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あなたに融けていく
《1》
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ソファを背にしてラグに座っている圭吾さんが、話し終えてホッと息をついた。
その間中、私は食い入るように彼を見つめていた。
圭吾さんがそんな風に考えていたなんて想像もつかなかった。
忙しそうな大人達を見て当時五歳の私が言った言葉を、大切に覚えていてくれたなんて。
激務に追われて私を構えない自分を責め、寂しい思いをさせたくなくてわざと私を突き放した事も。
けれど私を手放したくなかった事。
嫉妬に狂い、私を抱き締めた事。
今、私の胸は熱く、キュッと音を立てている。
「出会っていたなんて……ごめんなさい、私覚えてなくて」
圭吾さんが首を横に振った。
「峯岸の本家は客の出入りが激しい。それに彩はまだ五歳だったから」
「……」
圭吾さんの涼やかな眼が私を正面から捉えていて、その優しい眼差しに涙が出そうになる。
ゆるゆると心が満ちてきて、ああ、このままこの人の不器用さも丸ごと包み込みたいと思った。
「……困った人ですね、圭吾さんは」
ここまで言っただけなのに、もうツンと鼻が痛くなる。
「そんな事しなくても言ってくれれば良かったのに……」
すると圭吾さんは寂しそうに笑った。
「普通の恋人同士なら俺もこんな風にはしなかった。けど俺たちは親同士が決めた結婚相手だし……日が浅すぎた。だから何を言ってもその言葉は薄っぺらで力を持たない気がしたんだ。それなら最初から中途半端に優しくしない方がいいと思った」
ほんとになんて……なんて不器用なの。
「……もしも取り返しがつかなくなってたらどうするつもりだったんですか?たとえば凌央さんを結婚したいくらい好きになって家を出たりとか」
「社長に就任してまだ一年足らずの俺は、想像を越えた激務に追われてた。けど、ここを切り抜けられたら二度と離さないつもりだった。それに絶対、奪う気でいた」
圭吾さんの切れ長の眼が切な気に瞬く。
「誰が相手でも奪うつもりだった。……簡単だと思ってたんだ。けど実際は……平常心は保てないしイライラするしで最悪だった」
そこまで言うと今度は自嘲的に笑い、圭吾さんは瞳を伏せた。
「彩が自分以外の男に好意を持っているのが、こんなにも苦しいなんて想定外だった」
……圭吾さん……。
圭吾さんが私の手をそっと握った。
「妬けて妬けて……死ぬかと思った」
思い出すようなその顔にドキッと鼓動が跳ねて、思わず握られた手を引っ込めようとすると、圭吾さんは素早くそれを握り直した。
「ダメだ。離さないしもう逃がさないって決めたんだ」
何も言えないでいる私を、圭吾さんが力を入れて引き寄せた。
「あ、」
たちまち体勢が崩れ、圭吾さんの胸に転がり込んでしまう。
そんな私を彼はしっかりと受け止めて続けた。
「いつだったか……ここで眠ってた俺に彩が言った言葉、覚えてるか?」
「……え?私が圭吾さんにですか?」
何だっただろう。
まるで思い出せず、無意識に眉が寄る。
必死で思い出そうとする私を見て圭吾さんがクスリと笑った。
「お前は眠ってる俺にこう言ったんだ。『峰岸の家に生まれただけでなんの取り柄もない私と結婚しなきゃならなくなって本当にごめんね。私、三ヶ月後にあなたの奥さんになったら、出来るだけあなたが穏やかに暮らせるように頑張ります』って」
あ……!そういえば……。
圭吾さんが私の腰に腕を絡めて続ける。
「その言葉を聞いた時、凄く嬉しかったよ。生涯をかけてお前を大切にしたいと思った。それから……バカな計画を企てた自分に嫌気がさした」
……確かに、このソファに座ったまま寝ちゃってた圭吾さんに私はそう言った。
……独り言のつもりだったのに……。
だって、面と向かってそんな事言えないもの。
でも……。
「……聞いてたって事は寝たフリをしてたんですか?」
「っ……それは」
決まり悪そうな顔が、悪戯のバレた子供みたいだったから私は声を立てて笑った。
