異世界産業革命。

みゆみゆ

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はじめての転生

第10帖。やさ男に出会う。(都市国家ボードゥに根付く強大なるボードゥ商会)。

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 悠太郎は、そのすわっている給仕の男に近付いた。

「あのー、すみません」
「ん? おお、これは勇者殿」
「ジュースください。果物の種類は何でもいいから」
「……?」

 その男は不思議そうな顔をした。

 ――もしかして給仕じゃないのか、この人。

 だとすれば失礼にあたる。

「もしかして来賓の方でしたか?」
「はい。王陛下にお招きいただき、参加しております。この格好はご容赦ください。給仕とさほど変わりありませんから。勘違いさせて申し訳ない」
「いや、そんなことない。確認しなかった僕も悪かったです。で、どちらの方ですか」
「ボードゥの者です。しがない商売屋をやっております」

 聞き慣れない地名だった。こういうとき、当たり前だが、出身地を言うのがならわしだ。けれどもこっちの世界の出身でない悠太郎には、ボードゥがどこにあるのか知らない。

 商売屋という職業。これはつまり商会の人間ということだろう。
 事実、男の格好が商売人に属していることを示している。ゆったりした、スカートみたいな服装。目深の帽子。過度ではないが、目を引く宝飾品を身につけている。そこそこ金を持っていそうな雰囲気だ。どう見間違えたって騎士ではない。第一、剣さえ帯びていない。
 この時代、見た目がそのまま職業を表す。騎士なら甲冑に剣を持っている。商会の人間なら今、悠太郎の目の前の男みたいな格好になる。よく見れば給仕の格好とは全然違う。この喧騒の中で落ち着いた雰囲気だから悠太郎はてっきり名うての給仕だと勘違いしてしまった。

 若い、と悠太郎は思う。直感だったが、実際、掛け値なしでそうだ。もしかするとアウグスト25歳よりも若いかも知れない。

「ボードゥ、ですか」
「これは失礼いたしました。ここ王都ルテキアより東方の都市の名です。ぼくはボードゥ商会の代表をやっております。以後、お見知り置きを」
「ははあ。商人の方で」

 よくある話だった。
 商人は商売のため諸国をまわる。国際情勢に最も長けている。大方、この商人も、王様に金を貸したり武具を売ったりした関係にあるのだろう。だからこの宴会にも招かれているのだ。
 しかしこの若さで代表とは。よほどのやり手なのだろう。さしずめ若旦那とも称すべきであろう。

 キーマンだ、と悠太郎は思う。

 たいてい、RPGで「お店」は重要な要素。ここでどうのよろいだのはがねのよろいだのを買っておけば、次のダンジョンでは相当の楽が出来る。持ち金が許せば。

 ――ふーん。

 ちらっと美末の方を見た。美末はいつもの症状で、悠太郎の方をみていた。目が合うや、早く早くとジュースを急かす。
 とりあえず手近の給仕にジュースを頼む悠太郎。それが来るまではしばしこのボードゥ商会の「若旦那」と親交を深めておくべきだと思った。
 RPGの基本。それは会話。商人だから十国とをのくにの内情にも詳しいはずだ。この若旦那から情報を聞き出そう。悠太郎はそう決めた。

 だいたい話をつかむ。
 ボードゥは単なる都市ではない。王から大幅な自治を許された、典型的な「都市国家」であった。これはつまりボードゥを治める市長が税、兵、穀物、特産物をキチンと王に納めれば、好き勝手できることを意味する。
 税率を王の許可なく決められ、兵を養い、はたまた近隣諸国と条約を結ぶことさえ出来る。ほとんど独立国のごとき権力を王から許された都市であった。

 ――古代ローマの都市国家に似ているな。

 大幅な自治を許されている点。そして一定の税を治めれば市長はあたかも王のように振る舞える点。歴史は繰り返す。ローマ帝国が滅んで何百年。文明が再び勃興の兆しあれば、人間の考えることは同じであるようだ。過去にあったものと似たようなものを造り出すらしい。
 
