上 下
55 / 98

55話

しおりを挟む
あくまでも狙いは呂布であり、ここで劉備を危険な戦場に連れていく意味がない。
呂布には関羽や呂布の子供といった戦力が存在しており、さらに孫堅、劉表、許貢などの勢力があり、さらには劉備が以前話していた徐州の陶謙という人物がいることまで分かった。正直徐州には興味はなかったが徐州を手に入れることができなければ黄巾の乱を乗り切ることは出来ないと考えているからである。呂布を倒してこの徐州を手に入れられるのならば多少無理をしてでも戦わなければならないし、そうしなければいけないと言うことは理解している。だからこそ劉備に同行することは避けるべきなのだ。それを説明し納得してもらうと俺は陳宮から預かっていた手紙を渡すことに成功した。
それは劉備たちにとっても魅力的な条件であったらしく、陳宮の手紙の内容を信じてくれるほどだ。これで少しの間は陳宮に怒られることもないだろう。そしてついに俺達は袁紹軍の迎撃の為に出撃することとなった。劉備軍には兵を貸してもらう代わりに俺の持っている武器をすべて貸し与えることにしてあるのは言うまでもなくそれが俺なりの責任の取り方である。まぁ借りたのは兵だけなので俺自身は何も持って行ってないんだが……。
そして徐州城を出てしばらくすると呂布軍の大群を発見することになる。予想以上に早い展開でありこちらの動きが知られているとしか思えない。それを裏付けるように呂布軍の武将として夏侯惇の名を見つけてしまったことが大きな誤算となる。夏侯淵と共に魏武と称される武将であると聞くが、正直この二人の実力がどれほどの物なのかわからない以上油断出来るものではなかった。だがそれもすぐに解消されることになる。なぜなら向こう側からいきなり仕掛けてきたのだからである。それを確認出来た時には呂布軍が既に迫っており慌てて迎え撃つために兵を繰り出そうとするのだがその時後方から叫び声が聞こえてくる。そこには張遼率いる五千の兵が迫ってきていた。それを横目に収めながらすぐに迎撃するように指示を出していったのである。
夏侯惇率いる呂布軍は圧倒的な強さを見せていた。一対一では確実に負けると確信するほどである。だが幸いなことにこちらには兵力に余裕がある。とにかく呂布を仕留めるために呂布を狙うしかないのだ。そのために少しでも早く呂布を片付けたいのが本音ではあるがさすがというべきか、張遼と高順は夏侯兄弟の連携によって上手く攻撃をかわすことに成功していく。それでも何度か攻撃を受けてしまっていた。だがそこで予想外のことが起こる。突然張遼たちの部隊が後退したと思ったら背後に伏兵が潜んでいたのだ。張飛と趙雲の二人は何とか対応していたが関羽だけは間に合わずまともに攻撃を受けて馬上から弾き飛ばされてしまう。それを見かねた李豊は関羽の元へ駆け寄るとそのまま担ぎ上げて後方に退いていきなんとか命を取り留めることはできたのである。だがここで呂布軍を足止めすることが厳しくなってきた。呂布軍と張遼軍との挟撃を受けている上に援軍も到着しつつある。それに対して曹操軍は劣勢に追い込まれつつあったのだ。
「李粛様、もうすぐ曹操の援軍が到着します」
伝令役の兵士が俺の側に来て戦況を伝えてきたがその報告を聞いて思わず溜め息が出そうになる。この状況を覆すことは難しいかもしれない。
俺一人で呂布の相手をしながら曹操の援軍を待つなど無謀すぎるのだが俺にはそれをしなければならない理由があった。それは劉備を守るためである。確かに今の俺は劉備を守ると言う意味ではここに居るべきではない。しかし、ここで守っていれば少なくとも劉備はこの徐州城で無事で居られる可能性が高まるはずなのだ。そう思っていた時に遠くで曹操の軍旗を確認することが出来たのだがその直後何かが空を切る音がした。反射的にそれを避けることが出来て良かったと本気で思った。でなければ俺の首は繋がっていなかったはずだからである。いったい何が?と思い飛んできた方を見ると、一人の男が戟を振り抜いている姿が目に入ってきた。その姿に見覚えのあった俺は思わず叫んでしまったのだった。
