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1接触編
1接触編-3
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03
コダ村の中心から少しばかり離れた森の中に小さな小さな家が、一軒立っている。
サイズとしては、六畳間ふたつの2DK程度。平屋で、小さな窓がふたつ。窓ガラスというものが存在しないこの地では、採光と通風が目的の窓も、構造的な理由から総じて小さめにつくられる。
日干し煉瓦を積み上げた壁には蔦が這っている。
天を覆う樹冠からの木漏れ日で、周囲は柔らかに明るいため、建物からは瀟洒な感じがして、なかなかに素敵な雰囲気だった。
その家の前には馬車が停められている。荷台には木箱やら、袋やら、紐で結わえられた本やらが山のごとく積み上げられていた。
傍らで草を喰んでいる驢馬がその荷馬車を引くとするなら、ちょっと多すぎるんじゃないか? と尋ねたくなる。それほどまでの荷物量だった。
その山のような荷物を前にして、さらに一抱えもあるような本の束をどうやって載せようかと苦心惨憺している者がいる。
年の頃十四~五といった感じで貫頭衣をまとったプラチナブロンドの少女だった。
「お師匠。これ以上積み込むのは無理がある」
最早どこをどう工夫しようと、手にした荷物は載りそうもない。少女は、その事実を屋内へと冷静な口調で伝えた。
「レレイ! どうにもならんか?」
窓から顔を出した白いひげに白い髪の老人は、「まいったのう」と眉を寄せた。
「コアムの実と、ロクデ梨の種は置いていくのが合理的」
レレイと呼ばれた少女は、腐る物ではないのだから……と、荷馬車から袋を一つ二つ下ろす。そして、空いたスペースに本の束を載せた。
コアムの実もロクデ梨の種も、ある種の高熱疾患に効能のある貴重な薬だ。だが、その高熱疾患自体、あまり見られるものではないので、今日明日必要になるということもない。また稀少とは言っても、手に入らないものでもないから、失ったら取り返しのつかなくなる貴重な書物を優先するべきなのだ。
白髪の老人は袋を受け取ると、肩を落とした。
「だいたい炎龍の活動期は五十年は先だったはずじゃ。それがなんで今更……」
エルフの村が炎龍に襲われて壊滅したという知らせは、瞬く間に村中に走った。
これが普通ならば着の身着のまま逃げ出さなければならないところであった。だが、今回に関しては通報が早かったため、荷物をまとめるだけの時間があった。その為に村全体が、逃げ出す支度で大騒ぎしているのである。
老人はぶつくさ言いながらも、レレイの下ろした袋を小屋へと戻した。寝台の下に隠し扉があり、そこに仕舞い込もうという心づもりなのである。
その間にレレイは驢馬を引いてきて荷馬車とつないだ。
「師匠も早く乗って欲しい」
「あ? 儂はおまえなんぞに乗っかるような少女趣味でないわいっ! どうせ乗るならおまえの姉のようなボン、キュ、ボーンの……」
「………………」
レレイは冷たい視線を老人にむけたまま、おもむろに空気を固めると投げつけた。空気の固まりとは言っても、ゴムまりみたいなものだが、次々とぶつけられるとそれなりに痛い。
「これっ! 止めんかっ! 魔法とは神聖なものじゃ。乱用する物ではないのじゃぞ! 私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじゃって……やめんか!」
……………おほん。
「余裕があると言っても、いつまでもゆっくりしていられるわけではない。早く出発した方が良い」
「わかった、わかった。そう急かすな……ホントに冗談の通じない娘じゃのう」
老人は杖を片手に、レレイの隣によっこらせと乗り込む。レレイは冷たい視線を老人に向けたまま語った。
「冗談は、友人、親子、恋人などの親密な関係においてレクレーションとして役に立つ。だけど、内容が性的なものの場合、受け容れる側に余裕が必要。一般的に、十代前半思春期の女性は性的な冗談を笑ってかわせるほどの余裕はない場合が多い。この場合、互いの人間関係を致命的なまでに破壊するおそれもある。これは大人であれば当然わきまえているべきこととされている」
老人は弟子の言葉に、大きなため息をひとつついた。
「ふぅ~疲れた。年はとりたくないのぅ」
「客観的事実に反している。師匠はゴキブリよりしぶとい」
「無礼なことを言う弟子じゃのう」
「これは、幼年期から受けた教育の成果。教育したのは主にお師匠」
身も蓋もないことをレレイは告げる。そして驢馬に鞭をひと当てした。
驢馬はそれに従って前に進もうとする。ところが荷台のあまりの重さからか馬車はピクリとも動かなかった。
「………………」
「………………オホン。どうやら荷物が多すぎたようじゃのう」
「この事態は予想されていた。かまわないから荷物を積めと言ったのはお師匠」
「………………」
レレイは黙ったまま、馬車からピョンと飛び降りた。
動かない馬車にいつまでも乗っているくらいなら歩いた方がマシだと判断したのだろう。
「おお! レレイは、気の利くよい娘じゃのう。いつもこんな調子ならば、嫁のもらい手は引く手数多じゃろうにのぅ、惜しい事じゃ。ホントに惜しい事じゃ」
老人はそう言うと、レレイから手綱を受け取った。そして、驢馬に鞭をひと当て。驢馬も頑張っているが、やはり動かなかった。
レレイはちらりと車輪に目をやった。車輪は地面に三分の一程めり込んでいる。このままでは決して動くことはないだろう。
「お師匠。馬車から降りるのに手が必要なら言って欲しい」
「し、心配するでない。儂らにはこれがあるではないか?」
老人が杖を掲げると、レレイは日頃から口うるさい師匠の口調を真似て見せた。
「魔法とは神聖なものじや。乱用する物ではないのじやぞ。私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじや……」
老人は、額に漫画的な汗を垂らすと言い訳を試みる。
「儂らは魔導師じゃ。ただ人のごとく歩く必要はないのじゃよ」
しかし、レレイの温度を全く感じさせない視線は決して和らぐことはなかった。
老人の口は「あー」の形状で固まったまま呪文がなかなか出てこない。
「………………」
教育者としての矜持とか、いろいろなものがその胸中で葛藤しているのだろう。老人が次の動きを見せるまでしばしの時間が必要だった。やがて情けなさそうな表情をはりつけた顔をレレイへと向ける。
「す、すまんかった」
「いい。師匠がそういう人だと知っている」
レレイとは、そういうことを口にする身も蓋もない娘であった。
魔法を使うことで重量が軽くなれば、荷物山盛りであっても驢馬の力で容易に引くことが出来る。こうしてレレイと師匠の乗った馬車は、長年住み慣れた家を後にしたのである。
村の中心部に向かう中、あちこちの家でレレイ達同様、馬車に荷物を積み込む者の姿が見られた。農作業用の馬車や荷車、あるいは馬の背中に直接荷物をくくりつけている者までいる。
レレイは、そんな村人達の姿を、観察するかのようにじっと見つめていた。
師匠は語りかける。
「賢い娘よ。誰も彼もが、お前の目には愚かに見えることじゃろうなぁ」
「炎龍出現の急報に、これまでの生活を捨てて逃げ出さなくてはならなくなった。だけど、避難先での生活を考えれば、持てる限りの物を持って行きたいと考えるのは、人として当然のことと言える」
「人として当然とは、結局の所、愚かしいと言うことであろう?」
「…………」
レレイは、師匠の言葉を否定できなかった。
本当に命を大切に思うのであれば、与えられた時間を使って、より遠くへ逃げるべきではないだろうかと考えるからだ。なまじ余裕があるばっかりに、荷物をまとめるのに時間を費やしてしまっている。これによって結局は出発時間が遅れる。さらに重い荷物は移動速度を低下させる。炎龍に追いつかれてから荷物を捨てても、もう遅いのだ。
そもそも、人は何故生き続けたいなどと考えるのか。人はいずれ死ぬ。結局は遅いか早いかでしかない。ならば、わずかばかりの生を引き延ばす行為にどんな意味があると言うのだろう。
レレイはそんな風に、物事を理屈で割り切った考え方をしてしまう。そしてそんなレレイを老人はどのような言葉を持って諭せばよいのかと悩むのである。
村の中心部にさしかかると、道は馬車の列で渋滞が出来ていた。
「この先は、いったいどうなっているのかね?」
いつまでも動かない馬車の列に苛立ってか、師匠は進行方向から来た村人に声をかけた。
「これはカトー先生。レレイも、今回は大変なことになったね。実は、荷物の積み過ぎで、車軸がへし折れた馬車が道を塞いでいるんです。みんなで片づけてますが、しばらく時間がかかりますよ」
引き返して別の道を選ぼうにも、既に後続の馬車が塞いでいて、行くも戻るも出来なくなっていた。
師匠と村人が話している中、レレイは後方から見慣れない姿の男達が、これまで聞いたこともない言葉で騒ぎながらやって来ることに興味を引かれていた。
「避難の支援も仕事の内だろ。とにかく事故を起こした荷車をどけよう! 伊丹隊長は村長から出動の要請を引き出してください。戸津は、後続にこの先の渋滞を知らせて、他の道を行くように説明しろ! 言葉? 身振り手振りでなんとかしろ! 黒川は事故現場で怪我人がいないかを確認してくれ」
見ると、緑色……緑や濃い緑、そして茶色のまざった斑模様の服装をした男達だった。
いや、女性らしき姿もある。兜らしいものを被っているところをみると、どこかの兵士だろうか? だが、それにしては鎧をまとっていない。レレイの知識にない集団のようだ。
何を言っているのかよくわからないが、初老の男に指示された男女が凄い速度で走っていく。
その様子を見ると、はっきりとした指揮系統らしきものがあるようだった。禍々しい暴力を、規律という名の鞘に仕舞い込んだ軍事組織の気配がある。
レレイは師匠に「様子を見てくる」と告げると、馬車を降りた。
馬車十五台程先に、事故を起こした馬車があった。
車軸が折れて馬車が横転している。驚いた馬が走り回って暴れたらしい、撒き散らされた荷物と、倒れている男性、そして母子の姿があった。馬も倒れて泡を吹いているが、まだ起きあがろうとして無闇に四肢を振り身を捩っている。そのために、村人達が助けに近づこうにも近づけないのだ。
「君。危ないから下がっていて」
緑色の服の人達。
何を言われているのかよく分からないが、手振りからしてレレイに下がっているように言っていることは理解できた。
だがレレイは倒れている母子も怪我をしていることに気付くと、制止を振り切って、駆け寄った。傍らで馬が暴れているが気にしない。
「まだ生きている」
レレイよりちょっと下。十歳ぐらいの子どもを診ると、頭を打ったようで顔や手足から血の気が失せてぐったりとしている。その上まるで栓を開けたみたいに汗を掻いて身体が冷えていこうとしている。
母親は、気を失っているようだが大したことはない。子どもが一番危険な状態だった。
「レレイ!! 何をしている!? 何があった?」
呼ぶ声に振り返ると村長だった。やはり緑の服の人と一緒だ。事故の知らせを受けて駆けつけてきたのだろう。
「村長。事故。多分荷物の積み過ぎと荷馬車の老朽化。子どもが危険、母親と父親は大丈夫と思われる。馬はもう助からない」
「カトー先生は、近くにいるのかね?」
「後ろの馬車で焦れてる。わたしは様子を見に来た」
ふと見ると、緑の服をまとった長身の女性がレレイと同じように子どもの様子を診て、誰かに伝えていた。その手際の確かさは体系的に医学を学んだ者の気配があった。そして村長の隣にいる三十代くらいの男が全体への指示を出している。
突然、悲鳴が上がる。
「危ない!!」
バンバンバン!!
