ウェディングドレス

はし

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ウェディングドレス

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「ぐすっ……はぁ…こんなことしたって、意味ないのに、なぁ……」

 毎日のように降っていた雨が止んだ六月の晴れた日、ぼくはあの人に出会った。

「……あの、だいじょうぶですか?」

 友だちの家から帰るとちゅう、いつもよりおそくなってしまったぼくは、早く家に帰るために近道を歩いていた。
 近道とは、近所の運動公園の中のハズレにある、木がたくさん立っていて昼間でも薄暗い、オバケが出てきそうな道のことだ。
 お母さんからも、夕方になると人通りが少なくなって危ないから通っちゃダメと言われていた。けれど、この道を通るといつもより五分も早く家に着くので、ナイショでたまにここを通って帰っていた。
 そんなこの場所でぼくは、ベンチに座ってうつむいて泣いているまっしろい人に出会った。

「ずずっ、ん? 俺に話しかけてるの?」

 まるで男の人みたいな声が返ってきて、ぼくはびっくりした。
 うつむいていて顔が見えなかったせいか、ぼくはまっしろい人のことをてっきり女の人だと思っていた。

「はい。えっと、だいじょうぶですか?」
「うん、大丈夫だよ。優しいね、ありがとう」

 そう言って、まっしろい人はうつむいていた顔をあげた。
 ぼくはまたびっくりした。今まで見たことのないとてもキレイな顔の女の人がそこに居たからだ。
 あれ? でも、声は男の人みたいだったような?

「えっと、お姉さんですか? お兄さんですか?」
「ふふ、お兄さんだよ」

 お兄さんだった。

「お兄さん、結婚式だったの?」
「え?」
「だってその服って、ウェディングドレスでしょ?」

 ぼくがお兄さんを見た時に、お姉さんだと思ったりまっしろい人だと思ったのは、お兄さんがウェディングドレスを着ていたからだ。

「……キミ、ヒマ? ちょっと俺の話、聞いてくれない?」

 ベンチのとなりに立っている時計を見上げると、四時四十二分だった。
 この道を通って公園を出ればすぐ家に着くし、少しお兄さんの話を聞くくらいならだいじょうぶかな。
 それに、なんでお兄さんがウェディングドレスを着ているのか、なんで泣いていたのか気になるし。

「もうすぐ夕ご飯だから、ちょっとならいいよ」
「ありがとう」

 そう言うとお兄さんは座ってと言うように自分のとなりをペチペチたたいた。ぼくはウェディングドレスをふまないように、お兄さんのとなりに座った。



「お兄さんね、五年間付き合っていた彼氏がいるんだけど……あ、お兄さんは男の人が好きな男なんだ」
「そうなんだ。ぼくのお姉ちゃんも女の子と付き合ってるんだよ」
「え、お姉ちゃんいくつ? てか、キミもいくつ?」
「お姉ちゃんは十六才の高校一年生で、ぼくは十一才、小学五年生だよ。お兄さんは?」
「お兄さんは三十一歳だよ。はぁ、最近の子はオープンなんだなあ……」

 お兄さんはびっくりしているのか、しばらく「はぁ~はぁ~」とブツブツ言っていた。

「ねぇ、キミのお母さんやお父さんは、お姉ちゃんが女の子と付き合ってることについて何か言ったりしないの?」
「う~ん、何も言ってなかった気がするけど」
「そうなんだ」
「そんなことより、お兄さんの話の続きを聞かせてよ」
「そうだった、ごめんごめん。で、そのお兄さんの彼氏が一週間前にいきなり『結婚するから俺たち別れよう』って、SNSのDMで言ってきて」

 え、こんなにキレイな男の人でもフラれることがあるんだ。

「いや、結婚って……俺と付き合ってるのに? 誰と? って、もう意味が分からないし訳が分からなくて、とりあえず落ち着こうと思ってSNSを見たの」

 なんで落ち着こうと思うとSNSを見るんだろう?
 SNSをやったことがないから、よく分からなかった。

「そしたら彼氏の投稿が出てきてさ、そこで『俺たち結婚しまーす!』て、結婚報告してたんだよ。全然知らない女の人との幸せそうなツーショと一緒にさ……」

 話しながらお兄さんはベンチの上で体育座りになって、ひざを抱えて顔をかくしてしまった。
 悲しかったのかなとお兄さんを見ていると、お兄さんがいきなりバッとひざから顔を上げて、そのままベンチから立ち上がった。

「俺も三十一で相手も三十一だから世間一般的には結婚を考える歳だって分かるけど、いきなり結婚するから別れようって何!? あれから連絡しても返信ないし、てかあの女ダレ!? 二股かけられてたってこと!?」

 一気にしゃべりきって、ハァハァと息をしているお兄さんに「だいじょうぶ?」と聞こうとしたけど、それよりも先にまたお兄さんが口を開いた。

「て、それから二日くらいは騒いで泣いてお酒飲んで暴れてたんだけど、三日目くらいからだんだんムカついてきて」

 そのときのことを思い出しているのか、お兄さんの顔がムッとしてきた。

「だって俺たち五年も付き合ってたんだよ? なのに、最後がコレってどういうこと!?」
「……う、うん。ひどいね」
「でしょ? で、もういっそ結婚式に乗り込んでめちゃくちゃにしてやろうと思ったんだ」

