そして彼らは伝説へ―異世界転移英雄譚―

長月十六夜

文字の大きさ
36 / 70
第3章 誰かが死ぬということ

鷹介の物語

しおりを挟む
『あなたが書き手になって、物語を作ってみましょう』

 小学校の授業でそんな課題が示されたとき、鷹介は当たり障りのない文章を綴りながら、もし自分が本当に物語の書き手を任されたのだとしたら、きっと何の躊躇いもなく、唐突に、そして理不尽に、世界を終わらせてしまうだろうと思った。

 何故なら、世界は心動かすほどの価値に値するものなど何もないし、知れば知るほど、考えれば考えるほど、実体のないものに縋る馬鹿馬鹿しさしかないのだから。 

 人の社会は結局、支配する者の都合のいいように作られていて、それと知られることのないように巧妙なストーリーが後付けされている。そうだと気付いてしまえば、学校で優秀な成績を残そうが、部活に精を出そうが、青春を謳歌しようが、くだらないと思ってしまった。鷹介は挫折という挫折を経験せず、できることが当り前であったからこそ、余計にそのくだらなさが目に付いた。自分の生きる世界が提示する価値の尊さが実感できず、満たされない心は虚しさだけを溜め込んでいって、やがて、がらんどうになった。

 世界なんか別にあってもなくてもいい。彼の心に去来する感情は、その一念が常だったのだ。

 それから、あまり動じなくなった。楽しさも、苦しさも、悲しさも、寂しさも、心の空虚が大きすぎて、響かなくなった。

 中学三年生の夏。鷹介はそれまで家族にも打ち明けなかった胸の内を迂闊にも吐露してしまい、彼の母親は呆れ顔とともに大きな溜息を吐いてこう言った。

『貴方は結局、何もかも気に入らないだけでしょう』

 ホールデン・コールフィールドの妹のような口振りに、鷹介は思わず失笑し、こう返した。

『じゃあ、将来はライ麦畑のキャッチャーになるしかないな』

 母親は馬鹿馬鹿しいと一蹴したが、鷹介は半ば本気だった。

 明くる日。唐突に、そして無性に、遠くへ行ってみたい衝動に駆られ、鷹介は体調不良と噓をついて学校を飛び出した。

 目的地はない。見渡す限り一面のライ麦畑なんて存在しないことは分かっている。鷹介はただ、自分の生きる世界の外側へ逃げてみたかった。誰も自分のことを知らず、自分の方でも誰も知らず、くだらない物事や柵から解放されるどこかへ。

 それはきっと、誰もが一度は考えることだったかもしれない。挫折や苦悩の果てに、全てを一度放り出したくなることがあるものだろう。その逃避が、大人への通過儀礼として社会にあらかじめプログラムされた予定調和だとしても、鷹介は挑戦してみたかった。

 日が暮れかかった頃、聞いたこともない路線を乗り継いで、田舎の寂れた無人駅に辿り着いた。

 駅の周りは閑散として、手入れの行き届いていない林と畑に囲まれていた。遠くでヒグラシの物悲しい鳴き声が響き、営業を終了した商店のシャッターのように、藍色の帳が橙色の夕日に落ちかかろうとしていた。

 劣化して薄汚れた青いプラスチックベンチに腰掛けると、先客がいることに遅まきながら気づいた。見たこともない制服の女子高生は、項垂れて、長い髪が表情を隠すように垂れ落ちていた。

 鷹介は何の気なしに言葉をかけた。女子高生は鷹介の存在に気付いていなかったのか大袈裟に驚いていたが、また力なく俯いて、か細い声で答える。どこか遠くに行きたくて、ここまで来たのだ、と。

 自分も同じだ。鷹介は言った。だがそれ以上、口は利かなかった。ここまで来てしまった理由なんて知りたくもないし、知っても理解できない。他人の心の深淵を覗こうものなら、こちらは自分を見失いかねないし、いちいち感情移入しては人生の主役の座から転げ落ちてしまう。

 女子高生も同じ気持ちだったのか、鷹介にまるで関心を示さなかった。お互い同じ目的でここまで来たとしても、言葉も視線も交わらない。それが如実に、致命的なまでに、人と人との隔たりを表していると鷹介は感じて、さらに冷笑的な気分になったものだ。

