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16.和解
嫉妬の感情を自覚してから、数日が経った。
あの不快な感情の正体が「嫉妬」だと気づいたことで、胸の奥を焦がしていたような苛立ちは、少しずつ鎮まっていた。
自分を客観的に見つめられるようになったからか、はたまた私に向けられた悪評が消え、代わりに『マリアが横恋慕した』という悪評が広まったからか。
否、一番の理由は、あの日以来マリアとルイが会っていないからだろう。
しかし、それはそれで奇妙な出来事が増えた。
あれからというもの、マリアはなぜか私の周囲をうろつくようになったのだ。
廊下の角、階段の陰、教室の扉の向こう…等々。
彼女はいつも、こそこそと私の姿を追いかけている。
私が気づいていないとでも思っているのだろうか?
何のつもりか知らないけれど、正直、目障りだ。
その日の放課後、私はいつものようにルイを見送った。
「いってらっしゃい」と声をかけると、ルイはいつもの無表情に近い微笑を浮かべて、数学研究会の会室へと歩き出す。
彼の背中が角を曲がって見えなくなると、私は軽く息を吐き、中庭へと移動した。
噴水の水音だけが響く静かな空間に着くと、私は立ち止まり、背後に向けて声を放つ。
『ねぇ。いい加減、コソコソ隠れるのをやめて出てきたらどうかしら?』
わざと少し大きめの声で言うと、案の定、木陰の向こうから小さな悲鳴が上がった。
『ひゃっ!?』
逃げようとしたマリアの前に、私は瞬間移動して回り込む。
『きゃ、キャシーちゃん……お久しぶり』
彼女は眉間に皺を寄せて、ぎこちない愛想笑いをする。
『私に何かご用?』
『え、えっと……その……』
するとマリアは、突然、勢いよく頭を下げた。
『すみませんでしたっ!』
『……は?』
予想外の謝罪に、思わず眉を上げる。何の話かしら?
『私、キャシーちゃんがクロスくんと恋人同士だって知らなかったの。誤解させるようなことして、本当にごめんなさい!』
頭を上げた彼女の目は真剣だった。
その声音には、嘘や言い訳の気配がまったくない。
『もちろんクロスくんのこと、そういう目で見てないよ! それに、あれ以来、クロスくんとは二人きりで会ってないから。というより……あの後、クロスくんと会ってたことが、アルフレッドくんにバレちゃったの。そのせいでクロスくんと会い辛くなっちゃったし、数学研究会も辞めざるを得なくて……。そういうワケだから、安心して!』
なるほど。
彼女とルイが顔を合わせなくなったのは、アルフレッドの仕業だったのね。
彼が何の目的でマリアとルイを引き離したいのかは知らないが、恐らく碌なことではないだろう。
何はともあれ、これでもう私がマリアに嫉妬する理由はないわね。
私は肩の力を抜くと、彼女に微笑みかけた。
『そういうことなら、もういいわ。気にしないで』
『えっ、本当? ありがとう、キャシーちゃん! ……うぅ、よかったぁ……!』
目に涙を溜めながら彼女が顔を上げる。
あら、また泣くの?
本当に涙腺の壊れた子ね。
「泣くほどのことかしら?」と苦笑すると、彼女は慌てて首を振った。
『ごめんね。でも……前も、あんな風に泣くつもりじゃなかったの。こっちの世界でできた数少ない友達と仲直りできたのが、嬉しくて……つい』
『マリアは案外、涙脆いのね』
『そんなことはないよ。ただ、この世界で私、どうなっちゃうんだろうって思うと、毎日が不安で、不安で……』
マリアがこの世界で感じている孤独は、私が思っていた以上に深いのかもしれない。
彼女は、この世界に適応しなければいけないストレスで神経がすり減っていたのだろう。
些細なことで傷つき、涙脆くなるのも無理もない。
『それに、勝手に聖女なんて言われて、期待されるのも正直ちょっと辛いの。もし私に価値がないって思われたら……私、クロスくんみたいに奴隷にされちゃうのかな?』
『そんな心配、する必要はないわ』
私は即座に断言した。
『第一、ルイはもう奴隷じゃないのよ』
『えっ、そうなの? クロスくんはキャシーちゃんの奴隷だって聞いてたけれど…?』
『ルイはもともとランドルフ伯爵の所有物だったけれど、正式な手続きを経て私が保護したの。
今はベルモント家が後見人になっているから、立場上は完全な平民よ』
『ランドルフ伯爵って、アルフレッドくんの? う、嘘……』
マリアは顔を青ざめさせ、唇を噛んだ。
どうやら、アルフレッドに対する印象が一気に地に落ちたようね。
まぁ、アルフレッドがマリアに嫌われようが、どうでもいいけれど。
『ところでマリア。貴女、よくルイと二人でおしゃべりしていたけれど、あれは何の話だったの?』
『え、えっと……その話は、ちょっと言えないよ。クロスくんにも秘密にしてって言われてるし……』
なぜマリアには言えて、私には言えないの?