 そう言うと、お兄さんはウェディングドレスのスカートを持ち、バサバサゆらした。

「このウェディングドレスもレンタルじゃなくて、わざわざ買ったんだよ。フリマアプリでだけど」 
「そうなんだ」
「今日が式当日で気合い入れて会場に行ったんだけど、着いたら急にしり込みしちゃって、こっそり会場を見てたんだ。そしたら二人の知り合いっぽい人たちの会話が聞こえてきてさ。彼と女の人は付き合って二年なんだって……いや、俺より後に付き合いだしたのかよ! って、またイライラしてきて」

 言いながらお兄さんは、頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。

「それでどうしたの?」
「乗り込んで、結婚式めちゃくちゃにして、逃げてきた……」

 小さな声でお兄さんが言った。お母さんに言いづらいことを言う時のぼくと同じくらいの小さな声だった。

「めちゃくちゃって?」
「誓いますって言って、ふたりがキスするタイミングで乗り込んで行って、彼のネクタイ引っつかんでキスして逃げてきた」
「わあ」
「だってさぁ! 付き合う時、あっちから言ってきたんだよ? しかも知り合ったきっかけはゲイのマッチングアプリだし」

 しゃがんでいた体制から勢いよく立ち上がったお兄さんは、ベンチに座り直して言い訳を言うみたいにいっぱいしゃべってきた。

「それなのに、何ちゃっかり女の人と結婚してんの? って、思わない?」

 ぼくはなんて言えばいいのか分からなかったので、とりあえずウンウンとうなずきながら話を聞いた。

「でも、よくよく考えたらここ三年くらい俺と彼って月に一、二回くらいしか会ってなかったんだよね……」

 さっきまでの勢いはどこかに行っちゃったように、今度はしょんぼりしだすお兄さん。

「いつからか、俺は彼の一番じゃなくなってたんだって、むなしくなって泣いてたらキミが来たんだ」

 ぼくの顔を見たあと、お兄さんの顔は空を見上げるように上を向いた。ぼくもつられて空を見上げる。
 大きい木々のすきまから、青い空が見えた。

「あーあ、俺との出会いは運命だって、ずっと一緒にいようって言ってくれたのにな……」

 お兄さんが話し終わりシーンと静かになった時、どこかでゴーンゴーンと音がした。
 公園にあるかねの音だ。
 五時になっちゃった。



「なんか話したらスッキリしたよ。ごめんね、よく分からなかったでしょ?」
「ううん。……あの、お母さんが言ってたんだけど」

 よくお母さんが言っている言葉を思い出す。

「見た目や性別はささいなことだから、浮気と借金をしない人を選びなさいって。お兄さんの彼氏は浮気したから、きっとお兄さんの運命の人じゃなかったんだよ。つまり、運命の人は別にいるってことだよ!」

 ぼくが言い終わると、お兄さんはポカンとした顔をしていた。
 なんか変なこと言っちゃったかな?

「あはははは!!」

 お兄さんが笑いだした。

「……そっかそっか、別にいるんだ」

 お兄さんは一人でうんうんとうなずいていた。

「よしっ! 俺、帰るわ。聞いてくれてありがとね」
「どういたしまして。ぼくも帰ろっと」

 ベンチからジャンプして立ち上がる。
 続いてお兄さんもベンチから立ち上がった。そのとき、お兄さんのお腹がぐぅーと鳴った。となりに立っていたぼくにも聞こえるくらい、大きな音だった。

「あ。そういえば、最近お酒ばっかり飲んで、ろくにご飯も食べてなかったんだった。気付いたらお腹空いてきちゃったけど、うち何にもないんだよなーどうしよ」

 体をゆらしてスカートをヒラヒラさせながらブツブツ言っているお兄さんを見ていたら、勝手に言葉が口から出てきた。

「あの、ぼくの家に来ますか? 帰ったら夕ご飯だし」
「え、いいの?」
「うん。ぼくのお母さん、ご飯作るの好きな人だから友だち連れてくると喜ぶんだ。聞いてみるね」
「友だち……」

 キッズスマホを取り出し、お母さんにメッセージを送る。
 あ、すぐ返事が来た。

「OKだって」
「えー、じゃあ、お邪魔しようかな。でも本当にいいの?」

 スマホをポケットに入れて、公園の出口に向かってお兄さんと歩き出す。
 お兄さんが歩く度、ウェディングドレスがふわふわとゆれる。
 その姿は、五時を過ぎて暗くなってきた空と薄暗い道の中で、キラキラ輝いていた。

「うん。あ、今日の夕ご飯はハンバーグだって、ハンバーグ好き?」
「……好き」
「良かった。あ、そういえば気になってることがあるんだけど、聞いてもいい?」
「ん? 何?」
「なんでタキシードじゃなくてウェディングドレスなの?」

 ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「だって、新婦を奪いに来たって勘違いされたくないじゃん?」

 そう言ってお兄さんは、ニヤッと笑った。
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