王妃さまが怖いので婚約やめますね

ともえなこ

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「王妃さま、失礼します。エリアーヌ・ロワンセルでございます」

私は深呼吸をしてから、王妃さまの執務室の扉をノックした。返事はなかったが、中から「入れ」との声がしたと侍女に促される。

「……」

王妃さまは机に書類を並べ、何やら大切な公務のようだ。私がそろそろと近づくと、顔を上げることなく質問してきた。

「何の用かしら」

「あの……先日、婚約破棄をお願いした件について、改めてお話ができればと思いまして」

「破棄、ね」

王妃さまがペンを置いてこちらを見た。その瞳はまるで底の見えない湖のようだ。私は喉がカラカラに渇く。

「理由は同じく、『私が怖い』からかしら」

「は、はい……それが主な理由、です」

正直に言うしかないと思った。嘘をついてもすぐに見抜かれそうだし、言葉を取り繕う余裕もない。

「あなたの家の方針は?」

「母は……私の意思を尊重すると言ってくれています」

「そう」

王妃さまが椅子から立ち上がる。机を回り込んで、私の正面へ来た。

「ならば、あなたは本気で婚約を解消したいのね」

「……はい」

視線を外せない。王妃さまの凛とした姿勢に、畏怖の感情が湧き上がってくる。どんな返事が返ってくるのか想像もつかない。

「怖いというのは、人間として当然の感情よ。私もかつては、あらゆるものが怖かったわ」

「え……」

思わず声が漏れる。王妃さまが“怖かった”? あの冷静沈着そうな姿からは想像できない。

「だけど私は王妃になると決めた以上、逃げられなかった。あなたはどうかしら。逃げるのね?」

「は、はい……っ」

そう言われると、責められているようで涙が出そうになる。私だって好きで逃げ腰なのではない。心が折れそうなほど不安だから仕方がないのだ。

「いいでしょう。その気があるなら、国王陛下にも掛け合ってみることね」

「こ、国王陛下にも……?」

「私ひとりの判断では難しい。王太子の婚約は国の行方にも関わるわ。あなたは国を動かす覚悟があるのかしら」

その問いかけに私は言葉を失う。自分のわがままで国を動かすなど、そんな大それたことを考えているわけではない。それでも、この恐怖から逃れたいと思う気持ちは本物だ。

「……あります」

口から出た言葉に、自分で驚く。王妃さまも少し目を見開いたように見えた。

「もしも国を巻き込んででも、この婚約を解消できるのなら、私はそうしたい……です」

私は涙目になりながら必死に訴える。王妃さまは短く息を吐き、やがて机へ戻った。

「帰りなさい。今はもう話すことはないわ」

「……失礼いたします」

私は深々と頭を下げて退室した。侍女たちは興味深そうにこちらを見つめている。背後から王妃さまの視線が突き刺さるようで、歩く足が震える。

「……私、国を動かすなんて言っちゃった」

廊下で膝が笑いそうになった。あの瞬間、王妃さまに気圧されながらも、どうにか踏ん張った自分が怖い。恐怖を振り払いたいばかりに、とんでもない宣言をしてしまった気がする。

「大丈夫かな……」

自問自答しても答えは見つからない。ただ一つ確かなのは、王妃さまが私を“怖がるばかりの小娘”だと思っていないかもしれない、ということだ。もしかすると、これは前進なのだろうか――。
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