胸の奥でまた、小さな嫉妬が芽を出す。
それでも表情を崩さぬよう努めて、唇だけで微笑んだ。
『だけど、やましい内容じゃないから。安心して!』
『本当に? この前、人と人との営み…とか何とか言っていなかったかしら?』
『あぁ、アレ? 実はね、クロスくんにはコレを描くのを手伝ってもらっていたの』
するとマリアが鞄から何枚かの紙を取り出した。紙には奇妙な絵と文字が描かれている。
『これは?』
『漫画っていうの。私の世界でよく読まれていたものなの。絵と文字でお話を作るんだよ』
彼女は楽しげに説明する。
ページをめくると、男女が頬を赤らめて見つめ合う場面があった。
接吻の描写まである。
ロマンス小説的な甘さが、漫画の世界にぽっと馴染んでいた。
『なるほど、人と人との営み、ねぇ……』
ルイがこれを『手伝っていた』のだとすると、恥ずかしがる彼の心理が想像できる。
『私、こっちの世界でも漫画が読みたいから、漫画が広まってくれたらいいなぁと思って描き始めたの。それをクロスくんに手伝ってもらってたんだけど、彼にはもう手伝いを頼めなさそうだし……あーあ、残念だなぁ』
彼女がしょんぼりと肩を落とす姿を見て、ふとあることを思いついた。
『なら私が手伝ってあげましょうか?』
『えっ!? いいの、キャシーちゃん?』
するとマリアは、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
『ええ。どうせルイが数学研究会に行ってる間は退屈だもの。その間の暇つぶしにちょうどいいわ』
『やったー! ありがとう、キャシーちゃん!』
マリアは両手を合わせて飛び跳ねるように喜ぶ。
こうして私は、マリアの漫画制作を手伝うようになった。
あの不快な感情の正体が「嫉妬」だと気づいたことで、胸の奥を焦がしていたような苛立ちは、少しずつ鎮まっていた。
自分を客観的に見つめられるようになったからか、はたまた私に向けられた悪評が消え、代わりに『マリアが横恋慕した』という悪評が広まったからか。
否、一番の理由は、あの日以来マリアとルイが会っていないからだろう。
しかし、それはそれで奇妙な出来事が増えた。
あれからというもの、マリアはなぜか私の周囲をうろつくようになったのだ。
廊下の角、階段の陰、教室の扉の向こう…等々。
彼女はいつも、こそこそと私の姿を追いかけている。
私が気づいていないとでも思っているのだろうか?
何のつもりか知らないけれど、正直、目障りだ。
その日の放課後、私はいつものようにルイを見送った。
「いってらっしゃい」と声をかけると、ルイはいつもの無表情に近い微笑を浮かべて、数学研究会の会室へと歩き出す。
彼の背中が角を曲がって見えなくなると、私は軽く息を吐き、中庭へと移動した。
噴水の水音だけが響く静かな空間に着くと、私は立ち止まり、背後に向けて声を放つ。
『ねぇ。いい加減、コソコソ隠れるのをやめて出てきたらどうかしら?』
わざと少し大きめの声で言うと、案の定、木陰の向こうから小さな悲鳴が上がった。
『ひゃっ!?』
逃げようとしたマリアの前に、私は瞬間移動して回り込む。
『きゃ、キャシーちゃん……お久しぶり』
彼女は眉間に皺を寄せて、ぎこちない愛想笑いをする。
『私に何かご用?』
『え、えっと……その……』
するとマリアは、突然、勢いよく頭を下げた。
『すみませんでしたっ!』
『……は?』
予想外の謝罪に、思わず眉を上げる。何の話かしら?
