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第二章 クリスタ編

102.やる気の証明

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カインはサミュエルがレイの為に用意してくれた部屋に入るなり、酷く不機嫌そうに口を開いた。


「ちょっと、レイちゃん。これどういう事?」


その手には先程レイがサインしたサミュエルとの契約書の控えが握られている。

いつもとは違い、黒髪に眼鏡という姿のカインからは、普段の明るく朗らかな雰囲気は微塵も感じられなかった。

ちなみにレイもまだ未亡人に扮したままだ。


(なんか怖いんだけど……。)


レイはカインのいないところで勝手に契約してしまったことに対する後ろめたさもあり、つい口ごもってしまう。


「どういう、って……。そういう事だけど……。」

「レイちゃんはちゃんとこの中身を読んでサインしたの?」

「……もちろん」

「じゃあレイちゃんは内容をわかっててこんな契約したって事?」

「……一応」


レイの返事にカインの表情が益々険しいものになる。


「ホントに意味わかってる?これ契約書だから暈した表現になってるけど、要は将来的にレイちゃんと身体の関係を持ちたいって事だよ?」

「わかってるよ、」


でも、と言葉を続けようとしたところで、カインがそれを遮る形で話し出した。


「ちっともわかってないよ。自分の愛する主人が報酬として男と関係を持つって聞かされて賛成する執事がいると思う?ご主人様が選んだ人間ならしょうがないって思えても、こんな形で身体を差し出す事なんてとてもじゃないけど納得出来ない。
──必要なお金はすぐに親父に連絡して用立ててもらうから、今すぐ契約内容を変更する。」


カインはキッパリそう言い切ると、部屋を出ていこうとする。

レイは慌ててそれを止めた。


「ちょっと待ってよ!」


エミリオに連絡するということは則ち、ヴィクトルを頼るということになる。

──それは今回レイが使わないと心に決めた手段だった。


「それは出来ない。」


そう言い切ったレイにカインが訝しそうな表情で振り返る。


「出来ないってどういう事?何か知られちゃマズい事でもあるわけ?」

「マズいって事はないけど、これはあくまでも僕の個人的な事情だから家は頼りたくないんだよ。」


使えるものは何でも使うと言ったものの、自分の実力を示すためにその選択肢を自ら消したのはレイ自身だ。


「──だからって、こんなこと認められると思ってんの?
危険かもしれないってわかってるところへ単独で行かせるなんてこと、レイちゃんの執事であるおれが黙って承諾できる訳ないし、そこへ辿り着くための対価が主人の貞操だなんて知らされたら絶対賛成出来ないよ。」

「……ひとりで行くわけじゃないし、今すぐ身体で払えって言われてる訳じゃないよ?」

「身体で払うなんて論外だよ。議論する価値もない。」


言い訳のようなレイの言葉を、カインがあっさり切り捨てた。


「それに、サミュエルにクリスタまで送り届けてもらうとして、その後どうするつもり?」


レイもその事について一応色々考えてはいるのだが、正直成り行き次第という色合いが強いだけに、ここではっきりとした答えを返すことは出来ない。


「今の段階でどうするとは答えられないけど、目的を達成したらどうにでもするよ。」

「それってまさか何も考えてないってことじゃないよね?」

「……一応考えてるけど、あっちに行ってからどうなるかわからないからそれ次第かな……。」


カインはレイの返事を聞いて目を眇めると、「それってようは成り行きってことだよ」と言った後、深いため息を吐いた。


「ねぇ、レイちゃん。正直に答えて。そこまでしなきゃならない個人的な事情って、何?」


カインが真摯な眼差しでレイを真っ直ぐに見つめてくる。

レイは事情を説明する絶好の機会が突如訪れたことに戸惑いながらも、カインの空色の瞳をしっかり見据えた。


「もしかしてその事情ってやつがレイちゃんがおれに話したいって事と関係あったりする?」


鋭い指摘にレイは苦笑いするしかない。


「立ち話で済ませられるような内容じゃないから、座って話そう。──とりあえずカインも座ってくれる?」


レイは部屋の中央に置かれているソファーに腰を下ろすと、カインにも正面の席を勧めた。

しかし、主人と同じ席に着くということは執事の矜持が許さないのか、カインは当然とばかりにレイの横に移動する。

普段は砕けた態度でレイに接することの多いカインだが、こういうところの一線だけは絶対に譲れないらしい。


「おれの事はお構い無く。」


にべもなくそう言われ、レイは少しだけ困ったような顔で、横に立つカインを見上げた。


(カインってなんだかんだ言っても真面目だよね……。でもこの体勢話し辛いよ……。)


