ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり

柳内たくみ

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3動乱編

3動乱編-2

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「ところでピニャ姫。炎龍の首が城門に掲げられた話は、もう耳にされましたか?」
「私は直々に足を運んで見て参りましたぞ。あれはなんとも恐ろしげな姿でありました」
「俺も見てきたが、言われているほど恐ろしげに感じなかったな。あれなら、工夫次第で俺にも狩ることが出来た」
「そうそう、俺もそう思った。今まで何人もの英雄が敗れてきたと言うが、その者達が不甲斐なかっただけではないのか?」

 そんなことを語りながら気安くピニャに声をかけてくる青年貴族達。普段ならば彼女の半径十レン(約十六メートル)の範囲を危険域として、それ以上近付くことを避けたがると言うのに、今日に限っては何故か男達が集まってくる。
 宴席の片隅で食事を口に運んでいたピニャは、不思議なこともあるものだと思いつつ、彼らが何のつもりで寄って来たのかを探るべく黙って観察することにした。

「本日は、姫様におかれましてはたいそうご機嫌麗しく」

 この言葉にピニャは「うむ、確かに」と頷いた。実際その通りで、帝国皇女ピニャ・コ・ラーダにとって今日という日は大変に喜ばしい日なのだ。何故かと言えば、これまで彼女独りの肩にのしかかっていた重荷を、本日を境にすっきりさっぱりと降ろすことが出来たからである。
 イタリカ防衛戦で自衛隊の実力をまざまざと見せつけられ、東京に行って日本という国を直に見て来た彼女にとって、戦争の継続は滅亡に向けてひた走ることと同義であった。帝国という国を生き残らせるためには、なんとしても日本との戦争を終わらせなくてはならないと真剣にうれえていたのである。
 もちろん、講和のためならば日本の要求に無条件で応じるべきだと思っているわけではない。それでは国は残っても、人々の生活が破壊されてしまう。この帝都も、人間の住まない廃墟となってしまうおそれがあった。
 菅原が彼女に内示した講和の条件……例えば賠償金は、それほどまでに巨額だったのである。
 もし素直に支払おうとすれば、帝国はおろか周辺諸国をも巻き込んで経済的に破綻はたんしてしまいかねない。だからそれを、これから引き下げさせなくてはならないのである。
 これからはじまる講和交渉は、戦闘よりも困難で厳しいものとなるはずだ。帝国側にとって取引の材料となる有利な事項が、あまりにも少な過ぎるからだ。
 それでも、それはもう彼女が心配するべきことではない。講和交渉は、皇帝の選んだ代表達が携わる。これからの彼女は、これまで築いてきた日本側との関係を生かして、仲介の任を担うだけでよいのだ。もちろん通訳の養成やら手配やら、日本との文化交流とか、細々とした雑務はあるが、そんなものはこれまで抱えてきた責任の重さに比べたら無いにも等しい。
 そう思ってみると、なんと身軽なことだろう。
 帝国の将来を気に病んで鬱々と眠れぬ夜もあったが、それも今日で終わりだ。宴会の後片づけなどは秘書のハミルトンに全部おしつけてしまい、解放感に浸っていた。

「前にもこんな気分になったことがあったな」

 ピニャは思い出す。あれは確か、菅原と共に園遊会を開いた時だ。主戦論派だった議員達に講和の必要性を納得させることに成功した時、今と同様の気分を得ることが出来た。
 ただあの時は兄ゾルザルの乱入があって、しかも背後にはマルクス伯の使嗾しそうがあったことが分かったため、降ろしたはずの重荷をすぐさま背負う羽目はめになった。内相のマルクス伯がどのような陰謀を巡らせているか、その後に暗闘がはじまる予感から、身構えなければならなかったのだ。
 さらにその後も講和交渉など吹っ飛んでしまいそうな事件が続いた。
 皇帝の面前での乱闘。日本から拉致被害者の引き渡し請求と元老院議事堂の破壊。さらにはアルヌスでの拉致被害者暗殺未遂。
 何か事が起こる度にピニャは、胃のもたれ、頭痛、吐き気、目眩等を感じて眉間に深い皺を刻み込む羽目になったのである。
 だが、それも今日までのこと。

「ここまで話が進めば大丈夫。もう何があっても講和交渉が立ち消えになることはない」

 これまでに続いた数々の試練が、彼女の性格に慎重という成分を加えた。
 以前から持っていた悲観的な方向へと働く想像力も幾分か現実的になっていた。だがそれらを総動員しても、どう考えても、現在の状況をひっくり返すような事態は考えられなかったのである。

「父上の身に何か起きない限り、絶対に大丈夫」

 だからこそ、ピニャは難事を成し遂げた者だけに許される満足げな表情をしていたのである。
 おだやかに弧を描く唇とふんわりとした頬。それが、どうやら男共を魅了することとなったらしい。

「おおっ、お美しい」
「姫様。どうぞこれからもそのようなお美しい笑顔を我らに手向けてくださいますよう」

 青年貴族達は、口々にピニャの気品と美しさを称えながらその気を惹こうとした。ピニャも恥ずかしげに頬に当てた指先がえくぼに触れて、自分が今、上機嫌であることを改めて自覚した。

「なるほど、そういうことか」

 ピニャは、気高さたっぷりのお澄まし顔をした。

「炎龍など実は大したことがなかったとは、皆の壮語そうごにこのピニャ、いたく感銘を覚えたぞ。そなた達のような者がいてくれれば帝国も安泰あんたいであろう。だが惜しむらくは、その剛勇と才幹さいかんが充分に生かされているとは言えぬことだ。皆には是非、軍に志願して兵を率いていただきたい」

