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真夜中喫茶店の秘密
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金曜日。……いや、さっき日付が変わったからもう土曜日か。
俺・寺田レオは、明かりが一つもない木々に覆われた真っ暗な山の中、舗装された道路の上を歩いていた。
かれこれ三十分くらい歩いているけれど、人どころか車すら出会わない。いや、ある意味良かったのか? こんな真夜中に、身長一八〇センチの成人男性が一人で山道を歩いているなど、不審者か幽霊に間違われそうだ。
歩きながら上を見ると、木々の間からキレイな星空が見えた。いつもだったらテンションの上がる光景も、今日は全く楽しむ気になれない。
俺の今の気分は、一言で言うとサイアクだ。
足は痛いし。
草むらからクマが出て来そうで怖いし。
寒いし。つか今、四月だぞ? 昼間は暖かくなってきたけど、夜はまだまだ寒い。
普通、こんなとこに置いていくか?
……はーあ。
「なんでこんなことになったんだっけ……」
――彼女の運転する車が、山道を登って行く。
今日は、華の金曜日。
仕事終わりに落ち合った俺たちは、ファミレスで夕飯を食べながら、いつもと違うことをしようと言う話になり、山の中にあるラブホテルに行ってみることにした。
なんで田舎って、山の中や国道とかにラブホが多いんだろうな。
「ねえ、レオは免許取らないの?」
彼女のマミが言った。
マミとは、俺が東京の大学を卒業して、実家に帰って来てから知り合った。半年前から付き合っている。
「んー、しばらくはいいかな~。マミに乗せてもらえるし」
「……ふーん」
キュッ。タイヤがアスファルトに擦れる音がして、車が止まった。
ホテルの駐車場入口は、もう目と鼻の先だ。
「? どした?」
「前から思ってたんだけど……普通デートってさ、男のほうが運転しない?」
「えっ! あー……でも俺、こっちに帰ってきたばっかりだし。免許も持ってないし」
「……レオがこっちに帰ってきて、もう二年も経つけど?」
静かにマミが怒っているのが分かる。
俺はなんと返すのが正解か分からず、口ごもってしまった。
車内には何年か前に流行ったノリノリなサマーソングだけが流れている。いや、空気読んで!
「ごめん! まとまった休みが取れたら教習所に行くから!」
「……もういい、降りて」
「えっ」
戸惑っていると「早く降りて!」とまくし立てられ、俺は慌てて車を降りる。
運転席から身を乗り出したマミが、俺を見ながら言う。
「そんなに運転が好きじゃないのに、いつもわたしが運転するのも。レオに免許のこと言っても適当な返ししかされないのも。マジでいつもイライラしてた。……わたし達、終わりにしよう」
言うだけ言うと、マミは助手席のドアを閉めて走り去った。
突然の出来事に、俺はぼう然としてしまい、しばらくそこで突っ立っていた。
その間に何台も車が来ては、ホテルに入って行く。多分、車に乗っていたカップル達に変な顔をされていたと思う。
けれど俺はその場から動けなかった。
マミが戻ってくると思ったからだ。
駐車場から車が出て来た。確か、俺がここに置いてかれてから、すぐに駐車場に入ってった車だ。
「……帰ろ」
マミは、戻って来なかった。
俺は来た道を歩いて戻り始めた。
――で、今に至る訳だけど。
え~~~~マジで終わったってこと? 俺ら?
マジか~~……いや、確かに毎回「運転疲れちゃった」とか「たまには助手席に乗りたいな」とか、やたら言うなとは思ってたけど。
東京の大学に通ってたときは車なんか要らなかったし、今の職場も駅チカだから「車はまだいいかな~」なんて思ってたけど。考えてみたら、彼女に家まで迎えに来てもらって、帰りも送ってもらうって、ナシだよな。しかも毎回。
冷たい夜風にあたり、頭がスッとしたおかげか、ちょっと冷静になれてきた。
どこかにいるマミへ。
俺も悪かったけど、山の中に置いていくのはやめたほうがいいぞ。これが冬だったら、下手したら俺は死んでいる。
そんなことを考えながらしばらく歩いていると、道路と木しかなかった道にポツンと一軒、電気のついた建物が現れた。
「ん? 見た目は喫茶店ぽいけど、なんだろう?」
外に出ていた電子看板を見てみると
“喫茶MAYONAKA OPEN 二十二時~”
と書いてある。
やはり喫茶店だった。
よくテレビとかで、山の中のカフェとかやっているのを見るけど、ここはTHE・喫茶店て感じの外観だった。
街中でたまに見る、昔ながらのレトロな喫茶店。みたいな。
「行きは気付かなかったけど、喫茶店なんてあったんだ。にしても、OPENて書いてあるけど、こんな真夜中に営業してんのか?」
昼間なら分かるが、こんな人も車も通らない夜中の山道で、営業している店などあるのだろうか?
俺は喫茶店に近付き、辺りを観察してみる。
敷地内には、車が三台ほど置けそうな駐車場があるが、今は一台も停められていない。
店内の様子も見てみたかったが、窓のあるところには木が植えられていて、中の様子は見えなかった。
中が分からないから入るのに勇気がいるけど……営業しているなら、ちょっと休憩して行きたい。
俺はびくびくしながら、ドアノブを引いてみた。ドアに付いていたベルが、カランコロンと音を立てる。
(うわ、本当に喫茶店のドアを開けるとカランコロンて言うんだ! ちょっと感動!)