突然の炸裂音にびっくりして振り返ると目に入ったのは、暴れていた馬が、レレイに覆い被さるようにドウッと倒れるところだった。紙一重のところで巻き込まれずに済んだが、あとほんの少しずれていたらレレイの十人分はある馬体に、彼女は押しつぶされていただろう。
レレイに分かったのは、どうやら緑の服の人たちが、暴れる馬から自分を守るために何かしたということだけだった。
* *
大陸諸国から帝国に集まった軍勢が、一夜にして姿を消した。
それは日本ならば新聞の一面トップ、あるいはバナー広告一行目にとりあげられるような出来事であろう。だがこの世界、この特地の民にとって、軍がどこに行こうとどうなっていようと関係のない話だった。戦争に負けたとしても、支配者が代わるだけ。人々の生活になんら変化を起こすものではないのだ。
これと言うのも常にどこかの国と戦争をしているという状態が続いて来たせいである。戦争に勝ったり負けたり、領地を奪ったり奪われたり。領主がコロコロと代わり、仰ぐ旗がコロコロ代わる。そんなことが続けば、我々の言うところの愛国心など育まれるはずがないのだ。
そんな世界では、自分の住んでいる土地とその周辺が戦場になるのでない限り、あるいは自分の家族が兵士として戦場に赴いているのでない限り、市井の民が国の動静に関心をはらうことはほとんど無いのである。
それでも、ここ最近は人々の生活に影響が表れ始めていた。
それは、盗賊の跳梁である。
この世界の支配体制では、兵士や騎士の存在があったとしても、盗賊を抑える効果はそれほどない。なぜなら、貴族や騎士の主たる任務に治安の維持は含まれていないからである。
彼らの役割と関心は「支配する」ことにある。騎士や貴族は税金と称して民から奪う。盗賊らは名目がないけど奪う。どちらも無理矢理で、拒否したら暴力を振るう。本質は同じで、大した違いはないのだ。
もし、貴族や騎士が盗賊を退治したとしても、それは牧童が自分の羊を守るために、たまたま自分の視界に入った狼を追い払う程度のことでしかない。身も蓋もない言い方だが、民衆の安全に気を配ることは義務ではなく、奨励される善行のひとつに過ぎないのだ。
死にもの狂いになって刃向かってくる盗賊を追って命を落とすかもしれないとなれば、貴族や騎士達が熱心に戦うなどまずあり得ない。これは、とりわけ珍しいことではない。かつての日本でもそれは同じことで、野盗に狙われた農村が七人の用心棒を雇う映画の状況設定が成立するのも領主があてにならないからだ。
とはいえ、在郷の騎士や兵士が激減したという事実は、盗賊の喜ぶ状況だった。
これまでは、こそこそと行っていた野盗行為を堂々と行えるようになったのだから。
そして、獲物がいなくなったら困るので、根こそぎ狩ったり奪ったりしない……というのは智恵のある狩人の仕事である。それと類似するのが盗賊行為であるが、そもそも智恵のある人間が盗賊に身を落とす例は少ないので、盗賊の大部分は陰惨を極める仕事の仕方をする。
例えば近くにドラゴンが出たために、とある村から逃げ出すことになった一家だ。
男は、農耕馬に馬車を引かせると、家財一切合切と妻三十二歳と娘十五歳を乗せて村を出た。
こうした逃避行では、野生の草食動物がするように……例えば野牛やシマウマのように、キャラバンを組んで移動するのが常である。だが、そんな悠長なことをしているとドラゴンに襲われるかも知れないという恐怖が先にたった。
だから村人達が止めるのも聞かず、一家だけで村を出たのである。
運悪く盗賊が現れたのは、村を出て二日目の夕刻だった。
男は、農耕馬をひたすら鞭打ったが、荷物満載の馬車がそんなに速く走れるはずもない。抵抗らしい抵抗をすることも出来ず、一家は騎乗の盗賊達に取り囲まれてしまった。
男はあっさりと殺され、家財と、妻と娘を奪われたのだった。
夕闇の中。十数名の盗賊達は火を囲んで、獲物を得た喜びに一時の享楽を味わっていた。
獲物の中には金品ばかりでなく一家が当面の暮らしを保つための食料もあった。これで腹を満たす。母娘を犯すのは順番待ちだが、盗賊でも主立った立場にいる者は早々に獣欲を満たして、いい気分で酒を味わっていた。
「お頭、コダ村だそうですぜ」
炎龍の出現によって村中が逃げ出している。荷物を抱えていて足が遅い。たいした脅威もない。これを襲ってはどうか? 襲わない手はない。襲いましょう。奪いましょう。
配下の言葉に、頭目はニンマリとほくそ笑んだ。実に良いアイデアだ。そうしよう。彼はそう考えた。だが……。
「手が足りねぇぞ」
二十人に満たない自分の配下では、村丸ごとのキャラバンは獲物が大きすぎる。
「それですよ。あちこちに、声をかけて人を集めるんでさぁ。そうすれば今まで出来なかったような大仕事が出来ますぜ」
これは手下を集める良いきっかけとも言えた。
頭数が揃えば、村や町を襲うことも出来る。うまくやれば、領主を追い出して自分が領主に成り上がることだって出来るかも知れない。
野盗から領主へ。その日暮らしの盗賊稼業から、支配者へというしばしの夢、刹那の夢に浸る。
名もない盗賊の頭目。彼にとって幸福を夢見た瞬間が、人生の終わりだったのは幸せだろうか。それとも不幸だろうか。
ゴロッと首の上から、頭が地に落ちる。
ゴロゴロと大地を転がり、たき火の側で止まった。
ジュと髪が焦げて独特の臭いが立ち上がった。
生理学的には、人は首を切られても数秒は意識があると考えられている。とすれば、彼は自分の頭が大地を転がる瞬間を体験しただろう。視野が回転し、何が起こったのか理解する前に、自分の身体であった物体が首から血液を噴出させながらグラッと倒れる瞬間を眺めるのである。
そして、急激に暗くなっていく視野の向こうに、自分の赤い血を浴びる長い黒髪の死神を見たのである。
その少女を見た者は誰もが最初に「黒い」と思う。
抜けるような白い肌に漆黒の髪、黒い衣装。そして、その瞳は底のない闇のごとく黒かった。
ビュンという風切り音とともに、盗賊の首が飛ぶ。
手にした武器は、重厚なハルバート。
重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器だ。断じて小柄な少女が振り回してよいものではない。フリルで飾った服をまとった少女が手にしてよいものでもない。それを柳のような細い腕と、白魚のような細い指で振り回すのだから非常識にもほどがある。
どすっと重い鉄斧を肩に載せて、丸い息を「ほっ」と吐いた。
少女の周囲には野盗であった死体が累々と横たわっていた。
「クスクスクス………。おじさま方ぁ、今宵はどうもありがとう」
スカートをつまみ上げて、ちょこんと一礼。
年の頃は見た目では十三歳前後。優美さと、気品のある所作からは育ちの良さが感じられた。その顔は笑顔をたたえている。だが、目だけが笑っていない。黒い瞳の中に浮かぶ闇はどこまでも深い虚無だった。
「生命をもってのご喜捨を賜りホントにありがとう。主神にかわってお礼を申し上げますわねぇ。神はあなた達の振るまいがたいそう気に入られてぇ、おじさま方をお召しになるっておっしゃられてるのぅ」
「………な、なんでぇ! てめえはっ!」
まだ生きている野盗達の中には、腸に氷を詰められたようなぞっとする重さの中でも、なんとか虚勢を張ることができた者もいた。この際、声を出すことが出来ただけでも褒めてやるべきだろう。
「わたしぃ?」
くすりと愛らしくほほえむ。
「わたしはロゥリィ・マーキュリー。暗黒の神エムロイの使徒」
「エムロイ神殿の神官服? ……じ、十二使徒の一人。死神ロゥリィ?」
「あらぁ、ご存じなのぉ? クスクスクスクス……それで正解よぉ」
コロコロと嗤う少女を前にして、野盗達は一斉に逃げだした。
荷物もなにもかもうち捨てて死にもの狂いになって走り出す。
じょ、冗談じゃねぇ。使徒なんかとまともにやり合えるかっ!
