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64話

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彼は呂布を生け捕る様に命令を出し、さらに自分が囮となって敵兵を分散させた上で各個撃破していった為、ついに戦場を制圧するに至った。と言うより、この混乱が終息したのは彼のおかげと言えなくもない。呂布の生死が分からないにも関わらずそう判断出来たと言う事は、その程度の情報を確認出来る程度には余裕があったと言う事であり、それだけで彼がいかに場慣れしているかの証明にもなった。もしこのまま膠着状態になった時、彼ほどの将がいなかったら呂布はこの戦で死んでいて、呂布軍壊滅という結果になっていたかもしれないと思うほどだった。
ともあれこれによって一旦落ち着きを取り戻したが、呂布にとっての問題は何も解決していない。
今回の襲撃に対する報復を行わなければ、いずれ同じ事が起きる。呂布にとっては今更とも言えるのだが、李家にとってこれは先祖代々の戦いである以上退く事も出来なくなっていた。
また、李儒にとっても呂布を生かして捕らえる事で何か利益があるらしく、そのためにわざわざ自分の軍を動かしてきているらしく下手にこちらから手を出せなくなっている。呂布もそれが分かっているので、こちらも迂闊に動く事が出来ずにいた。ただ李克の方も曹操が動いてくる可能性を危惧していて、さっさと逃げたくて仕方ないのが見て取れる。それには高順も賛成したいところだが、だからと言って呂布も逃げるわけにもいかないのだ。
高順と李典と楽進は先ほどから何度か話し合いを重ねているが、いい案は出ていないらしい。李家の方に関してはすでに対策済みと言わんばかりである。おそらく彼らの中ではすでに戦い終わっているのだ。しかし李粛の暴走によって思わぬ状況に陥ってしまっただけで、本来の彼らはこう言う時に慌てず騒がずに臨機応変に対応する能力に優れている様だ。
その能力があればこそ、この危機的状況にも落ち着いていられるのだが、逆に言えばこの混乱状態が続いていれば呂布軍に勝ち目はなかったかも知れないのである。
そこへ現れた人物を見て、李延は驚いてしまう。
「小蘭!?」
それは袁術の元侍女だった李祥の妹の李胡である。
その表情を見るに戦に巻き込まれているのかと思っていたのだが、実際は自ら李克の救援に向かったと言う。そして、この状況下では彼女の存在は切り札になる事を確信した李徽は彼女に一任して見守ろうとした。
その結果、この戦場における唯一の活路を見出す事になった。
突如李曼成が現れた事により徐州軍は一時崩れかけたものの李曼成自身が李粛を討つ事になり形勢逆転すると一気に李克を追いつめ、ついには李訓までも討つ事になった。
これで戦況は完全にひっくり返ったが、まだ問題は残っている。
呂布軍と李克の軍の間には李蒙と李粛がおり、さらにその李克の軍の後方にも李家と劉備の率いる部隊が待機しているため、迂闊に近寄る事も出来ない。そもそも呂布軍が合流した事で、戦力的に見ても圧倒的不利になってしまったのだ。ただでさえ厳しいこの情勢の中、更に兵力を増やしてしまった李家の方を放置しておく訳には行かない。李粛や李曼成を討ち取る事が出来る李家の兵でも、今の呂布軍なら勝てるだろう事は李典達がやって来た事を考えると疑う余地はない。
この状況は、はっきり言って手詰まりに感じられた。
「……奉先の身を守るのであればこれ以上の抵抗は無駄かと思いますが、高さんどう思います?」
李典が李典の副官と高順に意見を求めると、すぐに返答が戻ってきた。
高順も同感らしく大きく何度も首を縦に振っている。
李則は李曼成の動きを警戒する為にその場に残ったのだが、この乱戦の様相ではとても李則まで気を配っていられない。高順としては高順の側から離れる事自体嫌なのだが、今はそれよりも李徽達を呂布達の目の前に残して撤退させるのが良いのではないかと言う事だった。確かに李徽達は援軍でしかなく、敵がいなくなったのだから帰るのは道理でもある。
むしろここで留まる方が異常と言うものだ。