ドアを開けた瞬間、中からふんわりとコーヒーの良い匂いがしてくる。
俺はなんだかこの匂いを外に逃したらダメな気がして、急いで中に入りドアを閉めた。
喫茶店の中は、思ったより明るかった。昔ながらのレトロな喫茶店て、照明が暗いイメージがあったけれど、ここは暗すぎず明るすぎず、ちょうどいい明るさかな。
店内には、カウンター席とテーブル席があった。あと観葉植物も。
全体的にオシャレなレトロ喫茶店て感じ。なんかこういうところって、ナポリタンとかオムライスとか美味そうだよな。
あと入ってから驚いたけど、こんな真夜中にもかかわらず、店の中は大勢の人で賑わっていた。席もほぼ満席状態だ。駐車場に一台も車が止まっていなかったから、てっきり客など居ないと思っていたけど。こんな真夜中でも来る人は居るんだな。しかも、どの客もみんな、周りの客と楽しそうに話をしている。
ここらへんに住んでいる人たちなのかな? でも、家なんか立ってたっけ?
俺は少し疑問に思ったが、考えても分からないので考えるのをやめた。
ぶっちゃけそんなことより、足が痛いから早く座りたい!
カウンターの中に店員が見えるけど、特に声も掛けてこないみたいだし、自分で空いている席を探す。四つあるテーブル席は全部いっぱいで、五つあるカウンター席も一つしか空いていない。俺は急いで空いている席に滑り込むように腰掛けた。
お! クッションがふわふわしていて、座り心地いい!
「……いらっしゃい」
カウンターの中にいた男の店員が、目の前に水とおしぼりを置いていく。
店員はこいつだけみたいだ。身長は俺より小さめ、歳は同じくらいか? 顔は前髪が長くてよく分かんなかった。
(っと、そんなことより……)
歩き続けてカラカラだった喉を潤すため、コップに口をつける。思っていたより喉が渇いていたみたいで、ゴクゴクとイッキに飲み干してしまった。
……なんか視線を感じる気がする。
視線を感じるほうをチラッと見ると、隣に座っている中年の男が俺を見ていた。
「あの、なにか?」と声を掛けると、中年の男はびっくりしたように話しかけてきた。
「兄ちゃん、俺たちが視えるのか?」
「はっ?」
視えるのかって……この人、何を言っているんだ?
「あ、まあ……見え、ますね」
ええ~、もしかしてヤバい人?
面倒だし適当に流して、さっさっと出たほうがいいかな。
中年の男から目をそらし、メニューを見る。
え! ここ、コーヒーや紅茶、ジュースとかのドリンク系しかないじゃん! 食事系なんもない……。いや、コーヒーを頼むつもりだったから別に良いけど。
「おい」
メニューを見ていると、隣から肩を掴まれ、強引に引かれる。
「なんですか……!」
隣を見て驚いた。
確かに俺は、肩を掴まれて引かれたはずだ。なのに俺の肩に乗っている中年男の手は、うっすらと透けていて、俺の体を貫通していた。
よく見ると手だけじゃない、全身が透けている。
「っ!?!?」
なんだこれ!?
男から距離を取るように席を立つ。
パニック状態の俺は、助けを求めて店内を見回したが、誰一人こちらを見ている人間は居なかった。
「なんだよ、気付いてなかったのか? 俺たちが“幽霊”だって」
「えっ!はっ!? 俺たち……!?」
どうして今まで気付かなかったんだろう。
ここにいる客は、俺以外全員透けているってことを。
……マジで、みんな幽霊ってこと?
混乱する俺を気にすることなく、男は言葉を続ける。
「分かったか? ここは幽霊が集まる、幽霊のための喫茶店。“喫茶MAYONAKA”だ」
……もしかして俺、とんでもないとこに来ちゃったかも。
「……まあ、僕は人間ですけどね」
俺たちのやりとりを聞いていたカウンターに居た店員が、ボソッと言った。
「それに、ここはふつうの喫茶店ですよ。そんな大層なものじゃない」
ふつうの喫茶店……ふつう……。
「え! じゃあ、これドッキリ的な!? 良かった~! なんて番組? 何局?」
「ドッキリじゃないよ。あなた以外のお客様がみんな幽霊って言うのは本当だから」
「……マジか」
俺の喜びは秒で消えていった。
ふつうってなんだよ……めっちゃ大層だし。
マジでとんでもない所に来ちゃったよ。
俺は椅子に座り直し、頭を抱えた。
「彼女にはフラれるし、幽霊だらけの喫茶店には来ちゃうし、マジ厄日かよ……」
「なんだ兄ちゃん。もしかしてフラれて山に置いていかれた口か?」
うっ、おっさん鋭い……。
俺が何も言えずにいると、図星と取ったのか、中年の男・おっさんが慰めるように俺の肩を叩いてくる。
まあ、全部すり抜けてるんだけど。
「まあまあ、コーヒーでも飲めよ。おっさんが奢ってやる」
「斎藤さん、お金ないでしょ」
「確かに! ハハハ!」
店員とおっさんが話している。
おっさんは斎藤と言うらしい。
そういえばここに居る人たち、みんなコーヒーを飲んでいる。幽霊もコーヒー飲むんだな。
「ん? どうした? 兄ちゃん」
「いや。幽霊もコーヒー飲むんだな、と」
「そりゃ幽霊だって、たまにはコーヒーを飲んだり、ここにいる奴らみたいに霊同士話したりしたいさ」
「へえ。てか幽霊って、飲み物飲んだり出来るんですね」
「いや出来ないぞ。でも何故か、ここで出される飲み物は飲めるんだよ」
「えっ、なんでですか?」
「それが誰にも分からないんだ。ただ幽霊になっても、やっぱりコーヒーが飲めたら嬉しいもんで、こんなに集まって来ちまう」
「なるほど……」
話を聞きながら店内を見回す。
確かに。ここにいるみんな、コーヒーを飲んだり話をしたり、楽しそうにしている。
なんとなく幽霊って怖いイメージがあったけど、ここにいる人たちは、生きた人間となにも変わらないように見えた。
「どうぞ。ホットでいい?」
「……あ、ありがとうございます」
なんかもうよく分かんないけど。とりあえず俺は、この人たちの言うことを信じることにした。じゃなきゃ、こんな不思議な出来事の説明が付かないし!