魂の叫び、命の叫びをそれぞれにあげながら、懸命に死の淵から逃れようとする。
「だめよぉ。逃げてはいけないのよぉ」
ロゥリィが跳んだ。自分の体重の何倍もあるような巨大な鉄塊を抱え、どう猛な肉食獣の身のこなしで、盗賊達に襲いかかる。
ハルバートが盗賊の頭をスイカのようにかち割ると、周囲にミンチ状の肉片がまき散らされた。
「ひぇ、あわっ……ひっ」
腰が抜けた男の前に、ゆらぁりと立つロゥリィ。重たいハルバートをよいしょと担ぐと、足下をちょっとふらつかせながらも、高々と掲げあげる。
彼女の白い肌は、返り血で真っ赤に染まっていた。
「うふふ……神様はおっしゃられたのよぉ。人は必ず死ぬのぉ。決して死から逃れることは出来ないのぉ」
振り下ろされる斧に続いて、断末魔の悲鳴が響くのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……なんだって、エムロイ神殿の神官がこんなところに」
男は我が身に訪れた不幸を恨みながら、走っていた。
遠くから仲間の絶叫が聞こえる。また一人、死神に命を刈り取られたようだ。
「くっ、くそっ」
夜の荒野だ。道などない。窪みがあり、岩が転がって、荊が群生し、灌木が立ちふさがっている。男は、転び、のたうち回りながら、泥と汗とにまみれ、あちこちをすりむき、服を破きながら、這うように、あえぐように走った。
またしても、絶命の悲鳴がこだました。
ぬかるみにはまり込み、滑って転ぶ。
身体を地面にうちつけて、男は拳で大地を打った。
「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉっ、なんで俺がこんな目にっ!」
「あらぁ。十分楽しんだのではなくてぇ?」
トンという足音。
それに続く鈴を鳴らしたような声に、はっと見上げる。すると銀色の月を背景に、黒い少女が立っていた。
「あなた、イイ思いをしたのではなくてぇ? 人を殺したのではないのぉ?」
男の開いた脚の間……股間すれすれにズトンと、大地を割らんばかりにハルバートが突き刺さった。
「ひ、ひっひ、ひ、お、俺はまだやってねぇ!!」
「あらぁ、ホントぉ?」
「ホントだよ! 仲間にしてもらって、これが初めての仕事だったんだよぉ! 女だって、俺は新米だから最後だって言われて、まだ指一本触れさせて貰ってねぇんだ!」
「ふ~~ん?」
ロゥリィはのぞき込むようにして、男を値踏みした。
「他のおじさま達は、み~んな、エムロイの神に召されたわよぉ。あなた独りじゃ寂しいんじゃなくてぇ?」
男はぶるぶると首を振った。寂しくない、寂しくない。
「でもぉ、独りだけ仲間はずれなんて、いい気分じゃないわぁ」
「いや、是非仲間はずれにしてくださいっ!」
男は祈るように願った。
ロゥリィは、ゾロリとした刃物のような冷たい目で男を見下ろす。
「どうしよぅかなぁ~」
言いながら、ロゥリィはポンと掌を拳で打つ。
「そうだわあ。良いこと考えたのぅ。まだ、何もしてないなら。今からでもすればいいのよぉ」
そう言って黒い少女が男の片足をむんずと掴みあげた。
それは華奢な見た目からは信じられないほどの怪力だった。
「るるんらっ」と鼻歌を歌いながら、雑巾かモップでも引きずるような感じで男を引きずる。
「いでで、やめっ! ごふっ!! あつっ」
石や砂利の転がる荒れ地だ。汗まみれの男の身体は、皮膚が破れ、溢れ出る自らの血でさらにまみれた。
「あなた、お母さんと、娘さんとどっちが好み?」
「いやだぁ! 止めてっ!! ぐへっ、ごっぽっ……」
「遠慮なんかしてはいけないのぉ。これが最期なんだしぃ、お相手していただけるように頼んであげるわよぉ」
ロゥリィは男の足をつかんだままぶんっと腕を振った。
男は、うち捨てられた人形のように不格好に横たわる母娘のところでドサッと転がる。
「さぁ、はじめるとよいのよぉ。あなたの順番よぉ」
男は、首をブルブルと小刻みに振る。
一糸も纏わない姿の母娘二人は、暴行を受けていた姿勢そのままに両足が広げられ、両腕は万歳するかのように上げられていた。身動き一つせず横たわっていて、見ると呼吸も止まっていた。
「あら困ったわね。こちらの二人も、もう召されてしまったようだわ」
暴行をうけている間に、命に関わるような傷を負わされたのかも知れない。
「間に合わずにごめんなさいね」
ロゥリィは母娘に瞑目して頭を少し下げた。その上で男に微笑む。
「でも、折角だからぁ。やったらぁ?」
男の股間が濡れて、周囲に水たまりが広がっていった。
04
盗賊の青年は、涙を流しながら許しを請い続けた。
地を這いずり、手を組んで祈るように。涙と鼻水を流しながら慈悲を請う。自分はまだ直接には罪を犯していない。まだ手を汚していない。生活苦のために、盗賊に身を落とすしかなかった。反省して、心を入れ替えて、これからは真面目に働く等々。
ロゥリィはその醜態に嘆息した。
汚物を見ることを厭うかのように顔を背ける。その見苦しさに、視線を向けたが最後、自らが汚されてしまうかのような気分になったのだ。
まず大前提がある。それは、ロゥリィの考えでは、人を殺すことは罪ではないということなのだ。大切なことは、何故、どのような目的で、そしてどのような態度でそれを為したかなのだ。
これこそロゥリィの仕える神の教えでもあった。
盗賊や野盗が、人のものを盗むことの何が悪いのだろう。
兵士や死刑執行人が、敵や死刑囚を殺すことの何が悪いのだろう。
そういうことなのだ。
ロゥリィの仕える神は善悪を語らない。
あらゆる人の性を容認する。人が生きるために選んだ職業を尊ぶ。そして、その職業なりの道を尊ぶ。だから、盗賊ならば盗賊として堂々としていればよい。そのかわり盗賊であるが故に、兵士であるが故に、戦場でそして法によって裁かれること等で、自らの命もまた奪われることを覚悟すべしと教えるのだ。
もし、この男が盗賊として胸を張ってロゥリィに相対したのであれば彼女はそれなりの尊敬を示したろう。神の使いの立場として、青年を愛したかも知れない。
だが、この男の態度たるやどうだろう。
まず、自ら手を汚していないという言い訳が許せない。実際に盗賊に参加し、数を頼む暴力集団の構成員となった以上、直接手を下したかどうかは全く関係がないのだ。
そして、生活苦のために盗賊に身を落とすしかなかったという言い訳がまた許せない。食べていけないのなら、飢えて死ねば良い。
才覚に乏しく運に見放され食べていくことが出来ないが、誰も傷つけたくない。故に、物乞いや路上生活者として生きるということを選択する者も居るのだ。その矜持をロゥリィは見事な覚悟と認めて愛する。
人として愚劣。男として低劣。まさに存在の価値なし。その見苦しさに、漆黒の使徒はその美貌をゆがめた。
ロゥリィは、冷厳に命じる。墓穴を掘るようにと。その数は三つ。
青年は、道具がないと応じたが、母親から頂いた両手があるでしょう? とロゥリィに論駁されてしまう。だから青年は荒野を引っ掻くようにして、穴を掘った。
ここは荒野だ。砂場や耕された畑に穴を掘るようには行かない。たちまち爪は剥がれた。皮膚はぼろぼろとなった。しかし、青年がその痛みに手を休めようとすると巨大なハルバートがつま先を削るようにして叩きつけられて、大地を抉った。
恐怖に駆られた青年は、一時の狂躁に苦痛を忘れ、砂礫と雑草の大地を削るようにして、必死で穴を穿つのだった。
やがて、一家の父親を埋葬した。
一家の母親を埋葬した。
そして一家の娘を埋葬する。
最早、感覚を失った掌で土を掬いあげて少女の墓に盛り終えた時、既に太陽は昇り、あたりは明るくなっていた。
男が仕事を続けたのは、これが、自らを見逃す条件であると思ったからだ。いや、そう思いたかった。思い込もうとした。そして男はお伺いをたてるかのように振り返ったのである。
「こ、これでいいか?」
渇きと飢え、そして疲労と両手の激痛とで息も絶え絶えとなっていた男は、見た。
神に祈りを捧げる少女、ロゥリィの姿を。
片膝をついて、両手を組み一心に祈る。彼女は神秘的な陽光に包まれ気高く美しく、見る者の呼吸すら押し止める。
喪服にも似た漆黒のドレスと長い黒髪。
白磁の肌。
古くなった血液のような、赤黒の口紅がぞっとするような笑みの形を描く。
祈りを終えた少女はゆっくりと立ち上がり、ハルバートを掲げあげた。そして身じろぎも出来ずにいる男へと向かって、神の愛と自らの信仰の象徴を振り下ろすのだった。
* *
コアンの森在住のエルフ、ホドリュー・レイ・マルソーの長女テュカは、自分は今、夢を見ていると思っていた。
寒冷紗がかかったような朦朧たる視野。そのなかで人間達が行き交う。
何が起きているのか? 感じ取り洞察しうる思考力が働かない。ただ、目に映る物、耳に入る音を受け容れるだけだった。
空に浮かぶ雲や目に映る風景が、時折流れるように動く。止まる。また、動き出す。それに伴って身体が揺すられる。
どうやら、荷車のようなものに載せられているようだった。
動いては止まる。また動いては止まる。
荷車の窓から見えるのは、荷物を背負い抱えた人間達が疲れ、そして何かに追い立てられるかのような表情で歩いている姿だった。
荷物を満載した荷車がガラガラと音を立てながら通り過ぎていく。
また動き出す。そしてしばらくして止まる。
暗かった壁が切り開かれて、そこから外の光が差し込んで来た。
眩しい……。
ふと、視界がぼんやりとした黒い人影で覆われた。
「Dou? Onnanoko no yousuwa?」
視界の外にいる誰かと何か会話しているようだが、聞き取ることも理解することも出来なかった。
「クロちゃ~ん。どう? 女の子の様子は?」
「伊丹二尉……意識は回復しつつありますわ。今も、うっすらと開眼しています」
そんな会話も、テュカにとっては意味を為さない音声でしかなかった。
高名な原型師が、最高の情念と萌え魂を込めて作り上げた、そんな造形の美貌と肌をもつ少女が、力無く横たわっている。流れる金糸のような髪をまとい、うっすらと開かれた瞼の向こうには、青い珠玉のような瞳が垣間見られた。
伊丹は少女のように見えるエルフ女性を眺め見て、これからの困難を思った。
熱は下がって安定。バイタル(心拍・呼吸数・血圧の標準値がどの程度なのかは分からないが、上がるでもなく下がるでもなく、安定していることは悪いことではないと黒川は語った)も安定しているとは言え、気をつかわないわけには行かない状態だ。
「遅々として進まない避難民の列。次から次へと湧き起こる問題。増えていく一方の傷病者と落伍者。逃避行ってのは、なかなかに消耗するものだねぇ」
それは愚痴だった。「喰う寝る遊ぶ、その合間が人生」がモットーの伊丹にとって、現状がいつまで続くか分からないことは苦痛以外の何物でもないのだ。
疲労。人々の悲壮な表情。餓えと渇き。赤ん坊の悲鳴にも似た泣き声。余裕をなくして苛立つ大人達。事故によって流される血液。照りつける太陽。落とす間もなく靴やズボンにこびりついていく泥、泥、泥。
ぬかるみにはまって動けなくなってしまう馬車。その傍らで座り込んでしまう一家。しかし村人達には為す術がない。彼らには落伍者を無感動に見捨てていくことしか出来ないのだ。助けようにも精神的にも体力的にも余力がなかった。「せめて我が子を……」と通りゆく荷馬車に向けて赤子を捧げる父親。