そこで李儒との話し合いが必要になったわけだが、さすがに呂布がここに居る事を知るはずもなく居場所を探さなければならない上に李延だけでは李儒の元へたどり着けるとは思えない。李徽と相談してみると言っていた李和も李儒の元に辿り着くには時間がかかる。こうなってみると李粛の行動はある意味正しかったと言えるかもしれない。戦場に迷い込んできた小物を見逃す事はせずとも、呂布を捕らえる事だけを念頭に入れて呂布さえ確保出来ればそれでいいと考えていればあの行動は決して間違ったものではなかった。実際、呂布軍の混乱を収めるのにかなりの時間を浪費していたはずだし、その間李家は何も出来なかった事になるので、結果としてはその方が良いのである。
とは言うものの、今となってはそれすら言い訳にならないのも事実である。この好機を逃す事なく確実に攻め入っていた李家の方に分があり、呂布にはそれを阻む手段は無いと言う。
だがそこに現れた人物は李胡である。
彼女は単身李克の救援に向かうと、わずかな間とはいえ李家側の優位を作りだしその混乱に乗じて見事に敵を退かせ、さらには敵の将を討ち取ったと言うのである。
李延の話を聞いた李典の胸には歓喜の感情と同時に焦燥の想いが生まれる。
ただの幸運による勝利だとしか考えていない李延に対し、李典はすでに一つの可能性を見出していた。それが当たっていれば状況は好転するが、そうでなければこの戦の敗北だけでなく自分の命を失う事になる可能性も高い。その覚悟を決める必要があったのだ。
「お待たせしましたー!」
突然、場違いな明るい声が上がる。
振り向く必要もなかったのだが、それでも条件反射の様にそちらへ視線をやった一同の前にはやはり予想通りの人物が居た。
袁術に仕える元下女、王美である。袁術も董卓によって殺されて、今では袁紹を頼って身を寄せているが呂布から見れば袁術が生きていた頃の方が良かった様な気がしているので複雑な心境ではあるが、この際彼女の出現にも文句は言えないどころかありがたいぐらいである。
彼女が現れた事にもだが、彼女が連れてきた者にも高順や李典は驚かされた。
李蒙の案内でやって来たのは、呂布が見知った顔ぶればかりだったからである。
張遼と郭嘉は分かる。
華雄もいた。呂布に対して色々思うところはあっても高順に対する恩義から従ってくれているらしい。
そして徐栄である。本来呂布軍をもっとも苦しめた男として名高い人物である。しかも袁術軍にいた頃からの戦友であり、呂布が唯一頼りに出来る相手でもあるのだが今回の件に限っては心強いより恐ろしさの方が強かった。
徐栄がいればこそ呂布も戦場に出る事が出来るが、同時に彼に何かあった場合、呂布軍は崩壊する。それほどまでに信頼出来る武将なのだ。陳宮と宋憲がいた。
二人はもともと呂布に従っていたわけではないのにこの窮状を知って駆けつけてくれたのである。それも陳宮などは戦える状態でもないにもかかわらず、戦場に立つつもりでここまでやってきたのだ。
李厳と樊稠もいる。
彼らもまた李克に降伏勧告を行う為に戦場に出て来てくれていたが、この危機的な状況を聞いて急いで戻ってきてもらった。
また李典達と共に李訓と戦っていた李粛と李典の兄弟に李蒙がいる。さらに徐州軍を率いて来た劉備とその義弟である関羽・張飛の姿もあった。これだけ揃えば、たとえ李家の全軍を敵に回しても勝てるのではないかと錯覚してしまうほど、味方陣営の武将の質は高いと言えるだろう。だがそれを見て呂布の胸中にあったものは、不安だった。
おそらく李蒙を除く全ての人物の表情を見る限り、呂布軍の苦境を察したのであろう。
つまり、援軍ではなく呂布の奪還に来た事が一目瞭然なのだ。この状況で、もし援軍であったなら李和も李延も、呂布や高順までも喜んでいただろう。だが実際には、援軍と言う言葉とは全く縁遠い、呂布にとっては頼れる援軍ではあれど呂布軍にとっては完全に敵となる者達ばかりなのである。
呂布は、正直なところを言えばこの援軍には大いに期待するところが大きい。と言うか、ほとんど願望に近かったが、とにかく李家の兵を相手にする戦力が増える事になりそれはそのまま、呂布軍の戦力増強を意味する事になるのだから。李家の軍勢に正面からぶつかる事が出来るのであればまだ勝つ見込みはあると思う。
問題は、それをどうやって成功させるか、と言う事である。いかに李家と呂布軍の間で兵力差があっても、さすがにこの面子相手に正攻法で勝負を挑む事は出来ないし、かと言って奇策を用いるには時間がない。この混乱状態は李家が優位に戦いを進めているのだから、すぐに形勢が変わる事はないだろう。ならば少しでも早くに動き出さなければならないのに、ここで立ち往生していては本末転倒も良い所だ。
