シオンズアイズ

友崎沙咲

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第九章

シオンズアイズ

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「香……これからどうする?」

ファル達の軍が戦後の後処理に追われる中、香とシオンはサーガル川を見下ろす小高い丘の岩に腰を下ろした。
シオンは少し笑って続けた。

「香はもう『守護する者』じゃないんだから、私に遠慮しちゃダメだからね」
「ここに、残るの?」

香の問いにシオンは頷いた。

「もう何も知らなかった頃には戻れない気がして……」

遠くを見つめるシオンの瞳が七色に輝いて、香はその美しさに眼を細めた。

「それに私、気付いたの。力の使い方に。
『七色の瞳の乙女』は、血と涙だけじゃないってことに」

確信は無かったけれど、シオンには薄々分かっていた。
きっとオーディンだ。

彼がグングニルをひと振りした時に、なにかを感じたのだ。
もしかしたら、『念じ方』をそれとなしに教えてくれたのかも知れない。

「……そう」

香は懐かしくて眼を細めた。
いつだっただろう。
一度だけ見た事があった。
世にも美しいあの光景を。

「香、今の私に出来ることを精一杯するわ」
「うん。でも気を付けて」

シオンは頷いてゆっくりと立ち上がり、全てをその瞳に映した。
空と大地、川。崩れた建物。戦死者、負傷兵。
何もかもを瞳に映したあと、シオンは大きく息を吸い込み、天に向かって両手を開いた。

「あ……!」

風が徐々に強くなる。
その風に、七色の光の粒がキラキラと舞い散った。

シオンの身体から七色の光が放出され、それが風に乗って、存在する総てのものに降り注いだのだ。

ああ、なんて綺麗なんだろう。
香は涙を止めることができなかった。

魂が震えるような、切ないような嬉しいような言いえぬ感情が心に生まれる。
キラキラと輝く小さな欠片が降り注ぐにつれ、焼け野原と化していた大地に緑が芽吹いた。

泥で濁っていた川が次第に底まで見える程に透き通り、魚が跳ねた。
傷つき、横たわっていた兵がゆっくりと身を起こすと、自分の身体を不思議そうに触りながら見回す。

「終わった、みたい……」

シオンは嬉しさのこもった口調でそう言うと、ホッと息をついた。
きっと、この癒しの輝きは総てに行き届いたんだ。

なんだか、感じるもの。
私には戦いをやめさせる力はない。

でも少しだけど、戦いの傷を癒すことは出来たかな……。
最初は信じられず、怖くて不安だった。

不可思議なこの世界も、自分が『七色の瞳の乙女』だということも。
でも今は、全てを自然に受け入れられる。
こういう力も、こういう世界も確かに存在すると。

みんな、ごめんね。
『七色の瞳の乙女』なのに、あまり役に立てなくて。
もっともっと、存在するすべての人の役にたてたらいいのに。
シオンの身体がゆっくりと崩れ落ちた。

「シオン、シオンッ!!」

香の声がやけに遠くなり、シオンは固く眼を閉じた。

◇◇◇◇

七日後。
奪還後のケシア。

「きっと、凄く体力を使ったのよ」

香は、寝台に横たわるシオンを見つめながら小さな声で言った。
戦後処理の最中であったファル達は、天から降り注ぐ、キラキラとした七色に輝く小さな粒を見て言葉を失った。

七色の光の粒が身体に触れた瞬間、生気がみなぎり、戦いの疲れが嘘のように消えた。
兵達は、両手を差し出して七色の光の粒を浴び、口々に言った。

「これは……七色の瞳の乙女の恵みだ」

兵達の傷が癒え、焼けた大地に緑が芽吹くのを目の当たりにしたファルの声が、驚きのあまり掠れた。

「シオンか……!」
「恐らくな」
「ファル、シオンのもとへ急げ。シオンのお陰で後の仕事は戦死者の埋葬くらいだ。軍の指揮は俺がとる」

マーカスの言葉にファルが頷いた。

「分かった。後は頼んだ」

はやる胸を抑えながら手綱をさばき、暫く大地を駆けていた最中に、ファルは丘で手を振る香を見つけたのだった。
あれから七日が経つが、以前としてシオンが目を覚ます気配はなかった。