キャラバンからの落伍は死と同義だった。乏しい食料、水。野生の肉食動物。盗賊。そんな危険の中に身を曝して生き続けることは難しい。
見捨てるのが当たり前。見捨てられるのも当然。生と死はここで切り分けられてしまう。それが自然の掟だった。
誰か助けて。
その祈りに力はない。
誰か助けて。
神は救わない。手をさしのべない。ただ在るだけだった。
誰か……誰か誰か。
神は暴君のように命ずるだけ。死ねと。
だから、人を救うのは人だった。
動けなくなった馬車に緑色の衣服をまとった男達が群がった。ただ、脱輪しただけならば助けようはあると言う。
「それっ、押すぞ!!」
「力の限り押せ~、根性を見せて見ろっ!!」
号令に全員が力を込める。泥田のような泥濘から馬車が救われ、再び動けるようになると、男達は礼の言葉も受け取ろうともせず、馬を使わない不思議な荷車へと戻っていく。
村民達は思う。彼らはいったい何なのだ、と。
この国の兵士でもない。
村の住民でもない。
ふらっとやってきて、村に近づく危機を知らせ、そしてこうして逃避行を手伝う。気前が良いと言うよりは、人の良すぎる不思議な笑みを顔に張り付かせている異国の人間達。そんな印象が村民の一部に残った。
それでも馬車が荷物の重みに耐えかねて、壊れてしまった場合の彼らは冷酷だった。
荷物を前に呆然と立ちつくす村人の元に、緑色の男達の長と村長がやって来る。
そして村長から、背負えるだけの荷物を選ぶように説得される。荷物を棄てるなど村人達の考えもしないことだった。荷物とは口を糊するための食料であり、財産だ。これらなくしてどうして暮らしていけと言うのか? だが、村長はそれでもと荷物を棄てるように告げる。嫌々ながら、緑色の服をまとった連中の言葉を伝えさせられているという態度だった。そして未練が残らないようにと火を放つことを強いられる。家財が燃え上がってしまえば、もう歩きだすしかない。明日はどうするのか? あさっては? 全く希望の見えない状況で、泣く泣く歩くしかないのだ。
今やキャラバンには荷車の列と、徒歩の列とが出来ていた。そして時間の経過とともに徒歩の列が増え、荷車の列は減りつつある。
黒川は伊丹に尋ねた。
「どうして火をかけさせるのですか?」
「荷物を前に全く動こうとしないんだもの。それしかないでしょう?」
「車両の増援を貰うというわけにはいかないのでしょうか?」
自衛隊の輸送力なら、この程度の村民を家財ごと一気に運んでしまうことは簡単なのだ。
だが、伊丹は困り顔をすると後頭部を掻く。
「ここは一応、敵対勢力の後方に位置するんだよね。力ずくで突破すれば出来ないこともないよ。でも、俺たち程度の少数なら見逃しても、大規模な部隊が自分たちのテリトリーの奥に向かって移動を開始したら、敵さんもそれなりに動かざるを得ないと思うんだよね。偶発的な衝突。無計画な戦線の拡大。戦力の逐次投入。瞬く間に拡大する戦禍。巻き込まれる村民達。考えるだけでゾッとしちゃうってさ」
そんな伊丹の言葉に、黒川は苦笑を返す。伊丹が一応は上に向かってお伺いは立てたのだということが、その言葉から知れたからだ。
「だから、俺たちが手を貸す。それぐらいしか出来ないんだよ」
伊丹の言葉に黒川も頷かざるを得なかった。
コダ村の避難民のキャラバンがその場所を通りかかったのは、太陽があと少しで最も高いところに昇るという頃合いだった。
キャラバンの先頭を行く第三偵察隊の高機動車。しかし、その速度は歩くのとそう大差なかった。なにしろ徒歩の村人と、驢馬や農耕馬の牽く荷車の列だ。歩くだけの速度でも出ていればまだマシと言えるかも知れない。
「しっかし……もうちょっと速く移動できないものですかねぇ」
倉田三等陸曹が愚痴った。
「こんなに遅く走らせたのは、自動車教習所の第一段階の時以来っすよ」
迂闊にアクセルを踏み込むと、たちまちキャラバンを引き離してしまう。倉田はオートマのクリープ現象を利用してアクセルはほとんど踏み込まず、両手もただハンドルを支えるだけにしていた。
バックミラーには、バックレストにしがみつくようにして前を見ている子どもの姿が映っていた。既に、高機動車の荷台は疲れて動けなくなった子どもや、怪我人でいっぱいなのだ。すぐ後ろを走る七三式トラックも、狭い荷台に怪我人や身重の産婦が載っている。もちろん、危険な武器や弾薬、それと食料といったものは軽装甲機動車に移した。
伊丹は航空写真から起こした地形図を見て、双眼鏡を右の地平線から左へと巡らせる。地形と現在位置を照らし合わせて、これまでの移動距離を積算して、残余の距離を目算する。道のりばかりでなく、高低差、川や植生といった情報も重要だ。
「妙に、カラスが飛び交ってますよ」
倉田の言葉に「そうですねぇ」などと適当に答えながら再び前方に双眼鏡を向けると、カラスに囲まれるようにして少女が路頭に座り込んでいるのを見つけた。
「ゴスロリ少女?」
それは、ちょっとしたイベントとか繁華街……例えば原宿などで目にする機会の増えた服装である。その定義については諸説紛々であるが、伊丹はこの少女の服装を黒ゴスであると認識した。
年の頃十二~十四歳。見た目も麗しく、まさに美少女であった。
そんな少女が荒涼たる大地の路頭に座り込んでいる。黒曜石のような双眸をじっとこちらへと向けていた。
「うわっ。等身大の球体関節人形?」
倉田も双眼鏡をのぞき込んで呻く。
その少女はそれほどまでに無機的な、そして隙のない造形をしていたのだ。
とはいえ、倉田が求めるように車を駆け寄らせて少女を眺めるわけにもいかない。コダ村のキャラバンは同人誌即売会入場口に向かう一般列のごとく遅々たる動きであり、このまま高機動車が少女に近づくには時計の秒針が五回転するほどの時間を必要とすると思われる。
そこで伊丹は、勝本や東といった隊員を徒歩で先行させて、話しかけさせることにした。
服装から見ると、この近くの住民と考えるよりは、銀座事件の時に連れ去られた日本人と考えた方が納得がいくように思えたからだ。
だが勝本や東が話しかけても少女とのコミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。座り込んだ少女に職務質問をする新人警察官。そして、それを無視する家出少女みたいな感じになってしまっていた。
キャラバンが少女のもとにたどり着くと少女は待ちくたびれたかのように立ち上がり、ポンポンとスカートの砂埃を払った。そして、やたらとでかい鉄の塊とおぼしき槍斧を軽々と抱え高機動車に並んで歩き始める。
「ねぇ、あなた達はどちらからいらしてぇ、どちらへと行かれるのかしらぁ?」
少女が発したのは現地の言葉であった。
もちろん、言葉に不自由な伊丹達が答えられるわけもない。辞書代わりの単語帳をひらいたりしながらどうにか片言で通じる程度だ。東も勝本も肩をすくめ、とりあえず歩き出す。
コミュニケーションの空白を埋めたのは、高機動車の席の間隔が広く取られているのを利用して、倉田と伊丹の間に座り込み、前を見ていた七歳前後の男の子だった。
「コダ村からだよ、お姉ちゃん」
「ふ~ん? この変な格好の人たちはぁ?」
「よく知らないけれど、助けてくれてるんだ。いい人達だよ」
少女は、歩行速度で進む高機動車の周囲を、一周する。
「嫌々連れて行かれているわけじゃないのねぇ?」
「うん。炎龍が出たんだ。みんなで逃げ出してきたんだよ」
伊丹達は外人同士の会話を分かったような分からないような表情で聞いている典型的な日本人の態度をとるしかなかった。
とりあえず東と勝本には列の後方で村人のケアをするように指示して、少女から情報をとるのは直接自分ですることに決める。単語を確認して、話しかけるつもりで男の子と少女との会話が切れるのを待った。
「コレ。どうやって動いてるのかしらぁ?」
「僕が知りたいよ。この人達と言葉がうまく通じなくてさ……でも、荷車と比べたら乗り心地は凄く良いんだよっ!」
「へぇ~、乗り心地が良いのぉ?」
すると黒ゴス少女は、コラコラコラと制止する間もなく、ズカズカと伊丹の座る助手席側から高機動車に乗り込んでしまった。もちろん、伊丹の膝の上を跨ぎ越えてだ。運転席や助手席のドアがなく、開け放たれていることが災いしたのかも知れない。
高機動車は大人が十人は乗れる。
前席は正面を向き、後席は左右から中央に向かって座るように椅子が配置されている。その中央は装備などを置くため十分な広さがあって、現状のように道交法を無視できるのであれば、子どもだけなら無理矢理に二十人近くは乗ることが可能なのである。
しかし、そうだとしても、荷物もあり子どもや老人も既に多く、朝の通勤ラッシュに近い状態だ。そんな車内に「ちょっと詰めて」などと言いながら乗り込んで来る少女は、村人達からも歓迎されなかった。あからさまに苦情を言わないが皆迷惑だなぁという表情で迎えた。
「ちょ、ちょっと。狭いよおねぇちゃん」
「ん~ちょっと待っててぇ」
ただでさえ窮屈なのに、長物を持ち込もうとしているのだ。
ハルバートは長い。そして重い。上手く車内に収めようとして、縦にしたり横にしたり、誰かの頭や顔やらにゴチゴチとぶつけてしまった。結局、皆が窮屈な思いをしながら身をちょっと寄せたり動かしたりして、車内の床に転がすように置くこととなった。
その上で、自分自身がどこに座ろうかということで腰のおろし場所を探すのだが、どこにもない。仕方なく、黒ゴス少女が腰をおろす場所として選んだのは、御者という訳ではなさそうなのに、なんだか一人だけ前方の良い席に座っている男の膝であった。
「ちょっと、待て」
乗り込んで来る段階から唖然として対応に困っていた伊丹である。
黒ゴス少女を制止しようとしたが、うかつに手を出して危険な箇所を触ったりしたらセクハラやらなんやらと言われて、えらいことになりそうな予感がしてつい手を引っ込めてしまった。しかも言葉も通じない。「ちょっと待てって!!」「あちこち触るな」「小銃に触るな、消火器に触るな」「とにかく降りろって」「わぁっ、危ないものを持ち込むな」と日本語で、いろいろと怒鳴ったり抗議したりするのだが、馬の耳に念仏というか、蛙の面になんとやらという感じで完璧に無視されていたのだ。
そこに来て少女が、ちょこんと腰をおろしたのは自分の膝。
「ちょっと待て!」と言わないわけには行かない事態である。
一方が押し退けようとすれば、一方はせっかく確保した居場所を奪われまいとする低級な紛争が勃発する。
「●×△、□○○○!!!!!」
「△□×¥!○△□×××!!」
こうして、言葉を介さない苦情と抵抗と強引さのやりとりのあげく、伊丹がお尻の半分をずらして席の右半分を譲ることで、どうにか落ち着くこととなったのである。
コダ村の中心から少しばかり離れた森の中に小さな小さな家が、一軒立っている。
サイズとしては、六畳間ふたつの2DK程度。平屋で、小さな窓がふたつ。窓ガラスというものが存在しないこの地では、採光と通風が目的の窓も、構造的な理由から総じて小さめにつくられる。
日干し煉瓦を積み上げた壁には蔦が這っている。
