そして彼らは伝説へ―異世界転移英雄譚―

長月十六夜

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第1章 幕引きは唐突に

湖畔の小村 アミューネ

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 丘を下り、林を抜けて、玲士朗達は村の入り口に差し掛かる。

 簡素な木製の柵が、村の正面一帯を囲うように設置され、等間隔で数本の松明が括り付けられている。弱弱しく辺りを照らすその灯りは、待ち人への道標のようだった。

 柵の内側では、十数人の人々が夜にもかかわらず戸外に出て、何かを心待ちにするように落ち着きなく佇んでいた。メーネを先頭に、玲士朗達が村の領域に足を踏み入れると、壮年の男性が足早に近づいてくる。遅れて、男性より少し小柄な青年が後を追ってきた。

 壮年の男性は上背があり、使い込まれてはいるが清潔感のあるシャツと革のベストを羽織っていた。白いものが混じる頭髪は端正に整えられており、顔つきはやや神経質さや頑固さを感じさせるが、穏やかな眼差しと物腰の柔らかさがそのきつさを和らげている。威厳を感じさせる落ち着いた声で、男性はメーネに話しかけた。

「メーネ様、ご無事でしたか。行き先をお告げにならず、村をお出になったとお聞きし、ご心配申し上げておりました」

 男性の恭しい態度に玲士朗達が驚く中、メーネは申し訳なさそうに目を伏せる。

「ごめんなさい。心配をかけまいと思ったのですが、浅はかでした」

「いえ、そのようなことは。ところでメーネ様、そちらの方々はもしや……」

 壮年の男性が玲士朗達を怪訝な表情で見ていた。閉鎖的な村社会では、よそ者は忌避される傾向にある。いくらメーネの取り成しがあるとはいえ、その懸念は捨てきれない。玲士朗達は少し身構えた。

「はい。異界よりの来訪神マレビト剣臣けんしんたる器の方々です」

 メーネの言葉に、壮年の男性は眼を見張る。遠巻きに様子を窺う村人達もまた驚き、嘆息を漏らしたり、ひそひそと何やら言葉を交わしたりしている。著名だがイマイチ顔の知られていない芸術家への反応と似ているなと、玲士朗は感じた。噂は耳にしているが、実際に見たのは初めてだ、といった印象である。

 颯磨は鷹介に耳打ちした。

「来訪神に剣臣って……一体何だろう」

「分からん。けど、とりあえず無碍に追い返されることはなさそうだな」

 壮年の男性は整えられた顎髭あごひげを摩りながら、誰に語りかけるでもなく呟く。

「……伝説は誇張であっても虚構ではない、ということですね」

 独白を終えると、壮年の男性は折り目正しく頭を下げた。

「皆様、よくぞお越しいただきました。私はこのアミューネ村の長を務めております、ヨシカ・キルヒナーと申します。こちらは息子のエーリッヒです。皆さまのお身の回りのことにつきましては、私が責任を以て差配させていただきますので、何なりとお申し付けください。村の者一同、皆様を歓待いたします」

 村長ヨシカの一礼に合わせて、村人達も恭しく頭を垂れる。メーネに向けられていた慇懃さで自分達も遇されることに、免疫のない玲士朗達は困惑した。

 閉口する彼らを助けるように、メーネが話を進める。

「思いがけずゴブリンに襲われましたが、彼らのおかげで事無きを得ました。ついては休息を取らせてあげたいので、食事と寝所の準備をお願いしたいのですが」

「なんと……それはご無事で何よりでした。実は先ほど、アニー様の遣いの方が来られまして、ゴブリンの襲撃に備え村の周辺を警備していただいておりました。遣いの方々は既にアーデンの森へお帰りになりましたが、メーネ様と剣臣様がすぐにお越しになる故、お出迎えの準備を、との言伝をいただきまして、準備は既に整えてございます」

 ヨシカの報告に、メーネは細い顎に手を当てて考え込む。

「やはり、彼女は全てを把握していたのですね……」

 アニーという相手への疑念が見え隠れするぼやきだった。メーネは気を取り直して、背後の玲士朗達に朗らかな表情を見せる。

「皆さん、お疲れとは思いますが、食事は摂れそうですか?」

 誰もが顔を見合わせて、意志を探り合っていた。これまでもこういう事態に陥った際に、竹馬ナインのスポークスマンの役割を果たしてきた詩音が幼馴染達を代表してメーネに答える。

