4 / 22
4話
しおりを挟む
数日後、リルドの住む小さな家には、いつも通りの穏やかな朝が訪れていた。
昨晩、銀狼の毛で作った小さなクッションを試してみたが、驚くほど暖かく、リルドは珍しく二度寝を楽しんでしまった。
「ふあぁ……。今日はいい天気だ。少し足を伸ばして、南の湿原にある『七色苔』でも見に行こうかな」
リルドは庭の石たちに「行ってくるよ」と声をかけ、のんびりと歩き出した。
湿原へ向かう道中、彼は道端に咲く名もなき花を見つけては足を止め、空を流れる雲の形を眺めては一休みする。彼にとって、目的地に早く着くことは重要ではない。その過程にある景色すべてが、彼の大切な日常だった。
湿原に到着すると、そこには先客がいた。
王都でも指折りの実力を持つSランク冒険者の一人、重戦士のガルドである。彼はリルドの正体を知る数少ない親友だ。
「よお、リルド。相変わらず、そんななまくら一本でこんな場所まで来たのか」
ガルドは巨大な斧を地面に突き立て、豪快に笑った。彼はある高難度クエストの帰りで、偶然この湿原で休憩していたらしい。
「あはは、ガルドさん。僕はただの苔観察ですよ。ガルドさんこそ、そんな大きな荷物を背負って大変ですね」
「これが仕事だからな。だが、お前を見てると、どっちが本当の『冒険』をしてるのか分からなくなるぜ」
二人がそんな冗談を交わしていると、湿原の泥の中から巨大な触手のようなものが這い出してきた。
それは、この地の主とも呼ばれる巨大魔獣「ヒュドラ」の幼体だった。幼体とはいえ、Cランク以上の実力がなければひとたまりもない。
「ちっ、休ませちゃくれねえか。リルド、下がってろ。俺が――」
ガルドが斧を構えようとした瞬間、リルドが「あ、危ないよ」と言いながら、ひょいとヒュドラの前に出た。
ヒュドラが鋭い触手をリルドに向かって叩きつける。
だが、リルドはそれを紙一重でかわすと、まるでお辞儀でもするように体を沈め、足元の泥を掬ってヒュドラの顔(とおぼしき部分)にペチャリと投げつけた。
「めっ、だよ。ここは皆がお昼寝する場所なんだから」
ただの泥投げ。しかし、リルドが放った泥は、正確に魔獣の感覚器官を封じ、さらにその衝撃で魔獣の脳を激しく揺さぶった。
ヒュドラは、自分が何に攻撃されたのかも理解できないまま、その場にぐにゃりと崩れ落ち、深い眠りについた。
「……おいおい。相変わらずデタラメだな、お前の『お仕置き』は」
ガルドは呆れたように肩をすくめた。
「だって、せっかくの七色苔が踏まれちゃうのは嫌だもん」
リルドは気に留める様子もなく、湿った岩の陰に生える、虹色に輝く小さな苔を見つけ、目を輝かせた。
帰り道、リルドは少しだけ七色苔を分けてもらい、瓶に詰めて持ち帰った。
ギルドに寄ると、相変わらず騒がしい冒険者たちが「Sランクのガルド様が湿原の主を倒したらしいぞ!」と噂していた。
ガルドがギルドマスターに「俺がやったことにしておいてくれ」と目配せしているのを、リルドは遠くから微笑ましく眺める。
もし自分が倒したことになれば、明日からの「のんびり石拾い」ができなくなってしまう。そんなのは御免だ。
「リルドさん、今日は何をしてたの?」
受付嬢が、少し泥のついたリルドの服を見て笑う。
「ちょっと泥遊びをね。でも、いいものが見られたよ」
リルドは報酬の銅貨を受け取ると、夕食の買い出しのために市場へと向かった。
今夜は、七色苔の淡い光を眺めながら、ゆっくりとハーブティーを飲むつもりだ。
世界を救う英雄の称号よりも、窓辺で光る苔の美しさを選ぶ。
それが、万年Fランク冒険者リルドの、譲れない至福のひとときだった。
昨晩、銀狼の毛で作った小さなクッションを試してみたが、驚くほど暖かく、リルドは珍しく二度寝を楽しんでしまった。
「ふあぁ……。今日はいい天気だ。少し足を伸ばして、南の湿原にある『七色苔』でも見に行こうかな」
リルドは庭の石たちに「行ってくるよ」と声をかけ、のんびりと歩き出した。
湿原へ向かう道中、彼は道端に咲く名もなき花を見つけては足を止め、空を流れる雲の形を眺めては一休みする。彼にとって、目的地に早く着くことは重要ではない。その過程にある景色すべてが、彼の大切な日常だった。
湿原に到着すると、そこには先客がいた。
王都でも指折りの実力を持つSランク冒険者の一人、重戦士のガルドである。彼はリルドの正体を知る数少ない親友だ。
「よお、リルド。相変わらず、そんななまくら一本でこんな場所まで来たのか」
ガルドは巨大な斧を地面に突き立て、豪快に笑った。彼はある高難度クエストの帰りで、偶然この湿原で休憩していたらしい。
