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31話

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袁紹と曹操が激突した結果、勝利した袁紹が勢いに乗って河北へと南下を開始したと言う報告があったからである。これによって徐州は、いや、江南は大騒ぎとなった。
呂布としてはこれ以上徐州に関わってはいられないと言う思いが強かったので、呂布軍が徐州に留まっていたのはその辺りが理由の一つでもある。
荊州を攻めていた時の事を考えても、今回の事にしても、呂布軍は結果として多くの死者を出している。それも自軍ではなく、徐州城の為に。
呂布としてはこれ以上徐州に関わりたくなかったので、荊州に戻る事を提案したが陳宮はそれを認めようとしなかった。
それどころか、
「徐州城の反乱は反曹操派の謀略に違いありません。ここで殿がお戻りになれば、反曹操派は徐州の騒乱を口実にして攻め込んでくる可能性があります」
と言い、呂布を無理矢理徐州に留め置かせた。
もちろん呂布としては陳宮の言う事ももっともだと思い、反乱が起こる前から徐州に残る事に決めていたのだが、それとは別に徐州の治安悪化による人々の困窮を見て見ぬふりが出来なくなったと言うのもある。
特に呂布を慕う一部の将兵達が暴走し、呂布の名声を利用したり武力による威嚇行動を取るようになった事が大きな問題となっていた。徐州の太守は劉備である。その劉備には十分な兵力も無く、徐州には他にも袁術などと言った曹操に対抗しようとしている者達がいた。
もしそれらの勢力や徐州城に籠っていた勢力が曹操側に寝返れば、呂布軍としても無視出来ない脅威となる。
徐州の治安回復と反曹操派勢力の駆逐を行うと言う名目のもと、呂布軍は徐州に留まる事になった。
呂布軍だけでなく荊州から来たばかりの劉備軍と徐州出身の張飛、そして徐州の城を任されている李豊も共に徐州城に戻ると、劉備達はすぐさま徐州城の掌握と防衛体制の構築に入る。
劉備と関羽は徐州城周辺の民衆に対して食糧支援を行い、呂布軍の関羽雲長や張飛翼徳の名と威光を持って秩序を保つ事になった。張遼と成廉はそれぞれ呂布軍として、臧覇と共に各地に散らばっている黄巾党や賊の討伐に向かっている。
呂布はと言うと相変わらず徐州城内の警固を行っており、何か問題が起きてもすぐに駆けつけられる状態を保っていた。
そのせいか、劉備は城を空ける事が多くなり、関羽や張飛達ともあまり顔を合わせない。呂布がそう言ったのでそうなったのではなく、劉備は徐州城を留守にする時には必ず事前に呂布の所へ出向いて、呂布が不在の時は誰か代理の者を立たせる等の対応をしていたのだ。
が、ここ最近その劉備の姿を見なくなっていた。
劉備が呂布に徐州を任せてからというもの、毎日のように城を訪ねてきていたので、呂布は少し不安になっていた。おそらく自分の留守の間に何かが起きたに違いないのだが、それが何なのか想像する事すら出来なかった為だ。
とはいえ今の呂布にとって最優先すべき事は徐州の安全であり、その為にも呂布軍は日夜訓練を続けていたのだが、ある時ふらりとやって来た于禁が、呂布軍の中に紛れ込んでいた荊州武将の一人を見つけ出した。
どういった経緯でそうなったのか分からないのだが、彼は呂布軍に荊州の武将の一人として混ざっており、しかもかなりの実力者だったらしく、劉備から呂布に荊州の武将が紛れ込んでいる可能性があると聞かされていた事もあり、呂布はすぐに荊州武将を捕らえる事になった。
その男は徐州城の中で見つかった為、呂布は男を引きずって劉備の元へ連れて行く事になった。
呂布の話を聞いた劉備の顔色が変わり、明らかに動揺していた。
これまで荊州の武将と聞いても、劉備は全く反応しなかったのだが、この瞬間初めて表情を変えたと言う事になり、呂布はいよいよもって荊州の武将の存在に疑問を持つようになる。
呂布が徐州城で捕縛した荊州の武将の名は徐晃というらしい。
名前に聞き覚えの無い呂布だったが、その名を聞いて眉を寄せた者は多くいた。
徐晃と言えば、漢軍の中でも有名な武人の一人である。若い頃は曹操と同じく中央で働いていた事もあったそうだが、その後は地方武将として活躍を続け、特に西涼において名を馳せた人物である。
