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32話

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ティナとの関係についてもそうだったが、何より自分の身に起こっている出来事を他人に知られることはリスクを伴うと考えたのだ。そのため、彼女はアルフレッドに対して沈黙を貫くことに決めた。
(とにかく今は逃げないと……)
アリシアはそっとアルフレッドの様子を窺った。
すると、アルフレッドの肩が小さく震えているのが見える。
(もしかして……泣いてるの?)
彼女は心配になり駆け寄ろうとした。しかし、その直後、彼女は背後に人の気配を感じる。同時に背中を強く押されてしまいバランスを失った。そして、地面へと勢いよく倒れ込んでしまう。痛みを感じて身体を起こそうとすると、腹部に衝撃を受けたことで呼吸が出来なくなった。
アリシアは何が起きたのか分からずにいた。ただ一つ言えることは何者かに襲われてしまったということだけだった――
「……くぅっ!」
アリシアは激痛を覚えると、苦痛のあまり顔を歪める。そして息苦しさから逃れるために起き上がろうとするが、それも叶わない。
だが、それすら許されなかった――
「動くな」
アリシアは冷たい声で告げられると首元に刃物を押し当てられたのを感じた。そして、全身から血の気が引いていくのを感じた。おそらく刃を突きつけられたせいだろう。彼女は恐怖のあまりに声を出すことも出来なかった。
だが、すぐに気を取り直すと勇気を振り絞って抵抗を試みた。そして、ゆっくりと目を開けていく。まず最初に視界に飛び込んできたのは見覚えのある顔だった。それは先ほどまで会話をしていたはずのアルフレッドの顔だった。
彼は憎悪に満ちた表情で彼女を見下ろしていた。
(まさか、最初から演技だったの……!?)
アルフレッドの演技力は素晴らしかった。おそらく彼が本気で怒っている姿など見た者はいないだろう。それほどまでに自然体だったのだ。だから、アリシアは目の前にいる男が本物だと思い込んでいた。
(でも、今になって考えればおかしかったわ……)
アリシアは自らの失敗を後悔した。だが、それでも彼女は懸命に思考を回転させる。
(どうする……? この状況から抜け出す方法はある……?)
必死に打開策を考える。だが、いくら考えても答えが出ることはない。その間にも状況は悪化の一途をたどるばかりだ。なぜならアルフレッドの両手にはすでにナイフが握られていたからだ。そして、アリシアの首筋に当てた後に、服の中に手を突っ込むと腹を切り裂こうとしていた。
(こんなところで死ぬわけにはいかない! 私はもっと生きたいんだ。それに、この男の目的を知るまでは死ねない!!)
アリシアは強い意志を抱くと目を大きく開いた。だが、それは逆効果だったようだ。アルフレッドの顔がさらに険しくなる。
そして――
「動くなって言ったよな……?」
ドスの利いた低い声が耳に届く。と同時に彼はアリシアの喉に刃を当てるとそのまま横へ引いた。
次の瞬間、彼女の頬に温かいものが流れ落ちていく。
(血が流れているのね……。私ってば殺されてしまうみたいだ……)
アリシアは薄れゆく意識の中でぼんやりと考える。
(ああ、神様、もしも生まれ変われるならば、もう一度だけ人生をやり直したいと願うことを許してください)
彼女は祈りを捧げるとそのまま深い眠りにつくのであった。
「ティナ、こっちだよ」
声が聞こえる。聞き慣れた男性の声だ。だが、いつもと違って少し低めであるように感じた。
その証拠に、彼の言葉遣いは丁寧ではなく、親しい人間に向けるような口調だったからである。ティナはそのことが嬉しくてたまらなかった。そして、思わず笑みを浮かべながら振り返った。
「うん、ありがとう。アル兄様」
彼女は弾んだ声で答えると小走りで駆け寄った。
そして、すぐに手を繋ぐとその温もりに浸った。そのせいか気持ちが高ぶってしまい顔が熱くなっていることを自覚すると、彼女は照れ隠しをするように顔を俯かせる。
「ティナは甘えん坊さんだな」
「そ、そんなことありませんわ……」
ティナは慌てて否定すると「そんなことよりも、早く行きましょう?」と言って、彼の腕を引く。
すると、今度は彼からの優しい視線を感じた。それがたまらなく恥ずかしくなり彼女は顔を真っ赤にすると足早に逃げ出そうとしたが、彼に止められてしまう。
彼は優しく微笑みかけると、耳元に口を近づけて語りかけた。
「大丈夫、怖がることなんてないから」
その一言を聞くだけでティナは幸せな気分になった。
まるで魔法のようだと思う。
何故なら、彼が傍にいるというだけでも心強かったのに、たったそれだけの言葉で不安な気持ちが消え去ったのである。そして、ティナは彼のことが好きだという感情が強くなったのを感じた。
ティナ・ハワードはとある事情があって幼い頃から屋敷に閉じ込められてきた。それは、とても窮屈なもので両親に愛されて育ったティナにとって苦痛以外の何ものでもない日々だった。だからこそ、彼女が心を開くのに時間はそう必要なかった。むしろ時間が経過すればするほど彼の魅力に惹かれていった。
(やっぱり私は彼のことが好きなのね……)
ティナは改めて思い知らされた。それと同時に胸が苦しくなった。だが、不思議と悪い気はしなかった。何故ならティナは彼に恋をしていると確信を持てたからである。
彼女は幸せを感じていた。このままずっと彼と過ごせたらいいなと思っていた。しかし、それすらも叶わなかった。何故なら、ティナの想い人には婚約相手がいて、その人物は彼女と顔が似ているらしいのだ。
そのことを聞いたとき、彼女はショックで泣き出してしまったのを覚えている。そして、同時に思った。自分の代わりを務めるのであれば、それは自分と同じ容姿を持つ者でなくてはならないと。
(私が選ばれなかったことについては諦めがついたけど、せめて誰かに似ているくらいだったらいいなって思うわ……)
彼女は小さく溜息をつくと目の前に広がる光景を眺める。すると、視界の端に二人の男女の姿が映った。彼らは楽しげに話している。
(あの人たちがアルフレッド兄様に付き纏っている人たちなのかしら……?)
彼女たちを見てティナはある疑問を抱いた。そして、しばらく様子を窺っていた。
すると、ある事実に気がつく。
「アルフレッド兄様?」
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