そう納得した俺は、淹れてもらったコーヒーに口をつける。
うーん、良い匂い! ズズ……美味っ!
――カランコロン
ドアが開いた音はしなかったのに、ドアに付いていたベルが鳴った。
気になってそちらを見るために振り向こうとすると、いつの間にか隣に人が立っていた。
隣に立っていたのは、男の幽霊だった。
パッと見、俺とタメくらいか。なにやら困ったような顔をしている。
てか、本当に幽霊が集まってくるんだな、この喫茶店。
「いらっしゃいませ」
店員が男に話し掛けた。男は話し掛けられると思っていなかったのか、ビックリした顔をしている。そのあと、何かを考えるような素振りをしてから、口を開いた。
「……あの、ここに来れば助けてもらえるって聞いたんですけど……」
「……奥へどうぞ。ねえ、ちょっと店番を頼んでいい?」
男の話を聞いた店員は、何かを察したような顔をしたあと、俺のほうを見てそう言った。
「えっ、俺!?」
「どうせ、まだ帰らないんでしょ? 分からないことは斎藤さんに聞いて」
店員は言いたいことだけ言うと、男とバックヤードに消えて行った。
いや、急に店番を頼まれてもどうすりゃいいんだよ……。俺、居酒屋のバイトしかしたことないし。
「兄ちゃん、そう気負わなくても大丈夫だぞ。店番って言っても、どうせもう新しい客は来ねぇだろうし。ここにいる奴らも勝手に満足したら、どっか消えるだろう」
「え、お会計とかは……」
「おいおい、幽霊が金を持っていると思うか? 変なヤツだな、兄ちゃんは。ガハハ!」
おっさんは笑っているけど……幽霊はコーヒー代無料ってこと?
つーと、今日の売上って俺のコーヒー代だけ? でも確か、おっさんが奢るって言ってくれたから、実質タダ?
……この店、やっていけてるのかな。
「そういえば、さっきのアレなんですかね?」
「ああ、マスターとさっきの兄ちゃんか」
「はい(あの店員がマスターなんだ。俺とタメくらいでマスター……ますますやっていけてるんだろうか、この店)」
「……俺らはいつだって、好きに、あの世へ行ける。だが稀に、行きたくてもうまく行けないヤツがいるんだ。それが、さっきのヤツさ」
つまり、成仏したいけど出来ない幽霊もいて、それがさっきの男ってことか。
おっさんがコーヒーカップの縁をなぞりながら話す。
「そういうのを、うまく行けるように手助けしてやってるのが、坊っちゃん……ここのマスターだ」
マジかよ。マスター何者だよ。
「あの、ここのマスターって、霊能力者かなんかですか?」
「いや? でも多少霊感はあるんじゃないか? 兄ちゃんもあるだろ?」
「俺? ないですよ! 幽霊を見たのだって今日が初めてだし」
「そうなのか? この店にもたまに人間が来るけど、霊感がない奴らばかりだ。霊が座っていても、平気で上に座っちまう。視えないからな」
「だから、兄ちゃんが来たときはビックリしたよ。マスター以外に視えるヤツに会ったのは、初めてだったからな」
本当にびっくりしたと言いたげに、おっさんは身ぶり手ぶりを交えながら話している。
だから俺が空いている席に座ったとき、あんなに驚いた顔をしていたのか。
俺はおっさんの言葉に、この店に入った時のことを思い出して納得する。
それから俺は、おっさんに彼女のことを聞いてもらいながら店番をした。
コーヒーを飲んだり、話をしたりして満足したらしい客の幽霊たちは、空が白み始めるにつれて、徐々に消えて行った。
「……て、……ね……」
誰かに体を揺すられている気がする。
マミ? もうちょっと寝かせてくれよ。
あれ? 俺なんで座って寝てるんだっけ? それにマミとは昨日別れたような……。なんかコーヒーの良い匂いがする。
「……ん、……えっ! わっ! うおっ!」
重たい目をなんとかこじ開けると、至近距離に人の顔があった。驚いた俺は、距離を取ろうと後ろに仰け反るが、思ったより勢いよく仰け反ってしまったせいで、そのままガタガタとハデな音を立てて椅子から転げ落ちた。
「……いっ、てぇ」
目の前にいたのはマスターだった。
「……大丈夫?」
心配そうな声とともに、手が差し出される。
てか、外明るっ!斎藤さんと話しているうちに、いつの間にか寝ちゃってたのか。店内にも俺とマスターしかいないや。
「あー、すみません」
いろいろと申し訳ない気持ちになりつつ、俺は差し出された手を握った。
(うわっ、マスターのウデ細っ! 俺が引っぱったら倒れちゃいそう……)
なるべく力をかけないように気を使いながら、マスターの手を借りて立ち上がる。
「よっと、ありがとうございます」
「どういたしまして」
マスターはカウンターの中に戻り、俺の前にお冷と湯気が出ているコーヒーを置く。
寝ぼけていたときに香ってきたコーヒーの香りの正体は、これだったみたいだ。
「良かったら。お冷とコーヒーどうぞ」
「いいんですか? すみません。いただきます」
水を飲んだあと、フーフーと冷ましながらコーヒーをちびちびと啜る。ちゃんとコーヒーを飲んだことあんまりないけど、ここのは美味いなと思う。
「……それ飲んだら家まで送っていくよ」
コーヒーを楽しむ俺を、カウンター越しに見ていたマスターが言った。
「え、いいんですか!?」
「いいよ。代わりに、ちょっと寄り道に付き合ってもらうけど」
そう言うと、マスターは手元のスマホを操作しだした。
送ってもらえるのはラッキーだけど、寄り道ってどこに行くんだろ?