天を覆う樹冠からの木漏れ日で、周囲は柔らかに明るいため、建物からは瀟洒な感じがして、なかなかに素敵な雰囲気だった。
その家の前には馬車が停められている。荷台には木箱やら、袋やら、紐で結わえられた本やらが山のごとく積み上げられていた。
傍らで草を喰んでいる驢馬がその荷馬車を引くとするなら、ちょっと多すぎるんじゃないか? と尋ねたくなる。それほどまでの荷物量だった。
その山のような荷物を前にして、さらに一抱えもあるような本の束をどうやって載せようかと苦心惨憺している者がいる。
年の頃十四~五といった感じで貫頭衣をまとったプラチナブロンドの少女だった。
「お師匠。これ以上積み込むのは無理がある」
最早どこをどう工夫しようと、手にした荷物は載りそうもない。少女は、その事実を屋内へと冷静な口調で伝えた。
「レレイ! どうにもならんか?」
窓から顔を出した白いひげに白い髪の老人は、「まいったのう」と眉を寄せた。
「コアムの実と、ロクデ梨の種は置いていくのが合理的」
レレイと呼ばれた少女は、腐る物ではないのだから……と、荷馬車から袋を一つ二つ下ろす。そして、空いたスペースに本の束を載せた。
コアムの実もロクデ梨の種も、ある種の高熱疾患に効能のある貴重な薬だ。だが、その高熱疾患自体、あまり見られるものではないので、今日明日必要になるということもない。また稀少とは言っても、手に入らないものでもないから、失ったら取り返しのつかなくなる貴重な書物を優先するべきなのだ。
白髪の老人は袋を受け取ると、肩を落とした。
「だいたい炎龍の活動期は五十年は先だったはずじゃ。それがなんで今更……」
エルフの村が炎龍に襲われて壊滅したという知らせは、瞬く間に村中に走った。
これが普通ならば着の身着のまま逃げ出さなければならないところであった。だが、今回に関しては通報が早かったため、荷物をまとめるだけの時間があった。その為に村全体が、逃げ出す支度で大騒ぎしているのである。
老人はぶつくさ言いながらも、レレイの下ろした袋を小屋へと戻した。寝台の下に隠し扉があり、そこに仕舞い込もうという心づもりなのである。
その間にレレイは驢馬を引いてきて荷馬車とつないだ。
「師匠も早く乗って欲しい」
「あ? 儂はおまえなんぞに乗っかるような少女趣味でないわいっ! どうせ乗るならおまえの姉のようなボン、キュ、ボーンの……」
「………………」
レレイは冷たい視線を老人にむけたまま、おもむろに空気を固めると投げつけた。空気の固まりとは言っても、ゴムまりみたいなものだが、次々とぶつけられるとそれなりに痛い。
「これっ! 止めんかっ! 魔法とは神聖なものじゃ。乱用する物ではないのじゃぞ! 私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじゃって……やめんか!」
……………おほん。
「余裕があると言っても、いつまでもゆっくりしていられるわけではない。早く出発した方が良い」
「わかった、わかった。そう急かすな……ホントに冗談の通じない娘じゃのう」
老人は杖を片手に、レレイの隣によっこらせと乗り込む。レレイは冷たい視線を老人に向けたまま語った。
「冗談は、友人、親子、恋人などの親密な関係においてレクレーションとして役に立つ。だけど、内容が性的なものの場合、受け容れる側に余裕が必要。一般的に、十代前半思春期の女性は性的な冗談を笑ってかわせるほどの余裕はない場合が多い。この場合、互いの人間関係を致命的なまでに破壊するおそれもある。これは大人であれば当然わきまえているべきこととされている」
老人は弟子の言葉に、大きなため息をひとつついた。
「ふぅ~疲れた。年はとりたくないのぅ」
「客観的事実に反している。師匠はゴキブリよりしぶとい」
「無礼なことを言う弟子じゃのう」
「これは、幼年期から受けた教育の成果。教育したのは主にお師匠」
身も蓋もないことをレレイは告げる。そして驢馬に鞭をひと当てした。
驢馬はそれに従って前に進もうとする。ところが荷台のあまりの重さからか馬車はピクリとも動かなかった。
「………………」
「………………オホン。どうやら荷物が多すぎたようじゃのう」
「この事態は予想されていた。かまわないから荷物を積めと言ったのはお師匠」
「………………」
レレイは黙ったまま、馬車からピョンと飛び降りた。
動かない馬車にいつまでも乗っているくらいなら歩いた方がマシだと判断したのだろう。
「おお! レレイは、気の利くよい娘じゃのう。いつもこんな調子ならば、嫁のもらい手は引く手数多じゃろうにのぅ、惜しい事じゃ。ホントに惜しい事じゃ」
老人はそう言うと、レレイから手綱を受け取った。そして、驢馬に鞭をひと当て。驢馬も頑張っているが、やはり動かなかった。
レレイはちらりと車輪に目をやった。車輪は地面に三分の一程めり込んでいる。このままでは決して動くことはないだろう。
「お師匠。馬車から降りるのに手が必要なら言って欲しい」
「し、心配するでない。儂らにはこれがあるではないか?」
老人が杖を掲げると、レレイは日頃から口うるさい師匠の口調を真似て見せた。
「魔法とは神聖なものじや。乱用する物ではないのじやぞ。私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじや……」
老人は、額に漫画的な汗を垂らすと言い訳を試みる。
「儂らは魔導師じゃ。ただ人のごとく歩く必要はないのじゃよ」
しかし、レレイの温度を全く感じさせない視線は決して和らぐことはなかった。
老人の口は「あー」の形状で固まったまま呪文がなかなか出てこない。
「………………」
教育者としての矜持とか、いろいろなものがその胸中で葛藤しているのだろう。老人が次の動きを見せるまでしばしの時間が必要だった。やがて情けなさそうな表情をはりつけた顔をレレイへと向ける。
「す、すまんかった」
「いい。師匠がそういう人だと知っている」
レレイとは、そういうことを口にする身も蓋もない娘であった。
魔法を使うことで重量が軽くなれば、荷物山盛りであっても驢馬の力で容易に引くことが出来る。こうしてレレイと師匠の乗った馬車は、長年住み慣れた家を後にしたのである。
村の中心部に向かう中、あちこちの家でレレイ達同様、馬車に荷物を積み込む者の姿が見られた。農作業用の馬車や荷車、あるいは馬の背中に直接荷物をくくりつけている者までいる。
レレイは、そんな村人達の姿を、観察するかのようにじっと見つめていた。
師匠は語りかける。
「賢い娘よ。誰も彼もが、お前の目には愚かに見えることじゃろうなぁ」
「炎龍出現の急報に、これまでの生活を捨てて逃げ出さなくてはならなくなった。だけど、避難先での生活を考えれば、持てる限りの物を持って行きたいと考えるのは、人として当然のことと言える」
「人として当然とは、結局の所、愚かしいと言うことであろう?」
「…………」
レレイは、師匠の言葉を否定できなかった。
本当に命を大切に思うのであれば、与えられた時間を使って、より遠くへ逃げるべきではないだろうかと考えるからだ。なまじ余裕があるばっかりに、荷物をまとめるのに時間を費やしてしまっている。これによって結局は出発時間が遅れる。さらに重い荷物は移動速度を低下させる。炎龍に追いつかれてから荷物を捨てても、もう遅いのだ。
そもそも、人は何故生き続けたいなどと考えるのか。人はいずれ死ぬ。結局は遅いか早いかでしかない。ならば、わずかばかりの生を引き延ばす行為にどんな意味があると言うのだろう。
レレイはそんな風に、物事を理屈で割り切った考え方をしてしまう。そしてそんなレレイを老人はどのような言葉を持って諭せばよいのかと悩むのである。
村の中心部にさしかかると、道は馬車の列で渋滞が出来ていた。
「この先は、いったいどうなっているのかね?」
いつまでも動かない馬車の列に苛立ってか、師匠は進行方向から来た村人に声をかけた。
「これはカトー先生。レレイも、今回は大変なことになったね。実は、荷物の積み過ぎで、車軸がへし折れた馬車が道を塞いでいるんです。みんなで片づけてますが、しばらく時間がかかりますよ」
引き返して別の道を選ぼうにも、既に後続の馬車が塞いでいて、行くも戻るも出来なくなっていた。
師匠と村人が話している中、レレイは後方から見慣れない姿の男達が、これまで聞いたこともない言葉で騒ぎながらやって来ることに興味を引かれていた。
「避難の支援も仕事の内だろ。とにかく事故を起こした荷車をどけよう! 伊丹隊長は村長から出動の要請を引き出してください。戸津は、後続にこの先の渋滞を知らせて、他の道を行くように説明しろ! 言葉? 身振り手振りでなんとかしろ! 黒川は事故現場で怪我人がいないかを確認してくれ」
見ると、緑色……緑や濃い緑、そして茶色のまざった斑模様の服装をした男達だった。
いや、女性らしき姿もある。兜らしいものを被っているところをみると、どこかの兵士だろうか? だが、それにしては鎧をまとっていない。レレイの知識にない集団のようだ。
何を言っているのかよくわからないが、初老の男に指示された男女が凄い速度で走っていく。
その様子を見ると、はっきりとした指揮系統らしきものがあるようだった。禍々しい暴力を、規律という名の鞘に仕舞い込んだ軍事組織の気配がある。
レレイは師匠に「様子を見てくる」と告げると、馬車を降りた。
馬車十五台程先に、事故を起こした馬車があった。
車軸が折れて馬車が横転している。驚いた馬が走り回って暴れたらしい、撒き散らされた荷物と、倒れている男性、そして母子の姿があった。馬も倒れて泡を吹いているが、まだ起きあがろうとして無闇に四肢を振り身を捩っている。そのために、村人達が助けに近づこうにも近づけないのだ。
「君。危ないから下がっていて」
緑色の服の人達。
何を言われているのかよく分からないが、手振りからしてレレイに下がっているように言っていることは理解できた。
だがレレイは倒れている母子も怪我をしていることに気付くと、制止を振り切って、駆け寄った。傍らで馬が暴れているが気にしない。
「まだ生きている」
レレイよりちょっと下。十歳ぐらいの子どもを診ると、頭を打ったようで顔や手足から血の気が失せてぐったりとしている。その上まるで栓を開けたみたいに汗を掻いて身体が冷えていこうとしている。
母親は、気を失っているようだが大したことはない。子どもが一番危険な状態だった。
「レレイ!! 何をしている!? 何があった?」
呼ぶ声に振り返ると村長だった。やはり緑の服の人と一緒だ。事故の知らせを受けて駆けつけてきたのだろう。
「村長。事故。多分荷物の積み過ぎと荷馬車の老朽化。子どもが危険、母親と父親は大丈夫と思われる。馬はもう助からない」
「カトー先生は、近くにいるのかね?」
「後ろの馬車で焦れてる。わたしは様子を見に来た」
ふと見ると、緑の服をまとった長身の女性がレレイと同じように子どもの様子を診て、誰かに伝えていた。その手際の確かさは体系的に医学を学んだ者の気配があった。そして村長の隣にいる三十代くらいの男が全体への指示を出している。
突然、悲鳴が上がる。
「危ない!!」
バンバンバン!!