 いいこと尽くめの都市国家に思えるが、悪いことも無論ある。都市国家は、滅ぶも栄えるも市長の手腕一つ。政策を誤れば都市は滅ぶ。責任重大である。その代わり見返りは大きい。ハイリスク・ハイリターン。それが都市国家。
 ボードゥはどうやら成功した都市らしい。地味は豊かで作物は豊穣。人心みな穏やかにして天はほほえむ。

「理想郷だね」と悠太郎は素直に感じた。
「そういってくださるとはありがたい。我々商人もはりきりがいがあるというものです。それもこれも、あれ、あそこにおられる王陛下のおかげです」

 あくまで王を立てるあたりが商売人だった。お客様は神様です。

「それで若旦那さん。実はちょっと探し物があって」
「なんでしょうか」
燕麦えんばくを売ってもらいたいんだが、あるかな」
「燕麦ですか?」と若旦那は一拍、置く。「あります。ですがそのようなものを一体どうするのですか」

 疑問はもっともだった。燕麦などワザワザ買う馬鹿はいない。少なくとも中世初期においては。

「もちろん飼料にするんだ」

 若旦那の目が一瞬、キラリと光る。悠太郎はそれに気付かない。
 若旦那は考えるような素振りを見せる。

「なるほど。燕麦でしたら、ちょうど北の国から仕入れたものがあります。お売りいたしましょうか」
「北の国? それはライ麦じゃないですよね」

 悠太郎は念を押した。中世初期で燕麦を求める者などいない。そんなことは中世マニアの悠太郎にとって百も承知である。だから同じく寒い土地で作られるライ麦と混同してはいないか、と若旦那に聞いたのだった。
 燕麦はライ麦ほど寒さに強くないが、それでもやはり北方で育つ。十国とをのくには一応、暖かい国である。燕麦を見たことない者もいるだろう。その2つを間違うこともあろう。

「若旦那さん。寒さに強いライ麦は北の国ではよくみるでしょ。そりゃあ燕麦だって冷涼なところで育つけど」
「いいえ、ライ麦ではありません。しっかりした燕麦です。もしよろしければ見本を少し、お送りしましょうか。勇者殿」
「それは助かる」
「しかし燕麦を飼料にですか」と若旦那はワザとらしく悩む。「飼料ならばこれまで通り、小麦を脱穀した後のわらがあります。燕麦をわざわざ輸入するのは手間でしょう」
「それでは足りない。藁では現状維持が精一杯だ。何しろ小麦の副産物だから、おいそれと増やせない。……まず燕麦を馬に食べさせる。馬は牛よりも耕作に適しているから収穫高の向上につながるはずだ。それに燕麦は冷涼な気候でも育つからね。多少の冷害があっても、きちんと育つ。万一の場合は食料にしてしまえばいい。どっちに転んでも役に立つ植物だ。そういうわけで燕麦を売って欲しいんだ」

 若旦那はわずかに驚きの表情を作った。しかしすぐポーカーフェイスを保ち、形ばかりの驚き顔になる。

「なるほど……。それは画期的です。わかりました。可及的速やかにお送りいたします。お代金ですが」
「ああ、えーと。それはちょっとシャーリーと相談してから」
「今回はわたくしが持たせていただきます」
「へっ。それはつまり、タダ?」
「平たく言えばそうなります」
「それじゃあ商売にならんでしょう」
「いえ。これは商売ではありませんよ。国の基幹をお考えの勇者殿の博識と先鋭さに心を打たれたのです。私もそのお話に興味を惹かれました。また感服しました」

 体のいいお世辞にすっかり気を良くする悠太郎だった。所詮高校生、口のうまさは海千山千の若旦那の敵ではないのだった。
 若旦那にとって、タダでくれてやっても痛手ではない。ここでうまくいけば他国に売れる。もしうまくいかなくても勇者とのつながりを作れたのならば安いものだ。この落ちぶれ国家を救った英雄と。