コーヒーを飲み終え、店を出た俺たちはマスターのバイクにニケツして、山を降りた。
バイクは大型自動二輪って言うのかな? 黒くて、ピカピカしているカッチョいいバイクだった。
山を降りてから市内を三十分ほど走ると、バイクは一軒のお宅の前で止まった。
「ここだ。付いて来て」
「え? ここ誰の家ですか?」
マスターは俺の質問に答えないまま、さっさっとヘルメットを脱いで行ってしまう。慌てて俺もヘルメットを脱いで追いかける。
ピンポーン
追い付くと、ちょうどマスターがインターホンを鳴らしていた。
『……はい。どなたですか?』
インターホンから、こちらを不審がるような声が聞こえてくる。
どうやらマスターの知り合いの家ではないらしい。
そう考えると、今は朝の八時半くらいだから……日曜の朝早くから知らない男二人が訪ねてきたら、そりゃ不審がられるわ。
「朝早くにすいません。僕たち西条くんのバイト先の者で――」
マスターがニコニコとインターホン越しに話をしている。
まだそんなに長い時間一緒に居た訳じゃないのからよく分からないけど。あんまり笑わない人なんだと思っていたから、ニコニコしているマスターに内心ちょっとビックリする。
しばらくすると、ガチャッと玄関の扉が開き、中年の女性が出て来た。
「どうぞ」
「お邪魔します」
女性のあとに続いて、マスターが家の中に入ろうとする。
(やべっ、話まったく聞いてなかった!)
「ちょっ! どういうことですか?」
マスターの腕を掴んで引き止めるが、マスターは「終わったら説明するから。中に入ったら話を合わせて」と言うと、中に入って行ってしまった。
よく分かんないけど、とりあえず俺も後に続いて中に入る。
――午前十一時半。
風を切るようにバイクが走る。
マスターのバイクにニケツして、俺の家まで送ってもらっていた。
さっきまで居たお宅から俺の家は真逆の方向で、着くまでしばらく掛かりそうだ。
バイクから落ちないようにマスターの腰に掴まりながら、頭の中でさっきの出来事を振り返る。
――俺たちが訪ねたお宅は、喫茶店に居たときに、いきなり隣に現れた男の家だった。対応してくれた女性は、男のお母さんだ。
男は、俺と同い年の二十四歳。先日、急な病気で亡くなったんだそうだ。
お母さんの話では、小中高とイジメに遭い不登校になり、高校も一年で中退。
それからは、家に引きこもっていたそうだ。けれど、本人もこのままじゃダメだと思ったのか、数ヵ月前急に「バイトの面接に行く」と言って出掛け、働き始めたそうだ。
最近では仕事にも慣れ、バイト先で仲良い人も出来たと楽しそうに話していたらしい。
……で、俺たちはお母さんの前で、その仲良くなった人の“フリ”をした。
家を出てからマスターが教えてくれたが、仲良くなった人が出来たと言うのは、親を安心させたくてついた嘘だったそうだ。
本当は、うまく馴染めていなかったらしい。
喫茶店に現れたとき、マスターに『親しい人のフリをして、自分の仏壇に線香を上げてほしい』と頼んだそうだ。実際に自分と親しい人に会わせて、親をきちんと安心させられたのを見てから、あの世に行きたかったんだと男が言った。生前、親にたくさん心配を掛けて、死んだ後も『自分の息子には、誰も線香を上げに来なかった』と思わせたくなかったとも言っていた。
お宅に上がった時、男は自分の仏壇の隣に立っていた。
俺たちがお線香を上げさせてもらったり、お母さんと話しているのを不安そうな顔をしながら見ていた。
けれど、お母さんが席を外したときに、男はもう思い残すことはないと言うように、ほほ笑みながら「ありがとう」と言って、消えてしまった。
あの世に逝ったんだと思う。
正直、特別なことは何もしていない。あれで良かったんだろうかと気になっていた俺は、家から出たところでマスターに聞いてみた。
「何が良いかは、その人にしか分からない。でも、彼は最期に笑っていたでしょ? これで良かったんだと思うよ」
男が消えた後、お母さんとマスターに合わせながら彼の話をしたりして、昼前においとました。
なんだか非現実的な出来事が続いているせいか、ずっと夢を見ている気分だ。
「(俺、昨日までは幽霊とか視えない方だったのになー)……あ、ここです!」
振り返ったり、考え事をしていると、いつの間にか俺の家の近くまで来ていた。
バイクを降り、ヘルメットを返す。
マスターともこれっきりかと思うと、ちょっと寂しいな。
「送ってもらっちゃって、ありがとうございました」
「別に。こっちこそ付き合わせてごめんね」
「いや、なんか貴重な体験ができて、逆に良かった? です」
「なら良かった」
そう言って、マスターはすこし考えるような素振りをした後、
「うち、夜中ならだいたい営業してるから。……じゃ、じゃあ、またね」
と言って、走り去って行った。
「またねって、また行ってもいいってこと……?」
彼女にフられたり、山道を歩いたり、幽霊だらけの喫茶店に入ったり、幽霊の頼み事を聞いたり……なんかいろいろあったけど。
悪い日じゃなかったな。
俺・寺田レオは、明かりが一つもない木々に覆われた真っ暗な山の中、舗装された道路の上を歩いていた。
かれこれ三十分くらい歩いているけれど、人どころか車すら出会わない。いや、ある意味良かったのか? こんな真夜中に、身長一八〇センチの成人男性が一人で山道を歩いているなど、不審者か幽霊に間違われそうだ。
歩きながら上を見ると、木々の間からキレイな星空が見えた。いつもだったらテンションの上がる光景も、今日は全く楽しむ気になれない。
俺の今の気分は、一言で言うとサイアクだ。
足は痛いし。
草むらからクマが出て来そうで怖いし。
寒いし。つか今、四月だぞ? 昼間は暖かくなってきたけど、夜はまだまだ寒い。
普通、こんなとこに置いていくか?