「一緒に暮らしているうちに圭吾さんの印象がずいぶん変わりました。越してきた当初は嫌われてると思ってて怖くて。けどインテリア雑貨を貸してくれるだけでなくわが社に運んでくれたり……本当は優しいんだなって思って……それから」
ドクンドクンと胸が鳴る。
けど、ちゃんと伝えないとならない。
今度は自分から、私は圭吾さんと繋いでいる手に力を込めた。
「それから……美月は恋じゃないって言ったけど……圭吾さん。私、やっぱり凌央さんが好きでした。……恋だと思います」
たちまち圭吾さんの眼が見開かれ、その後すぐそれが伏せられた。
「……分かってる」
圭吾さんの身体から力が抜けたのがわかった。
過去は変えられないとでも思ったのかも知れない。
「でもいつの間にか……本当に自分でも気付かないうちに私、圭吾さんの事ばかり考えるようになっていました。それで思ったんです」
ゆっくりと、そらされていた圭吾さんの眼差しが私に向けられる。
それを真正面から受け止めて続けた。
「この結婚は運命の結婚だったんだって。だって圭吾さん以外の人となんて考えられないもの」
月並みな言葉しか思い付かなかったけど、私は心を真剣に伝えたくて握っていた圭吾さんの手に唇を寄せた。
「好きです。あなたが誰よりも好き」
僅かに圭吾さんの唇が開いた。
それから、信じられないといったように眉が上がる。
「本当です。この気持ちは曖昧じゃないです。はっきりあなたが好きってちゃんと分かってます」
「彩」
「はい」
小さく私を呼んだ圭吾さんと私の声は同じくらい掠れていた。
それからゆっくりゆっくり、圭吾さんが私の唇に近付く。
近くなるにつれて伏せられる眼と傾く圭吾さんの頬。
ずっと見ていたい程素敵なのに、唇が触れた瞬間、私はキュッと眼を閉じた。
胸が破裂しそうな程高鳴る鼓動と、熱い彼の身体。
「今までごめん、彩」
僅かに離れた唇から圭吾さんの優しい声がこぼれる。
「大好きです、圭吾さん」
見つめ合うと、どちらからともなく私達は再びキスをした。
嬉しくて幸せで、涙が止まらない。
通じ合った想いに胸が一杯で、私と圭吾さんは離れられず、しばらくの間抱き合っていた。
ソファを背にしてラグに座っている圭吾さんが、話し終えてホッと息をついた。
その間中、私は食い入るように彼を見つめていた。
圭吾さんがそんな風に考えていたなんて想像もつかなかった。
忙しそうな大人達を見て当時五歳の私が言った言葉を、大切に覚えていてくれたなんて。
激務に追われて私を構えない自分を責め、寂しい思いをさせたくなくてわざと私を突き放した事も。
けれど私を手放したくなかった事。
嫉妬に狂い、私を抱き締めた事。
今、私の胸は熱く、キュッと音を立てている。
「出会っていたなんて……ごめんなさい、私覚えてなくて」
圭吾さんが首を横に振った。
「峯岸の本家は客の出入りが激しい。それに彩はまだ五歳だったから」
「……」
圭吾さんの涼やかな眼が私を正面から捉えていて、その優しい眼差しに涙が出そうになる。
ゆるゆると心が満ちてきて、ああ、このままこの人の不器用さも丸ごと包み込みたいと思った。
「……困った人ですね、圭吾さんは」
ここまで言っただけなのに、もうツンと鼻が痛くなる。
「そんな事しなくても言ってくれれば良かったのに……」
すると圭吾さんは寂しそうに笑った。
「普通の恋人同士なら俺もこんな風にはしなかった。けど俺たちは親同士が決めた結婚相手だし……日が浅すぎた。だから何を言ってもその言葉は薄っぺらで力を持たない気がしたんだ。それなら最初から中途半端に優しくしない方がいいと思った」
ほんとになんて……なんて不器用なの。
「……もしも取り返しがつかなくなってたらどうするつもりだったんですか?たとえば凌央さんを結婚したいくらい好きになって家を出たりとか」
「社長に就任してまだ一年足らずの俺は、想像を越えた激務に追われてた。けど、ここを切り抜けられたら二度と離さないつもりだった。それに絶対、奪う気でいた」
圭吾さんの切れ長の眼が切な気に瞬く。
「誰が相手でも奪うつもりだった。……簡単だと思ってたんだ。けど実際は……平常心は保てないしイライラするしで最悪だった」