「どうして目覚めないんだ」

アーテス帝国を縦断してケシアへ入り、ダクダの城でシオンを寝かせてからひたすら看病しているが、彼女が目覚める気配はない。

「私もここまでの昏睡状態は見た事がないわ」

マーカスがシオンの脈を取りながら眉を寄せた。

「これ以上目を覚まさないのはまずいぞ。いずれは衰弱する」

ただ、今のところは顔色も良く、生き生きとしているのが幸いであった。

「医者の次は、巫女を呼ぶか?」
「あのさ」

香が声を潜めて言葉を発し、一同が彼女に集中する。

「キスしてみたら?」
「キスってなんだ」

ポカンとするアルゴ。
答えない香を諦め、アルゴがマーカスを見つめる。

「さあー……」

マーカスは意味ありげな眼差しをファルに向けて口元に手をやり黙り込む。

「俺には聞かないのか」

ジュードが真顔で口を開き、やがて全員の視線を浴びてファルが硬直した。
コイツら……。

「だから、キスってなんだよ」

キスという言葉を知らず、尚且つ微妙な空気を読むことも出来ないアルゴを忌々しく思いながら、ファルは誰とも眼を合わさずに空を睨んだ。

「最高神オーディンを見たし、シオンの力で焼け野原の戦場が元の緑を取り戻し、傷付いた兵士達が復活したのよ?!
もう何でもアリでしょ!」

ファル以外の全員がウンウンと頷く。
それを見た香が、意味ありげにニヤつきながら口を開いた。

「私達がいた世界にはね、おとぎ話ってのがあるの。
大抵主人公のお姫様は、王子様の口付けで目覚めるのよねーっ」

一瞬皆が顔を見合わせ、それからファルをジイッと見つめた。

「お前、これだけ看病しといて口付けのひとつもしてないのか?」
「ほう。普段手の早い王子様も本命には唇も出ず……」
「お前ら、出ていけっ!」

無遠慮なアルゴの問いとマーカスの余計な言葉に、ファルは堪らず叫んだ。

「ほら、さっさとしてみなさいよ。目覚めるかも」
「なんだ、恥ずかしいのか?!」
「いつから奥手に」
「じゃあ、俺が代わりにキスとやらをしてやろう!唇でいいのか!?」

最後に放ったジュードの言葉が引き金となり、ファルは顔を真っ赤にして腰の長剣に手を伸ばした。

「一番最初に叩き斬って欲しいのは誰だっ?!」
「きゃーっ、みんな、ファルに殺されるわよっ!逃げましょ!!」
「ほんとだぜ、俺は死ぬ前に肉が食いたい!」
「じゃあ逃げるぞ!」
「それがいい、そうしよう」

一目散に全員が部屋から飛び出すと、室内が嘘のように静まり返った。
……アイツらっ!