俺が振り抜いた戟を避けてくれたのが懐かしくも忌々しい人物であることを俺は認めなければならなかった。目の前にいる男こそ漢帝国三大英雄の一人である猛将・華雄だった。俺は内心苦虫を噛み潰しながらも冷静に対処することに努めた。まず目の前の人物を警戒しつつも周りを見る限り敵に囲まれていないことを確認してから呂布に向かって声を上げることにする。もちろん警戒を解くわけではないのだがこの好機を逃すつもりはない。このまま一気に攻勢に出なければならないのである。
だがそんなことは華雄はわかっているだろうからここは挑発しておくべきだろうと判断する。どうせあの呂布を相手にするのは厳しいと思っていたので他の者であれば問題は無いからだ。
ここで重要になってくるのは華雄が誰に対して反応を見せるかで、それが関羽であれば呂布へ追撃の指示を出してくれて楽になれるはずだったのだがそれは叶わなかった。そういえば呂布や陳宮が劉備の元を離れたということは知っているからこの二人が一緒に行動していないわけがないんだよなぁ。それに加えてこの華雄である。俺にとってはかなり不利な状況と言って良い。ただでさえ絶望的な状況だと言うのにそこに魏武と称された武将が加わるなんて……。まぁそれは今はいいか。それよりも呂布をどうにかしないといけないし、曹操の援軍が着いてしまえば完全に包囲されてしまうのでそう長く持ちこたえることも出来ないだろう。今にも崩れそうなほどに兵の士気は低い。これでは呂布を討ち取ることは無理だと判断していたのである。そして案の定と言うべきか、華雄の口から出てきた言葉はその思いをそのまま口に出したかのような物であった。正直こいつの相手はしてられないんだけど呂布が動き出す前に抑えておかないと本当に勝ち目がなくなるぞ……。そう思って俺はすぐに迎撃の態勢を取ることにしたのであった。そして次の瞬間には信じられないような速度でこちらに突っ込んできて戟を振るってきたのである。俺はそれを避けるために飛び退くと即座に体勢を整えた。そして反撃するために槍を構えるとそのまま攻撃を仕掛けた。しかし、俺の攻撃が当たったかに見えた直後華雄は姿を消し、そしていつの間にかに背後に現れて一撃を放ってきたのである。
なんとか避けることに成功したものの、明らかに格上だと言わざるを得ない戦いぶりを見せつけられてしまったことに驚愕していた。まさか呂布以外にここまでの化け物が混ざっていたことに気が付かなかったとは……、迂闊すぎる……。これはもう本格的に危なくなってきてるんじゃないかと思っているとそこへさらに最悪の援軍が現れた。呂布軍が後方から姿を現したのである。こうなってはこちらに勝機は完全に失われたと思っても良いくらいになっていた。しかしそこで意外な人物が声を上げたのである。
「貴様!我が兄者を愚弄するのか!」
それは関羽の声だった。その声を聞き呂布は少し不思議そうにしていたが、すぐに納得すると嬉々として笑みを浮かべると俺に向けて言い放ったのである。
「なるほど、張遼の部隊を破ったのは君たちかい?」
まるで友人に声をかけるような物腰に一瞬戸惑ってしまったが、向こうには余裕があるための物だと思いなおす。実際今の状況はこちらにとっては絶望的であるにも関わらず相手の表情からは焦りすら伺えないのは確かだった。俺は少しでも時間を稼ぐために関羽に向かって大声で叫んだ。
関羽ならこちらの意図を理解してくれるはずだと信じるしかないのだ。
劉備の元へ駆けつけた趙雲だったがすでに手遅れであることを理解する。張飛によって守られていたのだが、張飛はすでに力なく倒れている。張飛の胸元は大きく裂かれていておそらく助かることはないであろうことが素人の趙雲でも理解出来るほどの傷である。関羽も全身に無数の切り傷を負っていたがなんとか立っている状態であり満身創痍と言える状態であった。しかもそんな二人の背後に迫ってくる影が見える。
それは先程まで共に戦っていた夏侯惇と夏侯淵の姿だった。もはやこの徐州軍を守るものは誰もいないようにさえ思えるほどだった。それでも諦めることは出来ない、せめて自分が仕えている主人だけでも逃がさなければならないという思いで関羽と共にその場から逃げようとしたのだが、そこで呂布が予想していなかった事を口にしたのである。
