異世界産業革命。

みゆみゆ

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それぞれの「世界」

第20帖。アウグストの「世界」その2。(西洋の常識は平成の非常識)。

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 アウグストとの会合は毎日に及んだ。朝から晩まで、ルテキア城内の地下図書館で富国強兵に向けての激論を繰り返す。
 もちろん分野によってはアウグストには荷が重いときもある。そういうときは農政官や刑部官、あるいは財務官を呼び、事実をただす。その答えを考慮しつつ、十国とをのくにの実情に合った国策を決定してゆく。

 ……そう言ってしまうことは容易いが、実際は恐るべき時間と手間を要する。
 完成のあかつきには王様ジジイに裁可をもらい、正式な王命として王領の内外に発布されることになる。そして実行に移される。実際はもっと細かな手順を踏むことになるだろう。

 発布までの手順はすでに決まっている。しかし今の悠太郎は、国策決定の段階で足踏みしていた。

 転生したときのご都合主義のおかげで、悠太郎はこっちの世界の文字を読むことが出来る。これはいい。だから各大臣の持って来る書類や、十国とをのくにに古来から保管されている歴史書もまた読める。これもいい。

「くそー」

 悠太郎を悩ませるのは、その中身だった。
 隠語や専門用語になると途端に分からなくなる。文字が読めても、意味が分からないのだった。

「どうかなさいましたか。勇者殿」
「アウグスト。この近衛隊の報告書だけれども」
「はい。何か不都合がありましたか」
「大アリだ。先達ての卯の侯爵を追っ払ったときの報告書だ。経緯をまとめてくれたのはいいけど、ここの表現が分からない。〝そのとき勇者はさながら聖マルタンの心をもって卯の侯爵に接したのだった〟……どういう意味だ? 聖マルタンはどんな人物なんだ?」
「ご存じないのですか」

 アウグストは目を丸くした。まるで1足す1がいくつなのか分からない、と言われたときのように驚いている。
 
「聖マルタンは騎士です。我らが生くるに見本とすべき騎士です。……ある寒い冬の日、1人の貧者が寒さに凍えているのを見兼ね、自らのマントを半分切り裂いて与えた話が残っています」
「そういうことか。つまりこの文章は僕……勇者を立てる文章なんだな。卯の侯爵に情けをかけたってことか。それからこの〝勇者が仕えるのは聖ゲオルギウスのごとき剣術を我が者とするシャーリー姫〟って書いてあるけど、どういう人なんだ? この聖ゲオルギウスって」
「聖マルタンよりも崇拝される騎士です。ある町に竜が現れ暴虐の限りを尽くしますが、聖マルタンはその見事な剣さばきで竜を倒すのです」
「うーん。なんでこんなまどろっこしい書き方をするんだ。ただ一言〝倒した〟とか〝追い払った〟でいいのに」
「そうはおっしゃいましても、昔からの慣習ですから」

 一事が万事、こんな調子だった。
 この時代の人々にとって「当たり前」のことを悠太郎は知らない。アウグストのように騎士であれば聖マルタンや聖ゲオルギウスといった聖人を知らないはずがない。だから例え話を出されてもすぐ分かるのだろうが、平成の日本生まれの悠太郎にはチンプンカンプン。

 それでなくともこの時代は、大仰にホメ立てるのが礼儀である。必然的に文章は長く、冗長になる。

 ――無駄じゃないか、この長さ。

 はっきりいって余計な文章であると悠太郎は思うが、この表現を止めよ、とは言えない。なぜならば礼儀だからである。もしないがしろにすれば騎士たちの反感を買う。国家改造どころではない。

「習慣なのは分かるがなあ。うん、まあ、これもおいおい変えてゆくのが妥当かな」
「変える、ですか」

 アウグストが顔を上げる。
 やや驚きの色を伴って。

「そうだ。変える。公式文書にこんな長ったらしい修飾語はいらない。事実だけを書けばいいんだ。紙も時間もインクも節約できる」
「お言葉ではありますが勇者殿。それはあまりに急変かと。騎士は面目を重んじます。それは言葉によって生まれるのです。それを失くしてしまうとは……」
「分かった。意見の1つとして心に止めておくよ」
「はっ」