 正直、若旦那も考えあぐねていた。得てして戦さの主体である騎士たちに花がいく。しかしその騎士たちを支えているのは数知れぬ農民たちである。自由農民だろうが農奴だろうが、食わねば生きられない。
 商人にしても同じだった。
 他人と同じことをしていては儲からない。またこの十国とをのくには代替わりを迎えた。後継がこのような国を目指しているのか、その様子を見ておくこともやぶさかではない。

 なぜならば王の行動いかんによっては、ボードゥとの戦さにもなりかねない。腐っても王は王。都市国家はどうあがいても都市に過ぎない。

 強大な自治を許されているからこそ、戦さも起こり得る。飛び火をいかに回避し、いかにうまく立ち回るか。商人の腕の見せ所ではないか。燕麦を題材にして。

 そのとき都合良いタイミングでジュースが2つ、運ばれてきた。足付きの木製グラスの中に果実の絞り汁が入っている。
 後世、ぶどうジュースとかグレープフルーツジュースとか呼ばれそうな飲料である。

 悠太郎と若旦那は一つずつをくうに掲げる。このあたりの様式は後世と変わりない。

「勇者殿。これからも、ごひいきの程を」
「こちらこそ!」

 悠太郎が去ったあとだった。
 1人の翁従者が若旦那の隣の席に着いた。さっきまで悠太郎のすわっていた席は、この翁従者の席であった。翁従者は悠太郎が話し終えるまで、ずっと影で耳をひそめて聞いていたのである。背格好はしっかりしているが、控えめな姿勢である。若い頃はさぞ女を泣かせたろう、と想像させる渋い顔立ち。
 翁従者は耳打ちするように言う。

「驚きましたな」
「ええ」と若旦那も小さく答える。「想像よりも鋭い方ですね。燕麦の可能性に着眼するとは」

 燕麦は単なる雑草としか見られない。小麦畑の中にチョロチョロと姿を見せる、ただの草。
 それはつまりどこにでもあって、誰もそれが有益であると感じていないのだった。

 若旦那が燕麦に目を付けたのは北の国でこれを栽培しているのを確認し、飼料にもなれば食用にもなる万能草であると確信したからである。
 誰も役に立たないと思っているものが実は商売のタネになる。つまり儲けが生まれる。となればこれを売らない手はない。

 いかに都市国家ボードゥの半分を取引するボードゥ商会の若旦那といえど、売り込める量をすぐさま準備するなど不可能である。
 鉄道もないし舗装道路もない。悪路をはるばる馬車で運ばねばならない。
 つまり若旦那は最初から売り込むつもりで燕麦を用意しておいたのだった。この宴会を利用して、王なり悠太郎なり、あるいは農政官に。
 もし興味を示されなければ別の国に売ればいい。

 翁従者は言葉を選んで言う。

「通常、勇者と言えば武に長けた者のイメージが先行しますの。ですがあの者は違う。卯の侯爵を追い払ったと思えば、今度は農業を改革しようとしている。武だけではない。学にも長じておりますのう」
「両道を為している、というわけだ」
「厄介ですな」
「ああ、厄介だ」

 今回、若旦那と翁従者がはるばる王都ルテキアに来た理由は2つを値踏みするためである。
 新王。そして勇者。
 
 商売人であるから彼らはまず利を求める。
 前王とは長く付き合いを「させて頂いていた」ので、趣味や性格を知り尽くしていた。前王の欲しいものはおおよそ分かる。用意すれば確実に売れるだろうし、実際そうしてきた。
 だから次は代替わりした新王の番である。人がいいとの話が尽きない。そして異世界から来たという勇者にも売り込みをかけようとして来た。

 ――この二人を読み解けば十国とをのくにでの商売はやりやすくなると思っていましたが……。

 意外にすぐその機会がやってきた。当初の若旦那は勇者を単なる脳筋野郎と推察していた。勇者とは強いから勇者だ。だから武具を用意しておいたが、あの様子では受け取るまい。

