恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

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冷たい婚約者

《3》

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ちょうどジュエリーショップから出てきた恋人達の幸せそうな姿。
女性が男性を見上げて何か言うと、男性が輝くような笑顔で言葉を返した。
それから彼女の手を握った彼は、前を向いて歩き始めた。
そこで二人の姿は見えなくなってしまったのに、私は彼らの消えた角を見つめずにはいられなかった。

だって……羨ましかったから。
私にはない幸せを、少しでも長く見ていたかった。
そんな私の脳裏に、自然に榊さんの顔が浮かんだ。

……会いたい。
確か、あの画廊の主人は『展示期間はまだ五日ある』って……。
行ってみよう。だって会えるかも知れないもの。

***

駅に入って二番ホームに向かうと、私は間もなくやって来た電車に乗り込んだ。
十分足らずであの画廊の最寄り駅に到着すると、次第に胸がドキドキと煩く騒ぎだす。

もし会えたら何て言おう?『先日はお邪魔をしてしまってごめんなさい』とか?
相変わらず月並みな台詞しか思い浮かばなかったけど、まずはお詫びしなきゃダメでしょ?
それから?その後は?

色々と考えている間に、画廊の入り口まで来てしまった私は、胸に手を当ててドキドキを沈めようとした。
眼を閉じて深呼吸。
……もう一回。もう一回だけ深呼吸をしたら、思いきって中に入ろう。

「何やってんの」
「きゃあっ!」

驚きのあまり小さく悲鳴をあげた私の目の前に、彼が立っていた。
そう、彼……Ryo.Sakakiが。

「あ……アンタあん時の……」
「み、峯岸彩です!せ、先日はあの、大変な失礼を働いてしまいまことに申し訳ございませんでしたっ」

勢いよく頭を下げてすぐ、彼の笑い声が聞こえた。

「風邪引かなかったか?」

低いけどどこかあどけない声。
……素敵。
ああ。やっぱり好きになってる、私。

「あ、平気です」
「そっか。良かった。じゃあな」

……良くない。全然良くない。このままじゃ嫌だ。
咄嗟に私は手を伸ばした。彼の腕に。

「ん?」
「榊凌央さん!あなたの三ヶ月間を私にください!」

この時の私は、今までの人生の中で一番必死だった。

*****

三十分後、画廊近くのカフェでRyo.Sakaki……榊凌央(さかきりょう)さんは大きく溜め息をついた。
それから、運ばれてきたコーヒーに顔を近づけてフワリと笑う呑気な画廊の主人に目をやり、苦々しく眉間にシワを寄せる。

「……お前、頭……大丈夫か?」
「大丈夫ですっ」

真剣さを分かってもらいたい私はブンブンと頭を縦に振った。

「おい、アキ!このコを止めろ」

アキと呼ばれた画廊の主人は、私を見てニコニコと笑っているだけだ。
何故かその笑顔に背中を押された気がして、私は榊凌央さんを真剣に見つめた。

「狂ってるわけじゃありません!本気なんです!私、何でもします。掃除、洗濯、買い物、それに画のお手伝いだって!だからお願いです。あなたの三ヶ月間を私にください!」
「参ったなあ。峯岸……彩さんだっけ?画に詳しいの?何で三ヶ月なの」
「そ、れは……その、」

言いたくない……。
三ヶ月後に結婚なんて絶対に言いたくない。
グッとつまる私に榊さんは訝しげに顔を傾けた。

「なに、言えないの?それとも三ヶ月後に日本を離れるとか?」
「そ、そうなんです!私、転勤族で」

上手い嘘を思いつけなかった私は、咄嗟にその言葉に乗っかってしまったけれど罪悪感はなかった。

「サラリーマンのオッサンみたいだな」
「そうなんです!うちの会社、女子にも容赦なくて」

結婚するのを知られるよりはオジサンのがマシだと思った。

「あなたの画をアキさんの画廊で見てファンになって、それでもしよければ三ヶ月間、お手伝いさせてもらえたらなと思いまして」
「ふーん……んー……」
「お願いします!」
「ダメ」
「どうしてですか?!」

必死で見上げる私に、榊さんは少し眉を寄せた。

「俺、会社経営してるんだ。画を描くのは夜、もしくは休日の昼間だからもし俺のアシスタントをするとなると帰るのが遅くなる」
「構いません!」
「あっははははっ!」

アキさんが我慢できないといったように吹き出して、榊さんはポカンと私を見つめた。

「……お前……本当に大丈夫かよ。出逢って間なしの男のアシスタントとかヤバイと思わないわけ?」

だめ。ここで負けたら私のこの運命の恋が粉々になってしまう。

「丸っきり思いません。それに私は決して邪な考えで榊さんのアシスタントをしたいわけじゃありません。榊さんについて純粋に芸術のお手伝いをする事以外考えていません」

……思いきり嘘だけど。

「じゃあさ、もし俺が悪いヤツだったらどーすんの?」
「え?」

榊さんは少し眉をあげて私を覗き込んだ。

「もし俺がさ、悪い男だったらどうすんの」
「そんなわけないです。絶対ない。あんな柔らかい風や暖かくて優しい日の光を描く人が悪い人のわけがありません」

だって、感じたもの。この画の作者はきっと心が温かいって。

「それに知りたいんです。反対側にあった画……画の中の女性がどうしてあんなに安堵して微笑んでいたのか」

そうだ、知りたい。
私はなにもかも知りたい、この人の事を。

ふと我に返って目の前に腰かけているアキさんと榊さんを見ると、今度は二人ともが呆気に取られて私を見ていた。
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