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vol.4
俺がキスした理由
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****
俺が園田真優を初めて見たのは、親友の秋彦の会社……源川コーポレーションでだった。
彼女は覚えていないだろうが、今思えば俺はあの時から彼女の存在を気にしていたのだと思う。
外見は今時の女の子らしかった。
明るく染めた艶のある巻き髪に、薄すぎず濃すぎないメイク。
制服であるタイトスカートからのぞく脚はスラリとしていたが、細すぎず健康的だった。
中でも一番目を引いたのは、彼女の笑顔だった。
源川コーポレーションは本社だけで社員が数百人以上いる。
女子社員も多い。
そんな中で、なぜか色んな課の社員が彼女に声をかけながら通りすぎて行き、その度に彼女は輝くような笑顔を向けていた。
いや、社員だけじゃない。取引会社の営業はもとより、インゴットの運送業者、バイク便の青年までが、園田真優に一声かけたり手をあげて挨拶をするのだ。
何度か園田真優を見かけたが、彼女と接点の全くない俺は、離れた距離ですれ違うだけで、眼が合うことすらなかった。
こちらに気付かないのをいいことに、俺は何度か彼女を見つめた。
今時の女子と言うこと以外、ずば抜けて美人なわけではなく、どちらかと言えばなんとかメイクで年相応に見せていそうなほど、顔立ちはあどけない。
……女は愛嬌といったところか。
いや、愛嬌のある女性なら他にたくさんいるだろうに……。
*
そんな時、大学時代の友人から飲み会に誘われた。
人伝に俺が佐伯麻耶と別れたと聞いた佐田が、自分の彼女の親友とやらを紹介したいと言い出したのだ。
コンパ……女性との飲み会の類いが苦手な俺は、ノラリクラリとそれをかわし続けた。
三ヶ月前に別れた恋人……佐伯麻耶とも、取引先の社長達の飲み会で出会った。
佐伯グループの令嬢を無下に出来なかったし、俺に対する彼女の好意や、周りのお膳立てもあり付き合うことになったのだが……性格が合わず彼女に対する愛情は育たなかった。
人事部長のコネで既にうちの会社で採用していた麻耶は、俺と恋人関係を解消してもデザインタフに残った。
**
「今日は逃がさないからな!」
「なんでだよ。他のヤツ当たれよ」
佐田はしつこかった。
「俺の彼女の親友がさ、25歳の若さで見合いをしようとしてるらしいんだ。彼女…園田真優っていうんだけど、」
「……園田真優?」
その名前を聞いて、一瞬だけ身体が痺れるような気がした。
……秋彦の会社のあの娘の社員証は……確か……。
「そ。源川コーポレーションに勤めててさ、一度会ったことあるけどかわいい娘な」
「行く」
気付くと俺は、佐田の話を遮って行くと返事をしていた。
誰からも好かれている園田真優がどんな人物か、俺は自分の眼で見極めたかったんだ。
***
そんな俺の少し浮わついた心を、園田真優は情け容赦なく切って捨てた。
あの誰をも魅了する、輝く太陽のような笑顔はどこにもなかった。
それどころか、遅れてきた俺を侮蔑の表情で一瞥し、化粧室へと消えてしまったのだ。
飲み会の店にむかおうとしていた矢先に図面の差し替えに不備があると連絡を受け、取引先の工場へ行かねばならなくなった俺は、確かに時間に遅れたし、作業服だった。
弁解する余地のないまま飲み会は終了し、佐田と有賀は俺と園田真優を二人きりにするべく去ってしまった。
あの時の園田真優を、今でも鮮明に覚えている。
……生意気で、可愛くない。
嫌々送ると言った俺の態度の、更に斜め上を行くかのようなぞんざいな眼差し。
極上の笑みを浮かべるも、眼が全然笑っていなかったのだ。
おまけに小動物みたいに道路を突っ切って姿を消すというガサツさに、呆れるよりも笑いが出た。
『俺だってキミみたいな女が来るって分かってたら、ここにいないよ』
こんなこと思ってなかったし、確かに俺のこの言い方は酷かったかもしれない。