 すると途端に、皆は及び腰となった。

「あ、いえ……それはその……」
「我が家は代々官僚として帝国に奉職ほうしょくしておりますので、私はそちらで」

 などと口々に言いながら半歩引き下がった。

「なんだ、とてもがっかりだ。皆が女を口説く時ほどに勇敢かつ勤勉になってくれれば、妾ももう少し卿らと親しく出来るのに。なぁシャンディー?」
「はい。殿下」

 シャンディー・ガフ・マレアとは、翌日から始まる講和会議の通訳として、ボーゼスらと共にアルヌスから呼び戻された女性騎士の一人である。まだ十七歳と年若いが、その分語学の修得が早く実用に耐えるということで、講和会議の通訳に選ばれていた。亜麻あま色の長い髪をお下げに編んだ姿が、清楚せいそな魅力を周囲に放っている。今日は職務で多忙なハミルトンに代わって、彼女がピニャに伺候しこうしていた。

「帝国軍は常にみなさまの志願をお待ちしていますよ」
「うむ。人手不足の今なら、昇進も思いのままだぞ。何しろ今は戦争中なので、手柄を立てる機会も頻繁ひんぱんにおとずれようからな」
「そうですとも。しかも、万が一捕虜となるようなことがあっても、ニホンという国は奴隷に売りさばいたりしないそうですから、安心してください」
「うむ。妾が責任を持って返還交渉役を担おう。十年後ぐらいにな……」

 するとどうしたことか、青年貴族達は突然急用を思い出し、逃げるように去っていった。たちまち彼女の周囲からは男っ気がなくなってしまった。

「いくら何でも口にする言葉に重みがなさ過ぎるのではないか?」

 青年貴族達の逃げっぷりを見て、ピニャは唾棄だきするように呟き、「ふん」と鼻を鳴らした。

「姫殿下の毒舌、久しぶりに耳にいたしました。爽快そうかいでした」
「妾も久方ぶりに毒を吐いたような気がするな」

 正確には、毒舌を吐いている余裕がなかったのである。それだけ追いつめられた日々が続いていたということであろう。

「しかし知らなかった。炎龍の首が掲げられたのは本当なのか?」
「はい。私も最初は疑って、直に見に行って来ました。炎龍を見たことがあるという年寄りに聞いたままの恐ろしげな姿でした。あれは絶対に炎龍ですよ」

 ピニャはしみじみとした面持ちで呟いた。

「イタミ殿、ついに成し遂げられたか……」
「姫殿下。大役を果たされて気が抜けてらっしゃるんだと思いますけど、いくらなんでもトルティージャを頬張ほおばりながらでは、いろいろなものが台無しですう」

 いろいろとは威厳いげんとか、美しさといったものである。
 ピニャは慌てて、酒で口内に残っていた食べ物を飲み下すと、口周りを手巾ハンカチで拭いた上で繰り返した。

「イタミ殿、ついに成し遂げられたか。無事だといいが……」

 今度は、格好が付いたらしい。シャンディーは、ぱちぱちと拍手した。

「あの方ならきっと大丈夫です」
「お前も、そのあたりの経緯いきさつは知っていたのか?」
「っていうか、報告書は私が書いたんです。イタミ様がアルヌスを旅立たれた時まではアルヌスにおりましたから。その後がどうなったかまでは分からずに気を揉んでたんです。でも、あの方も試練を乗り越えたようで、素敵なことです」

 シャンディーは我が事のように喜んだ表情を見せた。
 だがピニャは、いぶかしげに若干責めるような、呆れの色合いを含んだ視線を向けた。

「あれを書いたのはお前だったか。何かの英雄物語の序章かと思ったぞ……」
「良く書けていたとはおっしゃって下さらないのですね?」

 ピニャはうんざりした表情で、物語としては良くできていたから、その調子で芸術の理解に努めるように。ただし報告書では客観性が大切だから以降は気を配れと言い聞かせた。

「妾は知っているから問題ないが、テュカを男性にしてしまうのはやり過ぎだぞ」

 シャンディーは「すみませんです」と首をすくめた。

「しかし、続報が待ち遠しいな。イタミ殿がどんな風に炎龍と戦われたのかが気になる」
「はい。パナシュお姉さまが現地で情報収集されてますから程なく届きましょう。とても心待ちでワクテカしてます」
「ワクテカ?」
「はい。ワクワク、テカテカという意味です。わくわくと心待ちにしているとお肌にも艶が出てくるという意味らしいです」

 見ればシャンディーは、アルヌスで憶えたらしいスラング的表現の説明をしながら、両手を胸の前で組んで夢見心地な表情をした。
 それを見たピニャは、彼女の精神的健康が心配になった。

「どうした? 大丈夫か?」
「はい。姫殿下より下されたご命令なんですけど、正直言ってとても気が進みませんでした。ですがこうなってみますと、殿下からのご命令が無くても進んでお引き受けしたいなぁ、なんて思うようになりまして……」

 実は、シャンディーには秘密の任務が与えられていた。それは伊丹籠絡ろうらくの任務である。もともとは、語学研修でアルヌスに行くパナシュの後任として白薔薇隊を率いるはずだったのだが、「お姉さまと一緒にアルヌスに行きたいですう」などとままを言ったので、それを叶える条件としてこの極秘任務を押しつけられたのだ。そんな理由もあったからこそ、彼女は伊丹の動向に気を配っていたのである。