……はーあ。
「なんでこんなことになったんだっけ……」
――彼女の運転する車が、山道を登って行く。
今日は、華の金曜日。
仕事終わりに落ち合った俺たちは、ファミレスで夕飯を食べながら、いつもと違うことをしようと言う話になり、山の中にあるラブホテルに行ってみることにした。
なんで田舎って、山の中や国道とかにラブホが多いんだろうな。
「ねえ、レオは免許取らないの?」
彼女のマミが言った。
マミとは、俺が東京の大学を卒業して、実家に帰って来てから知り合った。半年前から付き合っている。
「んー、しばらくはいいかな~。マミに乗せてもらえるし」
「……ふーん」
キュッ。タイヤがアスファルトに擦れる音がして、車が止まった。
ホテルの駐車場入口は、もう目と鼻の先だ。
「? どした?」
「前から思ってたんだけど……普通デートってさ、男のほうが運転しない?」
「えっ! あー……でも俺、こっちに帰ってきたばっかりだし。免許も持ってないし」
「……レオがこっちに帰ってきて、もう二年も経つけど?」
静かにマミが怒っているのが分かる。
俺はなんと返すのが正解か分からず、口ごもってしまった。
車内には何年か前に流行ったノリノリなサマーソングだけが流れている。いや、空気読んで!
「ごめん! まとまった休みが取れたら教習所に行くから!」
「……もういい、降りて」
「えっ」
戸惑っていると「早く降りて!」とまくし立てられ、俺は慌てて車を降りる。
運転席から身を乗り出したマミが、俺を見ながら言う。
「そんなに運転が好きじゃないのに、いつもわたしが運転するのも。レオに免許のこと言っても適当な返ししかされないのも。マジでいつもイライラしてた。……わたし達、終わりにしよう」
言うだけ言うと、マミは助手席のドアを閉めて走り去った。
突然の出来事に、俺はぼう然としてしまい、しばらくそこで突っ立っていた。
その間に何台も車が来ては、ホテルに入って行く。多分、車に乗っていたカップル達に変な顔をされていたと思う。
けれど俺はその場から動けなかった。
マミが戻ってくると思ったからだ。
駐車場から車が出て来た。確か、俺がここに置いてかれてから、すぐに駐車場に入ってった車だ。
「……帰ろ」
マミは、戻って来なかった。
俺は来た道を歩いて戻り始めた。
――で、今に至る訳だけど。
え~~~~マジで終わったってこと? 俺ら?
マジか~~……いや、確かに毎回「運転疲れちゃった」とか「たまには助手席に乗りたいな」とか、やたら言うなとは思ってたけど。
東京の大学に通ってたときは車なんか要らなかったし、今の職場も駅チカだから「車はまだいいかな~」なんて思ってたけど。考えてみたら、彼女に家まで迎えに来てもらって、帰りも送ってもらうって、ナシだよな。しかも毎回。
冷たい夜風にあたり、頭がスッとしたおかげか、ちょっと冷静になれてきた。
どこかにいるマミへ。
俺も悪かったけど、山の中に置いていくのはやめたほうがいいぞ。これが冬だったら、下手したら俺は死んでいる。
そんなことを考えながらしばらく歩いていると、道路と木しかなかった道にポツンと一軒、電気のついた建物が現れた。
「ん? 見た目は喫茶店ぽいけど、なんだろう?」
外に出ていた電子看板を見てみると
“喫茶MAYONAKA OPEN 二十二時~”
と書いてある。
やはり喫茶店だった。
よくテレビとかで、山の中のカフェとかやっているのを見るけど、ここはTHE・喫茶店て感じの外観だった。
街中でたまに見る、昔ながらのレトロな喫茶店。みたいな。
「行きは気付かなかったけど、喫茶店なんてあったんだ。にしても、OPENて書いてあるけど、こんな真夜中に営業してんのか?」
昼間なら分かるが、こんな人も車も通らない夜中の山道で、営業している店などあるのだろうか?
俺は喫茶店に近付き、辺りを観察してみる。
敷地内には、車が三台ほど置けそうな駐車場があるが、今は一台も停められていない。
店内の様子も見てみたかったが、窓のあるところには木が植えられていて、中の様子は見えなかった。
中が分からないから入るのに勇気がいるけど……営業しているなら、ちょっと休憩して行きたい。
俺はびくびくしながら、ドアノブを引いてみた。ドアに付いていたベルが、カランコロンと音を立てる。
(うわ、本当に喫茶店のドアを開けるとカランコロンて言うんだ! ちょっと感動!)