「食事の前に、この世界のことをもう少し詳しく聞かせてもらえるとありがたいんだけど」

「分かりました。ヨシカさん、彼らと話がしたいので、場所を提供いただいてもよろしいでしょうか?」

「畏まりました。エーリッヒがご案内させていただきます」

 村長の息子――エーリッヒは任された大役に緊張を隠せないようで、上擦った声とぎこちない動作で玲士朗達を先導する。来訪神或いは剣臣という存在は村人達にとって畏敬の対象らしく、期待と敬意の眼差しを一身に受けて居心地の悪さを覚えながら、玲士朗達は湖に面した集会所へと向かっていった。


 集会所は木造の平屋だった。屋内は心許ない蝋燭の灯りと、湖に面した明り取りの開口部から射し込む蒼白い月明りだけが頼りの薄暗さだ。人家でない家屋特有の埃の臭いが微かに残っていたが、決して雑然とはしておらず、日々の手入れが行き届いていることが分かる。

 恐る恐る室内を進み、玲士朗達はエーリッヒに促されてそれぞれ丸太椅子に腰かける。素朴なテーブルには十個の木製マグが配置され、薄く白濁した液体が注がれていた。果物の果汁を水で薄めた、この地域では一般的な飲料ということだった。粗末なものしかなくて申し訳ありませんと、エーリッヒは恐縮しながら謝罪した。

「お話がお済みになりましたら、御休所まで御案内させていただきます。外でお待ちしておりますので、御不明なことがございましたら、何なりとお申し付けください」

 終始、緊張の隠せないエーリッヒは早口で捲し立て、一礼の後、足早に室内を辞去した。くすんだ金髪と碧い眼を持ち、生真面目そうな顔つきをしているのだが、父に似て目元は穏やかで、人の良さを感じさせる雰囲気があった。飾り気のないシャツと長ズボンに身を包んだ、背丈も歳もそう違わないであろうこの少年に対し、会ったばかりにもかかわらず、玲士朗達は親しみやすさを感じていた。エーリッヒの滲み出る人柄と、見知らぬ土地でようやく出会えた同年代の少年への親近感がその感情を惹起じゃっきしていたのだろう。

 喉の渇きを覚えていた玲士朗達は、エーリッヒに勧められたマグの飲料に口をつける。生温さと薄味に誰もが眉を顰めたが、水分を求める肉体の欲求には逆らえず、一人、また一人とマグの中の飲料を飲み干していく。

 玲士朗達の人心地を静かに見つめていたメーネは、頃合いを見計らって声を掛けた。

「皆さん、先ほどは危険な目に遭わせてしまってごめんなさい」

 それは、メーネの玲士朗達に対する謝罪だけでなく、自分の不甲斐なさを恥じる響きも含んでいた。清廉すぎる実直さに、玲士朗はメーネへの信頼を一層篤く持った。

「あれは……メーネの所為じゃないだろ」

「そうね、謝る必要なんてないと思う。怖い思いはしたかもしれないけど、こうやってみんな無事だったんだし」

 言いながら、涼風は梢の様子を盗み見た。ゴブリンとの遭遇時から比べれば平常に戻りつつあったが、それでもまだ不安と恐怖の色が瞳に根強く揺蕩たゆたっているのが見て取れる。もっとも、程度の差こそあれ、誰もが同じ感情を未だ引きずっていたに違いなかったが。

 葬式めいた陰鬱さを払うように、鷹介が一際大きい声で注目を引く。

「さて、ゆっくり話を聞ける機会だし、聞きたいことは山ほどあるが……ともかく知りたいのは、俺達は何でこのテルマテルに来て、どうしたら元の世界に戻れるのかってことだ。メーネはそれを知ってるんだろう?」