「若。作戦を少々変更ですな」
「ああ。これまでの王族とは違うタイプのようだ。ただ目先の、見てくれの良いものを売ればいい相手ではないようだ」
「となると買い揃えた武器はどうします。はるばる三国みくにの向こうから買ってきた武器や宝飾品は」
「腐るものでもないから出荷は待ちだ。ただし手入れを怠るな」
「はい」
「いかに善良な王と言えど、このお家騒動につけ込む輩は出てくる。それはなにも卯の侯爵だけではない。戦さの火はまだまだ止まない。買い手などいくらでも出てくる」
「左様で……」
「しかし商売道具の中身を変えねばならん。武器だけでなく勇者殿が欲しいものを揃えるのだ」
「はい」
「民を思う王はいくらでもいたが、あれ、あの勇者のごとく明確なストーリーを作り上げた者とは出会ったことがない」
「はは、王族と民衆は住む世界が違いますからな」
「あくまで王は上に立ち、民衆は下だ。王は民衆を哀れみ同情することこそあれ、決して同じ場には立つことがない。それゆえ民衆を救おうとしても見当違いなことをやるのが普通だ。ところが……」
「あの者は違います。王族でありながら民衆と同じ泥の中で生きんとしている。もしかすると民衆の出ですかな」
「さて。それはおいおい」

 なんとなくだが、若旦那は一つの考えを抱く。
 あの者、あの勇者は本当に別の世界から来たのではないか? 商人であるから、転移魔法の存在は話に聞いたことがある。それは子供向けのお話の中においてよく登場し、若旦那も子供のときは翁従者からよく聞かされたおとぎ話として。

 ――本当に異世界から来たのか、あの勇者は。

 その思案の横顔を見ながら、翁従者は感涙ひとしお。翁従者は育ての親である。

 ――若も成長なされた。

 ボードゥ商会の若き売り手として。翁従者はシワ顔をさらに破顔させるのだった。







 席に戻る悠太郎はさっそく美末から詰問されたのだった。

「ジュースは?」と美末。
「あっ。忘れてた」
「つい10分前のことですよ」
「ごめん、じゃあ、これ……」
「それ、ゆーたろーの飲みかけですよね」
「ごめん」
「いいですよ別に。もらいます」

 美末は言って、杯を受け取る。というより半ば強引に引き取る。ジュースを飲む。

 ――間接キス。

 悠太郎はそう思った。
 美末が口を付ける際、わずかにためらいを見せたような気がしたことも手伝い、意識してしまう。

 無意識に美末の薄い口びるを見てしまう悠太郎。けれども美末の方はそんな繊細なことを気にしてはいないようだった。少なくとも表面上は。

 そのとき、ぷん、と酒臭さ。同時に香水がただよう。

 ――この香水は。

「シャーリー、君か」
「んー? んふふふ。わかったのー? 我が良人おっとユーリ」
「酔ってる?」
「えへへへー」
「未成年は飲酒禁止なのに……」

 この世界でそんなことをグチっても意味がないことを悠太郎は分かっている。ここは異世界。日本国の決めごとなど毛ほどの意味もない。

「んふ。ねーユーリ。部屋まで連れてってー」
「あー、はいはい。眠たくなった? こんなに飲んで。シャーリーの部屋ってどこ?」
「この上ー」

 そういえばドンジョンは4階建て。
 ここ宴会場は3階である。またあの薄暗い階段を上がっていかねばならないではないか。

「そうか、この上か」
「はーい」
「おわっ」

 覆い被さるように倒れるシャーリー姫。思わず支えなかったら床に顔面を打ち付けていた。
 支えるとき、悠太郎はおっぱいを揉んだ。良いベネ! とても良いディ・モールト・ベネ

「ゆーたろー。わたしも手伝いましょうか」
「お、ありがとう。さすがに1人でシャーリーを担いで階段を登るのは骨が折れる……え、ちょ。美末」
「どうしましたか」
「今シャーリーを蹴らなかった?」
「気のせいですよ。この豚女を蹴ってなんかいませんよー」
「ぶ、豚!?」
「胸とか」
「あー、まあ。痛っ、こ、今度は僕を蹴ったな!」
「蹴っていませんよ。足を踏み出したら、たまたまゆーたろーの足があったからです」

 口の減らない美末である。
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