でも理由も説明させてもらえず、俺を『作業服』と呼んだ彼女にだって責任はあるだろ。
おまけに俺は、気を利かせたつもりが彼女を怒らせてしまったらしい。
噴水の際に立っていた彼女の腕を掴んで助けたつもりが……突然抱き締めた形になってしまった事で、彼女の眼に殺気が生まれた。
ヤバイと思った時には噴水に突き落とされていて、俺は呆然と彼女を見つめた。
そんな彼女の瞳には一筋の達成感が浮かんでいて、俺は内心呆気に取られた。
……なんて女だ。
25歳にもなって、初対面の男を噴水の中に突き落とすなんて。
もう許せない。
俺はずぶ濡れのまま彼女を捕まえると、素早く噴水に引きずり込んだ。
柔らかな色の水しぶきが、俺と彼女の周りに弾けとぶ。
ざまあみろ。
絶叫した彼女の顔に、俺はしてやったりと思った。
けど、瞬きをして次に彼女を見下ろした時、俺は不覚にも彼女に見とれた。
髪からキラキラした雫を滴らせ、真ん丸な瞳で俺を見上げた園田真優に、俺の鼓動が跳ね上がったのだ。
形のいい輪郭。長い睫毛に縁取られた二重の綺麗な眼。
それから、ポカンと開いた小さな口。
あの太陽の笑顔より、何倍も何倍も強烈なインパクトを俺の心に刻んだこの表情。
……キスしたいと思った。
こんなふうに誰かにキスがしたいなんて頭がおかしいのかも知れないけど、俺は彼女にキスがしたかった。
運命なんじゃないだろうか。だから彼女とキスがしたいんじゃないだろうか。
それに、彼女も……。
許されると思ったんだ。多分、彼女も同じ気持ちだって。
結果は惨敗で、俺は生まれて初めて女に殴られた。
しかも、何が入っていたか分からないが、ぎっしりとつまった重量級のバッグで。
「ばかーっ!」
思いきり叫んで身を翻した彼女の背後で、ハイヒールが弧を描いて宙に飛んだ。
「おい、靴……」
脱兎のごとく走り去った彼女に呆気にとられて俺は立ち尽くした。
「両方脱げてるし……」
痛くないのかな、足の裏。
しかし、物凄い綺麗なフォームだったが……陸上部かよ。
俺は堪えきれずに笑い出した。
この靴は……そう簡単に返したくない。
俺は噴水から出ると、笑いが収まらないまま彼女のハイヒールを拾い上げた。
***
恋人を作るのは、昔から難しくなかった。
学生時代も、起業してからも。
けれどいつも上手くいかなかった。
付き合い始めの頃は、好きになるかもとか、好きになろうとか思ったし努力もしたつもりだった。
けれどしばらくすると相手の打算や嫉妬ばかりが目につき、俺から別れを切り出すのがお決まりのパターンだった。
『私に悪いところがあれば直すから』
『ごめん。君が悪いんじゃないんだ』
最終的にはいつも同じ会話。
結局俺は……相手を傷つけるだけだった。
「罪な男だよな、ケーニィは。仕事のデキるモデル系イケメンの中身は、とんだ恋愛初心者で」
仲のいい従弟の高広は、会う度に俺の恋愛事情に首を突っ込み、ダメ出しをする。
「お前だって別れたばっかだろ」
「俺の場合は忙しすぎてすれ違い。ケーニィとはちょっと違うんだよ」
**
高広の自然消滅の相手が園田真優だと判った時は、今までに経験したことのない気持ちが込み上げた。
別れた事実に安堵する反面、この再会で再び交際がスタートするのではないかという不安。
考えれば考えるほどグッと詰まるような重苦しい感覚が胸の中に充満して、気分が悪い。
熱で気だるい身体でベッドに横たわると、昨夜ここで彼女を抱き締めて眠ったことばかりが思い出された。
なかなかバスルームから帰ってこない彼女を見に行くと、熱の為に床にへたり込んで眠っていた。
抱き上げてベッドに運ぶも、俺もまた熱のせいでどうしようもなかった。
寒いといいながら俺にくっつこうとする彼女が可愛くて、俺はなだめながら彼女を腕の中に囲い、ベッドに横たわった。
……この感覚は一体なんだろう。……彼女が好きとか?……いや。そんなんじゃない筈だ。
大体、お互いに印象は悪かったしこんな簡単に誰かを好きになるとか有り得ない気がする。
けれど、園田真優に自分以外の男が近寄るのは正直嫌で……。
ただの『お気に入り』的な?