 この時代、子は親の職業を継ぐのが普通である。騎士の子は騎士になるし、職人の子は職人になる。
 もし騎士を親に持ったとき、まず生まれると、親は子に「守護聖人」を定める。これは守護霊みたいなもので、その聖人のような生き方をすれば悪いことから身を守ってくれるという信仰に根拠を置く。

 聖人は教会が認定する。神ではないが、人間の中でも尊い人という意味で、1年のうち1日は必ず各聖人の日が設けられ、休日になっている。
 たいていの場合、生まれた日に近い聖人を守護聖人に選ぶし、そうでない聖人の所行も誰もが知っている。教会に行けば神父が聖人の行いを解くし、親からもおとぎ話の代わりに聞かされて育つ。

 だからこの時代を生きる騎士であれば聖人を例えに出すのは普通だったし、そうでない一般庶民でも知っている。
 そして聖人を知る騎士も一般庶民も、聖人に対しては何かしらの敬意を持っている。それは今、悠太郎が目を通した公式文書にもしばしば登場する。

 これほど根付いた習慣を失くすには相当の手間と覚悟が必要になるだろう。しかしこれも国家改造の1つ。悠太郎は「おいおい失くす」と断言したのである。

 さて次の問題である。

「困ったなあ。うーん。書式も統一した方が効率的だよなあ」
「書式を?」
「うん。美末。A4用紙を出してくれ。材質は藁半紙くらいの粗末なのでいい」
「はい」と、控えていた美末は『手の平』からA4用紙の束を取り出すのだった。あくまでも自然なふうに。

 アウグストはA4用紙を手に取り、触り心地を確かめる。

「なんと薄い紙! それに白い。驚いた。こんな上質の紙が存在するなんて」
「今後、報告書はその紙で提出することに取り決める。大きさを一緒にすれば本にまとめやすい。それに中性紙だから劣化も少ない」
「羊皮紙では産地や気候で品質がバラつきますから、その措置は有用ですね」
「うん。それに書式も統一する。これまでの報告書では書き手によって全くバラバラだ。日付を書かないものもあれば天気や風向きもちゃんと書くものまであって、統一されていない。読みにくくてしょうがない。それにクセ字があったり、文字の大きさも違う。表現も簡素なのから大げさなのまである。……美末、タイプライターを」
「はい」と、美末はこれまた自然なふうにタイプライターを『手の平』から取り出し、机の上に置いた。

「書式は今後、通達する。それから手書きの報告書は中止だ。これからはタイプライターで打つんだ。事実のみを、しっかりとな」
「たいぷ……? これは一体どうやって使うのですか」
「見せた方が早い。美末、やってみてくれ」
「はい」

 美末は椅子に座り、タイプライターを実演してみせる。紙をセットし、抑え具でA4用紙を固定。パソコンを打つようにして文字を打ち始める。
 文字のキーを打つごとに、A4用紙にアルファベットが並ぶ。改行の際には「チーン」鳴り、そのたびに美末はキーヘッドを最初の位置に戻すのだった。

 アウグストはその様子をビックリしながら見つめるのだった。タイプライターを打つ音は意外と大きい。
 やがて美末の書き上げた文書が完成した。

「さあアウグスト。どうだ? 手で書くより早いし、誰が打っても文字が一緒。読みやすいだろう」
「こ、これは一体どういう仕組みに? そうか、あらかじめ金属に文字が刻まれているのですか。それをインクで打ち付ける。なんという発明だ! おお! 文字もしっかりしている。確かに読みやすい」
「これをとりあえず政府の主要な部署に配置する。もちろん用紙も配るし、予備のインクリボンも配布する。ああ、それとタイピストを養成しないといかん。最初はうまくゆくか分からないが、のちのちを考えれば必要なことだ」
「これがタイプライターですか……」

 アウグストはまだ感心している。
 タイプライターがいつ発明されたのかは諸説ある。昔から少しずつ改良を重ねられてきたものだから、誰がいつ作ったと断言できない。ただ18世紀にイギリスで特許登録されていることが分かっているのみだ。
 何にしても10世紀にはない発明である。アウグストは実に800年先の製品を見ているのだ。ビックリしないはずがない。