「あ~、その命令は保留だ保留。妾が指示するまで何もするなよ」
「え~~そんな殺生せっしょうなぁ~~ひめでんか~」

 急にシナを作って唇をとがらせるシャンディー。
 ピニャは、シャンディーという娘が、とっても有名人好きであることを思い出した。
 例えば民衆から歓呼の声援を受ける剣闘大会の優勝者、客席のことごとくが若い娘で埋まってしまう美しい男優などと、人々から注目を浴びるような人物が大好きなのである。要するにミーハーなのだ。
 そんな娘が炎龍を討ち果たした英雄に憧れるのは分からなくもない話である。とはいえ「籠絡のために」なら良くても、本気になられるのはいささか不味い。

「あれに本気になるのは止めておけ」

 ピニャは警告するように言った。

「え~、なんでですか?」

 理由は数え上げるといくつもある。その中でもピニャにとって最大の懸案けんあんは、芸術の供給源たる梨紗りさの機嫌を損ねるということであった。

「でも、お二人は別れちゃったんですよね」
「男女の機微は、そういう形式的なことで分からぬほどに難しい。妾も経験不足故、理解しきれておらぬが、まずいということだけは分かる。シャンディーがどうしても気持ちを抑えられぬと言うのであれば、イタミ殿籠絡の任は解くしかないな。この手の任務は己を人身御供と割り切れる者でなければ困る」

 それに本気になられると、裏切りの心配すら必要になってしまう。

「ううっ。それはアルヌスにはもう行っちゃ駄目ってことですか?」
「そうなるな」
「それは嫌です。すっごく嫌です。分かりました、我慢します」

 シャンディーはしゅんと項垂うなだれて肩を落とした。

「大丈夫か?」
「なんとか、します」

 とは言いつつも、頬をふくらませて不満なのがありありと分かる顔つきをしていた。しかしピニャは話をそこで切り上げ、手元に確保しておいた菓子の全てを頬張り、「さてと、炎龍の首を見に行くとしよう。たしか城門だったな……」と腰を上げた。

「姫殿下。食べ物で頬をふくらませていては、いろいろと台無しです」

 いろいろとは、色気とか、気品といったもののことである。
 ピニャはちょっと待ってくれと手で合図し、もりもりと咀嚼そしゃく嚥下えんげを素早く済ませた。

「この菓子はアルヌスから取り寄せたニホンのものだから、食べねばもったいないではないか。それに頬をふくらませているのは、お前も一緒だ」
「キャラクターが違います。私は貴族でも身分が低めなので、多少粗忽そこつでも可愛げがあって許されるんです。でも姫殿下は気高さと美しさが売りなのですから、それを損ねるようなことをしちゃ駄目なんです」
「そういうものか?」
「ええ、そういうものです。それに炎龍の首なら、もうすでに陛下のご命令で運び出されて城門にはありませんよ」
「は、早いな」
「遅いくらいです。帝都の市場も街道も、朝から夕刻まで凄いにぎわいとなって、往来おうらいが出来なかったんですから」

 おかげで、帝都の流通と商売の機能は一日中麻痺していたという。

「で、今どこにある?」
「ええと……」

 シャンディーは頬に人差し指を当てて困ったような表情をしたが、一瞬で愁眉しゅうびを開いた。

「……あ、あそこです」

 彼女の指さした方向を見ると、今まさに炎龍の首が運び込まれて来たところであった。


 炎龍の首は非常に大きく重たそうであった。
 運搬うんぱん作業には、体格の大きな兵士が二十人も必要となったほどである。こんなものをどうやって軍旗掲揚けいよう塔のてっぺんに掲げたのか、その方法が気になるところであった。だが、マルクス伯の報告は、「現在調べさせておりますが、まだ分かったことはございません」というものであった。

「我が帝都の、しかも正門で起きた出来事に誰も注意を払っておらなかったとは、なんと嘆かわしいことか」

 皇帝は眉根を寄せると嘆いた。

「陛下のご不興、ごもっともなことと存じますが、この帝都も今や百万の民が暮らしております。来る者去る者、昼夜を問わずひっきりなしに城門をくぐります。城門も閉じられなくなって二百年。見張りも定期的な巡邏じゅんらだけで、夜ともなれば、みな足下に気を配るのが精一杯で頭上には注意を払わなかったのです」

 マルクス伯の言い分には納得できる合理性があった。
 かつての帝都は、日が沈むと同時に城門は閉じられて、見張りの兵が四方に警戒の目を光らせていた。だが今では深夜であっても荷車の出入りがある。城門近くで荷下ろしの作業をしている者がいても、珍しくもないから誰も気にしないのだ。

「致し方あるまい。だが調査は継続せよ。さらに炎龍が出没していた地域の諸部族、村落、諸侯らの動向に気を配らせよ」
「かしこまりました」

 指示を下したモルトは、炎龍の頬部きょうぶからあごにかけてなで回すと、その硬さを試すように拳で軽く叩いた。すると鈍い硬質の感触が跳ね返って来て、鱗の一枚一枚が剣を受け付けない強靱きょうじんな装甲であったことを改めて確認した。これでは剣や弓矢などでは歯が立つわけがない。さらに上下の顎から生えている牙は、小さな物でも大人の親指ほど、大きな物ともなると女性の腰回りほどに太かった。これならば、石造りの塔すら噛み砕いたという伝説も、それほど誇張されたものではないと納得できる。
 眼球はすでに失われてしまっているが、虚ろな眼窩がんかがかえって不気味さを際立たせていた。
 これこそが、人々に恐怖と絶望をもたらした炎龍だ。頭部だけでもこれだけの大きさなのである。広げた翼の両端、尾の先まで含めたらどれほどとなったろうか。これまで語られてきた伝説の凄まじさともあいまって、人々の想像力は、現実の域を超えた姿を描いていると思っていたが、現実はそれに負けていなかったのだ。
 いつの間にか周囲には、炎龍の頭部を間近で見ようと大勢の列席者達が集まってきている。
 皆、その恐ろしげな姿に身を震わせ、同時に頭の大きさや牙の鋭さに見入っていた。
 モルトは振り返ると集まった者達へと語りかけた。

