蒼の箱庭

葎月壱人

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終章

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カンカンと木槌のなる音、ざわめく人々の声、時折挟まるベルの音。

“一体、何をしているの?”

雪乃は不審に思って、眠気が残る重い瞼を無理矢理持ち上げて目の前に広がる世界を見た。
瞳に注がれる強烈な光に顔を顰め、その光から顔を反らそうとすると首に繋がれた鎖が重々しく音を鳴らす。

「えっ?」

恐る恐る胸元を見ると首から長く続く錆びた鎖が、無造作に床に打ち付けられて繋がっている。
すぐに外そうと手を動かしても、雪乃の焦りがガシャガシャと鎖を鳴らす音になっただけだった。
後ろ手に繋がれた手錠に恐怖から身を竦め、立ち上がろうとした際には両足にも分厚い足枷が嵌められている事に気づいた時、もう呼吸の仕方が分からなくなりつつあった。
早鐘を打つ心音を耳元に感じながら、背中に当たる冷たい感触に振り返る。
その時初めて、自分が巨大な鳥籠に似せた檻の中にいる事を知った。

「や、やだ……な、何で!?」

縋るように、誰かいないのか周囲を見渡すと、いた。
雪乃の隣、檻越しに見えた白髪の青年に雪乃は安堵の涙を浮かべる。

「白馬くんっ!!」

鉄格子に肩からぶつかりながら、少しでも白馬の傍へ寄ろうと試みる。
泣きながら何度も何度も白馬を呼んでいる声が聞こえている筈なのに、白馬は只、険しい横顔を動かす事なく正面のモニターを見ていた。

「な、何?」

こっちを見てくれない白馬の視線を辿るように雪乃も正面を向く。
目を凝らして自分を照らすライトの明かりに目が慣れた頃、ようやく目の前のモニターを見ることが出来た。

“ 林檎の国 齢16歳 処女 ”

文字の下では、ひっきりなしに数字がカタカタ動いて金額はどんどん大きくなっていた。

「ひっ……!」

未曾有の恐怖にパニックを起こした雪乃が助けを求めて再び白馬に呼びかけ続けても微動だにしない。
どうして、どうしてよ!!と焦燥感から涙がとめどなく溢れた。

カンカンッ

会場に響く木槌の音が、無情にも雪乃の落札を告げる。
盛大な拍手に包まれる中で、ようやく白馬は雪乃を見た。

「大した額には、ならなかったな」

吐き捨てる様な台詞、冷たい眼差し。
この人は、一体、何を言っているの?
私の知っている白馬くんじゃない。

言葉が出てこないまま口だけをパクパクと動かす雪乃を残して、白馬はステージの一歩前へ出た。
そして絵に描いたような笑顔を浮かべ、会場に詰め掛けてきた加虐性愛者や奴隷収集家達に向けて優雅に一礼する。
事務的な話を饒舌に語る白馬は、学園にいる時の白馬とは別人だった。

「……騙して、騙していたの!?」

重々しい音を立てて開く檻に、異様な歓声がこだまする。
檻の外から、泣き笑いのピエロを模した仮面をつけた男達が無造作に雪乃の肩を掴み上げ立たせると、移動しやすい様に身を屈めて足の鎖を外した男の背中を渾身の力で蹴り上げてもびくともしなかった。

「いや、嫌!!やめて!!離して!!!はく、白馬くん!!嘘でしょう!?私達、あいっ……!?」

愛し合っていたじゃない、と続く筈だった言葉は白馬の手によって遮られてしまった。

「誤解を招く発言はやめて頂きたい」
「なっ!?」

他人行儀な白馬を信じられない目で見たまま、それでも抗議する為にモゴモゴ動く雪乃の口元に顔を近づける。
歓声で聴こえなかったなんて事がない様に、その浮かれた脳みそに焼き付けるべくはっきりと告げた。