ドアを開けた瞬間、中からふんわりとコーヒーの良い匂いがしてくる。
俺はなんだかこの匂いを外に逃したらダメな気がして、急いで中に入りドアを閉めた。
喫茶店の中は、思ったより明るかった。昔ながらのレトロな喫茶店て、照明が暗いイメージがあったけれど、ここは暗すぎず明るすぎず、ちょうどいい明るさかな。
店内には、カウンター席とテーブル席があった。あと観葉植物も。
全体的にオシャレなレトロ喫茶店て感じ。なんかこういうところって、ナポリタンとかオムライスとか美味そうだよな。
あと入ってから驚いたけど、こんな真夜中にもかかわらず、店の中は大勢の人で賑わっていた。席もほぼ満席状態だ。駐車場に一台も車が止まっていなかったから、てっきり客など居ないと思っていたけど。こんな真夜中でも来る人は居るんだな。しかも、どの客もみんな、周りの客と楽しそうに話をしている。
ここらへんに住んでいる人たちなのかな? でも、家なんか立ってたっけ?
俺は少し疑問に思ったが、考えても分からないので考えるのをやめた。
ぶっちゃけそんなことより、足が痛いから早く座りたい!
カウンターの中に店員が見えるけど、特に声も掛けてこないみたいだし、自分で空いている席を探す。四つあるテーブル席は全部いっぱいで、五つあるカウンター席も一つしか空いていない。俺は急いで空いている席に滑り込むように腰掛けた。
お! クッションがふわふわしていて、座り心地いい!
「……いらっしゃい」
カウンターの中にいた男の店員が、目の前に水とおしぼりを置いていく。
店員はこいつだけみたいだ。身長は俺より小さめ、歳は同じくらいか? 顔は前髪が長くてよく分かんなかった。
(っと、そんなことより……)
歩き続けてカラカラだった喉を潤すため、コップに口をつける。思っていたより喉が渇いていたみたいで、ゴクゴクとイッキに飲み干してしまった。
……なんか視線を感じる気がする。
視線を感じるほうをチラッと見ると、隣に座っている中年の男が俺を見ていた。
「あの、なにか?」と声を掛けると、中年の男はびっくりしたように話しかけてきた。
「兄ちゃん、俺たちが視えるのか?」
「はっ?」
視えるのかって……この人、何を言っているんだ?
「あ、まあ……見え、ますね」
ええ~、もしかしてヤバい人?
面倒だし適当に流して、さっさっと出たほうがいいかな。
中年の男から目をそらし、メニューを見る。
え! ここ、コーヒーや紅茶、ジュースとかのドリンク系しかないじゃん! 食事系なんもない……。いや、コーヒーを頼むつもりだったから別に良いけど。
「おい」
メニューを見ていると、隣から肩を掴まれ、強引に引かれる。
「なんですか……!」
隣を見て驚いた。
確かに俺は、肩を掴まれて引かれたはずだ。なのに俺の肩に乗っている中年男の手は、うっすらと透けていて、俺の体を貫通していた。
よく見ると手だけじゃない、全身が透けている。
「っ!?!?」
なんだこれ!?
男から距離を取るように席を立つ。
パニック状態の俺は、助けを求めて店内を見回したが、誰一人こちらを見ている人間は居なかった。
「なんだよ、気付いてなかったのか? 俺たちが“幽霊”だって」
「えっ!はっ!? 俺たち……!?」
どうして今まで気付かなかったんだろう。
ここにいる客は、俺以外全員透けているってことを。
……マジで、みんな幽霊ってこと?
混乱する俺を気にすることなく、男は言葉を続ける。
「分かったか? ここは幽霊が集まる、幽霊のための喫茶店。“喫茶MAYONAKA”だ」
……もしかして俺、とんでもないとこに来ちゃったかも。
「……まあ、僕は人間ですけどね」
俺たちのやりとりを聞いていたカウンターに居た店員が、ボソッと言った。
「それに、ここはふつうの喫茶店ですよ。そんな大層なものじゃない」
ふつうの喫茶店……ふつう……。
「え! じゃあ、これドッキリ的な!? 良かった~! なんて番組? 何局?」
「ドッキリじゃないよ。あなた以外のお客様がみんな幽霊って言うのは本当だから」
「……マジか」
俺の喜びは秒で消えていった。
ふつうってなんだよ……めっちゃ大層だし。
マジでとんでもない所に来ちゃったよ。
俺は椅子に座り直し、頭を抱えた。
「彼女にはフラれるし、幽霊だらけの喫茶店には来ちゃうし、マジ厄日かよ……」
「なんだ兄ちゃん。もしかしてフラれて山に置いていかれた口か?」
うっ、おっさん鋭い……。
俺が何も言えずにいると、図星と取ったのか、中年の男・おっさんが慰めるように俺の肩を叩いてくる。
まあ、全部すり抜けてるんだけど。
「まあまあ、コーヒーでも飲めよ。おっさんが奢ってやる」
「斎藤さん、お金ないでしょ」
「確かに! ハハハ!」
店員とおっさんが話している。
おっさんは斎藤と言うらしい。
そういえばここに居る人たち、みんなコーヒーを飲んでいる。幽霊もコーヒー飲むんだな。
「ん? どうした? 兄ちゃん」
「いや。幽霊もコーヒー飲むんだな、と」
「そりゃ幽霊だって、たまにはコーヒーを飲んだり、ここにいる奴らみたいに霊同士話したりしたいさ」
「へえ。てか幽霊って、飲み物飲んだり出来るんですね」
「いや出来ないぞ。でも何故か、ここで出される飲み物は飲めるんだよ」
「えっ、なんでですか?」
「それが誰にも分からないんだ。ただ幽霊になっても、やっぱりコーヒーが飲めたら嬉しいもんで、こんなに集まって来ちまう」
「なるほど……」
話を聞きながら店内を見回す。
確かに。ここにいるみんな、コーヒーを飲んだり話をしたり、楽しそうにしている。
なんとなく幽霊って怖いイメージがあったけど、ここにいる人たちは、生きた人間となにも変わらないように見えた。
「どうぞ。ホットでいい?」
「……あ、ありがとうございます」
なんかもうよく分かんないけど。とりあえず俺は、この人たちの言うことを信じることにした。じゃなきゃ、こんな不思議な出来事の説明が付かないし!