「アウグスト。これの使用を徹底してもらいたい。それにこれまでの資料を全部打ち直してもらいたい。そうれば今みたいにいちいち羊皮紙を広げることもない。製本できるからね」
「は、はい。王陛下への進言にはさっそくこの用紙を使わせていただきます。すると、羊皮紙で公文書が作られることはなくなるのですか」
「文化としての羊皮紙は残るかもしれないけど、これからは紙を公式文書に使ってゆくことにしようと考えている。いずれは他の国も追従するだろうな」
「勇者殿には未来が見えるのですか」
「まあ、ね」

 悠太郎は言葉を濁す。実際、悠太郎は未来を知っている。そして15世紀頃までに羊皮紙は姿を消し、以後は文化として細々と残るに過ぎないことも知っている。

 国家の基幹を為すものは資料である。
 過去の外交、為政者の発言、軍事の概要、また税金の徴集、戦さの推移、徴兵の数、兵器の員数。
 国家運営に資料は必須である。

 今日以後、悠太郎主導の下、十国とをのくにでは改革がいくつも為されるだろう。残すべき記録はドンドン増える。関係官吏に通達すべき書類もまた増える。
 羊皮紙はおいそれと増産できない。いかに美末の手の平から無限に出るといっても、いずれ紙に地位を譲るものだ。

 だから悠太郎は歴史の歯車を少しだけ早めることにした。今のうちから紙に慣れておく。それに製紙工場で量産できるようにしておけば、紙の時代が来たとき十国とをのくにはかなりのアドバンテージを取ることが出来る。

「ふー。ちょっと休憩しようか」
「はい。朝から詰めっきりですからね。お疲れ様です」

 悠太郎は地下から這い出るようにして地上へ出る。お日様カンカン。非常に良い天気。
 今日も洗濯物がよく乾きそうだ。おどおど侍女がいれば洗濯タライを抱えて走り回っているかもしれない。

「ゆーたろー。お疲れ様。ジュース飲む?」
「じゃあコーラくれ」
「どうぞ」
「ありがとう。手の平は本当に便利だ。ごくごく」

 2人は木陰にそろってすわる。

「そうだ美末。今度コピー機を出してくれないか。スキャン出来るやつだ」
「資料をデータベース化するんですか」
「その通りだ。そうすれば無限にコピー出来る。それに紛失に備えられる。火事や水害で資料が失せてしまうことがなくなる。最終的には図書館に行かなくてもデータ閲覧できるようにするつもりだ。どこにいても資料閲覧できるようにしたい」
「そうすればどこにいても政治が出来ますね」
「うん。それに電話線を引きたいなあ。例えば仮城とルテキア城を電話連絡できるようにするんだ。そうすれば前線の動きがすぐさま分かるし、命令も即座に下せる。そのためには電気が必要だな。いや、発電所を作らないといかん。待て待て、石炭や石油を掘り出さないと発電できない……」
「やることは山積みですね」
「ほんとうに山のようにあるよ。ウンザリするほどだ」
「でもゆーたろー、楽しそう」
「そうかな」
「そう見えます」
「僕のやり方ひとつで国の形が決まるんだから。大変だよ」

 でも実際、悠太郎は楽しいのだった。
 キモオタが中世まがいの異世界に転生。そして1つの国家を改良すべく、政治の中枢で辣腕をふるう。これほどオタ心をくすぐられることがあろうか、いやない。反語。

 そこへシャーリー姫がやって来るのだった。

「ユーリー! 遊ぼー!」
「シャーリー? あれ、今日も勉強じゃないのか。家庭教師とやらに」
「ツマンナイから抜け出してきちゃった。遊ぼ!」
「ちょうど休憩中だったんだ。散歩にでも行こう」
「うん! あ、ミスは来なくていいよ」
「いいえ、わたしも同行しましょう」

 相変わらず仲の良くない2人だな、と悠太郎は思う。同じ女の子同士どうにかならないのかな。同い年なのだし。
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