「君たちもなかなか面白いけどね。その女が持っている龍牙刀を持っている方が本物だよ。僕と戦いたくば、そちらを仕留めることさ」
それだけ言うと呂布はこの場を離れていった。どうやら見逃されたようである。呂布自身、この状況をどうにか出来るという確信があっての態度のように見えていた。呂布の狙いが何かは不明だがこちらとしては呂布と戦う必要がないというのは幸運なことだと思う。しかしその一方で関羽達は曹操の陣営に向かい張超と合流しようと急いで移動していった。そしてその様子を眺めながら関羽達が合流したとしても呂布を打倒できる可能性がないことを痛感させられてしまう。それほどまでに目の前の曹操は強敵だと感じ取ったからである。ただでさえ戦力差が大きく絶望的だと言うのに呂布軍の方からも多数の部隊が近づいて来ていることを感じ取ってもいた。
こうなれば覚悟を決めるしか無かった。せめてもの悪あがきをするべく曹操軍に突撃をかけるのであった。
俺の部隊は今、呂布と対峙していた時よりも悪い状況に陥っている。それは呂布との戦いが始まる少し前まで遡る。呂布軍と衝突することが確定したことで全部隊を集結させたところまではよかったのだが問題はその後である。呂布達も当然警戒をしているらしく俺たちの方にばかり意識が向いていないらしいのでまだ気づかれてはいない。
そこで一気に攻撃を仕掛けることにしたのだがそれがいけなかったのだ。俺が率いてきた部隊にはそれほど兵力が多く無い。せいぜい二千程度なのだがそれに対して相手側は四万人近くがいるのである。こちらは三倍近い兵数で襲いかかったわけだが結果は圧倒的不利になっただけだったと言って良いだろう。いくらこちらが精鋭とは言えど、多勢に無勢である。しかもこっち側には指揮官と呼べる者がほとんどおらずただ勢いだけで進軍しているような状態だったため連携を取ることもなく次々と討ち取られていった。それどころか同士打ちや混乱による無駄な犠牲も出てしまいまさに最悪な状況だったのである。俺は必死に応戦したものの戦況を覆すことが出来ずに徐栄の元に伝令を走らせ援軍を求めるのが精一杯でついにここまで押し込まれてしまっていた。もうすでに半数以上の兵を失ってしまっていることに加えてこのままでは全滅してしまう恐れがある為早急に撤退する必要があると思ったとき、さらに最悪の事態になってしまったのである。
「なんだあれは……」
呂布と思われる武将が率いる部隊の姿が見えたからだ。その数は一万前後だろうか?かなり少ないはずなのだが今まで見たこともない様な恐ろしさがあるように感じられた。まるで虎の前に放り出されたかのような感覚に襲われるほどである。しかしそれは見た目の話である。実際はそこまで怖くはないかもしれないし今すぐにでも攻撃すればなんとか撃退することも可能なはずであるのだが、俺は恐怖していた。本能が全力での逃走を促してくるほどに恐れていたのである。今思えばそれは正解だったと言えるのかも知れない。ここで無理をして被害を増やすことは得策ではなかった。そして何より逃げる機会を失ったことに後悔したのだった。
そして呂布軍はそのまま横を通り過ぎて後方へと進んでいく。それを呆然と見ていると背後のさらに奥の部隊が立ち止まったようでこちらを見つめてきている。その時になって初めて俺は背後にも兵がいることに気づいていた。どうやら完全に包囲されていたようだ。しかもその動きの速さから見て最初から罠に嵌められていたことを理解する。おそらく先ほどまでのこちらの攻撃によって足並みが乱れているところに後方から強襲してきたのであろう。つまりはあの時からこの包囲網は構築されていたということになる。そう考えると先ほどの戦い自体が相手の掌の上で踊らされてだけに過ぎなかったということである。そう思うと背筋が凍るような寒気が走ると同時に、この現状は絶望的であると感じた。
それでも戦うしかない。たとえ俺一人になっても必ず勝つ。俺は決意を固め、剣を構える。
「みんな!俺に続け!」
そう叫んで斬り込んでいったのだった。