 そのうちにとっぷりと日が暮れて、女子高生は何も言わずに無人駅をふらふらと立ち去って行った。紆余曲折あったものの、鷹介は人生に絶望することなく、世を捨てることもなく、駅舎で夜を明かして次の日の列車で帰宅した。学校や親から大いに叱られたことは言うまでもない。

 懐かしくも、気恥ずかしい思い出だった。そして結局、世界のくだらなさから逃れることはできないと痛感した一日でもあった。一億人以上の人間が支え、戦後半世紀以上も維持してきた社会の重み、厚みは、遍く国の隅々にまで行き渡っている。逃げる場所などないし、逃げたところで何も変わらなかった。

 それでも気付けたことはある。行く当てのない逃避行に出ようとした時、一度だけ、慣れ親しんだ校舎を振り返った。見えない壁があるかのような疎外感は、自分が勝手に思い込んでいるものでしかなかったが、正直な気持ちでもある。校舎の外壁に照り返す夏の強い日差しが眩しくて、押しつけがましい暑苦しさにもうんざりする気分になって、逃げるように背を向けた。鉄筋コンクリート造りの学び舎は、中学生・皆戸鷹介のいるべき場所かもしれないが、人間・皆戸鷹介が望む居場所ではないと悟ったものだ。

 そしてもう一つ。自分の居場所などどこにもないと知って尚、彼が絶望に打ちひしがれず、再び日常に戻ってこれたのは、幼馴染達の存在が大きかった。

 無人の駅舎の待合室で、硬い木製のベンチに横になりながら、はてライ麦畑のキャッチャーになるにはどうすればいいかと本気で考え始めていた時、鷹介のスマートフォンが間断なくバイブレーションを発した。

 時刻は午後五時過ぎ。竹馬ナインのグループチャット画面には、帰宅したであろう幼馴染達の自分勝手な呟きがどんどん更新されていく。今日の数学の授業が辛かったとか、誰彼が付き合い始めたとか、宿題の内容忘れたとか、駅前に新しくできたカフェの話とか、明日の時間割の教え合いとか、他愛もない会話が現れては画面の外に押し出されていく。

 学校をボイコットした鷹介に対する揶揄も心配もこれまで数多く画面を行き交っていたが、誰も彼も大したことではないと思っているようなメッセージばかり。突拍子もない言動をこれまで繰り返してきた彼の身から出た錆だったが、思春期にやりがちな家出くらいにしか思っていない幼馴染の無頓着さが、逆にありがたかった。

『鷹介、明日は戻ってくるんだろ?』

『馬鹿やってないで、早く帰ってきなさいよね』

『学校中の窓閉めておくから、戻ってきても中には入れないよ?』

 家出した猫か俺は。思わず打ち込んだメッセージに、鷹介は苦笑した。

 ――くだらない日常のくだらないやり取りが、こうも気持ちを落ち着けてくれるなんて。

 思えば、楽しいことに意味なんて求めないし、心地よいことに理由なんて考えない。人生はくだらなくて無駄なことで出来ているのなら、そもそも意味とか価値とかを見出すのはお門違いだ。まして悲嘆することも、厭世的になることも本来、必要ない。

 誰しも生まれた瞬間はきっと嬉しくて、生きていくことは本当は楽しくて、死ぬことを無暗に恐れない。それができないのは、歳をとる毎にだんだん賢くなって、言葉という在りもしない化け物を視る目を養っていった結果、魂の感受性を鈍くしてしまったからだ。

 だから鷹介は、文脈など考えずに、心の欲するままに生きればいいと考えた。例え他人から見れば何をしたいのか分からない支離滅裂な行動であっても、鷹介にとっては揺るぎない一本の筋が通った生き方だった。生まれてきた意味も生き続ける価値も関係なく、吹き抜けることが当たり前である風のように、立ち止まることなく進み続ける。理由などない。そうしたいから、そうするだけである。

 テルマテル救世の使命も、剣臣の責務も、フィリネの容態も、メーネや他の幼馴染達ほどの強い思い入れなど鷹介にはない。ただ竹馬ナインの集まる場所が、彼の居場所でもあり、帰るべき場所であるというだけだ。それ故に行動を共にし、協力し、命を懸けることも厭わない。心がそれを求めているのだから。

「……好きなように書き散らしてみるさ。何せ、俺の物語だからな」

 鷹介は呟いて、踵を返した。相変わらず何を考えているか分からない飄々さだったが、その表情は心なしか晴れやかだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界転移したので旅してみました

松石 愛弓
ファンタジー
ある日、目覚めたらそこは異世界で。勇者になってと頼まれたり、いろんな森や町を旅してみることにしました。 ゆる~い感じののんびりほんわかなんでやねん路線の地味系主人公です。 気楽に読めるものを目指しています。よろしくお願いします。毎週土曜日更新予定です。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?