「李曼成殿を討つ! あの方を失えば、今の戦局を覆す事は不可能になる!」
李和が李曼成に気づかれない様にそっと近づいてきたので、そう言ってみた。
「えぇ!?」
李典は驚いて李和の方を振り返るが、李和にしてみればすでに考えていた案なので落ち着いて返答をする。
「いえ、李曼成様を狙う必要はありません。この混乱を収めるには総大将が必要ですからね。それを失わせる事が出来れば……どうしました?」
「いや、まさかこんな簡単に思いつくなんて、って思って……。李家と言えば五丈原の戦いじゃあ、真っ先に戦場から逃げ出す様な腰抜けぞろいですよ? 確かにあいつらに比べれば呂布将軍がどれだけ優れているか知れますけど、俺達がここに来るまでどれほどの時間が経っていると思います? その間何をしていたと思ってるんです。ただ呆然と見ていただけですぜ?あんな奴らに、大将の代わりが出来るはず無いでしょうが。そんな簡単な事に、誰も気がつかなかったんですよ。やっぱり、俺達は凄いんですね」
李典は得意げに言う。
彼の言い分には無理がある事も事実であるし、李家の援軍の士気が低い事もあって、このままだと敗北するのは間違いなくこちらである事も確かだ。
ただ、その事実を認めるわけにもいかない呂布は何とか打開しようと頭を悩ませていたのが一転して、その方法が向こうから来た。それだけの事なのである。
それにこの方法にも大きな欠陥が無いわけではない。李曼成を戦場で失ったとしても戦況に大きな変化は無く李曼成自身が指揮能力に長けているとは思えないからだ。そう考えると、やはりこれは危険な賭けでもあると言える。もちろん今更退路も残されていないところにまで来てしまっている以上、呂布も前に進まなければならない。
その為に必要なものが、呂布軍の戦意の高さである。これさえ有無によって今後の展望が大きく変わる事は明白で、それを実現するには目の前に立ち塞がる障害を打倒する事こそが唯一確実な方法である。
だからこそ、呂布軍はあえて前進する事にしたのである。呂布軍が前線へ出てくるという事はもちろん敵の的になるのだが、それを狙って李家の将も次々と集まってきてくれた。当然、呂布軍と戦える事を喜び勇んで向かってくる者もいるが、中には恐れおののいて後退りしていく者も居る。呂布軍を撃退するためにやって来た李家の兵が逃げる程、呂布軍の強さを見せつける事に成功した。これによって呂布軍の動きはより活発になっていく。
李家軍はこれまで呂布軍に対して優勢であった為か警戒心が薄く、勢いに乗るまま押し切ろうとする傾向があるのだが、それでも李曼成と合流してからの李克の攻撃を受けて一旦足を止めてしまう事もあったものの、それも一時的でしかなかった。
むしろ李家の猛攻撃に晒されたのは徐州軍である。この辺りは元々の土地勘の差もあるのだが、この場にいた者のほとんどが呂布と共に戦うのは初めてである為に、誰がどこに布陣しているのか把握出来ていないのが大きいだろう。李克の率いる部隊が、ほぼ正面から突っ込んできて一気に蹂躙されてしまうのを防ぐ為に李蒙が率先して動いた事もあり、徐州軍は完全に防戦に回ってしまっていたのだ。呂布としてはさすがに見過ごせない。この行動には李蒙自身の意思よりも李粛の意思を感じるところもあったのだ。呂布はこの徐州兵を呂布の元へ帰そうと兵を動かした。その時、横合いから一刀の下に切り伏せられる男の姿があった。劉備だった。劉備は兵を率いず単身呂布に向かってきていた。劉備自身も呂布の武勇には信頼を置いているらしく、単騎でも十分に対抗出来ると考えたのだろう。呂布もそれには応じて、戟を振り回す事で劉備を退けようとするが彼は巧みにそれを避けてみせただけでなく呂布軍の戦列に入り込む形で李曼成隊へと接近した。
それによって陣形はさらに乱れてしまったのである。李曼成の部隊から悲鳴が上がったのを見て呂布が駆けつけようとした時には既に劉備の姿は無かった。劉備を斬ってしまったのではないかと言う不安に駆られた呂布だったが、そこに張飛の剛槍と関羽の一太刀が振り下ろされる。
李和が、李和に従おうとした李曼成とその部下達が、それぞれ命を落とす事となった。これでようやく戦いの流れが変わる。
だがそれはあくまでも李曼成隊の全滅により流れが変わったと言うだけの事であり、決して戦況に好転をもたらした訳ではない。