自分の気持ちなのにこの感情の意味が分からなかった。
それから……彼女は怒るだろうか。
けど、ごめん。俺も限界なんだ。
俺は小さく謝ると、彼女に腕を回したまま眠りに落ちていった。
**
「なあ、慶太。そろそろ出向者の入れ替え時期だよな。園田真優をそっちで面倒見てやってくれない?」
親友の秋彦の会社……源川コーポレーションは契約会社だ。
秋彦の、なんの前振りもない単刀直入な会話はいつもの事だが……コイツはニヤけすぎだ。
「なんで、園田真優さんなの」
出来るだけ平静を装ってこう返した俺に、秋彦はニタニタと笑った。
「実は彼女の採用枠は設計なんだよね。けど、色々と社内事情があってさ、ズルズルと事務員やってもらってたんだ」
「ふーん」
「いやあ、本社に園田真優がいなくなるのは大打撃なんだけど、彼女の事を考えるとこのままっつーのもなあ。いつまでも事務員させてると、俺が最愛の恋人に叱られちゃうしなー」
確か、秋彦の婚約者は園田真優を可愛がっていて、仲がいいんだったな。
「うちはいいけど」
「じゃあ、決まり。あとで正式に人事部から連絡させるんで、よろしく」
秋彦のニタニタが伝染しそうになり、俺はごまかすように運ばれてきたビールを一口飲んだ。
***
程なくして事件が起きた。
麻耶の嫌がらせのせいで、園田真優が源川コーポレーションの前田という社員に乱暴をされたのだ。
すぐに助けに行ったけれど、しきりと唇を気にする彼女にどうしてやることも出来なかった。
前田が以前から園田真優を狙っていたのは、何となく分かっていた。
逃げ去る前田を見た時、追いかけて殴り飛ばしてやりたかったが、騒ぎを起こすと彼女が余計辛いと思い、秋彦に報告という形をとることにした。
それから、涙に濡れた彼女を見た時、ひとつの罪悪感が胸に生まれ、俺はハッとした。
もしかして、嫌だったんじゃないだろうか。俺とのキスも。
そう思うと全身が冷たくなっていく中、俺は必死であの時の彼女の顔を思い出そうとした。
ゆっくりと頬を傾けた時、彼女は逃げなかった。
顔を近づけた俺に、彼女は少しだけ瞳を伏せて……。
確かに、バッグで殴られたけど、キスした時は嫌がってなかったと思った。
ダメだ、段々分からなくなってきた。
もしかしてあの日、俺はこんな風に彼女を泣かせていたんじゃないだろうか。
だとしたら、俺だって前田と変わらない。
波のように押し寄せる後悔と、高広の牽制。
真優に興味がないなら近寄るなと、正面切って俺に告げた高広を直視できなかった。
俺は……俺の気持ちは。
高広を見送りショットバーを出た俺は、パーキングの車へと向かわず、タクシーに乗り込んだ。
憂鬱だった。
**
モヤモヤとした気持ちを抱えながらこの先も過ごしていくのかと思っていた矢先、それはあっさりと解決した。
『本社に園田真優がいなくなるのは大打撃』
そう言った秋彦の言葉が痛いほど良く分かった。
仕事に対する真摯な考え、他人を思いやる気持ち。
困っている相手が誰であろうが、自分の出来ることを全力で成し遂げて仲間を守ろうとする心。
いつか見た光景が、俺の脳裏に蘇った。
彼女に声をかける大勢の外注や、社員達。
誰もが園田真優を慕うのは、彼女の愛嬌なんかじゃない。
彼女の、心なのだ。
「な?凄いだろ、園田真優は」
丁度行程会議に参加していた俺に、秋彦が得意そうに笑った。
割れた鋼材の件を速やかに解決した園田真優をあの安川部長が褒め倒したのが印象的だった。
会議を終え、エレベーターの扉が閉まるのを確認すると、秋彦がまたしてもニヤニヤと笑った。
「結婚までの腰掛け社員じゃないよ、園田真優は。惚れたか?」
「アホか」
……惚れた。
ハッキリと自分の気持ちが分かった瞬間だった。
今までモヤモヤとしていた正体が分かり、霧が晴れるような思いだった。
俺は、園田真優が好きだ。
本当に好きだ。
そんな俺の前で秋彦がわざとらしく溜め息をついた。
「ただ、俺の婚約者が言うにはさ、園田真優はあんな可愛らしい外見とは裏腹に、中身は男らしいらしいぞ。実にサバサバしてて切り換えが早いんだと」
「……」
「お前、イケメン社長のクセに色恋に疎いし、ドン臭いもんなー。あの事件の当事者で製造部の俺様社員・上山に持ってかれちゃうかもー」
ヘラヘラと笑う秋彦にイラッとした。
「渡さないよ」
口を突いて出てしまった俺の言葉に、秋彦が眼を見張った。
「へぇーっ!慶太くんって実は男らしい……」
「うるせぇよ」
あの日、ブレイクルームで麻耶にハッキリと自分の意見を言った園田真優を思い返した。
仕事に対する、眩しいくらい純粋な彼女の気持ち。
『篠宮さんと私は無関係です』
それとこれは……真実だけど、グサリと胸に刺さる言葉だった。
だから先日の夜、俺のマンションのすぐ近くで会えた時には胸が踊った。
もしかして……会いに来てくれたのか?
けれど、随分タイミングが悪かった。
園田真優に、あんなところを見られてしまうなんて。
ケジメをつけたかったんだ。
あの日俺は、部屋に置きっぱなしの麻耶の私物を引き取りに来てもらい、この先いくら待たれても再び恋人関係に戻ることはないとハッキリ麻耶に告げた日だった。
そんな俺と麻耶の姿を見た園田真優は、身を翻すと駆け出していってしまった。
「携帯を会社に忘れてたんだ」
「御愁傷様」
秋彦に言わせると、追いかけなかった俺は確実に恋愛偏差値が平均以下らしい。
そう言われると、グウの音も出なかった。
現実問題、呼び出した麻耶を荷物と共に放り出す事は出来なかったし。
つくづく、俺は恋愛下手なんだと実感した。
***
すぐにでも弁解したい気持ちを抑えつつ、俺は会社に向かったが、ゲートで一緒になった彼女は、異様に落ち着き払っていた。
あまりにもさっぱりとした表情と儀礼的な笑顔。
職場にプライベートを持ち込まないにしても、あまりにもメリハリつきすぎだろ。
思わず腕を掴んで彼女を引き留めた俺の方がなんだか女みたいじゃないか。
アッサリと俺に会釈をして颯爽とエレベーターに乗り込む彼女を見つめていると、秋彦の言葉が脳裏をよぎった。
『園田真優は実にサバサバしてて切り換えが早い』
たとえば少しでも彼女が俺を好きで、でも麻耶との中を誤解したとすれば。
ゾッとした。
彼女が俺を恋愛対象外だと思い、たとえば高広や、源川コーポレーションの誰かを好きになったりしたら……。
いつものショットバーで、俺は真横に座る秋彦に向き直った。
それから、ハッキリとこう告げた。
「秋彦、気合い入れる為に宣言するけど、俺、真優ちゃんが好きだ。彼女を恋人にする」
俺が園田真優を初めて見たのは、親友の秋彦の会社……源川コーポレーションでだった。
彼女は覚えていないだろうが、今思えば俺はあの時から彼女の存在を気にしていたのだと思う。
外見は今時の女の子らしかった。
明るく染めた艶のある巻き髪に、薄すぎず濃すぎないメイク。
制服であるタイトスカートからのぞく脚はスラリとしていたが、細すぎず健康的だった。
中でも一番目を引いたのは、彼女の笑顔だった。
源川コーポレーションは本社だけで社員が数百人以上いる。
女子社員も多い。
そんな中で、なぜか色んな課の社員が彼女に声をかけながら通りすぎて行き、その度に彼女は輝くような笑顔を向けていた。
いや、社員だけじゃない。取引会社の営業はもとより、インゴットの運送業者、バイク便の青年までが、園田真優に一声かけたり手をあげて挨拶をするのだ。
何度か園田真優を見かけたが、彼女と接点の全くない俺は、離れた距離ですれ違うだけで、眼が合うことすらなかった。
こちらに気付かないのをいいことに、俺は何度か彼女を見つめた。
今時の女子と言うこと以外、ずば抜けて美人なわけではなく、どちらかと言えばなんとかメイクで年相応に見せていそうなほど、顔立ちはあどけない。
……女は愛嬌といったところか。