突然の炸裂音にびっくりして振り返ると目に入ったのは、暴れていた馬が、レレイに覆い被さるようにドウッと倒れるところだった。紙一重のところで巻き込まれずに済んだが、あとほんの少しずれていたらレレイの十人分はある馬体に、彼女は押しつぶされていただろう。
レレイに分かったのは、どうやら緑の服の人たちが、暴れる馬から自分を守るために何かしたということだけだった。
* *
大陸諸国から帝国に集まった軍勢が、一夜にして姿を消した。
それは日本ならば新聞の一面トップ、あるいはバナー広告一行目にとりあげられるような出来事であろう。だがこの世界、この特地の民にとって、軍がどこに行こうとどうなっていようと関係のない話だった。戦争に負けたとしても、支配者が代わるだけ。人々の生活になんら変化を起こすものではないのだ。
これと言うのも常にどこかの国と戦争をしているという状態が続いて来たせいである。戦争に勝ったり負けたり、領地を奪ったり奪われたり。領主がコロコロと代わり、仰ぐ旗がコロコロ代わる。そんなことが続けば、我々の言うところの愛国心など育まれるはずがないのだ。
そんな世界では、自分の住んでいる土地とその周辺が戦場になるのでない限り、あるいは自分の家族が兵士として戦場に赴いているのでない限り、市井の民が国の動静に関心をはらうことはほとんど無いのである。
それでも、ここ最近は人々の生活に影響が表れ始めていた。
それは、盗賊の跳梁である。
この世界の支配体制では、兵士や騎士の存在があったとしても、盗賊を抑える効果はそれほどない。なぜなら、貴族や騎士の主たる任務に治安の維持は含まれていないからである。
彼らの役割と関心は「支配する」ことにある。騎士や貴族は税金と称して民から奪う。盗賊らは名目がないけど奪う。どちらも無理矢理で、拒否したら暴力を振るう。本質は同じで、大した違いはないのだ。
もし、貴族や騎士が盗賊を退治したとしても、それは牧童が自分の羊を守るために、たまたま自分の視界に入った狼を追い払う程度のことでしかない。身も蓋もない言い方だが、民衆の安全に気を配ることは義務ではなく、奨励される善行のひとつに過ぎないのだ。
死にもの狂いになって刃向かってくる盗賊を追って命を落とすかもしれないとなれば、貴族や騎士達が熱心に戦うなどまずあり得ない。これは、とりわけ珍しいことではない。かつての日本でもそれは同じことで、野盗に狙われた農村が七人の用心棒を雇う映画の状況設定が成立するのも領主があてにならないからだ。
とはいえ、在郷の騎士や兵士が激減したという事実は、盗賊の喜ぶ状況だった。
これまでは、こそこそと行っていた野盗行為を堂々と行えるようになったのだから。
そして、獲物がいなくなったら困るので、根こそぎ狩ったり奪ったりしない……というのは智恵のある狩人の仕事である。それと類似するのが盗賊行為であるが、そもそも智恵のある人間が盗賊に身を落とす例は少ないので、盗賊の大部分は陰惨を極める仕事の仕方をする。
例えば近くにドラゴンが出たために、とある村から逃げ出すことになった一家だ。
男は、農耕馬に馬車を引かせると、家財一切合切と妻三十二歳と娘十五歳を乗せて村を出た。
こうした逃避行では、野生の草食動物がするように……例えば野牛やシマウマのように、キャラバンを組んで移動するのが常である。だが、そんな悠長なことをしているとドラゴンに襲われるかも知れないという恐怖が先にたった。
だから村人達が止めるのも聞かず、一家だけで村を出たのである。
運悪く盗賊が現れたのは、村を出て二日目の夕刻だった。
男は、農耕馬をひたすら鞭打ったが、荷物満載の馬車がそんなに速く走れるはずもない。抵抗らしい抵抗をすることも出来ず、一家は騎乗の盗賊達に取り囲まれてしまった。
男はあっさりと殺され、家財と、妻と娘を奪われたのだった。
夕闇の中。十数名の盗賊達は火を囲んで、獲物を得た喜びに一時の享楽を味わっていた。
獲物の中には金品ばかりでなく一家が当面の暮らしを保つための食料もあった。これで腹を満たす。母娘を犯すのは順番待ちだが、盗賊でも主立った立場にいる者は早々に獣欲を満たして、いい気分で酒を味わっていた。
「お頭、コダ村だそうですぜ」
炎龍の出現によって村中が逃げ出している。荷物を抱えていて足が遅い。たいした脅威もない。これを襲ってはどうか? 襲わない手はない。襲いましょう。奪いましょう。
配下の言葉に、頭目はニンマリとほくそ笑んだ。実に良いアイデアだ。そうしよう。彼はそう考えた。だが……。
「手が足りねぇぞ」
二十人に満たない自分の配下では、村丸ごとのキャラバンは獲物が大きすぎる。
「それですよ。あちこちに、声をかけて人を集めるんでさぁ。そうすれば今まで出来なかったような大仕事が出来ますぜ」
これは手下を集める良いきっかけとも言えた。
頭数が揃えば、村や町を襲うことも出来る。うまくやれば、領主を追い出して自分が領主に成り上がることだって出来るかも知れない。
野盗から領主へ。その日暮らしの盗賊稼業から、支配者へというしばしの夢、刹那の夢に浸る。
名もない盗賊の頭目。彼にとって幸福を夢見た瞬間が、人生の終わりだったのは幸せだろうか。それとも不幸だろうか。
ゴロッと首の上から、頭が地に落ちる。
ゴロゴロと大地を転がり、たき火の側で止まった。
ジュと髪が焦げて独特の臭いが立ち上がった。
生理学的には、人は首を切られても数秒は意識があると考えられている。とすれば、彼は自分の頭が大地を転がる瞬間を体験しただろう。視野が回転し、何が起こったのか理解する前に、自分の身体であった物体が首から血液を噴出させながらグラッと倒れる瞬間を眺めるのである。
そして、急激に暗くなっていく視野の向こうに、自分の赤い血を浴びる長い黒髪の死神を見たのである。
その少女を見た者は誰もが最初に「黒い」と思う。
抜けるような白い肌に漆黒の髪、黒い衣装。そして、その瞳は底のない闇のごとく黒かった。
ビュンという風切り音とともに、盗賊の首が飛ぶ。
手にした武器は、重厚なハルバート。
重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器だ。断じて小柄な少女が振り回してよいものではない。フリルで飾った服をまとった少女が手にしてよいものでもない。それを柳のような細い腕と、白魚のような細い指で振り回すのだから非常識にもほどがある。
どすっと重い鉄斧を肩に載せて、丸い息を「ほっ」と吐いた。
少女の周囲には野盗であった死体が累々と横たわっていた。
「クスクスクス………。おじさま方ぁ、今宵はどうもありがとう」
スカートをつまみ上げて、ちょこんと一礼。
年の頃は見た目では十三歳前後。優美さと、気品のある所作からは育ちの良さが感じられた。その顔は笑顔をたたえている。だが、目だけが笑っていない。黒い瞳の中に浮かぶ闇はどこまでも深い虚無だった。
「生命をもってのご喜捨を賜りホントにありがとう。主神にかわってお礼を申し上げますわねぇ。神はあなた達の振るまいがたいそう気に入られてぇ、おじさま方をお召しになるっておっしゃられてるのぅ」
「………な、なんでぇ! てめえはっ!」
まだ生きている野盗達の中には、腸に氷を詰められたようなぞっとする重さの中でも、なんとか虚勢を張ることができた者もいた。この際、声を出すことが出来ただけでも褒めてやるべきだろう。
「わたしぃ?」
くすりと愛らしくほほえむ。
「わたしはロゥリィ・マーキュリー。暗黒の神エムロイの使徒」
「エムロイ神殿の神官服? ……じ、十二使徒の一人。死神ロゥリィ?」
「あらぁ、ご存じなのぉ? クスクスクスクス……それで正解よぉ」
コロコロと嗤う少女を前にして、野盗達は一斉に逃げだした。
荷物もなにもかもうち捨てて死にもの狂いになって走り出す。
じょ、冗談じゃねぇ。使徒なんかとまともにやり合えるかっ!