この世界の人間は前世の日本に比べ平均身長が高めな上に、レイの周りの男性陣は誰も彼も高身長だ。


「立ったままで話されるのって、見下ろされてる感じがして落ち着かないし、話が長くなると首が疲れるから座ってよ。」


座って欲しい理由を正直に告げると、カインは渋々といった感じでレイの正面の席に座ってくれた。




ローテーブル越しにカインと向き合ったところで、レイは今更ながらにどこから話を進めていくべきか迷っていた。


(先ずはこういう事になった経緯を話すべきかな……?)


レイは今回の事情についてまだカインに何の話もしていない。
アスランもカインを呼び寄せる際に、特に経緯の説明はしていないようだった。

その上、レイのうっかりが原因で、前世ついての告白をカインにしないままクリスタへと出発し、結局、アスランに先に話をすることになってしまったのだ。

事情が事情だっただけに仕方のないことだったのだが、やはり多少の後ろめたさは拭えない。


(なんか無性に謝りたい気分だけど、きっとカインはそんな言葉を望んでる訳じゃないんだろうな……。)


黒髪に眼鏡という普段とは違う姿となっているカインを見つめると、いつもと変わらない空色の瞳がしっかりとレイを映しているのがわかった。

先程の険しい表情とは打って変わって和らいだ表情になったカインに、不意にドキリとさせられる。


「レイちゃん。おれから先に質問させてもらっていい?」

「え……?うん、構わないけど……。」


カインに見惚れていたレイは一瞬反応が遅れてしまった。


「じゃあ、早速。
──レイちゃんの話って、もしかして最近レイちゃんの性格がちょっと変わったことと関係あったりする?」


いきなり核心突いたような質問に、レイは驚きのあまり目を瞠る。


「そんなに驚くことかな?いくら離れてたとはいえ、ずっと前からレイちゃんだけを見てきたおれがそういう変化に気付かない訳ないと思わない?それに最近のレイちゃんは、単に明るくなったって感じだけじゃなくて、纏う空気そのものが変化した印象だったし。」


ずっと見てきたと言われたことが酷く気恥ずかしい。

レイはその気持ちを誤魔化すように、あえて冗談めかした言い方をした。


「僕としては性格が変わったっていうよりも、元々の性格に別の性格が付け足された感じなんだけどね。そっか、カインにはバレバレだったか……。」


途端に、カインの顔色が変わった。

その反応を不思議に思いながらもレイは話を続ける。


「僕にはレイ・クロフォードとして生まれ変わる前の記憶がある。カインが最近僕の性格が変わったと感じたのは、僕の記憶が戻ったのが最近で、今の僕と前世の僕とじゃ年齢も性別も含めて色んな事が違ってたせいだと思う。」

「前世……?」

「そう。前世。とはいっても前世の僕が暮らしていたのはこの世界じゃない。こことは全く別の世界、──つまりは異世界というところなんだ。」


レイの告白にカインは何故かホッとしたような表情をする。


「そういう事だったんだ……。なんだ……。良かった。」


噛み締めるように呟かれた言葉に、レイは首を傾げた。


「どういうこと?」

「ごめん。色々考えてたことが杞憂だったってわかってホッとしたんだ。」


カインははにかんだような笑顔を見せながら、その理由を説明してくれた。


「幼少期に心に傷を負った人間が、心にかかる負担を和らげるために、自分の中に本来の自分とは別の人間が存在すると思い込むようになるという話を聞いたことがあったんだ。そういう人は時々全く別人のような振る舞いをすることがあるっていうから、もしかしたらレイちゃんもそういう可能性があるのかなって、心配してた。」