長剣から手を離しながら、ファルは熱くなった頬を膨らませるようにして大きく息を吐き出した。
それから小さく息をつくと、眠るシオンを見つめた。

羽のように長い睫毛はピクリともしない。
ファルは、初めてシオンに会った時の事を思い返した。


『ひどいわ、いきなり、キスするなんて…!』
『お前が叫ぶからいけないんだ』
『夜まで待てなんて、いやらしい事言うからでしょ、この変態っ!』


あの時は殴られるなんて思ってなかったし、泣かれるとも思ってなかった。
それに、こんなに愛するとも。


『あなたは、私を殺すかも知れないでしょう?だから私……あなたが怖いし、あなたといたくない』
『俺は、お前を殺さない。
それに……俺は、こうしていたい、お前と』


そうだ。
俺はこれからもお前といたい。
共に生きていきたいんだ。

「シオン」

床に膝をつき、ファルは眠るシオンの顔を覗き込んだ。

「本当に、俺が口付けたらお前は目覚めてくれるのか?
俺がお前に……キスしたら」

ファルはそこまで言うと、シオンの手を握り髪を撫でた。
……思い返せば、出会ってから一緒に過ごした時間はとても短い。

「これから俺にお前の時間を分けてくれないか?
共に未来を築かないか?
俺はお前と人生を歩んでいきたい」

ファルは、言い終えるとシオンの唇にそっとキスをした。
彼女の頬に手を添え、それはそれは大切に唇に触れた。

「……っ?!」

ファルは眼を見張った。
シオンの身体が柔らかな七色の光に包まれたからだ。

こ、れは……?!
けれどそれはほんの一瞬の出来事で、瞬きをした次の瞬間には跡形もなかった。
けれど。

「ファル……」

小さくて掠れたシオンの声に、ファルは眼を見開いた。

「シ、オン」

シオンは数回瞬きをした後、ふわりと笑った。

「……ファル」
「シオン!!」

ギュッと眉を寄せたかと思うと自分の上に身を伏せて頬を寄せたファルに、シオンはクスクスと笑った。

「ファルったら、重い……」

それからファルの金色の髪を撫でた。

「どうしたの、ファル」

ファルは顔を起こして切なく笑うと、シオンを至近距離から甘く睨んだ。

「こんなに俺を心配させるなど、いい度胸だ」
「……ごめん」

ポツンと呟いて潤んだ瞳を向けるシオンに、グッと胸が疼く。

「お前から……キスしたら、許す」

シオンは少し眉を上げたが、

「凄く簡単」

シオンはニッコリ笑うとファルの頬に手を添えた。

「ダメだ!やっぱり俺からする」

シオンの腕を優しく掴むと男らしい精悍な頬を斜めに傾けて、ファルは再びシオンにキスをした。

「っ……ファルったら」

僅かにできた隙間からシオンが言葉を漏らす。
何度も何度も角度を変えて口付けるファルの胸を、シオンが少し押した。

「もう……苦しい」

ファルは、顔を離すとニヤッと笑った。

「少しはお前も我慢しろ。俺はこの七日間、生きた心地がしなかったんだ」

ファルの言葉を聞いて、シオンは信じられないと言ったように眼を細めた。

「そんなに寝てたの?」
「寝過ぎだ。きっと自力で歩けないぞ」

シオンはファルに甘えたくて答えた。

「じゃあ、抱いて歩いて」

ファルは少し驚いてシオンを見つめた。
それから、エリルの森で初めてシオンを抱きかかえて歩いた事を思い出した。

……あの時のシオンは、恐怖と恥じらいを浮かべた表情で俺を見ていた。
七色に瞳を輝かせて。
俺はそんなこいつを見て……。

今は自らそれを望んでくれるのか。
ならばいつだって、俺は答えたい。

「ああ、どこまでも抱いて運んでやる」

白い歯を見せて、爽やかにファルは微笑んだ。

……ファル……。

「……ごめんね」
「何故謝る?」

「役に立てなくて」
「お前は多くを救った。傷付いた全ての兵士や荒れた大地、そして水も。
きっと同盟国を始めアーテス帝国の兵士にとっても、お前は偉大で尊ぶべき存在だ」

偉大で尊ぶべき存在……。
ファルが心配そうにシオンを見つめた。

「……なぜ泣く?」

シオンは何でもないと言った風に少し頭を振った。

「……ファルと、またこうして話せるのが嬉しくて」

ファルは両手でシオンの頬を包み込むようにしてその涙を拭った。

「……目覚めたところだ。何か飲んだ方がいい。香を呼ぶから少し待ってろ」
「ん」

部屋を出てから拳をギュッと握り、ファルは立ち止まった。
シオンの悲しげな顔が、胸に突き刺さったのだ。

◇◇◇◇

一ヶ月後。

「ファル!!みんな!」

城内の、列柱がそびえ立つ廊下の先でロイザが皆に駆け寄った。
シオンの体調が回復し、戦死者の埋葬を終えて喪に服し、ファル達はようやくケシアから無事に帰還した。

ダグダ軍はアーテス帝国を制圧した後、ファル達よりも一足早く王都リアラへと戻って、戦死者の弔いの儀式を行った。
ロー帝国はメルの都の奪還成功を大層喜び、リーリアス帝国を称えた。