魂の叫び、命の叫びをそれぞれにあげながら、懸命に死の淵から逃れようとする。
「だめよぉ。逃げてはいけないのよぉ」
ロゥリィが跳んだ。自分の体重の何倍もあるような巨大な鉄塊を抱え、どう猛な肉食獣の身のこなしで、盗賊達に襲いかかる。
ハルバートが盗賊の頭をスイカのようにかち割ると、周囲にミンチ状の肉片がまき散らされた。
「ひぇ、あわっ……ひっ」
腰が抜けた男の前に、ゆらぁりと立つロゥリィ。重たいハルバートをよいしょと担ぐと、足下をちょっとふらつかせながらも、高々と掲げあげる。
彼女の白い肌は、返り血で真っ赤に染まっていた。
「うふふ……神様はおっしゃられたのよぉ。人は必ず死ぬのぉ。決して死から逃れることは出来ないのぉ」
振り下ろされる斧に続いて、断末魔の悲鳴が響くのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……なんだって、エムロイ神殿の神官がこんなところに」
男は我が身に訪れた不幸を恨みながら、走っていた。
遠くから仲間の絶叫が聞こえる。また一人、死神に命を刈り取られたようだ。
「くっ、くそっ」
夜の荒野だ。道などない。窪みがあり、岩が転がって、荊が群生し、灌木が立ちふさがっている。男は、転び、のたうち回りながら、泥と汗とにまみれ、あちこちをすりむき、服を破きながら、這うように、あえぐように走った。
またしても、絶命の悲鳴がこだました。
ぬかるみにはまり込み、滑って転ぶ。
身体を地面にうちつけて、男は拳で大地を打った。
「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉっ、なんで俺がこんな目にっ!」
「あらぁ。十分楽しんだのではなくてぇ?」
トンという足音。
それに続く鈴を鳴らしたような声に、はっと見上げる。すると銀色の月を背景に、黒い少女が立っていた。
「あなた、イイ思いをしたのではなくてぇ? 人を殺したのではないのぉ?」
男の開いた脚の間……股間すれすれにズトンと、大地を割らんばかりにハルバートが突き刺さった。
「ひ、ひっひ、ひ、お、俺はまだやってねぇ!!」
「あらぁ、ホントぉ?」
「ホントだよ! 仲間にしてもらって、これが初めての仕事だったんだよぉ! 女だって、俺は新米だから最後だって言われて、まだ指一本触れさせて貰ってねぇんだ!」
「ふ~~ん?」
ロゥリィはのぞき込むようにして、男を値踏みした。
「他のおじさま達は、み~んな、エムロイの神に召されたわよぉ。あなた独りじゃ寂しいんじゃなくてぇ?」
男はぶるぶると首を振った。寂しくない、寂しくない。
「でもぉ、独りだけ仲間はずれなんて、いい気分じゃないわぁ」
「いや、是非仲間はずれにしてくださいっ!」
男は祈るように願った。
ロゥリィは、ゾロリとした刃物のような冷たい目で男を見下ろす。
「どうしよぅかなぁ~」
言いながら、ロゥリィはポンと掌を拳で打つ。
「そうだわあ。良いこと考えたのぅ。まだ、何もしてないなら。今からでもすればいいのよぉ」
そう言って黒い少女が男の片足をむんずと掴みあげた。
それは華奢な見た目からは信じられないほどの怪力だった。
「るるんらっ」と鼻歌を歌いながら、雑巾かモップでも引きずるような感じで男を引きずる。
「いでで、やめっ! ごふっ!! あつっ」
石や砂利の転がる荒れ地だ。汗まみれの男の身体は、皮膚が破れ、溢れ出る自らの血でさらにまみれた。
「あなた、お母さんと、娘さんとどっちが好み?」
「いやだぁ! 止めてっ!! ぐへっ、ごっぽっ……」
「遠慮なんかしてはいけないのぉ。これが最期なんだしぃ、お相手していただけるように頼んであげるわよぉ」
ロゥリィは男の足をつかんだままぶんっと腕を振った。
男は、うち捨てられた人形のように不格好に横たわる母娘のところでドサッと転がる。
「さぁ、はじめるとよいのよぉ。あなたの順番よぉ」
男は、首をブルブルと小刻みに振る。
一糸も纏わない姿の母娘二人は、暴行を受けていた姿勢そのままに両足が広げられ、両腕は万歳するかのように上げられていた。身動き一つせず横たわっていて、見ると呼吸も止まっていた。
「あら困ったわね。こちらの二人も、もう召されてしまったようだわ」
暴行をうけている間に、命に関わるような傷を負わされたのかも知れない。
「間に合わずにごめんなさいね」
ロゥリィは母娘に瞑目して頭を少し下げた。その上で男に微笑む。
「でも、折角だからぁ。やったらぁ?」
男の股間が濡れて、周囲に水たまりが広がっていった。
04
盗賊の青年は、涙を流しながら許しを請い続けた。
地を這いずり、手を組んで祈るように。涙と鼻水を流しながら慈悲を請う。自分はまだ直接には罪を犯していない。まだ手を汚していない。生活苦のために、盗賊に身を落とすしかなかった。反省して、心を入れ替えて、これからは真面目に働く等々。
ロゥリィはその醜態に嘆息した。
汚物を見ることを厭うかのように顔を背ける。その見苦しさに、視線を向けたが最後、自らが汚されてしまうかのような気分になったのだ。
まず大前提がある。それは、ロゥリィの考えでは、人を殺すことは罪ではないということなのだ。大切なことは、何故、どのような目的で、そしてどのような態度でそれを為したかなのだ。
これこそロゥリィの仕える神の教えでもあった。
盗賊や野盗が、人のものを盗むことの何が悪いのだろう。
兵士や死刑執行人が、敵や死刑囚を殺すことの何が悪いのだろう。
そういうことなのだ。
ロゥリィの仕える神は善悪を語らない。
あらゆる人の性を容認する。人が生きるために選んだ職業を尊ぶ。そして、その職業なりの道を尊ぶ。だから、盗賊ならば盗賊として堂々としていればよい。そのかわり盗賊であるが故に、兵士であるが故に、戦場でそして法によって裁かれること等で、自らの命もまた奪われることを覚悟すべしと教えるのだ。
もし、この男が盗賊として胸を張ってロゥリィに相対したのであれば彼女はそれなりの尊敬を示したろう。神の使いの立場として、青年を愛したかも知れない。
だが、この男の態度たるやどうだろう。
まず、自ら手を汚していないという言い訳が許せない。実際に盗賊に参加し、数を頼む暴力集団の構成員となった以上、直接手を下したかどうかは全く関係がないのだ。
そして、生活苦のために盗賊に身を落とすしかなかったという言い訳がまた許せない。食べていけないのなら、飢えて死ねば良い。
才覚に乏しく運に見放され食べていくことが出来ないが、誰も傷つけたくない。故に、物乞いや路上生活者として生きるということを選択する者も居るのだ。その矜持をロゥリィは見事な覚悟と認めて愛する。
人として愚劣。男として低劣。まさに存在の価値なし。その見苦しさに、漆黒の使徒はその美貌をゆがめた。
ロゥリィは、冷厳に命じる。墓穴を掘るようにと。その数は三つ。
青年は、道具がないと応じたが、母親から頂いた両手があるでしょう? とロゥリィに論駁されてしまう。だから青年は荒野を引っ掻くようにして、穴を掘った。
ここは荒野だ。砂場や耕された畑に穴を掘るようには行かない。たちまち爪は剥がれた。皮膚はぼろぼろとなった。しかし、青年がその痛みに手を休めようとすると巨大なハルバートがつま先を削るようにして叩きつけられて、大地を抉った。
恐怖に駆られた青年は、一時の狂躁に苦痛を忘れ、砂礫と雑草の大地を削るようにして、必死で穴を穿つのだった。
やがて、一家の父親を埋葬した。
一家の母親を埋葬した。
そして一家の娘を埋葬する。
最早、感覚を失った掌で土を掬いあげて少女の墓に盛り終えた時、既に太陽は昇り、あたりは明るくなっていた。
男が仕事を続けたのは、これが、自らを見逃す条件であると思ったからだ。いや、そう思いたかった。思い込もうとした。そして男はお伺いをたてるかのように振り返ったのである。
「こ、これでいいか?」
渇きと飢え、そして疲労と両手の激痛とで息も絶え絶えとなっていた男は、見た。
神に祈りを捧げる少女、ロゥリィの姿を。
片膝をついて、両手を組み一心に祈る。彼女は神秘的な陽光に包まれ気高く美しく、見る者の呼吸すら押し止める。
喪服にも似た漆黒のドレスと長い黒髪。
白磁の肌。
古くなった血液のような、赤黒の口紅がぞっとするような笑みの形を描く。
祈りを終えた少女はゆっくりと立ち上がり、ハルバートを掲げあげた。そして身じろぎも出来ずにいる男へと向かって、神の愛と自らの信仰の象徴を振り下ろすのだった。
* *
コアンの森在住のエルフ、ホドリュー・レイ・マルソーの長女テュカは、自分は今、夢を見ていると思っていた。
寒冷紗がかかったような朦朧たる視野。そのなかで人間達が行き交う。
何が起きているのか? 感じ取り洞察しうる思考力が働かない。ただ、目に映る物、耳に入る音を受け容れるだけだった。
空に浮かぶ雲や目に映る風景が、時折流れるように動く。止まる。また、動き出す。それに伴って身体が揺すられる。
どうやら、荷車のようなものに載せられているようだった。
動いては止まる。また動いては止まる。
荷車の窓から見えるのは、荷物を背負い抱えた人間達が疲れ、そして何かに追い立てられるかのような表情で歩いている姿だった。
荷物を満載した荷車がガラガラと音を立てながら通り過ぎていく。
また動き出す。そしてしばらくして止まる。
暗かった壁が切り開かれて、そこから外の光が差し込んで来た。
眩しい……。
ふと、視界がぼんやりとした黒い人影で覆われた。
「Dou? Onnanoko no yousuwa?」
視界の外にいる誰かと何か会話しているようだが、聞き取ることも理解することも出来なかった。
「クロちゃ~ん。どう? 女の子の様子は?」
「伊丹二尉……意識は回復しつつありますわ。今も、うっすらと開眼しています」
そんな会話も、テュカにとっては意味を為さない音声でしかなかった。
高名な原型師が、最高の情念と萌え魂を込めて作り上げた、そんな造形の美貌と肌をもつ少女が、力無く横たわっている。流れる金糸のような髪をまとい、うっすらと開かれた瞼の向こうには、青い珠玉のような瞳が垣間見られた。
伊丹は少女のように見えるエルフ女性を眺め見て、これからの困難を思った。
熱は下がって安定。バイタル(心拍・呼吸数・血圧の標準値がどの程度なのかは分からないが、上がるでもなく下がるでもなく、安定していることは悪いことではないと黒川は語った)も安定しているとは言え、気をつかわないわけには行かない状態だ。
「遅々として進まない避難民の列。次から次へと湧き起こる問題。増えていく一方の傷病者と落伍者。逃避行ってのは、なかなかに消耗するものだねぇ」
それは愚痴だった。「喰う寝る遊ぶ、その合間が人生」がモットーの伊丹にとって、現状がいつまで続くか分からないことは苦痛以外の何物でもないのだ。
疲労。人々の悲壮な表情。餓えと渇き。赤ん坊の悲鳴にも似た泣き声。余裕をなくして苛立つ大人達。事故によって流される血液。照りつける太陽。落とす間もなく靴やズボンにこびりついていく泥、泥、泥。