いや、愛嬌のある女性なら他にたくさんいるだろうに……。
*
そんな時、大学時代の友人から飲み会に誘われた。
人伝に俺が佐伯麻耶と別れたと聞いた佐田が、自分の彼女の親友とやらを紹介したいと言い出したのだ。
コンパ……女性との飲み会の類いが苦手な俺は、ノラリクラリとそれをかわし続けた。
三ヶ月前に別れた恋人……佐伯麻耶とも、取引先の社長達の飲み会で出会った。
佐伯グループの令嬢を無下に出来なかったし、俺に対する彼女の好意や、周りのお膳立てもあり付き合うことになったのだが……性格が合わず彼女に対する愛情は育たなかった。
人事部長のコネで既にうちの会社で採用していた麻耶は、俺と恋人関係を解消してもデザインタフに残った。
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「今日は逃がさないからな!」
「なんでだよ。他のヤツ当たれよ」
佐田はしつこかった。
「俺の彼女の親友がさ、25歳の若さで見合いをしようとしてるらしいんだ。彼女…園田真優っていうんだけど、」
「……園田真優?」
その名前を聞いて、一瞬だけ身体が痺れるような気がした。
……秋彦の会社のあの娘の社員証は……確か……。
「そ。源川コーポレーションに勤めててさ、一度会ったことあるけどかわいい娘な」
「行く」
気付くと俺は、佐田の話を遮って行くと返事をしていた。
誰からも好かれている園田真優がどんな人物か、俺は自分の眼で見極めたかったんだ。
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そんな俺の少し浮わついた心を、園田真優は情け容赦なく切って捨てた。
あの誰をも魅了する、輝く太陽のような笑顔はどこにもなかった。
それどころか、遅れてきた俺を侮蔑の表情で一瞥し、化粧室へと消えてしまったのだ。
飲み会の店にむかおうとしていた矢先に図面の差し替えに不備があると連絡を受け、取引先の工場へ行かねばならなくなった俺は、確かに時間に遅れたし、作業服だった。
弁解する余地のないまま飲み会は終了し、佐田と有賀は俺と園田真優を二人きりにするべく去ってしまった。
あの時の園田真優を、今でも鮮明に覚えている。
……生意気で、可愛くない。
嫌々送ると言った俺の態度の、更に斜め上を行くかのようなぞんざいな眼差し。
極上の笑みを浮かべるも、眼が全然笑っていなかったのだ。
おまけに小動物みたいに道路を突っ切って姿を消すというガサツさに、呆れるよりも笑いが出た。
『俺だってキミみたいな女が来るって分かってたら、ここにいないよ』
こんなこと思ってなかったし、確かに俺のこの言い方は酷かったかもしれない。
でも理由も説明させてもらえず、俺を『作業服』と呼んだ彼女にだって責任はあるだろ。
おまけに俺は、気を利かせたつもりが彼女を怒らせてしまったらしい。
噴水の際に立っていた彼女の腕を掴んで助けたつもりが……突然抱き締めた形になってしまった事で、彼女の眼に殺気が生まれた。
ヤバイと思った時には噴水に突き落とされていて、俺は呆然と彼女を見つめた。
そんな彼女の瞳には一筋の達成感が浮かんでいて、俺は内心呆気に取られた。
……なんて女だ。
25歳にもなって、初対面の男を噴水の中に突き落とすなんて。
もう許せない。
俺はずぶ濡れのまま彼女を捕まえると、素早く噴水に引きずり込んだ。
柔らかな色の水しぶきが、俺と彼女の周りに弾けとぶ。
ざまあみろ。
絶叫した彼女の顔に、俺はしてやったりと思った。
けど、瞬きをして次に彼女を見下ろした時、俺は不覚にも彼女に見とれた。
髪からキラキラした雫を滴らせ、真ん丸な瞳で俺を見上げた園田真優に、俺の鼓動が跳ね上がったのだ。
形のいい輪郭。長い睫毛に縁取られた二重の綺麗な眼。
それから、ポカンと開いた小さな口。
あの太陽の笑顔より、何倍も何倍も強烈なインパクトを俺の心に刻んだこの表情。