「あはは、ガルドさん。僕はただの苔観察ですよ。ガルドさんこそ、そんな大きな荷物を背負って大変ですね」
「これが仕事だからな。だが、お前を見てると、どっちが本当の『冒険』をしてるのか分からなくなるぜ」
二人がそんな冗談を交わしていると、湿原の泥の中から巨大な触手のようなものが這い出してきた。
それは、この地の主とも呼ばれる巨大魔獣「ヒュドラ」の幼体だった。幼体とはいえ、Cランク以上の実力がなければひとたまりもない。
「ちっ、休ませちゃくれねえか。リルド、下がってろ。俺が――」
ガルドが斧を構えようとした瞬間、リルドが「あ、危ないよ」と言いながら、ひょいとヒュドラの前に出た。
ヒュドラが鋭い触手をリルドに向かって叩きつける。
だが、リルドはそれを紙一重でかわすと、まるでお辞儀でもするように体を沈め、足元の泥を掬ってヒュドラの顔(とおぼしき部分)にペチャリと投げつけた。
「めっ、だよ。ここは皆がお昼寝する場所なんだから」
ただの泥投げ。しかし、リルドが放った泥は、正確に魔獣の感覚器官を封じ、さらにその衝撃で魔獣の脳を激しく揺さぶった。
ヒュドラは、自分が何に攻撃されたのかも理解できないまま、その場にぐにゃりと崩れ落ち、深い眠りについた。
「……おいおい。相変わらずデタラメだな、お前の『お仕置き』は」
ガルドは呆れたように肩をすくめた。
「だって、せっかくの七色苔が踏まれちゃうのは嫌だもん」
リルドは気に留める様子もなく、湿った岩の陰に生える、虹色に輝く小さな苔を見つけ、目を輝かせた。
帰り道、リルドは少しだけ七色苔を分けてもらい、瓶に詰めて持ち帰った。
ギルドに寄ると、相変わらず騒がしい冒険者たちが「Sランクのガルド様が湿原の主を倒したらしいぞ!」と噂していた。
ガルドがギルドマスターに「俺がやったことにしておいてくれ」と目配せしているのを、リルドは遠くから微笑ましく眺める。
もし自分が倒したことになれば、明日からの「のんびり石拾い」ができなくなってしまう。そんなのは御免だ。
「リルドさん、今日は何をしてたの?」
受付嬢が、少し泥のついたリルドの服を見て笑う。
「ちょっと泥遊びをね。でも、いいものが見られたよ」
リルドは報酬の銅貨を受け取ると、夕食の買い出しのために市場へと向かった。
今夜は、七色苔の淡い光を眺めながら、ゆっくりとハーブティーを飲むつもりだ。
世界を救う英雄の称号よりも、窓辺で光る苔の美しさを選ぶ。
それが、万年Fランク冒険者リルドの、譲れない至福のひとときだった。
0
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ
双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。
彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。
そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。
洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。
さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。
持ち前のサバイバル能力で見敵必殺!
赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。
そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。
人々との出会い。
そして貴族や平民との格差社会。
ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。
牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。
うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい!
そんな人のための物語。
5/6_18:00完結!
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う
yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。
これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる