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ユーリの唇から震える声が漏れる。
アイスブルーの瞳には底冷えするような暗い火が灯り、立ち上る殺気だけで空気が歪むほどだ。
一歩、イアンが踏み出す。その靴音が、死刑宣告の鐘のように静かな回廊に響き渡った。
ユーリは無意識に逃げ道を探して視線を彷徨わせたが、逃げ場などどこにもなかった。イアンの放つ重圧に縫い付けられ、指先ひとつ動かせない。
「ルカと…愛し合っている、だと?」
イアンの喉の奥から絞り出された声は、低く、地を這うような怒りに満ちていた。
詰め寄るイアンの顔は、驚くほど美しいまま、鬼気迫る形相を湛えている。
彼はユーリの肩を掴み、背後の壁に叩きつけるようにして逃げ道を完全に塞いだ。
「答えろ、ユーゴ。お前は、あの男のなんなんだ。さっきの…あの睦言は、一体何の真似だ!」
肩に食い込む指の強さに、ユーリは悲鳴を上げそうになった。
目の前の男は、完全に理性を失っている。自分をユーリと知らぬまま、ただ一人の男として、愛するものを奪われた男のような目をしていた。
「あいつとどういう仲か言え!」
イアンの怒声が回廊に響き、ユーリの肩に食い込む指にさらに力がこもる。
あまりの剣幕に、ユーリは驚きで心臓を跳ねさせたが、同時に安堵を覚えていた。
イアンは、自分が「ユーリ」であることには気づいていない。「ユーゴ」がルカと密会していたことに激昂しているのだ。
その決定的な認識の違いを突きつけられ、ユーリは毒気を抜かれたように、ただ呆然と彼を見上げてしまった。
イアンがこれほどまでに感情を露わにする理由が、すぐには結びつかなかったのだ。
だが、その心ここにあらずといった反応が、イアンの苛立ちに油を注ぐ。
「……何だ、その顔は。ルカ・ヴァルディスがどういう男か、お前は何も分かっていないようだな」
イアンは吐き捨てるように言い、ルカを蔑むような冷たい笑みを浮かべた。
「あいつは特定の相手を作らず、甘い言葉で誰かれ構わず口説き落とす、浮ついた男だ。遊びに飽きれば、お前のような世間知らずなどすぐに放り出されるのがオチだぞ。そんな軽薄な男に、愛してると言われて舞い上がっていたのか?」
さっきまで自分を救い、温かく抱きしめてくれたルカを侮辱され、ユーリの胸にカッと熱い火が灯った。
いくら大好きなイアンでも、ルカの真心まで踏みにじられるのは耐えられない。
「…違います! ルカはそんな人じゃありません。誰よりも優しくて、僕のことを…」
「黙れ!」
ビクッとユーリの肩が揺れる。
言い返したユーリの声を、イアンの唸るような低い声が遮った。
イアンの顔がすぐ目の前まで迫る。そのアイスブルーの瞳には、ドロドロとした暗い情念が渦巻いていた。
「…以前、経験はないと言っていたな。あれも嘘か? 男同士であんな風に睦み合うのは初めてではないんだろう。…あの不実な男には、その身を許したのか?」
「なっ……何を……っ!」
絶句するユーリを見て、イアンの中で何かが弾けた。
ユーリの反応を「とぼけている」と受け取った彼は、獣のような手つきでユーリの後頭部を掴み、強引に唇を奪ったのだ。
「ん……っ!? んんーっ!」
それはキスと呼ぶにはあまりに暴力的で、濃厚なものだった。
歯列をこじ開け、無理やり侵入してくる熱い舌。
ユーリは必死に彼の胸を押し返そうとしたが、鋼のような体はびくともしない。逃げ場を塞がれ、呼吸さえも奪われるうちに、抗っていた力は次第に抜けていった。
――嫌なのに、悲しいのに。
どこか深い場所で、ずっと渇望していた彼の熱に触れてしまった心は、裏腹に歓喜してしまう。
「…んっ…んんっ…」
拒絶が、小さな吐息に変わる。
されるがままにその身を任せ、体の力を抜いて受け入れた瞬間、あれほど激しかったキスが、吸い付くような、切ないほど優しいものへと変化した。
喜びで涙がにじんだ。
やがて、唇が離れる。
糸を引く銀の線が、月明かりに濡れた。
イアンはじっと、至近距離でユーリを見つめた。
その瞳には、熱を帯びた欲望と、己の醜態に対する罪の意識、そしてユーリへの激しい非難が、複雑に混ざり合って揺れていた。
潤んだ瞳で縋るように自分を見つめるユーリ。その姿を数秒、焼き付けるように凝視したあと、イアンは突き放すようにユーリから離れた。
「……本当にお前は、…魔性だな」
低く呪詛のような言葉を残すと、イアンは一度も振り返ることなく、足早に立ち去っていった。
残されたユーリは、支えを失った人形のように、冷たい石畳の上に崩れ落ちた。
まだ唇に残る痺れるような熱と、イアンに刻まれた冷酷な言葉。
一体、自分はどうすればよかったのか。どの自分を愛し、どの自分を憎めばいいのか。
震える指で唇をなぞりながら、ユーリは暗い回廊で独り、声にならない嗚咽を漏らした。
アイスブルーの瞳には底冷えするような暗い火が灯り、立ち上る殺気だけで空気が歪むほどだ。
一歩、イアンが踏み出す。その靴音が、死刑宣告の鐘のように静かな回廊に響き渡った。
ユーリは無意識に逃げ道を探して視線を彷徨わせたが、逃げ場などどこにもなかった。イアンの放つ重圧に縫い付けられ、指先ひとつ動かせない。
「ルカと…愛し合っている、だと?」
イアンの喉の奥から絞り出された声は、低く、地を這うような怒りに満ちていた。
詰め寄るイアンの顔は、驚くほど美しいまま、鬼気迫る形相を湛えている。
彼はユーリの肩を掴み、背後の壁に叩きつけるようにして逃げ道を完全に塞いだ。
「答えろ、ユーゴ。お前は、あの男のなんなんだ。さっきの…あの睦言は、一体何の真似だ!」
肩に食い込む指の強さに、ユーリは悲鳴を上げそうになった。
目の前の男は、完全に理性を失っている。自分をユーリと知らぬまま、ただ一人の男として、愛するものを奪われた男のような目をしていた。
「あいつとどういう仲か言え!」
イアンの怒声が回廊に響き、ユーリの肩に食い込む指にさらに力がこもる。
あまりの剣幕に、ユーリは驚きで心臓を跳ねさせたが、同時に安堵を覚えていた。
イアンは、自分が「ユーリ」であることには気づいていない。「ユーゴ」がルカと密会していたことに激昂しているのだ。
その決定的な認識の違いを突きつけられ、ユーリは毒気を抜かれたように、ただ呆然と彼を見上げてしまった。
イアンがこれほどまでに感情を露わにする理由が、すぐには結びつかなかったのだ。
だが、その心ここにあらずといった反応が、イアンの苛立ちに油を注ぐ。
「……何だ、その顔は。ルカ・ヴァルディスがどういう男か、お前は何も分かっていないようだな」
イアンは吐き捨てるように言い、ルカを蔑むような冷たい笑みを浮かべた。
「あいつは特定の相手を作らず、甘い言葉で誰かれ構わず口説き落とす、浮ついた男だ。遊びに飽きれば、お前のような世間知らずなどすぐに放り出されるのがオチだぞ。そんな軽薄な男に、愛してると言われて舞い上がっていたのか?」
さっきまで自分を救い、温かく抱きしめてくれたルカを侮辱され、ユーリの胸にカッと熱い火が灯った。
いくら大好きなイアンでも、ルカの真心まで踏みにじられるのは耐えられない。
「…違います! ルカはそんな人じゃありません。誰よりも優しくて、僕のことを…」
「黙れ!」
ビクッとユーリの肩が揺れる。
言い返したユーリの声を、イアンの唸るような低い声が遮った。
イアンの顔がすぐ目の前まで迫る。そのアイスブルーの瞳には、ドロドロとした暗い情念が渦巻いていた。
「…以前、経験はないと言っていたな。あれも嘘か? 男同士であんな風に睦み合うのは初めてではないんだろう。…あの不実な男には、その身を許したのか?」
「なっ……何を……っ!」
絶句するユーリを見て、イアンの中で何かが弾けた。
ユーリの反応を「とぼけている」と受け取った彼は、獣のような手つきでユーリの後頭部を掴み、強引に唇を奪ったのだ。
「ん……っ!? んんーっ!」
それはキスと呼ぶにはあまりに暴力的で、濃厚なものだった。
歯列をこじ開け、無理やり侵入してくる熱い舌。
ユーリは必死に彼の胸を押し返そうとしたが、鋼のような体はびくともしない。逃げ場を塞がれ、呼吸さえも奪われるうちに、抗っていた力は次第に抜けていった。
――嫌なのに、悲しいのに。
どこか深い場所で、ずっと渇望していた彼の熱に触れてしまった心は、裏腹に歓喜してしまう。
「…んっ…んんっ…」
拒絶が、小さな吐息に変わる。
されるがままにその身を任せ、体の力を抜いて受け入れた瞬間、あれほど激しかったキスが、吸い付くような、切ないほど優しいものへと変化した。
喜びで涙がにじんだ。
やがて、唇が離れる。
糸を引く銀の線が、月明かりに濡れた。
イアンはじっと、至近距離でユーリを見つめた。
その瞳には、熱を帯びた欲望と、己の醜態に対する罪の意識、そしてユーリへの激しい非難が、複雑に混ざり合って揺れていた。
潤んだ瞳で縋るように自分を見つめるユーリ。その姿を数秒、焼き付けるように凝視したあと、イアンは突き放すようにユーリから離れた。
「……本当にお前は、…魔性だな」
低く呪詛のような言葉を残すと、イアンは一度も振り返ることなく、足早に立ち去っていった。
残されたユーリは、支えを失った人形のように、冷たい石畳の上に崩れ落ちた。
まだ唇に残る痺れるような熱と、イアンに刻まれた冷酷な言葉。
一体、自分はどうすればよかったのか。どの自分を愛し、どの自分を憎めばいいのか。
震える指で唇をなぞりながら、ユーリは暗い回廊で独り、声にならない嗚咽を漏らした。
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