……キスしたいと思った。
こんなふうに誰かにキスがしたいなんて頭がおかしいのかも知れないけど、俺は彼女にキスがしたかった。
運命なんじゃないだろうか。だから彼女とキスがしたいんじゃないだろうか。
それに、彼女も……。
許されると思ったんだ。多分、彼女も同じ気持ちだって。
結果は惨敗で、俺は生まれて初めて女に殴られた。
しかも、何が入っていたか分からないが、ぎっしりとつまった重量級のバッグで。
「ばかーっ!」
思いきり叫んで身を翻した彼女の背後で、ハイヒールが弧を描いて宙に飛んだ。
「おい、靴……」
脱兎のごとく走り去った彼女に呆気にとられて俺は立ち尽くした。
「両方脱げてるし……」
痛くないのかな、足の裏。
しかし、物凄い綺麗なフォームだったが……陸上部かよ。
俺は堪えきれずに笑い出した。
この靴は……そう簡単に返したくない。
俺は噴水から出ると、笑いが収まらないまま彼女のハイヒールを拾い上げた。
***
恋人を作るのは、昔から難しくなかった。
学生時代も、起業してからも。
けれどいつも上手くいかなかった。
付き合い始めの頃は、好きになるかもとか、好きになろうとか思ったし努力もしたつもりだった。
けれどしばらくすると相手の打算や嫉妬ばかりが目につき、俺から別れを切り出すのがお決まりのパターンだった。
『私に悪いところがあれば直すから』
『ごめん。君が悪いんじゃないんだ』
最終的にはいつも同じ会話。
結局俺は……相手を傷つけるだけだった。
「罪な男だよな、ケーニィは。仕事のデキるモデル系イケメンの中身は、とんだ恋愛初心者で」
仲のいい従弟の高広は、会う度に俺の恋愛事情に首を突っ込み、ダメ出しをする。
「お前だって別れたばっかだろ」
「俺の場合は忙しすぎてすれ違い。ケーニィとはちょっと違うんだよ」
**
高広の自然消滅の相手が園田真優だと判った時は、今までに経験したことのない気持ちが込み上げた。
別れた事実に安堵する反面、この再会で再び交際がスタートするのではないかという不安。
考えれば考えるほどグッと詰まるような重苦しい感覚が胸の中に充満して、気分が悪い。
熱で気だるい身体でベッドに横たわると、昨夜ここで彼女を抱き締めて眠ったことばかりが思い出された。
なかなかバスルームから帰ってこない彼女を見に行くと、熱の為に床にへたり込んで眠っていた。
抱き上げてベッドに運ぶも、俺もまた熱のせいでどうしようもなかった。
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それから……彼女は怒るだろうか。
けど、ごめん。俺も限界なんだ。
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秋彦の、なんの前振りもない単刀直入な会話はいつもの事だが……コイツはニヤけすぎだ。
「なんで、園田真優さんなの」
出来るだけ平静を装ってこう返した俺に、秋彦はニタニタと笑った。
「実は彼女の採用枠は設計なんだよね。けど、色々と社内事情があってさ、ズルズルと事務員やってもらってたんだ」
「ふーん」
「いやあ、本社に園田真優がいなくなるのは大打撃なんだけど、彼女の事を考えるとこのままっつーのもなあ。いつまでも事務員させてると、俺が最愛の恋人に叱られちゃうしなー」
確か、秋彦の婚約者は園田真優を可愛がっていて、仲がいいんだったな。
「うちはいいけど」
「じゃあ、決まり。あとで正式に人事部から連絡させるんで、よろしく」
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***
程なくして事件が起きた。
麻耶の嫌がらせのせいで、園田真優が源川コーポレーションの前田という社員に乱暴をされたのだ。
すぐに助けに行ったけれど、しきりと唇を気にする彼女にどうしてやることも出来なかった。