 鷹介の発問を吟味しながら、颯磨も同意を示す。

「確かに……その理由が分かれば戻れる目途も付けられるかもね」

 これまでの負い目を感じての消極か、これから残酷な宣告をしなくてならない逡巡か、視線を下方に落とし続けていたメーネは、大きく間を取ってから話し出す。

「そのことをお話しするには、まず、このテルマテルの争いについてお話ししなければなりません。迂遠なことではありますが、聞いていただけますか?」

 玲士朗達の首肯しゅこうを受けて、メーネはゆっくりと両眼を閉じる。

「私の記憶を結界内に投影します。少し違和感があるかもしれませんが、その方が理解がしやすいと思うので」

 メーネの周囲から粒子が漂い始め、玲士朗達を覆うように拡散していく。粒子は半球状の結界を構築し、外界の薄闇と雑音を完全に遮断した。変わって彼らを包み込んだのは、一点の曇りも一分の隙もない完璧な漆黒だった。自分達の身体だけがくっきりと闇に浮かび上がっている感覚に玲士朗達は戸惑いながらも、不思議と恐怖心のない空間に身を委ねていた。

「テルマテルには古より続く二つの争いがあります。一つはゴブリンとの争いに代表される人類間の争い。もう一つは、全ての人類に対する災禍との戦い」

 現実世界から隔絶され、メーネの意志と意識が支配する結界内では、彼女の鶯舌がよく響いた。そして玲士朗達の眼前には、まるで自分が見てきたかのような真に迫った映像が映し出される。

「テルマテルには、各々固有の身体的・文化的特徴を持つ八つの種族――『霊長の八種族』が存在します。
 森の番人と称され、自然を重んじる『エルフ』、高度な鍛冶、工芸、建築技術を持つ『ドワーフ』、先ほど皆さんが対峙した人類秩序の乖乱者たる『ゴブリン』、そして皆さんやこの村の人々のような『人間』。その他、素朴で牧歌的な生活を送る『トロール』、戦いに名誉と誇りを見出す好戦的な『オーガ』、獣の特性や特徴を有する『獣人』、古来より人類史の記録者として他種族との交流を拒んできた『巨人』が、共通の祖先から分かれた八種族です」

 メーネの記憶にある八種族の多様な容姿を見て、鷹介は何げなく呟く。

「こんな連中が人類の枠組みに入るなんて、この世界は多様性が相当認められているんだな」

「見た目の違いや考え方の違いなんて当たり前で、些末なことですから」

「……耳が痛いことで」

 自嘲の色を帯びた鷹介の発言にメーネは怪訝な眼差しを向ける。詩音が言いにくそうな口調でメーネに語りかけた。

「私達の世界ではね、この……テルマテルで言うところの人間同士ですら、違いを認められずに、二千年以上、戦争や対立を繰り返しているの」

 メーネは得心したものの、表情を曇らせた。

「テルマテルでも争いがないわけではありません。人間に限りませんが、生まれ、価値観、文化の違いによる差別や対立は、決してなくなってはいない。違いを認め合っているわけではないのです。あまりにも大きく異なる七種族の存在が、同族内の不和を相対的に小さくしているだけです」

 消化し難い遣る瀬無さを飲み込みながら、メーネは続ける。

「容姿も文化も全く異なる種族間の断絶は甚だしく、交流を持とうとしなかったり、他種族と敵対したりする種族も多い。結果として、テルマテルでも二千年以上もの長きに渡り、人類間の争いが絶えません。皆さんはその一端を既に目の当たりにしていますが」

 美兎が表情を強張らせた。

「最前のゴブリンのことだよね。確か、神様がどうのって言ってたけど」

「彼らは、彼らの奉じる教えに従い、他の七種族に敵対しています。彼らが口にした『バラル神』というのは、テルマテルの人類共通の神ではありますが、創造主にして最高神と仰ぐ信仰はゴブリン独特のものです。多くの種族では、バラル神は人類に混乱と争いをもたらした悪神と考えられています」