「……つまりは僕が幼少期の辛い経験のせいで二重人格になっていて、最近別の人格が出て来てるんじゃないかって思ってたって事?」


全く予想もしていなかった話に驚きを隠せずにいると。


「前世の記憶があるって言われるよりはまだ信憑性があると思うけど。」


逆にレイの話のほうが特殊だと指摘されてしまった。


(確かに二重人格はこの世界でも物語とかで使われる要素だけど、異世界転生となると全く馴染みがない分、荒唐無稽な話に聞こえるよね……。)


レイが無言で納得している一方で、カインは再び険しい表情になる。


「とりあえず、レイちゃんの事情が前世の記憶があるってことだってのはわかった。でも、それが何で今回の契約に繋がる訳?」


レイも表情を引き締めてその理由を説明することにした。


「……どうしても個人的に会いたい人がクリスタにいる。
──その人は前世の僕が兄のように慕っていた人物で、今回僕達が探してる人物のひとりだと思われる人物なんだ。」


レイの告白にカインは複雑な表情になる。


「それだったらこんな真似しないで堂々と会いにいけばいいんじゃないの?そもそもどうしてその人がクリスタいるってわかった訳?」


尤もな指摘に、レイはマゼラであった出来事を詳細に説明することにした。





説明の最中、カインは黙ってレイの話に耳を傾けていたが、話終わると同時に呆れたような視線をレイに向ける。


「ジェラルドが連れてきたんだったら、それって完全に向こう側の人間じゃん。レイちゃんはそんな人にひとりで会いに行こうとしてんの?だったら絶対賛成出来ないよ。」


反対するのは当然だといったようなカインの言い方が妙にレイの癇に障った。


「リディアーナ様にも同じような事言われた。だからこれは作戦の指示に反する行動だし、完全に僕の我が儘だから。
個人的にサミュエルを頼ったのはそういう事。成功報酬に関しては、今の僕の価値がそれしかないってことだから、仕方ないよね。」

「おれにとっちゃ、仕方ないで済まされない問題だけど、レイちゃんがどういうつもりでこういう事したのかは大体わかった。」


どこか投げやりな言い方をするレイに、カインからは咎めるような視線が送られた。

レイも負けじと睨み返す。


「わかってくれたのなら反対しないで欲しい。これはもう決めたことだから。」

「レイちゃんの話はわかったけど、これを容認出来るかどうかは別問題。おれはレイちゃんの身体をサミュエルの好きにさせるつもりは毛頭ないし、みすみすクリスタで危険に晒すつもりもない。
──どうしてもって言うならおれも一緒に行くよ。」


レイはカインの申し出を即座に断った。


「これはあくまでも僕個人の問題だから。」

「レイちゃんの問題って事はおれの問題でもあるんだよ。」

「カインはまだ正式に僕の執事になった訳じゃないだろ?それに僕は元々引き込もっていた時からひとりで色々やってきた。心配しなくとも自分の事は自分で何とかするよ。」

「それとこれとは訳が違う。言葉は悪いけど、ひとりで出来るって言ったって所詮それは自分の領分の範囲での話でしょ?ホントに出来ると思ってんの?」


一歩も引かないどころか正論を突きつけてくるカインにレイは益々ムッとする。
カインの指摘は尤もだということは頭の片隅では理解しているものの、ここで引く訳にはいかなかった。


「必要ならば何でもやるつもりでいるけど……。」


レイが自分の覚悟のほどを口にすると。


「ふーん。何でも、ねぇ……。」


カインは意味深にそう呟き、今までの険しい表情から一転。ニッコリと微笑んだ。

レイは思わず身構える。


「じゃあ、それ、証明して。」

「え?」

「レイちゃんが何でもひとりで出来るってとこおれに証明して見せてよ。それが出来るんだったら、今回はご主人様の意向に黙って従うから。」


(証明って、一体どうやって!?)


その手段がさっぱりわからず、レイは目の前に座るカインをただ凝視することしか出来なかった。
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