「皆の者、じっくりと見るが良い。これが今朝方より帝都を騒がせた炎龍である。これが街を焼き、人々を喰い殺して多くの民を苦しめてきたのだ。だがそれも今日、こうしてむくろをさらした。もう恐れる必要もない。これを神々からの引き出物として受け取り、今日のき日を祝おう!」
「陛下。これは何者が為したことなのでしょう?」

 軍人の一人が尋ねた。今や誰もが、その答えを求めている。

「はっきりとしたことはまだ分からぬ。まことしやかに流れている噂もあるようだが、軽々けいけいに断ずることが出来ぬ故、余としてはここでは語らぬことにしたい。調査した上で、いずれ皆に報告するであろう」

 モルトはそう告げて炎龍の頭部から離れた。
 すると入れ替わるように遠巻きにしていた者達が炎龍に近付いてその表面に顔を近付けたり、顎に生えている牙の切っ先に触れてその鋭さの感想を語り合った。

「陛下!」

 ピニャの呼び声に振り返ったモルトは、「おお、ピニャよ。そなたに尋ねたいことがあった」と娘の肩を抱くようにして人混みから離れた。

「緑の人のことですね?」
「そうだ。以前、そなたより報告を受けた時は、信じられぬと粗略そりゃくに扱ってしまった。かたじけなく思うぞ」
「いえ。それもまた仕方のないことと思います。この妾ですら半信半疑だったのですから」
「その後、何か情報を得てはおらぬか? これほどの栄光だ、賞さぬわけにはいかぬからな」
「炎龍討伐に赴いたのは、イタミ、ロゥリィ、レレイ、テュカ、それにヤオの五名です。ここに、その者らが出発するまでを確認した者がおりますので、直接お尋ね下さい」

 ピニャはそう説明しシャンディーを皇帝に紹介した。だがモルトは、並べられた名前の一つに気をとられたようだ。

「ロゥリィだと?」

 シャンディーは片膝を付くと、膝頭ひざがしらに額をこすりつけるほどに頭を下げながら報告した。

「はい。エムロイの使徒、ロゥリィ・マーキュリー聖下でございます」
「おおっ、あの方が加わっているならば、討伐成功も納得できる話だ。しかし、神々に列せられる方がよくぞ関わろうと決意されたものだな。例によって気まぐれであろうか。……しかしそうなると、此度の栄光は神々のもの。緑の人と噂されている者とは無関係だな」
「いえ。イタミヨウジなる者が緑の人、その人でございます」
「イタミ? 聞き覚えがあるな」

 ピニャがおずおずと「以前、陛下の御前にて、兄様を打擲ちょうちゃくした……男の方です」と囁く。
 皇帝モルトは「あの者か」とあからさまに落胆の様子を見せた。

「緑の人とは、やはり敵なのだな……。で、他の者は?」
「テュカはロドの森氏族のエルフ、ヤオと申す者はシュワルツの森に住まうダークエルフでした」

 何が不満なのか、皇帝はますます消沈した表情となり、「今度は、異種族か」と呟いた。だが次の言葉を聞くと突如顔つきを変えた。

「最後に、レレイ・ラ・レレーナ。こちらは賢者カトーの弟子。コダの住人でございます」
「おおっ! あのカトー老師の弟子か! その者はヒト種かっ!?」

 豹変とも言える皇帝の突然の変化に戸惑いつつも、シャンディーは問われたことに答えるべく口を動かした。

「は、はい。ルルドの末裔まつえいですが……コダの村に定住していたようですから帝国の臣民と申せましょう」

 皇帝は愁眉しゅうびを開くと、うんうんと頷いて派手に相好そうごうを崩した。

「よし! それは嬉しい報せだ。炎龍討伐に我が臣民が関与していると聞いて、余も安堵した。ピニャ、そなたはそのレレイなる者を探してこの帝都に招聘しょうへいするのだ。よいな、しかと命じたぞ。何があってもこの命令は遂行するのだ。分かったな?」

