蒼の箱庭

葎月壱人

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第三章

落札者

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「あぁぁ、良かった。やっと、見つけたよ」

気さくに話しかけてくる声に聞き覚えは無かった。
誰だ?という顔で相手を見ても、さして気にした風もなく独り言みたいに話を続けてくる黒髪ボサボサ頭の瓶底眼鏡、返り血なのか血で薄汚れている白衣を身に纏った怪しい男。

「落札メーターが止まらなくてね。僕は幾らでも払えるのだけど、手持ちで足りるか不安になってしまって。“朱の大会”はカード支払い出来るだろうか?」

気恥ずかしそうに頭を掻く姿を見ながら、白馬は対顧客用の笑みを浮かべたまま内心では驚きを隠せなかった。

嘘だろう?
毒の調合者である白椿や学園育ちじゃない者なら致死量になる毒を浴びて生存している人間がいるなんて。
男の話通りに、まだ動き続ける落札メーターを見ながら生唾を飲み下す。
この金額を本当に払うというのなら、こんな大口顧客を逃す手はない。
白馬は返答を待っている男に向き直った。

「御心労をお掛けしてしまい、大変申し訳ございませんでした。ご安心ください。支払い方法は適宜対応しています」
「本当かい?実はもう買うからってボスに連絡しちゃったんだ、良かったぁ」
「……ボス?」
「カフマだよ。“天狼”のボス」

唖然とする白馬を他所に、転がる死体を踏み分けながらレージは手を叩いた。

「さてさて。久しぶりに外出してみたら面白いものを沢山見せて貰って僕は大満足だよ!そのお礼に、ここにある物全て買い取る事を宣言しよう!綺羅、綺羅はいるかい?」

隅の方で床に大の字になってぶっ倒れていた綺羅は、レージの呼び掛けに弱々しく返事をしてから、ゆっくり身体を起こす。
酸素不足で頭痛がする頭を押さえながらも自分を呼ぶレージをちゃんと確認した途端、みるみる青ざめていった。

「れ、レージ先生!?」
「やぁ、早速で申し訳ないのだけどミューに連絡しておくれ」
「み、み、みゅー先輩に!?あっ!まさか内緒で来たとかじゃないでしょ……って!!図星!!」

ミューことイミューノディフィシェンシーはレージの助手を務めている。
長ったらしい名前はレージから適当に医学関連の本から抜粋された物だが、呼ぶ時に不便なので省略されて呼ばれていた。
“天狼”で任務中、不慮の事故に遭い身体の半分が自動機械となった切れ長の目が印象的な中性的男子なのだが、いつもレージに振り回されているので微笑みから滲み出る殺意を惜しみなく振り撒くドス黒いイミューノディフィシェンシーを安易に想像した綺羅は身震いした。

「だって僕が来ないと綾くんが貴重なサンプルを殺してしまいかねなくてさ?ねぇ、綾くん?」

呼び掛けに姫椿を抱きしめた状態のまま綾瀬が顔を上げ、レージを見るなり心底嫌そうな顔を見せた。

「……あ?」
「ソレ。僕にちょーだい?」

白馬の背後で事切れている白椿を指差すレージに綾瀬は悪趣味とだけ吐き捨ててから好きにしろと答えた後、もう体力ないですと姫椿に泣き言を言いに寄ってきた綺羅を足蹴にし始めた。
それを諫める力も既になく、ぐったりしている姫椿に寄り添う真白を見つけたレージは、白馬から目標を変えて歩み寄る。

「こんにちは。君が真白ちゃん?僕はレージ。怪我したところを見せてごらん?」
「えっ、あっ、えっ!?」

ふわっと香る薬品の匂いに包まれながら手際の良い触診で頭からつま先まで診察されて呆気に取られている真白の頭を撫でながらレージは微笑んだ。

「うん。問題ないね。ここで培われてきた毒素を抜いてしまえば日常生活を送るに不都合は起きないよ。そうだね、ざっと156時間あれば自然体になるかな」
「ひゃく……」
「さてさて。ねぇ、綾くん?いい加減、姫ちゃん離してよ」
「嫌」
「君は治癒力、皆無でしょ?攻撃全フリでしょ?」
「無理」
「……この拗らせ男子め」
「レージ医師」

真白の診察を終えた途端、すぐに次の患者へ向かうレージを飛び止めたのは白馬だった。

「レージ医師。俺を、治してくれませんか?」

えっ、と小さな声を出したのは真白だった。
病気なの?と問いたげな視線とレージの瓶底眼鏡の奥の瞳が真っ直ぐ自分を見ている。
全員が注目する中で白馬はそれ以上何も言わず、レージからの返答を待った。何を告げられても受け入れる覚悟は昔から出来ている。
少しの沈黙の後、レージの口元が動いた。

「君は治療する所がないよ」

安堵する周囲の優しい空気の中で白馬だけ表情を変えずに立ち尽くしているのを見たレージは、言い方を変えた。

「健康体だよ?」

何を不思議がっているんだい?と首を傾げるレージに、白馬は失意の眼差しを白椿に向けたが白椿から反応が返ってくる事はない。
心を失望が染め上げていくのを感じ、渇いた笑い声しか出せなかった。

“私達は、ずっと一緒。共犯よ?”