「よお、ロイザ、お前少し太ったんじゃないのか?」

アルゴに頭を小突かれ、ロイザはムッとして口を開いた。

「太ったんじゃない!筋肉をつけたんだ」
「ほーお。じゃあ俺が、お前の剣が上達したか後でみてやる」
「あ!君がシオン?!それと……香?」

慌ててシオンは頭を下げた。

「初めまして」

香が微笑み、シオンがロイザに頭を下げると、彼は人懐っこい笑顔を見せた。

「ふたりとも、可愛いね」
「こら、ロイザ、色気付いてんじゃねえ!
それに俺たちは疲れてるんだ。
風呂だ、風呂!」

アルゴが香を隠すように立ち塞がると、ロイザは呆れたように彼を見上げた。

「相変わらず、アルゴは声がデカイ。あ、そうだ、今日は帰還の宴だってさ!」
「今夜は肉と酒だな!楽しみだぜ。香、後でな!」

ロイザとアルゴ、ジュードが連れ立って去り、ファルが口を開いた。

「マーカス、俺は父上に会ってくる」
「ああ」
「シオンと香はもうすぐ女中長のサリが迎えに来る筈だ。暫く待っていろ」

そう言いながらファルはシオンを見たが、彼女の固い表情に気付くと、静かに眼を伏せてマントを翻した。

一瞬流れた微妙な雰囲気を感じ取り、マーカスはシオンに視線を移したが、唇を引き結んで俯いている横顔に小さく息をついた。

空は陽が傾き始めて赤みが増し、城門前の大広場が一段と騒がしくなりつつあった。

◇◇◇◇

「あー、さっぱりしたぁ!」

入浴を済ませた香は上気した顔をパチパチと叩きながら大きく息を吐き出した。
鏡の張られた立派な支度部屋に通された二人は、大理石のテーブルに着席して顔を見合わせた。

「ヤギミルクのお湯って、肌がツルツルになるわね」

香は化粧係の化粧を断り、自分で身体に香油を塗りながらシオンに話しかけた。

「見てシオン、メイク道具一式あるわよ。服もいっぱいあるわ。早くメイクを済ませて皆のところに行きましょ」

言いながら服を選ぶと素早く着て、テキパキとメイクを施す。

「あんたはこれ!これが一番似合う。早く着替えなさい」

香に急かされ、シオンは袖を通しながら口を開いた。

「香、現代に帰る?」

ケシアでシオンは香にこう尋ねたが、答えを聞けないままであったのだ。
香がメイクの手を止めずに、小さな声で答えた。

「アルゴにプロポーズされたの」
「えーっ、いつ?!」

「あんたがぶっ倒れてた間に」
「マジ!?で、結婚するの?!」

「しない」
「断ったの?!」

香が呆れたようにシオンを見つめた。

「あんた、異世界に来て脳ミソぶっ壊れたの?」

出たわ、久しぶりの毒舌が。

「ぶっ壊れてはないと思うんだけど……」

香はシラケた眼差しでシオンをチラッと見ると、メイクを続けた。

「付き合ってもないのに、何で急に結婚しなきゃなんないのよ。
平安や戦国時代の姫でもあるまいし。いや、明治でもありえるな」

……はあ……そう言われればそうですけど……。
これ以上何か言うと怒られそうな気がしたから黙っていると、香は息をついてから淡々と続けた。

「取り敢えず付き合ってみる」

つ、付き合ってみる……とは……。

「す、住むところとか、どうすんの?」
「アルゴは城内に屋敷があるみたいよ。でもいきなり同棲ってのもヤダから、どっか探すわ」

シオンはアングリと口を開けて香を見つめた。
凄いなあ、香は。
いつでも何処でもしっかりしていて、カッコいい。

「あんたはどうすんの」

私は……。

「私はファルが好き。凄く愛してるし正直、離れたくない。
でもね、不安なの。よくよく考えると彼は王子様で、私とは身分が違うし……」
「シンデレラを見なさいよ!あの女みたいにド厚かましくなったってバチは当たらないわよ、あんたは」

シンデレラを『あの女』扱いでしかも、ド厚かましいと……。

「だってあんたは荒れた大地も傷付いた兵士達も救ったんだからね!」

シオンはメイクの手を止めて俯いた。

「前に香が言ったでしょ?『七色の瞳の乙女は処女じゃなくなると力を失う』って。
……私に課せられた使命を全うせずに、その力を失っていいのかなって……それって、罪なんじゃないかって」

香はメイクをほぼ終わらせ、仕上げに取りかかりながら言った。

「要するに、七色の瞳の乙女として皆を救い続けるか、ファルとの恋を取るか悩んでるって事?」

シオンはコクンと頷いた。

「ファルとの恋を選んでも、そのうちファルにだって飽きられちゃうかも知れないし……怖いの。
だって私、なんの取り柄もないし特技もないから」

「力を保ちながらファルと恋人同士になるなんて無理でしょ。
あのファルが、あんたを抱かずに一生我慢出来るわけないじゃん!
多分、三日も無理だね!
それにファルにフラれたら他の男を探しゃいいじゃん。そんなのどこ行ったって変わらないわよ!人生長いのよ?
ひとつ恋が終われば、またひとつ恋をする。普通でしょーが」