 玲士朗が眉を顰める。

「最高神と悪神……何でそこまで信仰が真逆なんだ? 同じ神様なんだろ?」

「テルマテルの創世神話になりますが、全知全能の創世神によって生み出された人類は、当初自我を持たず、神に従順な魂の容れ物でしかなかったようです。これに異を唱え、バラル神は人類に智恵を授け、自由意志の発生を導いたとされています。この一説が、ゴブリンの奉じる“創造主にして最高神”という信仰の所以ゆえんでしょう。
 バラル神のもたらした理性、知性、自由意志――つまり“心”は、今日の人類の繁栄の基礎であることは間違いありません。しかし、それは同時に、創世神の与え賜う死と再生の螺旋や自然摂理を従順に受容していた魂に、神への疑念と不信、そして反抗の芽を植え付けたことでもありました。
 結果、人類は創世神の祝福と加護を失いました。神への疑念と不信はやがて同族にも向けられ、人類は自らを守るために、各々その特性を進化させて八種族に分化した。異質はさらに不安を呼び、対立となって今日の人類間の混乱と争いを引き起こし続けている。
 そして、創世神の怒りを買ったバラル神は悪神に堕とされ、自らが心を与えた人類が理解し合えず争い合うという原罪をあがなわない限り、破壊と殺戮という罰を与え続ける災禍となってしまったのです」

 話の結びを颯磨が淡白な口調で引き取った。

「で、テルマテルの人達はまだ解り合えていないし、争い合っているから、バラルとかいう神様の罰とやらは続いている。人類は生き残るために、バラルとも戦っているってことだよね。それがメーネの言う全ての人類に対する災禍との戦い」

 メーネは首肯した。難しい顔で終始傾聴していた柚希がおずおずと疑問を口にする。

「えーと……テルマテルの人達は、神様と戦ってるんだよね……なら、バラルって神様にはちゃんとした姿形があるってこと?」

「はい。ただし、バラル神は個体ではありますが、現象でもある。バラル神への人々の信仰――つまり恐怖ですが、そのイメージを借りて現界するのです。故にその姿は時代によって様々ですが、一例として、私の記憶にあるバラル神の姿をお見せします」

 戦慄か武者震いか、視点の定まらない映像に一柱の巨大な悪神が現れる。光すら飲み込まんほどの深淵が細長い本体を形成し、その表面は奇怪な文様が不気味にうごめいているのが見て取れた。白灰色の骨格が本体を護る鎧のように幾重にも折り重なっており、触れるもの全てを串刺しにするかのような棘、牙、角に覆われている。体躯をS字に折り曲げて鎌首をもたげる姿は、大蛇や百足を彷彿とさせる。

 悪神に堕とされることで、この世全ての凶悪さ、邪悪さ、そして人類が忌み嫌うあらゆる要素を詰め込まれてしまったかのような姿態である。この醜悪な悪神が本能の赴くままに破壊と殺戮を行えば、一体どれだけの街や村が蹂躙され、生きとし生ける者が殄滅てんめつされてしまうのか、玲士朗達は想像も出来なかった。
「バラル神はその姿や神出鬼没さから、『蛇神じゃしん』や『彷徨さまよえる禍殃かおう』とも呼ばれています」

 悟志が怯えた声を上げる。

「ひ、人がいるよ。バラルのすぐ近くに、たくさん!」

「いえ、人ではありません。『マリスティア』と呼ばれる、バラル神の眷属です。生存のためではなく、ただ欲望と本能のままに人類を殺戮する魔物」

 姿形をつぶさに確認することは出来なかったが、マリスティアと呼ばれる存在の印象は不気味というしかなかった。どの個体も毒々しく、禍々しい暗黒を身に纏った人型であるが故に、玲士朗達に嫌悪感を強く抱かせた。人為らざる異形の群れがバラル神に付き従ってのそのそと行軍している様をまじまじと見て、詩音が嘆くように呟く。

「魔物まで出てくるなんて……」

「バラル神やマリスティアは確かに絶対的な脅威ですが、潜在的な脅威である他種族を仮想敵と見なす不安と猜疑さいぎから人類は逃れることができない。そのため、八種族はそれぞれ生活圏を別にして、各々バラル神やマリスティアの脅威に対抗しているのが現状です。団結して事に当たるべきことはどの種族も恐らく弁えていますが……」

 まぁその現状は理解できる、と鷹介は呆れ気味に言い捨てる。俺達の世界も似たようなもんだからな、とも付け足した。

 映像が立ち消え、周囲が漆黒の闇から薄暗い室内に還ってくると、メーネは大きく息を吐く。それは、単に一息を入れたというより、改めて語った自らの生きる世界の暗澹あんたんたる現状に嘆息を禁じえなかったかのようだった。

 玲士朗達も、蛇神バラルやマリスティアといった人知を超える怪物の存在に言葉を失くし、重苦しい沈黙に首筋を抑えつけられているかのように項垂れていた。
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