 皇帝は、まるでつっかえていた物がとれたかのように喜びだした。そして、両手を広げると参列者達に、今聞いたばかりの話をそのままに告げた。
 すると、どうしたことか列席者達もこれまで以上の喜びに沸いた。
 皆、炎龍が討伐されたことは喜ばしいと思っていても、手放しに喜んでいたわけではなかったのだ。と言うのも炎龍を退治してくれた者に対して、帝国人は恩を感じて感謝しなければならない立場だからだ。それは帝国の支配階級に属する者にとって口惜しく、自尊心の傷つけられることだった。しかし、この功績に帝国の臣民が関与しているとなれば話は変わる。対外的には帝国人の功績として自慢できる事柄となったのである。
 この世界、帝国とその周囲を取り巻く国際関係では、人々の尊敬を得られるような功績と名誉がどこに帰属するかは、かなり重い事柄である。他国や他部族から尊敬を受け、一目置かれる者が現れると、その者が所属する国家や諸部族の序列にまで影響が及んだ。
 例えるならオリンピックの金メダル、サッカーのワールドカップ……そうした競技全てにおける優勝の栄誉を根刮ねこそぎかき集めたようなものかも知れない。実際にはそんな者いやしないのだが、もし現れたとすれば、全世界から「凄い、凄い」の大合唱を受けて、王侯のような扱いを受けるだろう。その者の母国民も、どこの国に行っても胸を張れる。
 エルベ藩王国をはじめとする様々な部族が、騎士やら名誉族長の称号を次から次へと伊丹に贈ったのも、伊丹達を身内にすることで現実的な利益が得られるからであって、決して、彼に対する感謝や賞賛ばかりではなかったのだ。
 こんな心理が、帝国の為政者達に帝国民としてのレレイの功績を過大なまでに評価させることとなった。そして帝国に勝利の栄光をもたらした「カトー老師の弟子、レレイ・ラ・レレーナとは何者か?」という声が、燎原りょうげんの火のごとく急速に広がっていったのである。
 だが、貴族達が喜べば喜ぶほど、苦々しい表情となる男が一人いた。
 黒い嫉妬の炎を激しく燃やしたゾルザルは、心の底から湧き上がる猛烈な憎悪で、握った拳の爪が手掌しゅしょうを傷つけ血が流れだすほどに力を込め、炎龍の首と皇帝とを睨み付けた。

「くそっ……炎龍をたおしたことがそんなに偉いか!」

 皇太子たる自分が皆から無視されるという侮辱に耐えているというのに、この場に居もしない者が、皆の話題を独占し、賞賛と尊敬を得ているのである。
 ゾルザルにはそれが許せなかった。自分より賞賛される者の存在が、帝国に勝利の栄光をもたらしたのが自分でないことが、許せなかった。そして、その名を皆に報せた男が許せなかった。何故、自分の名ではなく、レレイなどという名を皆に告げたのか。何故他人を褒め称え、自分の息子を見ようとしないのか!
 許せん。許せない。ぶっ殺してやりたい。この男もレレイなる者も、みんなぶっ殺してやる!
 やがて、ゾルザルの憎悪が、まるで力を持ったかのように作用した。

「皆の者、祝おうではないか!」

 モルトの音頭で乾杯の声が唱和された直後、黄金の杯が床を転がった。
 悲鳴の声に続く静寂。
 皆が見つめるその先には、皇帝が仰向けに倒れていた。



   02


 うららかな日差しの下、草原を貫く一本道を高機動車が走っていく。
 のんびりと、ゆったりと。丸い砂煙を巻きあげながら、どこまでも続く地平線とその向こう側に浮かぶ大きな白い雲を目指していた。
 車内では、エンジン音の他に、月琴つきごとの音が鳴り響いている。
 奏者は後部座席に座るテュカ・ルナ・マルソー。音楽の神ルナリューを信奉しているエルフ娘。
 その桜貝のような指先がつまはじ旋律せんりつは、芸術と呼ぶに相応しいものだった。これだけの技量ならば日本で演奏会を催しても客席が埋まるに違いない。立ち見も出るかも。音楽業界の現実を、漫画で描かれている程度にしか知らない伊丹いたみ耀司ようじは単純にそう考えた。

「次は、何の曲をこうかしら?」
「陽気な曲がいいな」

 そんなリクエストを出しながら、伊丹は時計を見て、地図を見て、再び時計を見るを繰り返す。
 テュカは「分かったわ、父さん」と月琴を抱え直した。
 「ところでさ、そろそろ父さんって呼ぶのはやめない?」と伊丹は地図から目を逸らさずに言う。顔を向けないのは、手元から目が離せないというのもあるが父さんという呼称に照れを感じているからだろう。

「い……嫌よ。恥ずかしいじゃない」

 何故か頬と耳の先端を赤く染めているテュカ。「ヨ、ヨウジだなんて呼べるわけないじゃない。精神的歯止めが、ゴニョゴニョ……」と呟いているところを見ると、お父さんと呼ぶ方が気安いらしい。二人の意見は、この件に関しては平行線である。

「歯止めって何だ?」
「何でもな~い」

 ごまかすように声を上げたテュカは、伊丹のリクエストに応えて軽快なリズムをかなで始めた。歌詞の理解できる部分だけ拾っていくと、男性を慕う乙女心をユーモラスに唄った曲らしいと推測できた。男の気を引くためにあらゆることをするが、それらが全部空回りして、嘆いたりして、でも最後には思いが通じる、というよりは元々通じていた、という曲だった。

「無茶苦茶上手いんだけど何年ぐらいその楽器を弾いているんだ?」

 伊丹の問いに、テュカは「そうね。百年ぐらいかな」と何でもないことのように答えて、笹穂耳をピクピクっと振るわせた。

「ひゃ、ひゃく年か……」

 伊丹は、感心して良いのか、百年も練習したならそれだけ弾けて当然と頷けば良いのかよく分からなかった。何はともあれ、自分が生きてきた年月の三倍以上だ。想像の範囲を超えている。

「エルフって何げに凄くね?」
「そうね。でも、あたしぐらいの歳のエルフなら、大抵は得意な楽器を持つものよ」
「へぇ」

 ならばここにいるもう一人のエルフはどうだろう?
 伊丹は視線を傍らにいるダークエルフの女性へと向けた。
 するとヤオは「あははは」と、恥ずかしそうに笑うと「まぁ、そうだな」と頷いてみせた。