香は続けた。

「しかも、あんたは神じゃないのよ」

シオンは弾かれたように香を見つめた。

「そりゃあんたの力は偉大だけど、あんたは神じゃない。これからもその力を奮い続けるなんて、ある意味傲慢だわ」

傲慢……。神じゃない……。
香は少し笑った。

「もうあんたは、『七色の瞳の乙女』としての役目を果たしたのよ」

鳥肌が立ったようにザワザワとし、シオンは両手で体をさすりながら香を見つめた。

「何千何万という負傷兵を救ったんだからね」

そこまで香が言った時である。

「三日も無理で悪かったなっ!!」

恐ろしい勢いで支度室の入り口の幕を跳ね上げ、ファルが姿を現すとギラッと二人を睨んだ。

「げっ!怖ー……」

香が肩をすくめて小さく呟く。
それからわざとらしく天井に眼を向けて、

「アルゴは何処かなー?」

噛みつくようにファルが口を開く。

「アルゴならすぐに迎えに来る!!」

やだ、完全にキレてるし……。
硬直するシオンをギロリと見ると、ファルは彼女の手を握り大股で歩き出した。

「行くぞ!!」
「きゃああっ!」

引っ張られ、転びそうになってシオンは思わず声を上げた。

「ファル、待ってっ」

ファルは何も言わず足も止めずに、どんどん廊下を突き進んだ。
何事かと、出くわす度に召し使い達が眼を丸くしたが、ファルは止まらなかった。
やがて大きな階段が見えて来ると、ファルは突然足を止めて振り返り、不機嫌そうな顔でシオンを見た。

「あ、あのね、きゃあーっ!」

シオンの言葉も聞かずに突然彼女の身体をすくい上げるように腕に抱くと、ファルは力強い足取りで長い階段を上り始めた。
グッと前を見据えた黄金色の瞳は苛立たしげに光り、そのせいなのか端正な顔は少し冷たい。

シオンは心臓が激しく脈打ち、苦しくなってただただファルを見上げた。
階段の上から風が吹き込んできて、それとは別に騒がしい人々の声と演奏が耳に響く。

「ねえ、ファル」
「…………」

完全に無視だよ……。
ないとは思うけど……このまま階段の一番上から投げ落とされたりして。
…………。

「もうっ!そんなに怒んないで」

至近距離で唇を引き結ぶファルに居たたまれなくなり、シオンは思いきってファルの首に両腕を絡めた。

くっ……!
ファルは眉を寄せ、喉にクッと力をいれた。
不安そうに瞳を揺らし、一心に自分を見上げるシオンが可愛らしく、口付けたい衝動を必死で抑えながら歩を進める。

どうすればいいか分からないといった風にしがみついてきたシオンに、ファルの決心は折れそうになる。
身体が芯から疼き、それに耐えようとファルは一瞬瞼を閉じた。
……いーや、すぐに許してなどやるものか。

ファルは、迎えに行った支度室の入り口で聞いてしまった香とシオンの会話が気に入らなかったのである。
……お前は一生、俺と一緒にいればいいんだ。

もう、『七色の瞳の乙女』じゃなくていい。
平和な世は、俺が必ず作ると約束しただろう!
なぜ迷わず俺を選ばないんだ。

俺じゃ不安なのか。
俺じゃ頼りないのか。
気に入らない!!