悪戯っぽく笑う白椿を思い出して、あんな女に執着されていた綾瀬を見る。
粘着質な暗い闇に囚われ続ける自分と、そこから抜け出せた男の違いはどこにあるのか……見つめ過ぎたせいで白馬の視線に気づいた綾瀬は、渋々レージに姫椿を託すと白馬の横に並んで立った。
王李の時は白馬の方が背が高かったのに、本来の姿に戻った綾瀬は一回りも大きい。
でも、話しかけてくる口調は王李の時のまま親しみ易さが残っていた。

「気絶してるだけだよ。今はね」
「……殺したい位、憎かったんじゃないのか?」
「殺せるならそうしてたさ」

一瞬だけ、ゾワッと背筋が凍った気がした。
これが殺気というやつなのだろうか?と綾瀬を見ても、もう何も感じない。

「許すのか?」
「それはないね」
「なら、どうして……」

どうしてこんな奴を生かしておくのだろう?
人生を狂わされた筈だ。自分も似た様な境遇に今陥っているのに、何でそんな吹っ切れた表情が出来るのかが分からない。
苦悶する白馬に気づいた綾瀬は、小さく笑った。

「俺には姫椿がいるから。これから全力で口説かないといけないんだ。俺よりかっこいい人だから、過去をいちいち気にしてられない」
「……惚気?」
「白馬の近くにも居るだろ?」
「はぁ?」
「そのうち分かるよ」

そう言って離れていった綾瀬の後ろ姿を見ながら白馬は溜息をついた。
でも白椿が生きていると聞いて、少しだけ気持ちが楽になった気がする。
全てを背負うには、まだ覚悟が決められないでいたから。

今は、前を見よう。
“暗夜”として、まだやる事が残っている。

「あ、君!カフマから連絡があってね。この国ごと買うってさ」

飄々と答えるレージに、白馬は微笑んだ。
予想していた通りの“天狼”の主人からの返答だった。
急がないと“暗夜”が解体、もしくは買収されてしまうだろう。
行動するなら、今だ。
そう決意した白馬の袖口を、後ろから真白が掴んだ。

「は……」

声を掛けようとして躊躇った。
ちゃんと話すのは随分と久しぶりな気がして、変に緊張してしまう。
一瞬、白馬が遠くへ行ってしまう気がして怖くなった。
掴んでいる今ですら、まだ不安が拭えず行ってほしくなくて袖を掴む手に力を込める。
白馬は振り向きこそしなかったが、袖を掴む真白の手を静かに振り解いた。

「ごめん」

解かれた手が、スローモーションの様に落ちてゆく。
一歩、また一歩と遠ざかって行く白馬の背中に耐えきれず、真白は後ろから抱きついた。

「行かないで、はく……っ!?」

言いかけたまま、視界が暗転する。
白馬を抱き締める腕に力を込めた筈だった。
なのにいとも簡単に振り解かれ気がつけば白馬の腕の中、きつく抱き締められていた。

「ごめん」

どうしてよ、何でよ。
声の代わりに涙が溢れる。
涙で視界がボヤけて、白馬の顔がちゃんと見えない。
頬を触る白馬の冷たい手の感触だけが、熱を帯びた様に熱かった。
息が、掛かるほど近く顔を寄せられる。
おでこに、白馬の白い髪が当たってくすぐったい。
口づけをされるのかと、思った。
そのまま時が止まってしまったかの様に動けない。
しかし白馬はまっすぐ真白の瞳を見つめたまま物悲しい表情で笑っただけだった。

「元気で」

そう、口の形から読み取れた。
溢れた涙と共に真白は突き飛ばされる。
顔を上げようとした時に白馬を囲う程度の小さな魔法陣が青い光を放ちながら機械的にクルクル回って発動の時を待っていた。

「白馬……本気?」

魔法を使えた事にも驚いてる真白を見て白馬は小さく微笑んだ後、一瞬にして姿を消した。

「白馬!」

青い光が仕事を終えて粒子となり霧散するまで、白馬の名前を呼ぶ真白の声だけが切なく会場に響いては静かに消えていった。


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