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赤の種類
《2》
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心配してくれているのか彼は僅かに眉を寄せていて、それを見た私は少し笑った。
「キスを見ちゃったあの日、本当にショックでした。でも……圭吾さんの言葉で私、思い直したんです。彼が誰を好きでもいいって」
私はライトを反射して光るワイングラスに視線を落としたまま、ポツリポツリと続けた。
「元々、私には想いを告げる気なんてありませんし」
少し視線を上げると、圭吾さんが苦し気な顔をしていた。
「あっ、念のために言っておきますけどこれは誰のせいでもないですよ?最初から決めてた事ですし。でも」
私は圭吾さんに負担をかけたくなくて精一杯笑った。
「圭吾さんは気にしないでくださいね。私、圭吾さんには幸せでいてもらいたいです。だからこの先も花怜さんと仲良くしていてください」
圭吾さんの動きが止まった。
いつもは切れ長の美しい眼が、驚きのあまり見開かれて丸くなっている。
「なんですか、そんなに驚いて。お互いに恋愛は自由にしようって話し合ったじゃないですか」
私がニコニコと笑うと、圭吾さんは我に返ったように瞬きをした。
「……彩、」
圭吾さんに気兼ねしてほしくない。世界をまたにかけて仕事をするのって、大変なプレッシャーだって知ってるもの。
だって父もそうだから。
「さあ、もっと食べてください!圭吾さんが沢山選んじゃったんですからね」
私が笑いながら少し睨むと、圭吾さんは漸く少し笑った。
****
それ以降の日々は、専ら食事作りと部屋の掃除、洗濯が私の主な仕事だった。
凌央さんは会社から帰るとアトリエに引きこもり、黙々と画を仕上げていく。
画に関して言えば、下描きを見ながらの製作に入ると私に手伝えることは殆どない。
夕食は簡単なものでいいと言われているのでおにぎりを数個とスープを多めに作っておく。
「凌央さん、そろそろ帰りますね。休憩されますか?」
個展作品の製作開始から二週間が過ぎた頃のある日だった。
アトリエのドアをノックしてそっと声をかけると、凌央さんはカンヴァスから顔をあげて私に手招きをした。
「彩、ちょっとこっちに来てくれ」
「はい?」
アトリエの中に一歩入ると、すぐに油絵の具や石膏の匂いが鼻に飛び込んでくる。
「この画を見てくれ」
凌央さんが真顔で私を見た。
「どう思う?正直な感想が欲しいんだ」
……凌央さん……?
いつもと様子が違う。
出逢ってからの凌央さんは、いつも自信に満ち溢れていた。
それなのに、何故か今の彼は少し不安気だ。
その表情に不安を感じて見つめていると、凌央さんはジーンズのポケットに親指だけを引っかけ、僅かに唇を噛んでいた。
「お前の率直な感想が聞きたい」
その言葉に、なんだか鼓動が早くなる。
「……どうしたんですか?」
私はそう尋ねると、ゆっくりアトリエの中央に置かれているイーゼルへと近寄った。
凌央さんはそんな私に真剣な声で続ける。
「気遣いとかお世辞とか禁止だからな。正直に感じた事を言ってほしい」
「……分かりました……」
なんだか恐い。
だって私、画に関して何の知識もないんだもの。
なのにそんな私が凌央さんみたいな凄い人に感想なんて……。
「よく見てくれ」
「……はい」
もう一度頷き、私は画の正面に回った。
下からライトアップされたイーゼルの上のカンヴァスは、A0サイズの画だった。
「……」
カンヴァスの縁ギリギリには膜のようなものが描かれている。
その中には筆で飛ばしたりエアブラシで吹き付けたり、かと思えば手のひらで塗り付けたような赤があった。
ピンクに近いミルキーな赤、緑が混ざり込んだようなくすんだ赤。黒の沢山入った重苦しい赤。それに思わず眼を細めてしまいそうな眩しい赤。
赤が溢れている。
そう。
このカンヴァスの中には、数えきれないほどの『赤』が詰まっていた。
どうしてこんな風に赤色ばかりを使ったんだろう。
これは……これって……どういう事なんだろう。
いや……待って、もしかしてこれは。
見れば見るほどその画に圧倒され、私は息をするのも忘れた。
分からない。でも、でも、もしかしたらこれは……。
暫くの間、私はそれを見つめて立ち尽くしていたけど、やがて何となくその意味が分かった気がした。
「どう思う?」
低い声で凌央さんは私に問いかけた。
「……」
燃えて焦げるような、それでいて嬉しいような切ないよいな、何とも言えない感情に身悶えしそうになる。
考えがまとまらない。なのに、なにかを強く感じて震えそうになる。
「彩、」
意思とは関係なくハラハラと涙が私の頬を伝った。
どうしよう、どうしよう。
「彩、どうした?!気分でも悪いのか?!」
「凌央さん……違うの」
心配そうに私を見下ろし、二の腕を掴んだ凌央さんに、キュッと胸が軋む。
「彩、」
ああ。
きっとこれは……感情だ。
人の、感情。
「彩」
「大丈夫。……感動しただけです」
私のこの言葉に凌央さんの唇が僅かに開いた。
「凌央さん、赤って一色じゃないんですね。怒りの赤、悲しみの赤、嫉妬の赤、喜びの赤。それから……愛情の赤も。私、こんなにも沢山の赤に出逢ったのは初めてで、ちゃんと説明できませんけど涙が出て、」
「彩」
「っ……」
言葉の途中で凌央さんの腕が私の腰に回った。
間近に逞しい身体を感じて眼を見開いた時、うなじに凌央さんの息がかかった。
「ありがとな、彩」
ギュッと、更に私の胸は軋んだ。
「……はい、凌央さん」
嬉しいのに悲しくて、切ないのに幸せで、このときの私には、これ以上の返事が出来なかった。
*****
『今何処にいる?迎えにいく』
……圭吾さんからラインだ。
「もうすぐ駅につきますから大丈夫ですよ」
『じゃあエスカレーターの所で待ってる』
「……はい」
地下鉄からコンコースで直接つながっている圭吾さんのマンションまではほんの五、六分で心配ないのに……どうしたんだろう。
声は普通だったけど……何かあったんだろうか。
改札を抜けてしばらく歩いていると、いつもの長いエスカレーターの先に圭吾さんを見つけた気がした。
人混みを避けるように頭を動かして前方を見つめると、やはりそれは圭吾さんだった。
「圭吾さん」
口の中で名前を呼ぶと、圭吾さんもまた僅かに唇を動かした。
何だかドキドキする。
だって凄く柔らかくて、今までとはまるで違う表情をするんだもの。
「彩」
「圭吾さん」
「彩」
真正面で立ち止まると、圭吾さんが私に手を伸ばした。
頬に彼の温かい手が触れる。
思わず眼を見張る私に圭吾さんはぎこちなく笑った。
「……寒くないか?」
切れ長の眼が少し照れたように瞬いて、私は信じられない思いで彼を見つめた。
……なにこれ。
萌えるんだけど。
だって圭吾さんが……私に向かってこんな顔をするなんてあり得ないもの。
あんなに冷たかったのにフワリと笑ってみたり照れた顔を見せたり。
イケメンだけに、余計萌える。
どうしちゃったんだろう、酔ってるとか?
「あの、圭吾さん。大丈夫ですか?」
賑やかなクリスマスソングと、あちこちに灯るライト。
私は辺りの喧騒に負けないように声を張り、少し背伸びをして圭吾さんに顔を近づけた。
そんな私を、圭吾さんは少し驚いたように見下ろしている。
「圭吾さん?」
「あ……」
漸く我に返ったように圭吾さんが私の頬に触れていた手を引っ込めた。
「何かあったんですか?」
「いいや。帰るぞ」
踵を返して歩き出しながら、圭吾さんは私の手を握った。
「はい」
その手が優しい。
絶対何かあったんだ。
良かった。
圭吾さんにいい事があったなら、私も嬉しいもの。
*****
「そういえばもうすぐクリスマスだが」
夕食を終え、片付けを済ませて手を拭いていた私に圭吾さんが声をかけた。
「彩はどうするんだ」
……クリスマス。
「私は何も予定はないですけど……あ」
圭吾さんに言葉を返していた途中で、私は慌てて口をつぐんだ。
……何素直に返してんの、私。
多分圭吾さんは、花怜さんとクリスマスを過ごすんだ。
だから私に一応それを伝えようとして……。
「あの、圭吾さん。私に気兼ねしなくていいですよ。どうぞ花怜さんと楽しいクリスマスを過ごして下さい」
空になっていた圭吾さんのワイングラスにワインを注ぐと、私は笑って圭吾さんを見た。
「……彩は?」
「私は……」
私にクリスマスの予定はない。
でも……。
「凌央さんが個展に向けて画を描いてるんです。徹夜で仕上げなきゃならなくなると私も泊まり込みでアシスタントに入るからクリスマスの予定は入れてないです」
「……泊まり込むのか?」
「忙しくなると……そうなるかも知れません」
「……」
小さな音を立てて圭吾さんはワイングラスを置いた。
その顔はどこかムッとしていて、形のよい唇は固く引き結ばれていた。
私を気の毒だとでも思ったのか、圭吾さんは厳しい表情のままワイングラスを凝視している。
その表情を変えたくて、私は明るくこう切り出した。
「圭吾さん。花怜さんへのプレゼントもう選びましたか?この間見つけたんですけど代官山の《アルテミス》っていうジュエリーショップに可愛いのが沢山ありましたよ。私もボーナスが出たら買おうと思ってるんです。自分へのご褒美に」
「……そうか。僕はそろそろ寝る」
「あ……おやすみなさい。また明日ね、圭吾さん」
圭吾さんは席をたつと私を一度も見ず、リビングから出ていってしまった。
……どうしたんだろう、圭吾さん。
まさか、花怜さんと喧嘩してるとか……。
そういえば圭吾さんって私の話ばかり聞いてくれる。
圭吾さんのワイングラスを見つめていると申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
圭吾さんがもしも花怜さんとの事で何か悩んでるなら、私も相談に乗ってあげたいしそうするべきだ。
ごめんね、圭吾さん。
私は近々花怜さんとの事を聞いてみようと思いながら、圭吾さんのグラスに手を伸ばした。
「キスを見ちゃったあの日、本当にショックでした。でも……圭吾さんの言葉で私、思い直したんです。彼が誰を好きでもいいって」
私はライトを反射して光るワイングラスに視線を落としたまま、ポツリポツリと続けた。
「元々、私には想いを告げる気なんてありませんし」
少し視線を上げると、圭吾さんが苦し気な顔をしていた。
「あっ、念のために言っておきますけどこれは誰のせいでもないですよ?最初から決めてた事ですし。でも」
私は圭吾さんに負担をかけたくなくて精一杯笑った。
「圭吾さんは気にしないでくださいね。私、圭吾さんには幸せでいてもらいたいです。だからこの先も花怜さんと仲良くしていてください」
圭吾さんの動きが止まった。
いつもは切れ長の美しい眼が、驚きのあまり見開かれて丸くなっている。
「なんですか、そんなに驚いて。お互いに恋愛は自由にしようって話し合ったじゃないですか」
私がニコニコと笑うと、圭吾さんは我に返ったように瞬きをした。
「……彩、」
圭吾さんに気兼ねしてほしくない。世界をまたにかけて仕事をするのって、大変なプレッシャーだって知ってるもの。
だって父もそうだから。
「さあ、もっと食べてください!圭吾さんが沢山選んじゃったんですからね」
私が笑いながら少し睨むと、圭吾さんは漸く少し笑った。
****
それ以降の日々は、専ら食事作りと部屋の掃除、洗濯が私の主な仕事だった。
凌央さんは会社から帰るとアトリエに引きこもり、黙々と画を仕上げていく。
画に関して言えば、下描きを見ながらの製作に入ると私に手伝えることは殆どない。
夕食は簡単なものでいいと言われているのでおにぎりを数個とスープを多めに作っておく。
「凌央さん、そろそろ帰りますね。休憩されますか?」
個展作品の製作開始から二週間が過ぎた頃のある日だった。
アトリエのドアをノックしてそっと声をかけると、凌央さんはカンヴァスから顔をあげて私に手招きをした。
「彩、ちょっとこっちに来てくれ」
「はい?」
アトリエの中に一歩入ると、すぐに油絵の具や石膏の匂いが鼻に飛び込んでくる。
「この画を見てくれ」
凌央さんが真顔で私を見た。
「どう思う?正直な感想が欲しいんだ」
……凌央さん……?