ぬかるみにはまって動けなくなってしまう馬車。その傍らで座り込んでしまう一家。しかし村人達には為す術がない。彼らには落伍者を無感動に見捨てていくことしか出来ないのだ。助けようにも精神的にも体力的にも余力がなかった。「せめて我が子を……」と通りゆく荷馬車に向けて赤子を捧げる父親。
キャラバンからの落伍は死と同義だった。乏しい食料、水。野生の肉食動物。盗賊。そんな危険の中に身を曝して生き続けることは難しい。
見捨てるのが当たり前。見捨てられるのも当然。生と死はここで切り分けられてしまう。それが自然の掟だった。
誰か助けて。
その祈りに力はない。
誰か助けて。
神は救わない。手をさしのべない。ただ在るだけだった。
誰か……誰か誰か。
神は暴君のように命ずるだけ。死ねと。
だから、人を救うのは人だった。
動けなくなった馬車に緑色の衣服をまとった男達が群がった。ただ、脱輪しただけならば助けようはあると言う。
「それっ、押すぞ!!」
「力の限り押せ~、根性を見せて見ろっ!!」
号令に全員が力を込める。泥田のような泥濘から馬車が救われ、再び動けるようになると、男達は礼の言葉も受け取ろうともせず、馬を使わない不思議な荷車へと戻っていく。
村民達は思う。彼らはいったい何なのだ、と。
この国の兵士でもない。
村の住民でもない。
ふらっとやってきて、村に近づく危機を知らせ、そしてこうして逃避行を手伝う。気前が良いと言うよりは、人の良すぎる不思議な笑みを顔に張り付かせている異国の人間達。そんな印象が村民の一部に残った。
それでも馬車が荷物の重みに耐えかねて、壊れてしまった場合の彼らは冷酷だった。
荷物を前に呆然と立ちつくす村人の元に、緑色の男達の長と村長がやって来る。
そして村長から、背負えるだけの荷物を選ぶように説得される。荷物を棄てるなど村人達の考えもしないことだった。荷物とは口を糊するための食料であり、財産だ。これらなくしてどうして暮らしていけと言うのか? だが、村長はそれでもと荷物を棄てるように告げる。嫌々ながら、緑色の服をまとった連中の言葉を伝えさせられているという態度だった。そして未練が残らないようにと火を放つことを強いられる。家財が燃え上がってしまえば、もう歩きだすしかない。明日はどうするのか? あさっては? 全く希望の見えない状況で、泣く泣く歩くしかないのだ。
今やキャラバンには荷車の列と、徒歩の列とが出来ていた。そして時間の経過とともに徒歩の列が増え、荷車の列は減りつつある。
黒川は伊丹に尋ねた。
「どうして火をかけさせるのですか?」
「荷物を前に全く動こうとしないんだもの。それしかないでしょう?」
「車両の増援を貰うというわけにはいかないのでしょうか?」
自衛隊の輸送力なら、この程度の村民を家財ごと一気に運んでしまうことは簡単なのだ。
だが、伊丹は困り顔をすると後頭部を掻く。
「ここは一応、敵対勢力の後方に位置するんだよね。力ずくで突破すれば出来ないこともないよ。でも、俺たち程度の少数なら見逃しても、大規模な部隊が自分たちのテリトリーの奥に向かって移動を開始したら、敵さんもそれなりに動かざるを得ないと思うんだよね。偶発的な衝突。無計画な戦線の拡大。戦力の逐次投入。瞬く間に拡大する戦禍。巻き込まれる村民達。考えるだけでゾッとしちゃうってさ」
そんな伊丹の言葉に、黒川は苦笑を返す。伊丹が一応は上に向かってお伺いは立てたのだということが、その言葉から知れたからだ。
「だから、俺たちが手を貸す。それぐらいしか出来ないんだよ」
伊丹の言葉に黒川も頷かざるを得なかった。
コダ村の避難民のキャラバンがその場所を通りかかったのは、太陽があと少しで最も高いところに昇るという頃合いだった。
キャラバンの先頭を行く第三偵察隊の高機動車。しかし、その速度は歩くのとそう大差なかった。なにしろ徒歩の村人と、驢馬や農耕馬の牽く荷車の列だ。歩くだけの速度でも出ていればまだマシと言えるかも知れない。
「しっかし……もうちょっと速く移動できないものですかねぇ」
倉田三等陸曹が愚痴った。
「こんなに遅く走らせたのは、自動車教習所の第一段階の時以来っすよ」
迂闊にアクセルを踏み込むと、たちまちキャラバンを引き離してしまう。倉田はオートマのクリープ現象を利用してアクセルはほとんど踏み込まず、両手もただハンドルを支えるだけにしていた。
バックミラーには、バックレストにしがみつくようにして前を見ている子どもの姿が映っていた。既に、高機動車の荷台は疲れて動けなくなった子どもや、怪我人でいっぱいなのだ。すぐ後ろを走る七三式トラックも、狭い荷台に怪我人や身重の産婦が載っている。もちろん、危険な武器や弾薬、それと食料といったものは軽装甲機動車に移した。
伊丹は航空写真から起こした地形図を見て、双眼鏡を右の地平線から左へと巡らせる。地形と現在位置を照らし合わせて、これまでの移動距離を積算して、残余の距離を目算する。道のりばかりでなく、高低差、川や植生といった情報も重要だ。
「妙に、カラスが飛び交ってますよ」
倉田の言葉に「そうですねぇ」などと適当に答えながら再び前方に双眼鏡を向けると、カラスに囲まれるようにして少女が路頭に座り込んでいるのを見つけた。
「ゴスロリ少女?」
それは、ちょっとしたイベントとか繁華街……例えば原宿などで目にする機会の増えた服装である。その定義については諸説紛々であるが、伊丹はこの少女の服装を黒ゴスであると認識した。
年の頃十二~十四歳。見た目も麗しく、まさに美少女であった。
そんな少女が荒涼たる大地の路頭に座り込んでいる。黒曜石のような双眸をじっとこちらへと向けていた。
「うわっ。等身大の球体関節人形?」
倉田も双眼鏡をのぞき込んで呻く。
その少女はそれほどまでに無機的な、そして隙のない造形をしていたのだ。
とはいえ、倉田が求めるように車を駆け寄らせて少女を眺めるわけにもいかない。コダ村のキャラバンは同人誌即売会入場口に向かう一般列のごとく遅々たる動きであり、このまま高機動車が少女に近づくには時計の秒針が五回転するほどの時間を必要とすると思われる。
そこで伊丹は、勝本や東といった隊員を徒歩で先行させて、話しかけさせることにした。
服装から見ると、この近くの住民と考えるよりは、銀座事件の時に連れ去られた日本人と考えた方が納得がいくように思えたからだ。
だが勝本や東が話しかけても少女とのコミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。座り込んだ少女に職務質問をする新人警察官。そして、それを無視する家出少女みたいな感じになってしまっていた。
キャラバンが少女のもとにたどり着くと少女は待ちくたびれたかのように立ち上がり、ポンポンとスカートの砂埃を払った。そして、やたらとでかい鉄の塊とおぼしき槍斧を軽々と抱え高機動車に並んで歩き始める。
「ねぇ、あなた達はどちらからいらしてぇ、どちらへと行かれるのかしらぁ?」
少女が発したのは現地の言葉であった。
もちろん、言葉に不自由な伊丹達が答えられるわけもない。辞書代わりの単語帳をひらいたりしながらどうにか片言で通じる程度だ。東も勝本も肩をすくめ、とりあえず歩き出す。
コミュニケーションの空白を埋めたのは、高機動車の席の間隔が広く取られているのを利用して、倉田と伊丹の間に座り込み、前を見ていた七歳前後の男の子だった。
「コダ村からだよ、お姉ちゃん」
「ふ~ん? この変な格好の人たちはぁ?」
「よく知らないけれど、助けてくれてるんだ。いい人達だよ」
少女は、歩行速度で進む高機動車の周囲を、一周する。
「嫌々連れて行かれているわけじゃないのねぇ?」
「うん。炎龍が出たんだ。みんなで逃げ出してきたんだよ」
伊丹達は外人同士の会話を分かったような分からないような表情で聞いている典型的な日本人の態度をとるしかなかった。
とりあえず東と勝本には列の後方で村人のケアをするように指示して、少女から情報をとるのは直接自分ですることに決める。単語を確認して、話しかけるつもりで男の子と少女との会話が切れるのを待った。
「コレ。どうやって動いてるのかしらぁ?」
「僕が知りたいよ。この人達と言葉がうまく通じなくてさ……でも、荷車と比べたら乗り心地は凄く良いんだよっ!」
「へぇ~、乗り心地が良いのぉ?」
すると黒ゴス少女は、コラコラコラと制止する間もなく、ズカズカと伊丹の座る助手席側から高機動車に乗り込んでしまった。もちろん、伊丹の膝の上を跨ぎ越えてだ。運転席や助手席のドアがなく、開け放たれていることが災いしたのかも知れない。
高機動車は大人が十人は乗れる。
前席は正面を向き、後席は左右から中央に向かって座るように椅子が配置されている。その中央は装備などを置くため十分な広さがあって、現状のように道交法を無視できるのであれば、子どもだけなら無理矢理に二十人近くは乗ることが可能なのである。
しかし、そうだとしても、荷物もあり子どもや老人も既に多く、朝の通勤ラッシュに近い状態だ。そんな車内に「ちょっと詰めて」などと言いながら乗り込んで来る少女は、村人達からも歓迎されなかった。あからさまに苦情を言わないが皆迷惑だなぁという表情で迎えた。
「ちょ、ちょっと。狭いよおねぇちゃん」
「ん~ちょっと待っててぇ」
ただでさえ窮屈なのに、長物を持ち込もうとしているのだ。
ハルバートは長い。そして重い。上手く車内に収めようとして、縦にしたり横にしたり、誰かの頭や顔やらにゴチゴチとぶつけてしまった。結局、皆が窮屈な思いをしながら身をちょっと寄せたり動かしたりして、車内の床に転がすように置くこととなった。
その上で、自分自身がどこに座ろうかということで腰のおろし場所を探すのだが、どこにもない。仕方なく、黒ゴス少女が腰をおろす場所として選んだのは、御者という訳ではなさそうなのに、なんだか一人だけ前方の良い席に座っている男の膝であった。
「ちょっと、待て」
乗り込んで来る段階から唖然として対応に困っていた伊丹である。
黒ゴス少女を制止しようとしたが、うかつに手を出して危険な箇所を触ったりしたらセクハラやらなんやらと言われて、えらいことになりそうな予感がしてつい手を引っ込めてしまった。しかも言葉も通じない。「ちょっと待てって!!」「あちこち触るな」「小銃に触るな、消火器に触るな」「とにかく降りろって」「わぁっ、危ないものを持ち込むな」と日本語で、いろいろと怒鳴ったり抗議したりするのだが、馬の耳に念仏というか、蛙の面になんとやらという感じで完璧に無視されていたのだ。
そこに来て少女が、ちょこんと腰をおろしたのは自分の膝。
「ちょっと待て!」と言わないわけには行かない事態である。
一方が押し退けようとすれば、一方はせっかく確保した居場所を奪われまいとする低級な紛争が勃発する。
「●×△、□○○○!!!!!」
「△□×¥!○△□×××!!」
こうして、言葉を介さない苦情と抵抗と強引さのやりとりのあげく、伊丹がお尻の半分をずらして席の右半分を譲ることで、どうにか落ち着くこととなったのである。
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