一方そのころ陳宮の元へようやく曹操軍がたどり着いた時にはすでに手遅れになっていた。陳宮軍は壊滅しており辛うじて生き残った者達が集まってきたのだがどうすることも出来ずに立ち尽くすのみとなっていたのである。しかしそんな時に曹操の元へ夏侯惇、夏侯淵からの伝令が到着し、曹操へ報告を始めた。その内容は予想もしていなかったものである。夏侯惇達が率いる部隊はまだ健在であるがそこに呂布の部隊が向かってきているという内容だったのだ。それはおそらくこの徐州城を落とすために動いている呂布軍の本隊に違いない。
「すぐに撤退する」
その情報を聞いてから陳宮はそう呟いて撤退を開始した。そして徐州城に張遼軍の援軍を呼び寄せるように命じて、他の将達に撤退の指示を出しつつ自身は張飛と関羽を探そうと周囲をくまなく見渡していた。そんな折に遠くの方で何かが光っていることに気づく。どうやらそれは松明のような明かりであることがわかったのだがそんな物が何故、という疑問があった。
しかしその答えは一瞬で分かることになる。
なんとそこから呂布率いる大軍団が現れたのだ。しかも張飛達が連れてきたのであろうか、関羽までそこにはおり、まさに鬼神の様な働きを見せ始めたのである。それにより呂布軍とぶつかった陳宮軍は甚大な被害を被ることになり、張飛達のことも気になるがそれよりも曹操を守らなければならないと判断し、撤退の準備を始めるのであった。そしてそれが終わる頃には既に劉備軍と呂布軍との距離はわずかとなっており呂布達が目前に迫ってきていたのである。そこでやっと合流を果たしたわけだがもうすでに勝敗は決しているといっても過言ではない状態であった。いやそもそも勝ち負けを決める戦いでもないのだからそれも違うのだろうが。もはや呂布達は撤退準備に取り掛かっている陳宮殿を追い始めている状態だった。こうなるともう曹操軍に出来ることは何もないに等しいだろうと思われたのだがそこに伝令が現れさらなる凶報を持って来ることになったのだった。それこそが徐栄の死でありさらには曹操が敗走したということだったのだ。
これで事実上この戦の勝利は決定したと言えた。このまま追撃を仕掛ければいいところをわざわざ止めるのには意味があるのかと言われると思う人もいるのかも知れないがこれに関してはちゃんとした意味があってのことだったのだ。と言うのも呂布のところにいるのが華雄なのだが実はこの戦いが始まる直前に董卓に寝返っていたということが発覚したからである。それで今回、もし追いついたとして、そのまま逃げ切られた場合呂布の元にも被害が出てしまうのはもちろん、呂布自身にも追手がかけられる可能性も出てくるのでここは止めておく必要があったのである。また、それに付け加えてだが今回は完全に裏切ったわけではなかったらしいがいつ何時、どんな気まぐれを起こすとも限らないためなるべく早い段階で捕まえておかないといけないということでもあった。
そのためこうして徐栄にとどめを任せたということもある。さすがに今回のことで信用を失いかねないと判断したらしく徐栄はすぐさま呂布に陳宮の身柄を渡すと陳宮を連れて去っていったのだった。それを確認したところで撤退を開始しようと思ったわけなのではあるがその時だった。一人の男が馬を走らせ近寄ってきたのである。それは高順だった。おそらくどこかで戦況を確認していて戻って来たといった所だろう。とりあえず確認しておく必要があると思って声を掛けることにする。
「無事だったか?」
まずは無難なことから話しかけることにした。
しかしそれは予想外の反応だった。
いきなり泣き出し謝り出してきたのである。正直何を言っているかさっぱりわからなかったがひとまず宥めて落ち着いてもらうことにした。それから話をすると、どうやら張遼は死んでいるとのこと。やはりその事実がよほど衝撃的だったのであろう。そう思うと同時に、呂布としてもその事は少し心に引っかかったままだった。なぜならこの作戦が決まった時からずっと懸念していたことの一つではあったからだ。張遼は元々呂布の側近でありその性格もよく知っていた。
しおりを挟む

処理中です...