お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。 飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい? 自重して目立たないようにする? 無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ! お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は? 主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。 (実践出来るかどうかは別だけど)

異世界のんびり放浪記

立花アルト
ファンタジー
異世界に転移した少女リノは森でサバイバルしながら素材を集め、商人オルソンと出会って街アイゼルトヘ到着。 冒険者ギルドで登録と新人訓練を受け、採取や戦闘、魔法の基礎を学びながら生活準備を整え、街で道具を買い揃えつつ、次の冒険へ向けて動き始めた--。 よくある異世界転移?です。のんびり進む予定です。 小説家になろうにも投稿しています。

異世界召喚は7回目…って、いい加減にしろよ‼︎

アノマロカリス
ファンタジー
『おぉ、勇者達よ! 良くぞ来てくれた‼︎』 見知らぬ城の中、床には魔法陣、王族の服装は中世の時代を感じさせる衣装… 俺こと不知火 朔夜(しらぬい さくや)は、クラスメートの4人と一緒に異世界に召喚された。 突然の事で戸惑うクラスメート達… だが俺はうんざりした顔で深い溜息を吐いた。 「またか…」 王族達の話では、定番中の定番の魔王が世界を支配しているから倒してくれという話だ。 そして儀式により…イケメンの正義は【勇者】を、ギャルっぽい美紅は【聖戦士】を、クラス委員長の真美は【聖女】を、秀才の悠斗は【賢者】になった。 そして俺はというと…? 『おぉ、伝承にある通り…異世界から召喚された者には、素晴らしい加護が与えられた!』 「それよりも不知火君は何を得たんだ?」 イケメンの正義は爽やかな笑顔で聞いてきた。 俺は儀式の札を見ると、【アンノウン】と書かれていた。 その場にいた者達は、俺の加護を見ると… 「正体不明で気味が悪い」とか、「得体が知れない」とか好き放題言っていた。 『ふむ…朔夜殿だけ分からずじまいか。だが、異世界から来た者達よ、期待しておるぞ!』 王族も前の4人が上位のジョブを引いた物だから、俺の事はどうでも良いらしい。 まぁ、その方が気楽で良い。 そして正義は、リーダーとして皆に言った。 「魔王を倒して元の世界に帰ろう!」 正義の言葉に3人は頷いたが、俺は正義に言った。 「魔王を倒すという志は立派だが、まずは魔物と戦って勝利をしてから言え!」 「僕達には素晴らしい加護の恩恵があるから…」 「肩書きがどんなに立派でも、魔物を前にしたら思う様には動けないんだ。現実を知れ!」 「何よ偉そうに…アンタだったら出来るというの?」 「良いか…殴り合いの喧嘩もしたことがない奴が、いきなり魔物に勝てる訳が無いんだ。お前達は、ゲーム感覚でいるみたいだが現実はそんなに甘く無いぞ!」 「ずいぶん知ったような口を聞くね。不知火は経験があるのか?」 「あるよ、異世界召喚は今回が初めてでは無いからな…」 俺は右手を上げると、頭上から光に照らされて黄金の甲冑と二振の聖剣を手にした。 「その…鎧と剣は?」 「これが証拠だ。この鎧と剣は、今迄の世界を救った報酬として貰った。」 「今迄って…今回が2回目では無いのか?」 「今回で7回目だ!マジでいい加減にして欲しいよ。」 俺はうんざりしながら答えた。 そう…今回の異世界召喚で7回目なのだ。 いずれの世界も救って来た。 そして今度の世界は…? 6月22日 HOTランキングで6位になりました! 6月23日 HOTランキングで4位になりました! 昼過ぎには3位になっていました.°(ಗдಗ。)°. 6月24日 HOTランキングで2位になりました! 皆様、応援有り難う御座いますm(_ _)m

家ごと異世界ライフ

ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!

処理中です...