そこまで言うと今度は自嘲的に笑い、圭吾さんは瞳を伏せた。
「彩が自分以外の男に好意を持っているのが、こんなにも苦しいなんて想定外だった」
……圭吾さん……。
圭吾さんが私の手をそっと握った。
「妬けて妬けて……死ぬかと思った」
思い出すようなその顔にドキッと鼓動が跳ねて、思わず握られた手を引っ込めようとすると、圭吾さんは素早くそれを握り直した。
「ダメだ。離さないしもう逃がさないって決めたんだ」
何も言えないでいる私を、圭吾さんが力を入れて引き寄せた。
「あ、」
たちまち体勢が崩れ、圭吾さんの胸に転がり込んでしまう。
そんな私を彼はしっかりと受け止めて続けた。
「いつだったか……ここで眠ってた俺に彩が言った言葉、覚えてるか?」
「……え?私が圭吾さんにですか?」
何だっただろう。
まるで思い出せず、無意識に眉が寄る。
必死で思い出そうとする私を見て圭吾さんがクスリと笑った。
「お前は眠ってる俺にこう言ったんだ。『峰岸の家に生まれただけでなんの取り柄もない私と結婚しなきゃならなくなって本当にごめんね。私、三ヶ月後にあなたの奥さんになったら、出来るだけあなたが穏やかに暮らせるように頑張ります』って」
あ……!そういえば……。
圭吾さんが私の腰に腕を絡めて続ける。
「その言葉を聞いた時、凄く嬉しかったよ。生涯をかけてお前を大切にしたいと思った。それから……バカな計画を企てた自分に嫌気がさした」
……確かに、このソファに座ったまま寝ちゃってた圭吾さんに私はそう言った。
……独り言のつもりだったのに……。
だって、面と向かってそんな事言えないもの。
でも……。
「……聞いてたって事は寝たフリをしてたんですか?」
「っ……それは」
決まり悪そうな顔が、悪戯のバレた子供みたいだったから私は声を立てて笑った。
「一緒に暮らしているうちに圭吾さんの印象がずいぶん変わりました。越してきた当初は嫌われてると思ってて怖くて。けどインテリア雑貨を貸してくれるだけでなくわが社に運んでくれたり……本当は優しいんだなって思って……それから」
ドクンドクンと胸が鳴る。
けど、ちゃんと伝えないとならない。
今度は自分から、私は圭吾さんと繋いでいる手に力を込めた。
「それから……美月は恋じゃないって言ったけど……圭吾さん。私、やっぱり凌央さんが好きでした。……恋だと思います」
たちまち圭吾さんの眼が見開かれ、その後すぐそれが伏せられた。
「……分かってる」
圭吾さんの身体から力が抜けたのがわかった。
過去は変えられないとでも思ったのかも知れない。
「でもいつの間にか……本当に自分でも気付かないうちに私、圭吾さんの事ばかり考えるようになっていました。それで思ったんです」
ゆっくりと、そらされていた圭吾さんの眼差しが私に向けられる。
それを真正面から受け止めて続けた。
「この結婚は運命の結婚だったんだって。だって圭吾さん以外の人となんて考えられないもの」
月並みな言葉しか思い付かなかったけど、私は心を真剣に伝えたくて握っていた圭吾さんの手に唇を寄せた。
「好きです。あなたが誰よりも好き」
僅かに圭吾さんの唇が開いた。
それから、信じられないといったように眉が上がる。
「本当です。この気持ちは曖昧じゃないです。はっきりあなたが好きってちゃんと分かってます」
「彩」
「はい」
小さく私を呼んだ圭吾さんと私の声は同じくらい掠れていた。
それからゆっくりゆっくり、圭吾さんが私の唇に近付く。
近くなるにつれて伏せられる眼と傾く圭吾さんの頬。
ずっと見ていたい程素敵なのに、唇が触れた瞬間、私はキュッと眼を閉じた。
胸が破裂しそうな程高鳴る鼓動と、熱い彼の身体。
「今までごめん、彩」
僅かに離れた唇から圭吾さんの優しい声がこぼれる。
「大好きです、圭吾さん」
見つめ合うと、どちらからともなく私達は再びキスをした。
嬉しくて幸せで、涙が止まらない。
通じ合った想いに胸が一杯で、私と圭吾さんは離れられず、しばらくの間抱き合っていた。
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