そう納得した俺は、淹れてもらったコーヒーに口をつける。
うーん、良い匂い! ズズ……美味っ!
――カランコロン
ドアが開いた音はしなかったのに、ドアに付いていたベルが鳴った。
気になってそちらを見るために振り向こうとすると、いつの間にか隣に人が立っていた。
隣に立っていたのは、男の幽霊だった。
パッと見、俺とタメくらいか。なにやら困ったような顔をしている。
てか、本当に幽霊が集まってくるんだな、この喫茶店。
「いらっしゃいませ」
店員が男に話し掛けた。男は話し掛けられると思っていなかったのか、ビックリした顔をしている。そのあと、何かを考えるような素振りをしてから、口を開いた。
「……あの、ここに来れば助けてもらえるって聞いたんですけど……」
「……奥へどうぞ。ねえ、ちょっと店番を頼んでいい?」
男の話を聞いた店員は、何かを察したような顔をしたあと、俺のほうを見てそう言った。
「えっ、俺!?」
「どうせ、まだ帰らないんでしょ? 分からないことは斎藤さんに聞いて」
店員は言いたいことだけ言うと、男とバックヤードに消えて行った。
いや、急に店番を頼まれてもどうすりゃいいんだよ……。俺、居酒屋のバイトしかしたことないし。
「兄ちゃん、そう気負わなくても大丈夫だぞ。店番って言っても、どうせもう新しい客は来ねぇだろうし。ここにいる奴らも勝手に満足したら、どっか消えるだろう」
「え、お会計とかは……」
「おいおい、幽霊が金を持っていると思うか? 変なヤツだな、兄ちゃんは。ガハハ!」
おっさんは笑っているけど……幽霊はコーヒー代無料ってこと?
つーと、今日の売上って俺のコーヒー代だけ? でも確か、おっさんが奢るって言ってくれたから、実質タダ?
……この店、やっていけてるのかな。
「そういえば、さっきのアレなんですかね?」
「ああ、マスターとさっきの兄ちゃんか」
「はい(あの店員がマスターなんだ。俺とタメくらいでマスター……ますますやっていけてるんだろうか、この店)」
「……俺らはいつだって、好きに、あの世へ行ける。だが稀に、行きたくてもうまく行けないヤツがいるんだ。それが、さっきのヤツさ」
つまり、成仏したいけど出来ない幽霊もいて、それがさっきの男ってことか。
おっさんがコーヒーカップの縁をなぞりながら話す。
「そういうのを、うまく行けるように手助けしてやってるのが、坊っちゃん……ここのマスターだ」
マジかよ。マスター何者だよ。
「あの、ここのマスターって、霊能力者かなんかですか?」
「いや? でも多少霊感はあるんじゃないか? 兄ちゃんもあるだろ?」
「俺? ないですよ! 幽霊を見たのだって今日が初めてだし」
「そうなのか? この店にもたまに人間が来るけど、霊感がない奴らばかりだ。霊が座っていても、平気で上に座っちまう。視えないからな」
「だから、兄ちゃんが来たときはビックリしたよ。マスター以外に視えるヤツに会ったのは、初めてだったからな」
本当にびっくりしたと言いたげに、おっさんは身ぶり手ぶりを交えながら話している。
だから俺が空いている席に座ったとき、あんなに驚いた顔をしていたのか。
俺はおっさんの言葉に、この店に入った時のことを思い出して納得する。
それから俺は、おっさんに彼女のことを聞いてもらいながら店番をした。
コーヒーを飲んだり、話をしたりして満足したらしい客の幽霊たちは、空が白み始めるにつれて、徐々に消えて行った。
「……て、……ね……」
誰かに体を揺すられている気がする。
マミ? もうちょっと寝かせてくれよ。
あれ? 俺なんで座って寝てるんだっけ? それにマミとは昨日別れたような……。なんかコーヒーの良い匂いがする。
「……ん、……えっ! わっ! うおっ!」
重たい目をなんとかこじ開けると、至近距離に人の顔があった。驚いた俺は、距離を取ろうと後ろに仰け反るが、思ったより勢いよく仰け反ってしまったせいで、そのままガタガタとハデな音を立てて椅子から転げ落ちた。
「……いっ、てぇ」
目の前にいたのはマスターだった。
「……大丈夫?」
心配そうな声とともに、手が差し出される。
てか、外明るっ!斎藤さんと話しているうちに、いつの間にか寝ちゃってたのか。店内にも俺とマスターしかいないや。
「あー、すみません」
いろいろと申し訳ない気持ちになりつつ、俺は差し出された手を握った。
(うわっ、マスターのウデ細っ! 俺が引っぱったら倒れちゃいそう……)
なるべく力をかけないように気を使いながら、マスターの手を借りて立ち上がる。
「よっと、ありがとうございます」
「どういたしまして」
マスターはカウンターの中に戻り、俺の前にお冷と湯気が出ているコーヒーを置く。
寝ぼけていたときに香ってきたコーヒーの香りの正体は、これだったみたいだ。
「良かったら。お冷とコーヒーどうぞ」
「いいんですか? すみません。いただきます」
水を飲んだあと、フーフーと冷ましながらコーヒーをちびちびと啜る。ちゃんとコーヒーを飲んだことあんまりないけど、ここのは美味いなと思う。
「……それ飲んだら家まで送っていくよ」
コーヒーを楽しむ俺を、カウンター越しに見ていたマスターが言った。
「え、いいんですか!?」
「いいよ。代わりに、ちょっと寄り道に付き合ってもらうけど」
そう言うと、マスターは手元のスマホを操作しだした。
送ってもらえるのはラッキーだけど、寄り道ってどこに行くんだろ?