李曼成を失ってしまったが故に、呂布軍の戦力はさらに落ちてしまい、李克が相手とは言え正面からの戦いを強いられる状況に追いやられる事になった。そうなると呂布の配下は精強であっても数において劣っている事には変わりがなく、正面衝突ともなればいかに歴戦の勇士と言えども無傷とはいかないものとなる。そこで張遼の進言を受け、李延が別働隊を率いて高順、韓浩、魏越らと合力して、敵陣突破を図る事に決まった。だがこの時、李和は呂布が予想していた以上の手練れの士を伴って、正面決戦を挑んできた。その男は李曼成亡き後、新たに李家筆頭の武人として名を上げた李通と言い、この李家が抱えていた精鋭の中の、さらにその上位に位置する武将達である。
李和にしてみれば自分が戦場に出なければ良いと思っていただけなので戦力的には大して変化が無いのだが、呂布の方はこれ以上ない痛撃となった事は疑いようがない。この瞬間から李家は、本来の戦上手としての実力を発揮する事となり、逆に李和の手腕では歯が立たなくなった事も間違いなかった。それでも呂布はまだ粘っていた。李通達の剣先が呂布に届いた事は、ついに一度も無かったのだ。それに加えて、呂布の後方にも危機が迫ってきたのである。後方の陳宮軍が、突然動き出したのだ。
陳宮自身は本隊を退く時に、敵が追いかけてきて挟まれた場合には自ら囮となって殿軍に道を開き、そこを突いて呂布と合流するつもりだったのだが、それを待っていられないと判断した李虎、郭豹らが、全軍を以って呂布の救援に向かう事を提案して来たのである。呂布軍は曹操軍の軍師である曹仁の忠告もあり、予備兵力を残す事を常としている為、今現在手元にある全兵力を投入している状態であり、ここで呂布を討たれる事がどれだけ致命的なのかは言うまでもない。その事が分かっていて尚も、彼らは決断を下した。そして実際に呂布が窮地に陥ればその判断は正しかったと誰もが認める事になる。それほどまでに李家の将は、その勇猛さと戦における才覚で李家を盛り上げていた。呂布も彼らの奮闘によって辛うじて戦線を維持していたと言える。しかしそれが長く続くはずも無く、呂布と張遼は同時に膝をつく。二人の身体には李家の武将が付けた傷が刻み込まれており、もはや戦う余力は残っていなかった。その事は呂布軍の兵士達にとって絶望を意味していただろう。もう、勝ち目は無くなったと言っても良かった。ただ、李通を除いて。彼はこの激戦の中ですら自らの力を誇示する事は無く、ひたすらに李曼成の後釜として恥じる事の無い活躍を見せ、遂に呂布にまで一撃を加えたのだ。これが彼の全力であったかどうかまでは分からない。が、呂布を討ち取ったとしても李克の攻撃を防ぎきれると踏んでいたのかもしれない。だがそれは失敗に終わった。高順率いる徐州軍の突撃に横槍を入れられ、李克と李延の動きが完全に止まったところで韓当が本陣を強襲、さらに劉備までも呂布の首を取りに現れた。それでも李克が最後まで抵抗を続けていたが、やがて呂布の奮戦虚しく討たれてしまう。こうして呂布の徐州入りに端を発した一連の戦は終わりを告げ、呂布軍は壊滅的な被害を受けたのである。
徐州城に戻った呂布はすぐに厳氏の元へ赴き、今回の事を謝った。李通が予想以上に優れた人物だったのと李虎らの参戦があったとはいえ、あまりにも呆気なく敗北し過ぎたのだ。こればかりは言い訳が出来なかった。
しかし、それを責める者はいなかった。陳宮だけは別格であるが、それ以外には全くお咎めなしという事である。むしろ呂布軍の損害の方が多かったくらいなのだから、この程度で済んだとも言える。
また、今回李曼成隊と戦った徐州兵の中にも多くの命が失われ、生き残った兵も相当な心的外傷を負ったと思われるのだから、この徐州の損失を埋める為に呂布や徐州の民衆は多大な労苦を負う事になったのは想像するに難くない。
ただ、陳宮が危惧した通りの結果にはならなかったと言う事もある。呂布軍には被害が大きかったが、それを上回る利益をもたらす事になったからである。
この勝利が呼び水となり、曹操軍と劉表連合の戦力が大きく動く結果になり、この二つの勢力の勢力地図を大きく塗り変えてしまった。
この事は今後の戦局に大きな影響を与えてくる事になろうとは、この時は誰しも考えていなかった事であろう。
「それで?」
報告を受けた張飛は開口一番そう言った。
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