「ファルってば」

……反省してろ。
それ以降ファルはシオンを見ることなく階段を上りきり、宮殿の最上階にある広いバルコニーへと進んだ。

解放した城内の宮殿前広場は、物凄い数の民衆で溢れていた。
バルコニーには国王ダグダと数人の側近が既に到着しており、民衆に向かって手を振っているところであった。

「ファル王子だ!」
「王子ー!!」
「ファル様ー!」

皆がファルに手を振ったり胸の前で手を組み、祈るように見上げている。

「ファル、下ろしてっ」

ようやくファルがシオンに眼を向けた。
……っ!
切れ長の眼でジロリとシオンを一瞥すると、ファルはシオンの耳元で小さく囁いた。

「しっかり聞いてろ」

それからシオンを下ろすと、彼女の腰に片腕を回してグイッと抱き寄せた。
それを見た民衆は、歓声を上げて騒いだ。

「やはり七色の瞳の乙女だ!」
「シオン……シオン様ー!」

シ、シオン様!!
ちょ、ちょっと待って、冗談でしょ?!
シオンは慌ててファルに向き直り、目一杯背伸びをして、彼の耳に口を寄せようとした。

「私、困るわ!シオン様なんて呼ばれる身分じゃないのにそ」

話の途中なのに、シオンの後頭部に手を添えて素早く自分の胸に抱き寄せると、ファルは彼女の言葉を奪った。
それを見た人々は喜び、更に囃し立てる。

「お似合いです、ファル様ー!」
「ご婚約はいつですかー?!」

こ、こ、婚約!!!
クラリと目眩がした時、

「ファル」

近くで威厳のある声が響いた。
ダグダの側近が手を高く挙げて民衆に静観を求め、辺りに嘘のような静けさが広がる。

正面まで歩み寄った父王ダグダにファルは一礼すると、はっきりした声で告げた。

「申し訳ございません、父上。俺はシオンを愛してしまいました。七色の瞳の乙女としてシオンをリーリアス帝国の繁栄に役立てる事は出来ません」

民衆が固唾を飲んでダグダの答えを待っている中、シオンもまた、早鐘のような心臓をどうすることもできずにダグダの言葉を待った。
ファルとダグダの視線が絡まり、暫くの後、ダグダが低い声で言葉を発した。

「神が巫女レイアに、七色の瞳の乙女が現れると告げられた時は、力がみなぎる思いだったが」

そこで一度言葉を切ると、ダグダは豪快に笑った。

「その七色の瞳の乙女が我が息子と愛し合う仲になるとは、その数倍喜ばしい思いだ」
「父上……」

ダグダは眉を上げてファルを見つめた。

「なんだ、その顔は。
この俺が息子の愛する女を奪ってまで国のために使うとでも思ったか」
「いえ……」

ダグダがゆっくりと民衆に向かうと、右手を高らかに上げた。

「シオンは七色の瞳の乙女として、戦後の荒れた大地と兵達の傷を癒した。
もうそれだけで我が国を十分に救い、役目を全うしたのだ。
皆、安心するがよい。
我は約束するぞ。
未来永劫の、リーリアス帝国の繁栄を!
黄金族人間としての誇りを胸に、世界に平和をもたらすと!」

ファルが深々とダグダに頭を下げると、割れんばかりの拍手喝采が城全体を包み込むように響き、シオンはその熱気に圧倒されてよろけた。

それと同時に、身が軽くなるような思いがする。
私はもう、『七色の瞳の乙女』じゃなくてもいいと言われたんだ。
普通の女の子でいいと。

シオンがよろけたのを見逃さず、ファルの逞しい腕がシオンを支え、黄金色の瞳がキラリと光った。

「大丈夫か?」

ファルの清潔そうな口元がフッと緩み、シオンは彼のヒマティオンをキュッと握った。

「まだ怒ってるの?」
「後で謝れば許してやってもいいが」

ファルはシオンを見つめて甘く微笑んだ。

「シオン」
「は……はい」

二人は向かい合い、互いを見つめた。
シオンが返事をするとファルはスッと笑みを消し、真顔で再び口を開いた。

「お前は確かに七色の瞳の乙女だが、俺はただの一人の女としてお前を愛している」

民衆が二人の様子を察して、徐々に静まる。

「香の言うように、お前は神じゃない。怪我や病気は神が人に与えられた試練で、お前はそれを治すために存在するんじゃない。もう、役目は終わったんだ」

ファル……。

「お前は異世界からこの世界へとやって来たが、帰って欲しくない。
家族や友人に会えない寂しさは、全部俺が埋めてやる」

やだ、胸がギューッと鳴る。
涙が止まらない。

「シオン、お前は俺とは身分が違い、釣り合わないと言ったが、それは関係ない。俺の亡き母は下町の生まれだった。愛に身分など関係ないんだ」

ファルは切々と胸の内を語り、やがて片膝を地につけてシオンを見上げた。

「俺はお前を妻にしたい。
だが、右も左も分からない世界へやって来て、突然結婚してくれと言われても困る気持ちも分かる。
だからまずは」

ファルは、息を整えてシオンを見つめた。
民衆は静まり返り、バルコニーの中央の二人を見守り続ける。

「シオン、俺の恋人になってくれないか」

童話の中の王子様のように、膝をついて自分を見上げるファルを見て、シオンはポロポロと泣いた。
言わなきゃ、答えなきゃ。

こんなに大勢の前で、自分への想いをしっかりと言葉にして告げてくれたファルに、私もしっかりと応えたい。
口元を覆っていた両手を胸の前で組み直し、シオンはコクンと頷いた。