荊州に移ってからも武勲を重ね続け、呂布が荊州に居た頃にはすでに荊州の勇将と呼ばれ、荊州太守の孫策や小沛を守っていた曹操からの信任も厚かった。
それだけの傑物であれば、呂布も知っていたはずだ。だが、荊州に居たのは呂布より若い時期であり、その頃の呂布は曹操の元で戦っていたので、面識が無かったとしても不思議ではない。
いや、呂布は曹操の元を離れていても荊州武将との接点が無いはずなのだが、それでもやはり会った事があると言う記憶はあった。
それを思い出そうとするのだが、まったく心当たりが無くて呂布はますます困惑する事になる。
とりあえず今はそんな事を考えている場合ではないので、呂布は関羽を呼び出して徐州城で起こった事件を報告する。
「それはまた……」
呂布の話を聞き終えた関羽は、大きくため息をつく。
関羽にとっても予想外であったのだろう。
確かに関羽や呂布にとっては敵であった荊武将であったが、だからと言って今となってはそれほどの問題にはならないだろう。荊州には曹操や袁紹と言う実力と信用を兼ね備えた名家がそろっており、荊州豪族や有力者達はその力を利用して勢力の拡大を狙っていた事を考えると、むしろ荊州の人材は充実しているとさえ言えるかもしれない。
関羽はそう思って徐州に来てみると、そこには呂布が連れてきた荊州の武将としか思えない人物がいる上に、劉備も関羽に助けを求めてくる。
劉備は呂布と違って荊州の人間とはそれなりに交流があり、その中には当然関羽も含まれていたので、曹操が徐州侵攻を行った際、劉備が真っ先に頼ろうとしたのが呂布ではなく関羽であったと言う事が分かる。
それくらい、劉備が信頼を寄せる人物であったにもかかわらず、今の今まで荊州の者が気付かなかったのには理由がある。
その男は、外見からは年齢を判断しづらい風貌の持ち主でもあったのだが、実際にはまだ年端のいかない少年と言う事だった。つまり見た目通りの年齢であるならば、二十歳前後と言う事になる。
そしてもう一つ。呂布から見てその少年があまりにも弱々しかったと言う事もある。
身体付きこそ鍛え上げられていて強靭そうなのだが、どこか生気と言うものが感じられない。目つきの悪いところはあるのだが、それを差し引いても顔色が悪く痩せ細っている印象が強く、健康体と言うには程遠いように思える。
何よりも呂布と直接対峙しても全く動じていない様子であるのに、他の者には警戒心を剥き出しにして近づこうとしないと言うおかしな状況だったのだ。
これは呂布だけではなく、関羽と張飛も感じていたらしく劉備と張飛以外の徐州の武将達は皆一様に同じ様な印象を抱いていたらしい。その男が荊州の武将と名乗っていない事から、荊州の者達も知らないのではないかと思い、荊州の武将を知っているか確認しようとしたところで張飛とぶつかってしまい、騒ぎになったところを呂布達に発見されたと言うのが今回の顛末だ。関羽と張飛は徐州の武将達とすぐに話し合いの場を設け、劉備にも来てもらって事情を説明した。
荊州の武将と名乗った男は呂布の前に出て来ようとしていなかった為、呂布達は関羽の幕舎の中に招く事にした。劉備は関羽と共に同席したが、関羽に説得されて張飛も渋々と幕舎に入って来た。徐州の劉備軍の中では張遼、成廉の両名は荊州の武将としてよく知られているので、荊州の人間がこの二人を知らない訳は無いのだが、やはり劉備に言われない限りはこの二人が荊州の者であるなど想像出来ない。
荊州から来た荊州の武将と名乗る男はまだ幼さの残る若者で、顔色は悪いままだったが落ち着いた雰囲気を持っている。そのせいもあって劉備達を前にして萎縮してしまうどころか、不遜な態度を取っている様に見える。
荊州で実際に会った時であればともかく、荊州にいた頃は若輩であっても名門出身という肩書きがあったのに、今のこの有様はどういう事なのか。
荊州で何かしらあって今のようになったのだと考えるのが自然だったが、それにしても現在の彼の立場でここまで落ちぶれてしまうものなのだろうか。
そもそも呂布軍では荊州出身の呂布、徐州生まれの劉備以外は荊州の武将と縁がない。徐州の武将達は、荊州の武将について何も知っていないに等しいのだから。
しかし劉備からすれば、荊州の武将と言うだけで十分に重要な人物であるらしく、特に何か言うわけでもないのだが荊州武将は劉備に向かって平伏する。
