会えるよ。一緒に捕まえよ!!」

虫でも捕るみたいな軽い言い方に、真白は泣きながら笑った。
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