『私、キャシーちゃんがクロスくんと恋人同士だって知らなかったの。誤解させるようなことして、本当にごめんなさい!』
頭を上げた彼女の目は真剣だった。
その声音には、嘘や言い訳の気配がまったくない。
『もちろんクロスくんのこと、そういう目で見てないよ! それに、あれ以来、クロスくんとは二人きりで会ってないから。というより……あの後、クロスくんと会ってたことが、アルフレッドくんにバレちゃったの。そのせいでクロスくんと会い辛くなっちゃったし、数学研究会も辞めざるを得なくて……。そういうワケだから、安心して!』
なるほど。
彼女とルイが顔を合わせなくなったのは、アルフレッドの仕業だったのね。
彼が何の目的でマリアとルイを引き離したいのかは知らないが、恐らく碌なことではないだろう。
何はともあれ、これでもう私がマリアに嫉妬する理由はないわね。
私は肩の力を抜くと、彼女に微笑みかけた。
『そういうことなら、もういいわ。気にしないで』
『えっ、本当? ありがとう、キャシーちゃん! ……うぅ、よかったぁ……!』
目に涙を溜めながら彼女が顔を上げる。
あら、また泣くの?
本当に涙腺の壊れた子ね。
「泣くほどのことかしら?」と苦笑すると、彼女は慌てて首を振った。
『ごめんね。でも……前も、あんな風に泣くつもりじゃなかったの。こっちの世界でできた数少ない友達と仲直りできたのが、嬉しくて……つい』
『マリアは案外、涙脆いのね』
『そんなことはないよ。ただ、この世界で私、どうなっちゃうんだろうって思うと、毎日が不安で、不安で……』
マリアがこの世界で感じている孤独は、私が思っていた以上に深いのかもしれない。
彼女は、この世界に適応しなければいけないストレスで神経がすり減っていたのだろう。
些細なことで傷つき、涙脆くなるのも無理もない。
『それに、勝手に聖女なんて言われて、期待されるのも正直ちょっと辛いの。もし私に価値がないって思われたら……私、クロスくんみたいに奴隷にされちゃうのかな?』
『そんな心配、する必要はないわ』
私は即座に断言した。
『第一、ルイはもう奴隷じゃないのよ』
『えっ、そうなの? クロスくんはキャシーちゃんの奴隷だって聞いてたけれど…?』
『ルイはもともとランドルフ伯爵の所有物だったけれど、正式な手続きを経て私が保護したの。
今はベルモント家が後見人になっているから、立場上は完全な平民よ』
『ランドルフ伯爵って、アルフレッドくんの? う、嘘……』
マリアは顔を青ざめさせ、唇を噛んだ。
どうやら、アルフレッドに対する印象が一気に地に落ちたようね。
まぁ、アルフレッドがマリアに嫌われようが、どうでもいいけれど。
『ところでマリア。貴女、よくルイと二人でおしゃべりしていたけれど、あれは何の話だったの?』
『え、えっと……その話は、ちょっと言えないよ。クロスくんにも秘密にしてって言われてるし……』
なぜマリアには言えて、私には言えないの?
胸の奥でまた、小さな嫉妬が芽を出す。
それでも表情を崩さぬよう努めて、唇だけで微笑んだ。
『だけど、やましい内容じゃないから。安心して!』
『本当に? この前、人と人との営み…とか何とか言っていなかったかしら?』
『あぁ、アレ? 実はね、クロスくんにはコレを描くのを手伝ってもらっていたの』
するとマリアが鞄から何枚かの紙を取り出した。紙には奇妙な絵と文字が描かれている。
『これは?』
『漫画っていうの。私の世界でよく読まれていたものなの。絵と文字でお話を作るんだよ』
彼女は楽しげに説明する。
ページをめくると、男女が頬を赤らめて見つめ合う場面があった。
接吻の描写まである。
ロマンス小説的な甘さが、漫画の世界にぽっと馴染んでいた。
『なるほど、人と人との営み、ねぇ……』
ルイがこれを『手伝っていた』のだとすると、恥ずかしがる彼の心理が想像できる。
『私、こっちの世界でも漫画が読みたいから、漫画が広まってくれたらいいなぁと思って描き始めたの。それをクロスくんに手伝ってもらってたんだけど、彼にはもう手伝いを頼めなさそうだし……あーあ、残念だなぁ』
彼女がしょんぼりと肩を落とす姿を見て、ふとあることを思いついた。
『なら私が手伝ってあげましょうか?』
『えっ!? いいの、キャシーちゃん?』
するとマリアは、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
『ええ。どうせルイが数学研究会に行ってる間は退屈だもの。その間の暇つぶしにちょうどいいわ』
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