「俺はお前の事なんて何も思ってない。あの日は、何も無かった」
「そんな……」

青ざめる雪乃に、白馬は微笑んだ。
その顔は、いつも真白に向けていたあの優しい笑顔で、雪乃が自分に向けて欲しいと焦がれていた物だったのに今はもう何の感情も追いつかなくて何とも思えない。

「報いを受けろ」

白馬は林檎の国へ来てすぐに学園に在籍している生徒達全員の友好関係を洗いざらい調査していた。
初日に綺羅が脱獄紛いな行動をしていたのを目撃したのがきっかけで、やはり一定数の逃亡者や自殺志願者が存在する小さな闇を見つけた。
しかも毎回同じクラスで起こっている不祥事にクラスカーストが関係しているのではと思い、白馬自ら生徒として潜入していた。
そこで見つけたのが雪乃だった。
資料にあった控えめで慎み深く従順な雪乃の裏の顔は、人を貶める事を趣味とした一面の持ち主で、被害者は真白だけではなかった。
来るのが遅かったと……救えなかった命をいたみながら、今にして思えば真白の傍に居てくれた姫椿と王李には感謝している。
勿論、綺羅にも。
雪乃の残虐な行為を止める為に生徒全員の記憶を操作する薬を白椿に依頼し、時間をかけて給食に混ぜ込ませた成果は目覚ましい効果を発揮していたのに懲りずにまた犯罪紛いな事をした。
よりによって真白に、だ。

「報い……?報いって、どういう……?」

小さな箱庭の中で自覚がない悪意に何人の心が、命が消されていったのだろう?
悪意には本物の悪意を、その身をもって体験して頂こう。
これが白馬の“暗夜”としての最後の仕事と決めていた事だ。
パチンと指を鳴らしただけで眠くなる暗示が掛けてある雪乃は、絶望感に苛まれたまま暗転する意識の中、最後に見た白馬の表情をこの先一生忘れないだろう。

私が愛した人は只々、無表情だったと。





一仕事を終えて、ステージを降りながらネクタイを外して窮屈な正装を緩めていく。
電気の切れそうな蛍光灯が一定の間隔で設置されていているほの暗い廊下を黙々と進み、時折、従業員と挨拶を交わしながら白馬は物思いに耽った。

学園に潜入する前に、“朱の大会”選出用に予め生徒達の仮商品登録を済ませ購入希望者が多い生徒をリストアップした名簿を白馬は持っていた。
一番人気は女子。
見た目だけでなく成績も吟味された上で一番人気だったのは雪乃。
真白は当初名前すら載らず、学園でも存在すら知らなかった。

それが今やこんなにも存在が大きくなっているのは、何故だ?

“白馬”

今も耳に残る真白の声。
いつも屈託なく笑いながら、まだ見ぬ外の世界を夢見てた少女。
変な輩に売られるくらいなら俺が買い上げて、実際の外の世界を……本当の自由を見せてやりたいと思う位、傍にいればいるほど一緒にいたいと願うようになってしまった。

別れ際の真白の顔が忘れられない。
あの涙を、もう拭ってやる事はできない。
傍にいて一緒に笑い合う事もない。
自分が汚れ切っている事を悔いたのは、あの時だけだ。
別の道を選んでいたら何かが変わっていただろうか?

……もう会うことはないけれど。
どうかこの先、真白が進む道は常に明るく光に照らされているようにと願っている。


なぁ、真白。
お前は今、何をしている?
もう旅を始めている頃だろうか?
朱の大会で真白が優勝したら、ひとつだけ願いを聞いてやる約束を果たせないまま別れた事すまなく思っている。
でも、願いが何なのか大体の検討はついてるんだ。
お前の事だから「一緒に旅をしませんか?」と誘ってくれたんじゃないかって。
自分から手を離しておいて、こんなに会いたいと恋しく思ってしまう相手は、この先何があっても真白だけなんだろう。

本当に、いつまでも女々しい自分に呆れながら溜息をついた白馬は、突き当たりにあった扉のドアノブに手を掛けて押し開いた。
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