蒼の箱庭

葎月壱人

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第二章

秘密と秘匿【2】

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お手上げだと両手で顔を隠してしまった綾瀬の肌けた胸元から見えた古傷に、姫椿は指を滑らせた。
冷たい指の感触に驚き上擦った声を噛み殺した綾瀬は、即座に起き上がろうと試みたが腹部に姫椿が乗ったまま退く気配がない。
乱暴に振り払う事も出来ずに抵抗するのを放棄して再び仰向けに倒れてされるままになった。

「っ、」

意識を逸らそうとしても、ゆっくり何度も往復してなぞられる古傷が疼いて苦しい。
終わりの見えない不毛な時間に、綾瀬が今度こそ本当に根を上げそうになった時だった。

「帰る」
「…………………は、ぇ?」
「帰るわ」

姫椿は、淡々と告げるなり綾瀬の上から降りた。
状況を理解できず狼狽えながらも起き上がる綾瀬をそのままにして一瞥もくれることなく颯爽と出口へ向かう。

「まっ、待って!!」

まるで朝寝坊をした時みたいな慌てる音を聞きながらドアノブに手を掛けると、ふわっとした風圧が後を追うようにやってきて勢いよく綾瀬に後ろから抱きしめられる。
そのまま首筋に顔を埋められ、綾瀬の長い髪が姫椿の胸に掛かったのを見ながら、それでもドアノブを引こうとする姫椿の手を一回り大きな手が被せる様にして押さえ込んできた。

「……離して」
「いやだ」
「え?何がしたいの?」

冷ややかな声に、流石の綾瀬もカチンときた。
何がしたい?散々振り回しておいて?こっちが聞きたい位だと言い返したい気持ちを即座に殺す。
気持ちを落ち着かせないと、ザワザワと背中を這い上がる黒い気に再び飲まれてしまう。飲まれたら自力では止めることが出来ず、森での一件と同様に姫椿が死ぬかもしれない……そんなのは耐えられない。
逡巡する時間は沈黙と重苦しい空気になっただけで何も生み出さない事を綾瀬が気づかないでいる内に、姫椿が再び口を開いた。

「……そうやって何も言わずに閉じこもって抱え込んで一人で対処するなら、私いらないよね」

姫椿の言葉に意表を突かれた。
綺羅に対する嫉妬心から呪われた力が暴走して、王李の行動を監視していた人間を数人殺めた事を知られていると気づいた途端、一気に血の気が引いて目の前が真っ暗になった。

「そんなに頼りない?それとも私じゃない方がよかった?」

姫椿はというと、口に出したら余計にイライラが増してきていた。

「つ、椿……?」 

綾瀬が狼狽えているのを感じながら、それでも止められなかった。

「やめてっ!!」

首に回された手もドアノブ事抑えつける手も、煩わしくなって全部払い除ける。
自暴自棄になっている自覚はある。
でも、こんなのもう埒があかないじゃない。

「ごめんね、綾瀬がいつも呼んでる“椿”じゃなくて」

感極まって声が震えるのを堪えて、絶対口にしないと決めていた言葉を吐き捨てた。

「白椿じゃなくて、ごめんね!!」

そのまま言い逃げするつもりの姫椿の行動を読んでいた綾瀬は、即座に姫椿の手を強引に引き寄せ、正面から抱きしめた。

「嫌っ!!離して、はーなーしーてーーーーーー!!!!!」

足を踏まれようが、殴られようが構わない。
“使役”が解かれている今、綾瀬の行動を縛るものはなく胸にすっぽり収まる小さな存在を壊さない様に抱きしめ続けると、次第に抵抗しなくなった姫椿から鼻を啜る音が聞こえ出す。
そっとピンク色の頭に口づけると頭を振って拒否されたが、それでも角度や場所を変えて口づける。

「やめてってば!!」

勢いよく顔を上げた姫椿の顔を両手で包み、額を合わせた。

「……姫椿の事だよ」
「嘘っ!!」

言いにくそうに口を結ぶ綾瀬を見て、ほらやっぱりと更に悪態ついてやるつもりだったのに自分を見つめる赤い瞳の真剣さに気圧されてしまう。

「離れてた二年間、最初の頃は姫椿の名前を出すだけで折檻されてた。呼びたくても呼べない環境下にいる事を理解して……でも他の女の名は絶対呼びたくない。姫椿の事も忘れたくなくて妥協した苦肉の策が“椿”だ」

急に静かになった姫椿の顔を覗くと、唇を噛みしめたままポロポロ涙を溢している。

「紛らわしくて……不安にさせて、ごめん」

俺が欲しいのは、初めて逢ったあの日から姫椿ただ一人。

「ずっと想っているよ」

どんな扱いを受けようとも、享受しよう。
頬を伝う涙をこれ以上一滴も溢すまいと、綾瀬はそっと瞳に口づけた。



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