「ヤオはどんな楽器を?」
「此の身は葦笛あしぶえを……だが、たしなむ程度だ。他人に聞かせられるようなものではない。むろん御身おんみは他人ではない故、ご所望しょもうとあらば喜んで披露させて貰うが、かなうことなら余人をまじえず二人だけの時にしてくれると嬉しい。早速だが、今宵などはどうだろ……痛っっ!」

 隠しておきたかったことを白状させられたかのようにはにかんだヤオだが、なまめかしい声色で誘いめいた言葉を口にした途端、くぐもった悲鳴を上げた。
 伊丹の座る助手席からはよく見えないが、隣に座っているロゥリィと、向かいに座っていたテュカが、ヤオのつま先をぐりぐりっと何かしているようである。
 「お、お役に立たないと、此の身の立つ瀬がない」とか「そういうことでぇ役に立とうと思わなくていいっ!」とか、そんないさか達の声がひそひそと飛び交っていた。
 何をしているのだろう。そう思った伊丹が後ろを見ようと助手席から身を乗り出したところで、テュカが慌てたように言葉を継いできた。何かを誤魔化そうとしているかのようだった。

「と、父さんは……ホドリュー父さんのシタールはとてもすばらしくて、皆で聞き惚れてたのよ」
「そっか? テュカの音楽の師匠は父親なのか」

 するとテュカはきょとんとした表情となって、師匠なんていなかったわと言う。

「じゃあ誰に習ったの?」

 するとテュカは、困ったような表情をして首を傾げてしまった。
 自分達にとって当たり前のことを問われると、質問そのものの意味がつかめず、何をどう答えて良いのか分からないということがある。テュカもそうした状況に陥ってしまったようだ。
 だが傍らで聞いていたヤオには状況が理解できたようで、助け船を出してくれた。
 それによると、こういう芸事を特定の誰かについて習ったりしないのがエルフという種族らしい。武術、精霊魔法の基礎ですら、見よう見まねで身につけて、経験と試行錯誤で技量を磨いていくという。

「その意味では師匠はいないと言えるし、周りにある全てが師匠であるとも言える」
「へぇ……」

 例えば、話すことや日常生活で必要なことを師匠について学ぶ者はいない。毎日の生活の中で自然と覚えるからである。それと同じ感覚らしい。だからだろう、彼女達は技量のうまい下手で、その人物を評価することはない。全くしないとは言わないが、あまり重きを置かないという。今、未熟なのは、始めるのが遅かったからでしかないし、今の技量が優れているとすれば、それは充分に時間をかけて習得したからに過ぎないのだ。逆に、何かを他人よりも上手になろうとしてしゃかりきに練習する行為を、『執着しゅうちゃく』と称して人柄にかたよりをつくる良くないこととみなすという。

「無理に大樹に育てようとして黒く肥えた土を盛り、大量の水を与え、精霊の力を加え続けると、その木はいびつな姿となってしまうだろう? 此の身達エルフは、自然のままに調和のとれた伸び方をすることを尊ぶのだ」

 ヒト種と違って寿命の長い彼らは、どんなことにも時間をかけられる。音楽にしても楽しむためだけに楽器を取り出して、時々いじるだけ。それでも百年、二百年と時をかければいっぱしの演奏が出来るようになるのだ。ならば慌てる必要はない。急ぐ必要もないということらしい。

「なるほど。ま、実際に若くして何かに長じる人って変人が多いって言うからなあ」

 エルフから見ると、師匠について知識や技術を習得し、継承していくというシステムは、試行錯誤をしている時間を持たない短命種族のためにこそ存在する。エルフが百年単位ですることをわずかな時間で達成できるようにするこの仕組みがあるからこそ、ヒト種はこの世界の支配者として君臨くんりんすることができたのである。

「此の身らのそういう姿勢が、ヒト種には鼻持ちがならないらしいがな」

 ヒト種の一人として、伊丹は後ろ髪を掻きつつしみじみ呟いた。

「そういう感覚、俺にはちょっと分かんないな。ベートーベンとか、モーツァルトだったらなんて言うだろう?」
「ねぇ、ヨウジぃ。それって誰ぇ?」

 ロゥリィが伊丹の肩越しに身を乗り出してきた。彼女の手が伊丹の肩にかかり、黒髪が肩にふぁさっとかかる。

「俺の世界の作曲家。何百年も前の人だけどその人の書いた曲が残っている。そして、二人ともかなり変わった人柄だったと言われている」

 もし彼らがエルフと会ったら、妬むだろうか。そんなことを自問していると運転席から物言いたげなみどりの視線が伊丹に向けられた。ハンドルを握っているレレイだ。

「ヨ……」

 「ヨ?」と伊丹は尋ねようとした。だが高機動車のものとは明らかに異なるエンジン音が辺りに響き始め、答えを待つ間もなくそちらに気を取られてしまった。

「お、来た来た!」

 伊丹が、待ちかねたように空を仰ぐと無線機に向けて叫ぶ。

「今、機影を確認。投下してくれ!」
『受け取りのハンコはいらねぇから、土産物を一つたのむわ。じゃぁな!』

 無線機のスピーカーからパイロットの声が漏れる。その直後、青い空をC‐1中型輸送機がジェットの轟音をあげながら通過していった。その騒音の凄まじさに、テュカの演奏がすっかり聞こえなくなってしまったほどだ。C‐1はそれぐらいの低空を飛んでいた。
 輸送機はまるで荷崩れでも起こしたかのように、伊丹達の頭上で大きな箱を落とした。