その態度を見る限り、荊州の武将がただの無礼者と言う訳ではないと思えた。実際問題、呂布軍の武将達が荊州の武将に対し失礼を働いていれば、荊州の武人と言うだけの実力差によって呂布軍の武将達は殺されてもおかしくないほどの実力者揃いなので、そういった心配はないと思うが。
その証拠に、徐州の武将の中には荊州武将に対して敬服する者もいた。呂布軍は武人としての実力はもちろんの事、人柄でも信用されている証だろう。
ただ問題は、この荊州の武将が何者かという事である。
劉備もそれは分かっていたようで、彼は呂布の前に荊州での名を告げる。
それによると、名前は郭嘉、字は奉孝。劉備と同じく劉備の義兄弟であり、年齢は十六歳と言う。
「俺と同い年?!」
荊州の将軍と言う事でもっと老齢の男だろうと予想していた劉備は、呂布や関羽以上に驚いていた。ちなみに曹操は二十七歳で、袁紹は三十二歳である。
年齢だけを比べれば曹操や袁紹の方が年上なのだが、漢王朝の重鎮と言う事を考えるとそれほど大きな差はないように思えるが、漢の重臣である事を考えるとその二人の年齢の差は非常に大きいとも言える。
「(まあ、俺呂布奉先は326歳になったけど)」
まあ、それはいいか。関羽は驚いたものの、荊州武将が名乗った以上は認めなければならない。荊州では有名武将だった事もあり、関羽は荊州武将を名乗る事を特別許しているのだから。
その辺り、関羽の信頼感の強さが窺える。
その若さもあり荊州武将を名乗った事は驚くほどだが、それ以上にその事実を受け入れ難かったのは、劉備であった。関羽や張飛、呂布の様な猛将とは対極に位置する存在と言ってもいい程の武将だったからである。
荊州武将は、文官としての才覚に恵まれた人間が多いとされている。関羽の様に武勇で名を上げたり、張飛のように豪快で粗野な雰囲気とは正反対の印象を受ける人物ばかりであった。
その中でも劉備と同じ様な体格で、荊州で共に行動していた頃から荊州の武将の中でも一際小柄だったと記憶しているので、今とさほど変わってはいないはずなのだが。
それが今、目の前にいる男はどう見ても武官とは思えない華奢で線の細い身体付きをしている。そのせいで、どうしても文官と言われて納得出来てしまうのである。
荊州時代と比べて随分と見違えてしまった事に、劉備は衝撃を受けていたのだ。
そして呂布の方も驚きを隠せないでいる。
確かに荊州の武将と言えば文官のイメージが強い。呂布自身も文若と呼ばれた事もあったくらいなので、そう言われると妙に納得出来た。
とは言え、その印象が強すぎる為に見た目と年齢が合わない印象が強く、見た目は子供、頭脳は大人と言った印象がある。もっとも、そんな事を言ったら三国志を代表する英雄の一人である曹操でさえ、実年齢は四十を越えている。それでも見た目は完全に二十代なので違和感は無いのだが。
それどころか、むしろ荊州武将と名乗る男こそ違和感があった。劉備の話からするとこの男は十六歳。荊州武将を名乗っていない時の呂布と同じくらいの年なのである。呂布の場合は外見が成長していないだけであって、実際は違うのだが。そのくらい見た目から受ける印象と実際の印象が違う男だと言えるのだが、それにしてもこの青年には幼さが残っていて頼りなく見える。
何より、呂布にはこの男がそこまでしてこの徐州に仕官しようとする理由が分からない。関羽も張飛も張遼も成廉も、それぞれが優秀な武将として名を馳せていて徐州には無くてはならない人材だと言うのに、この男は何の為に徐州にやって来たのか、さっぱりと理解出来なかった。
この場に居る全員がこの荊州武将の正体に疑問を持っているが、この場で真実を知る者は劉備一人しかいない。
そこで、呂布は思い切って聞いてみる事にした。
劉備が連れて来たこの荊州武将は、本当に荊州武将なのか。
もし偽物だとしたら、何故それを劉備は知っているのか。
劉備がこの男を連れてきた目的は何か。
その全てを聞いてみたところで、荊州武将と名乗る男は何も答えようとしなかった。
「おぬしは、誰の者でもない」
関羽は厳しい口調で言い放つ。
この一言で荊州の武将は、この世の全てを否定されたかのような顔をする。