「はい……よろしくお願いします」

声が震えて涙が溢れて、どうしようもなかった。
瞬く間に割れんばかりの拍手喝采が空気を震わせる。

「おめでとうございます!」
「ファル王子、ばんざーい!」
「シオン様ー!!」

囃し立てるような口笛と拍手、祝いの言葉が飛び交い騒然とする中、ファルは立ち上がるとシオンを見つめた。
腕を伸ばしてシオンの手を掴むと、端正な顔を傾けて囁く。

「行くぞ」

シオンは引っ張られながらも慌てて国王ダグダに一礼すると、またしても転びそうになりながらファルの後を走るように追いかけた。

「ファル、転んじゃうよ、待って」

階段の手前でようやく足を止めると、ファルはシオンを振り返った。

「抱いてやろうか?」

ドキッとしたけれど、シオンはそれを知られたくなくて、早口で答えた。

「いいよ、自分で降りられるから」

そんなシオンを見て、ファルはクスリと笑った。

「言っておくが」

ファルは小さく咳払いをして、空を見つめた。

「あまり長く待たせるな。俺はそんなに気の長い方じゃない」

シオンは、まっすぐ前を見ているファルの横顔を見つめながら涙を拭いた。
それから思わずフフッと笑う。

「知ってる」
「笑うな」
「だって……照れてるの?」
「俺は照れてない」

七色に輝くシオンの瞳を見ながら、ファルは思った。
忘れないように、この瞳を目に焼き付けておこう。

「……なに?」

階段を降りようとせずに、ジッとこちらを凝視するファルを不思議そうに見て、シオンが問う。
そんなシオンを見てファルがニヤリと笑った。

「お前を抱いたらもう、七色に輝く瞳を見られないからな。眼に焼き付けてたんだ」
「っ……!」

ファルがシオンを引き寄せて口づけた。
熱っぽいキスを期待していたのに、ファルの唇は軽く触れただけですぐに離れた。

期待外れが少し寂しくて、シオンはファルの瞳を一心に見つめた。
そんなシオンを見て、ファルがフウッと笑った。

「なんだ、その顔は」

……ぐっ。

「もしかして、物足りなかったのか」

な、な、な……っ!
悪戯っぽく笑った後、ファルが僅かに眼を細めてシオンに顔を寄せた。

「俺は物足りない」
「……えっ」
「何せ俺は三日も待てない男だからな」

シオンは張り付いたようにファルを見つめた。

「あの、言っとくけど、香がいったんだからね!三日も我慢出来ないってい」

ファルがムッとしてシオンを睨んだ。

「黙れ。お前はどうなんだ」
「私?!私は……あの、その……」

若干イラついたようにファルが眉を寄せた。

「だから、俺に抱かれたいか聞いてるんだ」

至近距離で光る綺麗な瞳。通った鼻に男らしい口元。精悍な頬に逞しい首から肩のライン。

抱かれたい、ファルに。
ファルの、ファルだけのものになりたい。
だけど、だけど……。
シオンは息を吸うと、思いきって正直に告げた。

「ファル……知ってるでしょうけど私、男の人とそういう経験がなくて……だから怖いしその……嫌になるかも、私の事……」
「うるさい」
「え」
「俺に抱かれたいかどうかだけを訊いているんだ。答えろ」

ああもう……。

「……抱かれたい、ファルに」

シオンは観念してファルにキスをした。

「ファル、大好き」

ファルは、ギュッと眉を寄せるとシオンを抱き締めた。

「俺も愛してる」

その時、バルコニーから風が流れ込み、ファルとシオンの背中を押すように階下へと吹き抜けていった。
さよなら、七色の瞳。

二人は心の中でシオンの瞳にそう告げると微笑み合い、長い階段をゆっくりと降りていった。




                     ~end~
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