「きゃっ! あんな所から落としたら壊れちゃう!」
「危ないっ!」

 その乱暴とも思える配達ぶりに、テュカやヤオは悲鳴を上げた。
 だが、すぐに落下傘が開いて荷物の落下速度にブレーキがかかった。ゆるやかとは言い難いが、それでも地面に激突して何もかも木っ端微塵になるような勢いではなくなった。

「レレイ。あれが落ちていくところに向かってくれ」

 伊丹は、落下傘を指差してハンドルを握っているレレイに声をかけた。

「………………了解」

 何か言いたそうにしていたレレイだったが、軽く頷くとハンドルをわずかに切って、高機動車の進路を変えた。


 第三偵察隊の隊長職を解かれた伊丹に与えられた次の任務は、特地の資源状況の調査である。
 要点を簡単にまとめると、特地のあちこちをうろつきまわって、どんな鉱山があるか詳しく探して来い、というものである。原油や希土類といった有力な地下資源が埋まっている場所を見つけて来いとも指示されている。けれどその任務を達成するには、解決しなければならない大きな問題が立ちはだかっていた。
 それは伊丹が地質学者でもなければ鉱山技師でもないということである。
 石コロを見て、そこに鉱山の存在を予測するのが地質学者で、どんな風に商売するかを考えるのが石材店や建材屋だという。だが伊丹の場合は、石コロはやっぱり石コロにしかみえない。なので、とりあえずは現地人に聞き取り調査をしたり、すでに存在する鉱山で何が採掘されているかを調べることとなった。それだけでも、大まかな資源分布ぐらいは把握できるらしい。

「はあ、了解しました。けど、まさか本当に独りで行って来いって話になるとは、思ってもみませんでしたけどね」

 伊丹の直属の上司たる檜垣ひがき三等陸佐は、停職処分の明けたばかりの部下が時間を持て余していた間に認知症にかかったのではないかと真剣に心配する表情を見せた。

「何を今更なことを言う。ついこの間、有力な地下資源があるという情報を得て、エルベ藩王国に単身で乗り込んだばかりだろうが?」

 炎龍退治のために勝手に出かけた伊丹の行動は、書類の上では資源状況の調査ということになっていた。そしてその任務遂行中に、たまたま特地甲種害獣とくちこうしゅがいじゅう、通称『ドラゴン』と遭遇したので、これを撃破したというのが公式の報告にまとめられた事実なのである。

「別に一人だった訳じゃないんですけどね。あいつらがいたし」
「なら、今回も現地協力員を雇い入れろ。そのための予算は付いてるんだからな」

 檜垣はそう言って書類をめくり予算表を広げた。
 ダイヤモンド鉱山と油田を見つけたという実績が評価されて、資源状況調査活動の予算は、当初の計画よりも大きく膨らまされていた。それ自体は有り難い話だったが、それに相応しい成果が期待されることになる為、手放しでは喜べないのだ。
 伊丹はその表の数字に指を這わせると、大げさに驚いて見せた。

「うわっ、一、十、百、千、万、十万、ひゃく……報償費がすっごい額になってますね」
「事務屋共は金をかければ成果が得られると思ってるからな。おかげで君の他にも何人かを、資源調査に送り出さなきゃなんなくなった」
「実際、金が無きゃ何もできないから予算が付くのは嬉しいんですけどね。問題は、金で雇っただけの現地人をどれだけ信用できるかってことなんですけど」
「現地人と親密な関係を築いているのは君ばかりじゃないぞ。ま、華やかさには欠けてるがな。それと、君が助けたダークエルフの部族が手を貸してくれるそうだ」
「あそこの連中ですか? いつの間に……」
「君が停職で休んでる間に売り込みにやって来た。折角故郷を取り戻しても、隠れて暮らしている間に蓄えを食い潰したから出稼ぎをしたい。仕事をくれ、だそうだ。それとエルベ藩王国からも人が派遣されて来る」
「あの爺様が王様だったというのは驚きです。でも、渡りに船ですね」
「ま、どちらも下心込みだろうがな。少なくともいきなり後ろから襲われる心配だけはしなくて済むから、それで充分だ。ということで伊丹、お前にも早速任務に取りかかってもらう。いいな」
「はっ。了解しました」

 伊丹は姿勢を正して敬礼すると隊長室を後にしようとした。

「ああ、ちょっと待て」

 背後から呼ばれて伊丹は「なんでしょう?」と振り返る。

「こいつを渡し損ねてた」

 檜垣が伊丹に差し出したのは、給与明細だった。開けてびっくり、その額は目を疑うほどに少なくなっていた。

「一、十、百、千、ま……うわっ、これは」
自業自得じごうじとくと思え。それに君は報償としてダイヤモンドの原石を貰っただろう? それがあれば減った額なんて微々たるもんじゃないか?」
「それとこれとじゃ違いますよ。それにあれだけでかいと、簡単には金額も付かないそうで、正直置き物にしかなってません。それに五人で山分けにしたいし」