いつもと様子が違う。
出逢ってからの凌央さんは、いつも自信に満ち溢れていた。
それなのに、何故か今の彼は少し不安気だ。
その表情に不安を感じて見つめていると、凌央さんはジーンズのポケットに親指だけを引っかけ、僅かに唇を噛んでいた。
「お前の率直な感想が聞きたい」
その言葉に、なんだか鼓動が早くなる。
「……どうしたんですか?」
私はそう尋ねると、ゆっくりアトリエの中央に置かれているイーゼルへと近寄った。
凌央さんはそんな私に真剣な声で続ける。
「気遣いとかお世辞とか禁止だからな。正直に感じた事を言ってほしい」
「……分かりました……」
なんだか恐い。
だって私、画に関して何の知識もないんだもの。
なのにそんな私が凌央さんみたいな凄い人に感想なんて……。
「よく見てくれ」
「……はい」
もう一度頷き、私は画の正面に回った。
下からライトアップされたイーゼルの上のカンヴァスは、A0サイズの画だった。
「……」
カンヴァスの縁ギリギリには膜のようなものが描かれている。
その中には筆で飛ばしたりエアブラシで吹き付けたり、かと思えば手のひらで塗り付けたような赤があった。
ピンクに近いミルキーな赤、緑が混ざり込んだようなくすんだ赤。黒の沢山入った重苦しい赤。それに思わず眼を細めてしまいそうな眩しい赤。
赤が溢れている。
そう。
このカンヴァスの中には、数えきれないほどの『赤』が詰まっていた。
どうしてこんな風に赤色ばかりを使ったんだろう。
これは……これって……どういう事なんだろう。
いや……待って、もしかしてこれは。
見れば見るほどその画に圧倒され、私は息をするのも忘れた。
分からない。でも、でも、もしかしたらこれは……。
暫くの間、私はそれを見つめて立ち尽くしていたけど、やがて何となくその意味が分かった気がした。
「どう思う?」
低い声で凌央さんは私に問いかけた。
「……」
燃えて焦げるような、それでいて嬉しいような切ないよいな、何とも言えない感情に身悶えしそうになる。
考えがまとまらない。なのに、なにかを強く感じて震えそうになる。
「彩、」
意思とは関係なくハラハラと涙が私の頬を伝った。
どうしよう、どうしよう。
「彩、どうした?!気分でも悪いのか?!」
「凌央さん……違うの」
心配そうに私を見下ろし、二の腕を掴んだ凌央さんに、キュッと胸が軋む。
「彩、」
ああ。
きっとこれは……感情だ。
人の、感情。
「彩」
「大丈夫。……感動しただけです」
私のこの言葉に凌央さんの唇が僅かに開いた。
「凌央さん、赤って一色じゃないんですね。怒りの赤、悲しみの赤、嫉妬の赤、喜びの赤。それから……愛情の赤も。私、こんなにも沢山の赤に出逢ったのは初めてで、ちゃんと説明できませんけど涙が出て、」
「彩」
「っ……」
言葉の途中で凌央さんの腕が私の腰に回った。
間近に逞しい身体を感じて眼を見開いた時、うなじに凌央さんの息がかかった。
「ありがとな、彩」
ギュッと、更に私の胸は軋んだ。
「……はい、凌央さん」
嬉しいのに悲しくて、切ないのに幸せで、このときの私には、これ以上の返事が出来なかった。
*****
『今何処にいる?迎えにいく』
……圭吾さんからラインだ。
「もうすぐ駅につきますから大丈夫ですよ」
『じゃあエスカレーターの所で待ってる』
「……はい」
地下鉄からコンコースで直接つながっている圭吾さんのマンションまではほんの五、六分で心配ないのに……どうしたんだろう。
声は普通だったけど……何かあったんだろうか。
改札を抜けてしばらく歩いていると、いつもの長いエスカレーターの先に圭吾さんを見つけた気がした。
人混みを避けるように頭を動かして前方を見つめると、やはりそれは圭吾さんだった。
「圭吾さん」
口の中で名前を呼ぶと、圭吾さんもまた僅かに唇を動かした。
何だかドキドキする。
だって凄く柔らかくて、今までとはまるで違う表情をするんだもの。
「彩」
「圭吾さん」
「彩」
真正面で立ち止まると、圭吾さんが私に手を伸ばした。
頬に彼の温かい手が触れる。
思わず眼を見張る私に圭吾さんはぎこちなく笑った。
「……寒くないか?」
切れ長の眼が少し照れたように瞬いて、私は信じられない思いで彼を見つめた。
……なにこれ。
萌えるんだけど。
だって圭吾さんが……私に向かってこんな顔をするなんてあり得ないもの。
あんなに冷たかったのにフワリと笑ってみたり照れた顔を見せたり。
イケメンだけに、余計萌える。
どうしちゃったんだろう、酔ってるとか?