コーヒーを飲み終え、店を出た俺たちはマスターのバイクにニケツして、山を降りた。
バイクは大型自動二輪って言うのかな? 黒くて、ピカピカしているカッチョいいバイクだった。
山を降りてから市内を三十分ほど走ると、バイクは一軒のお宅の前で止まった。
「ここだ。付いて来て」
「え? ここ誰の家ですか?」
マスターは俺の質問に答えないまま、さっさっとヘルメットを脱いで行ってしまう。慌てて俺もヘルメットを脱いで追いかける。
ピンポーン
追い付くと、ちょうどマスターがインターホンを鳴らしていた。
『……はい。どなたですか?』
インターホンから、こちらを不審がるような声が聞こえてくる。
どうやらマスターの知り合いの家ではないらしい。
そう考えると、今は朝の八時半くらいだから……日曜の朝早くから知らない男二人が訪ねてきたら、そりゃ不審がられるわ。
「朝早くにすいません。僕たち西条くんのバイト先の者で――」
マスターがニコニコとインターホン越しに話をしている。
まだそんなに長い時間一緒に居た訳じゃないのからよく分からないけど。あんまり笑わない人なんだと思っていたから、ニコニコしているマスターに内心ちょっとビックリする。
しばらくすると、ガチャッと玄関の扉が開き、中年の女性が出て来た。
「どうぞ」
「お邪魔します」
女性のあとに続いて、マスターが家の中に入ろうとする。
(やべっ、話まったく聞いてなかった!)
「ちょっ! どういうことですか?」
マスターの腕を掴んで引き止めるが、マスターは「終わったら説明するから。中に入ったら話を合わせて」と言うと、中に入って行ってしまった。
よく分かんないけど、とりあえず俺も後に続いて中に入る。
――午前十一時半。
風を切るようにバイクが走る。
マスターのバイクにニケツして、俺の家まで送ってもらっていた。
さっきまで居たお宅から俺の家は真逆の方向で、着くまでしばらく掛かりそうだ。
バイクから落ちないようにマスターの腰に掴まりながら、頭の中でさっきの出来事を振り返る。
――俺たちが訪ねたお宅は、喫茶店に居たときに、いきなり隣に現れた男の家だった。対応してくれた女性は、男のお母さんだ。
男は、俺と同い年の二十四歳。先日、急な病気で亡くなったんだそうだ。
お母さんの話では、小中高とイジメに遭い不登校になり、高校も一年で中退。
それからは、家に引きこもっていたそうだ。けれど、本人もこのままじゃダメだと思ったのか、数ヵ月前急に「バイトの面接に行く」と言って出掛け、働き始めたそうだ。
最近では仕事にも慣れ、バイト先で仲良い人も出来たと楽しそうに話していたらしい。
……で、俺たちはお母さんの前で、その仲良くなった人の“フリ”をした。
家を出てからマスターが教えてくれたが、仲良くなった人が出来たと言うのは、親を安心させたくてついた嘘だったそうだ。
本当は、うまく馴染めていなかったらしい。
喫茶店に現れたとき、マスターに『親しい人のフリをして、自分の仏壇に線香を上げてほしい』と頼んだそうだ。実際に自分と親しい人に会わせて、親をきちんと安心させられたのを見てから、あの世に行きたかったんだと男が言った。生前、親にたくさん心配を掛けて、死んだ後も『自分の息子には、誰も線香を上げに来なかった』と思わせたくなかったとも言っていた。
お宅に上がった時、男は自分の仏壇の隣に立っていた。
俺たちがお線香を上げさせてもらったり、お母さんと話しているのを不安そうな顔をしながら見ていた。
けれど、お母さんが席を外したときに、男はもう思い残すことはないと言うように、ほほ笑みながら「ありがとう」と言って、消えてしまった。
あの世に逝ったんだと思う。
正直、特別なことは何もしていない。あれで良かったんだろうかと気になっていた俺は、家から出たところでマスターに聞いてみた。
「何が良いかは、その人にしか分からない。でも、彼は最期に笑っていたでしょ? これで良かったんだと思うよ」
男が消えた後、お母さんとマスターに合わせながら彼の話をしたりして、昼前においとました。
なんだか非現実的な出来事が続いているせいか、ずっと夢を見ている気分だ。
「(俺、昨日までは幽霊とか視えない方だったのになー)……あ、ここです!」
振り返ったり、考え事をしていると、いつの間にか俺の家の近くまで来ていた。
バイクを降り、ヘルメットを返す。
マスターともこれっきりかと思うと、ちょっと寂しいな。
「送ってもらっちゃって、ありがとうございました」
「別に。こっちこそ付き合わせてごめんね」
「いや、なんか貴重な体験ができて、逆に良かった? です」
「なら良かった」
そう言って、マスターはすこし考えるような素振りをした後、
「うち、夜中ならだいたい営業してるから。……じゃ、じゃあ、またね」
と言って、走り去って行った。
「またねって、また行ってもいいってこと……?」
彼女にフられたり、山道を歩いたり、幽霊だらけの喫茶店に入ったり、幽霊の頼み事を聞いたり……なんかいろいろあったけど。
悪い日じゃなかったな。
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