 伊丹は、すでにダイヤモンドの原石を銀座の高級宝石商に持ち込んで鑑定して貰っていた。
 しかし余りにも高品質かつ巨大過ぎて、値段の見当が付かないと言われてしまったのである。
 細かく砕けば確かに売れる。だが、「そんなこと恐ろしくてとても出来ない。この大きさだからこその価値というものがあり、それを所有者の都合で無闇に打ち砕くなど、宝石に対する冒涜ぼうとくである」とまで言われた。だがしかし、これだけ大きいと値が付くとしても半端な額ではない。文章表現としては『天文学的』という比喩ひゆがあるが、それを遙かに超える『電波天文学的』な数字が付いてもおかしくないということであった。

「断言しても宜しいのですが、支払い能力があるような個人は国内にはいません。買い手はきっとアラブの王族とか、ユダヤ系の大財閥とか、そんな方々になってしまうでしょう。私どもにもそのような方々へのコネクションはございませんので、お取次をお引き受けすることはできません。ただ、ダイヤモンドを取り扱う商社を通じて、各方面に問い合わせはしてみます。果たしてどんな返事が来るか、答えがいつになるかは皆目見当が付きませんが、お待ち頂きたく存じます」

 宝石商はそんなことを言いながら、震える手で原石を伊丹に押し返した。
 そんな訳で、伊丹の経済状態はちっとも豊かにはなっていなかった。それどころか逆に貧しくなってしまったと言える。それが彼にとっての炎龍退治の顛末てんまつなのだ。

「はぁ。あ~あ……」

 伊丹は懐から自衛隊手帳を取りだすと、何かの項目を次々と横線で消していった。
 一本、線を引くたびにため息をつくので、心配した女性達の視線が集まるほどだった。

「なぁにため息ついてるのよぉ?」

 ロゥリィが後部座席からバックレスト越しに身を乗り出し、伊丹の手元をのぞき込み「何よこれ」と尋ねた。

「いや、買い物しようと思ってた物のリスト。収入が減ったから、支出を削らないといけなくなってさ。ただどれも必要だと思っていたから、諦めるのが惜しくってさぁ……」

 必要と言いつつも、そこに並んでいるリストが同人誌即売会の出展サークル名であるところが彼の彼たる所以ゆえんであろう。もしロゥリィがその事実を知ったなら、後ろから伊丹の頭を小突いたに違いない。「そんなことで心配させるな」とかなんとか言いながら。だが、パッと見ただけでそれを読みとることが出来るほど、彼女は日本語読解に精通しているわけではないから「それは残念だったわねぇ」と若干の同情を示して引き下がっていった。
 この車内にいるメンバーでそれが出来るとすればレレイだけであろう。だが彼女は今、伊丹の右隣の席に座ってハンドルを握り、前方を注視しながらアクセルを踏んでいた。なので伊丹の手元を覗き込む余裕はなかった。
 高機動車は現在安定した速度を保って北へと向かっている。
 未舗装の草原を走っているから、時には岩やくぼみなどが進路に立ち塞がることがある。だが伊丹からハンドルを任されたレレイは難なくそれをかわし、あるいは上手に乗り越え、走破して、順調に道程をこなしていった。高機動車がオートマチック車なのも幸いしているが、それにしてもスムーズなハンドル裁きで、昨日から習い始めたとはとても思えないものであった。

「交通法規のない場所でただ車を走らせるだけなら、習うより慣れろだからな」

 教習所で学ぶことのほとんどが、法規に従った安全な運転方法である。信号や道路標識のないこの特地では、当面の間は必要のないことである。
 ちなみにロゥリィ、テュカ、ヤオの三人もすでに運転を試みていた。そして初心者姫ドライバーの恐ろしさを、伊丹に再確認させて終わっている。伊丹は三人に対して、こう宣告していた。

「お前達が運転する車には、俺は絶対に乗らない」

 今後将来にわたって、永久に絶対に、どんなことがあってもハンドルを握ってはならない。危険だ。事故を起こす。人を巻き込む。だから駄目! というのが彼の評価であった。
 なので運転の練習を許されたのは自己のコントロールに長けたレレイだけであった。

「随分慣れてきたな。そろそろ疲れたろう」

 運転を交代しよう。
 伊丹としてはレレイを気遣って言ったつもりだった。だがレレイは伊丹の予想に反して車を止めなかった。
 何故か伊丹の言葉を聞き流すようにしてハンドルを握り、前を見続けていた。そして口を開く。

「不要。貴方こそ待機していて欲しい」

 伊丹はレレイの横顔をしばらく眺めた。この娘、最近は耳朶みみたぶにマラカイトのピアスをつけたり、やせぎすだった肢体がほんのりと曲線を帯びはじめて来たりと成長が著しい。

「もしかして、運転が楽しいとか?」

 するとレレイは答えた。

「とっても」
「ど、どのあたりが?」
「路面の状況を素早く読みとって、車輪の摩擦まさつ力と、車体の進む力、慣性とを勘案して舵輪だりんを操作する。その結果が現実のものとして即座に表れるところ。車の運転は、知性と理性の表現と思われる。知性の集合体である車体との一体感は、魔法にも通じるところがあり……」

 レレイは一呼吸区切ったのちに続けた。

「……快感」

 伊丹は思った。それは表情をぴくりとも変えずに言うセリフではないだろうと。もうちょっと頬を赤く染めるとか、少しはにかむとかしても良さそうなものである。
 だが運転しているレレイは、自らも機械の部品にでもなったかのように、無表情のままであった。さらに言う。

「それに、学都ロンデルはすぐそこ。あの稜線りょうせんを越えると見えてくる」

 レレイの言うとおりであった。
 丘の峠を越えると、伊丹達の目の前に石造りの建物群が広がっていたのである。


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