「この者を連れて来た理由は、私が知るところではない。ただ、私にも分かる事が一つある。それは劉備殿はこの者が武人ではなく、文官としても軍師としても活躍出来る人物であると言う事を知っているのだと言う事だ。私は荊州時代の事はあまり詳しく知らないが、劉備殿がこれほどまでに期待を寄せていると言う事はそれだけの実績があると言う事であろう。しかし、今の態度ではあまりにも情けないではないか。我が義兄ながら、呆れ果てるわ!」
関羽は荊州武将と名乗る男の襟首を掴むと、そのまま幕舎の外へと放り出す。
呂布達は慌てて止めようとするが、関羽はそれを制止する。
関羽の迫力もあって、劉備以外は幕舎を出る事が出来ない。
幕を閉めようとした関羽の袖を、荊州武将は掴む。まだ何か言おうとする荊州武将に対し、関羽の表情が怒りに満ちてくる。
このままでは喧嘩に発展すると思った呂布は、関羽の腕を引っ張り強引に関羽を自分の方へ引き寄せると荊州武将を蹴り飛ばし、その隙を突いて関羽を外へ出してしまう。
荊州武将も関羽も共に地面に転がるが、荊州武将はすぐに起き上がると走って逃げて行く。関羽はしばらく地面を見つめた後、呂布を睨みつける。
「奉先、貴様! あの者と私のどっちの味方をする気なのだ!」
「兄者を庇う義理はないが、お前はやり過ぎだ。劉備殿が困っているだろうが!」
呂布はそう言うと、関羽の首根っこを捕まえて幕の中へ戻る。
幕の中には、関羽に対して頭を下げる劉備の姿が有った。
呂布達と入れ違いに陳宮もやって来て、曹操がやって来ると事の説明を求めて荊州武将について説明を求める。
劉備は曹操と面識がないらしく、少し驚いた様子だった。
「俺の妻が曹操の奥さんと知り合いでね。まあ、俺は全然会った事はないんだけど、ちょっと紹介させてもらっていいかな?」
曹操が許可を求めてきたので、関羽は黙って顎を引く。曹操はそれを確認すると劉備の紹介を始めた。
曹操が奥さんの張勲に荊州武将の事を聞く前に、張勲自身が張飛と一緒にやって来た。張飛は関羽の前に出ると深々と頭を垂れる。
荊州武将は張飛の義弟らしい。関羽が荊州時代に面倒を見ていたと言う。張飛は関羽に礼を言うと、荊州武将を追う様に駆け出して行った。
呂布はその行動を見て思う。荊州の武将は、皆が関羽の様に勇猛果敢な猛将揃いであるなら問題は無いのだが、この荊州武将の様子を見る限りそうでない可能性の方が高い気がしてくる。
その辺りも含めて、呂布が張飛と荊州武将を引き合わせた方がいい様な気がしてきた。
とは言え、張飛は今劉備の元に居て忙しいので代わりに呂布が荊州武将に話を聞こうと思う。
「え? 荊州武将じゃないよ、彼は」
呂布は荊州武将と顔を合わせた時、その事を尋ねたのだが荊州武将は自分がそうだと名乗りを上げた。だが、張遼も劉備もそう思っていないような雰囲気だったので呂布が確認したのだが、どうやら劉備がそう思っていただけのようで劉備の言葉を否定するように劉備は首を横に振る。
そうすると荊州武将を名乗る男は劉備の家臣になるつもりでいるのか、それとも劉備が引き連れて来た兵の一人になりに来たのか。どちらにせよ、曹操が会いたがっていたと言う事で曹操の待つ幕舎まで連れて行く。曹操は既に来ていて袁術から預かったという娘二人を伴っていた。
この二人は曹操が見付けたと言う話だったが、袁紹の所に居た時に曹操と知り合ったと言う事なので呂布にはさっぱり記憶に無い。
徐州でも曹操が女遊びをしているという話はあったが、この二人の容姿の良さと美しさに呂布は感心する。
どちらも美女と言って差し支えない容姿であり、この年頃の娘が好みそうな派手な服装などではなく、落ち着いた感じの装いである。どちらかと言えば地味な印象を受けるが、だからこそ品位を感じさせる。
呂布が曹操に促されて幕舎に入るが、その呂布に付き従う女性陣の格好に関羽が難色を示す。この荊州武将を自称する男を信用していないからなのか、それとも関羽の目から見ても美しいと感じるほどの女性である為なのか、それは分からないし聞くつもりもないが、この後に控えている宴席には相応しくないと呂布は判断した。
呂布は関羽に向かって手招きし、荊州武将を連れてくるよう頼む。荊州武将を連れ出したのは呂布自身ではあるが、それでも連れ出す理由を作ってくれた劉備に感謝したいくらいだ。
この関羽の行動を劉備が不快に思っても仕方が無いくらいで、劉備が何も言わなかったのは不思議でもあった。
そして関羽と共に荊州武将も戻ってくる。
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