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逃げ去る前田を見た時、追いかけて殴り飛ばしてやりたかったが、騒ぎを起こすと彼女が余計辛いと思い、秋彦に報告という形をとることにした。
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もしかして、嫌だったんじゃないだろうか。俺とのキスも。
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ダメだ、段々分からなくなってきた。
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『本社に園田真優がいなくなるのは大打撃』
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困っている相手が誰であろうが、自分の出来ることを全力で成し遂げて仲間を守ろうとする心。
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今までモヤモヤとしていた正体が分かり、霧が晴れるような思いだった。
俺は、園田真優が好きだ。
本当に好きだ。
そんな俺の前で秋彦がわざとらしく溜め息をついた。
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「……」
「お前、イケメン社長のクセに色恋に疎いし、ドン臭いもんなー。あの事件の当事者で製造部の俺様社員・上山に持ってかれちゃうかもー」
ヘラヘラと笑う秋彦にイラッとした。
「渡さないよ」
口を突いて出てしまった俺の言葉に、秋彦が眼を見張った。
「へぇーっ!慶太くんって実は男らしい……」
「うるせぇよ」
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仕事に対する、眩しいくらい純粋な彼女の気持ち。
『篠宮さんと私は無関係です』
それとこれは……真実だけど、グサリと胸に刺さる言葉だった。
だから先日の夜、俺のマンションのすぐ近くで会えた時には胸が踊った。
もしかして……会いに来てくれたのか?
けれど、随分タイミングが悪かった。
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ケジメをつけたかったんだ。
あの日俺は、部屋に置きっぱなしの麻耶の私物を引き取りに来てもらい、この先いくら待たれても再び恋人関係に戻ることはないとハッキリ麻耶に告げた日だった。
そんな俺と麻耶の姿を見た園田真優は、身を翻すと駆け出していってしまった。
「携帯を会社に忘れてたんだ」
「御愁傷様」
秋彦に言わせると、追いかけなかった俺は確実に恋愛偏差値が平均以下らしい。
そう言われると、グウの音も出なかった。
現実問題、呼び出した麻耶を荷物と共に放り出す事は出来なかったし。
つくづく、俺は恋愛下手なんだと実感した。
***
すぐにでも弁解したい気持ちを抑えつつ、俺は会社に向かったが、ゲートで一緒になった彼女は、異様に落ち着き払っていた。
あまりにもさっぱりとした表情と儀礼的な笑顔。
職場にプライベートを持ち込まないにしても、あまりにもメリハリつきすぎだろ。
思わず腕を掴んで彼女を引き留めた俺の方がなんだか女みたいじゃないか。
アッサリと俺に会釈をして颯爽とエレベーターに乗り込む彼女を見つめていると、秋彦の言葉が脳裏をよぎった。
『園田真優は実にサバサバしてて切り換えが早い』
たとえば少しでも彼女が俺を好きで、でも麻耶との中を誤解したとすれば。
ゾッとした。
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