「あの、圭吾さん。大丈夫ですか?」
賑やかなクリスマスソングと、あちこちに灯るライト。
私は辺りの喧騒に負けないように声を張り、少し背伸びをして圭吾さんに顔を近づけた。
そんな私を、圭吾さんは少し驚いたように見下ろしている。
「圭吾さん?」
「あ……」
漸く我に返ったように圭吾さんが私の頬に触れていた手を引っ込めた。
「何かあったんですか?」
「いいや。帰るぞ」
踵を返して歩き出しながら、圭吾さんは私の手を握った。
「はい」
その手が優しい。
絶対何かあったんだ。
良かった。
圭吾さんにいい事があったなら、私も嬉しいもの。
*****
「そういえばもうすぐクリスマスだが」
夕食を終え、片付けを済ませて手を拭いていた私に圭吾さんが声をかけた。
「彩はどうするんだ」
……クリスマス。
「私は何も予定はないですけど……あ」
圭吾さんに言葉を返していた途中で、私は慌てて口をつぐんだ。
……何素直に返してんの、私。
多分圭吾さんは、花怜さんとクリスマスを過ごすんだ。
だから私に一応それを伝えようとして……。
「あの、圭吾さん。私に気兼ねしなくていいですよ。どうぞ花怜さんと楽しいクリスマスを過ごして下さい」
空になっていた圭吾さんのワイングラスにワインを注ぐと、私は笑って圭吾さんを見た。
「……彩は?」
「私は……」
私にクリスマスの予定はない。
でも……。
「凌央さんが個展に向けて画を描いてるんです。徹夜で仕上げなきゃならなくなると私も泊まり込みでアシスタントに入るからクリスマスの予定は入れてないです」
「……泊まり込むのか?」
「忙しくなると……そうなるかも知れません」
「……」
小さな音を立てて圭吾さんはワイングラスを置いた。
その顔はどこかムッとしていて、形のよい唇は固く引き結ばれていた。
私を気の毒だとでも思ったのか、圭吾さんは厳しい表情のままワイングラスを凝視している。
その表情を変えたくて、私は明るくこう切り出した。
「圭吾さん。花怜さんへのプレゼントもう選びましたか?この間見つけたんですけど代官山の《アルテミス》っていうジュエリーショップに可愛いのが沢山ありましたよ。私もボーナスが出たら買おうと思ってるんです。自分へのご褒美に」
「……そうか。僕はそろそろ寝る」
「あ……おやすみなさい。また明日ね、圭吾さん」
圭吾さんは席をたつと私を一度も見ず、リビングから出ていってしまった。
……どうしたんだろう、圭吾さん。
まさか、花怜さんと喧嘩してるとか……。
そういえば圭吾さんって私の話ばかり聞いてくれる。
圭吾さんのワイングラスを見つめていると申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
圭吾さんがもしも花怜さんとの事で何か悩んでるなら、私も相談に乗ってあげたいしそうするべきだ。
ごめんね、圭吾さん。
私は近々花怜さんとの事を聞いてみようと思いながら、圭吾さんのグラスに手を伸ばした。
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