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本編
61.効果
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自室のベッドで横たわるルロイさんは本当にただ眠っているだけにしか見えなかった。
しかしいくら大声で呼んでも、揺り動かしても、目覚める気配はない。
それがやはり『眠り病』を発症している証拠のようで、俺はルロイさんの身体に直接触れてちゃんと体温があるってことを確認せずにはいられなかった。
「ルロイさん……」
ベッドサイドの床に膝を着くと、ルロイさんの手を握りそれを自分の額につけながら呼び掛ける。
どうか目覚めて欲しい。もし瘴気が原因だっていうのなら俺がきっちり大元を浄化するからさ……。
ルロイさんに心の中で語りかけながら、少しずつ光の浄化魔法を流し込んだ。
しかし瘴気は身体の中全てに浸透しているようで、少し流したくらいじゃすぐにその効果は掻き消されてしまうらしく、目に見えて劇的な効果は得られていないように感じられ、焦りの気持ちが沸いてくる。
かといって一気に浄化してしまったら、瘴気は早く消えても、今度は身体に負担がかかりすぎてルロイさんの命のほうが危ない気がする。
こうしてずっと流し続けていればいつかは消えるのかも知れないが、そんな悠長なことはしていられない。
やっぱりこの方法じゃダメかな……。
と思った時、眠っていたルロイさんの目蓋が震え、ルロイさんの紫色の双眸が僅かに現れる。
「……コウキ、……さん……?」
その声には明らかに力はないものの、とりあえず意識が戻ったことにホッとした。
しかし。
「ルロイさん!」
俺の呼び掛けに憂いを帯びた笑顔で応えてくれたルロイさんは、今にも儚く消えてしまいそうで。
俺は握った手から浄化の魔法を流しながらも、ルロイさんの目が再び閉じてしまわないうちに、さっき思いついた計画を実行に移すことにした。
「ルロイさん、眠くてツラいとは思いますが、少しだけ頑張ってもらえますか?」
鼓舞するように話し掛けながら、邸から持ってきた例のスポドリもどきが入った水筒ごと魔法を掛ける。
「エレナさん、これ鑑定してもらってもいいですか?」
「え? ええ……」
背後にいるエレナさんに水筒を差し出すと、戸惑った様子でそれを受け取ってくれた。
エレナさんの鑑定は魔力を持った物や人にしか使えない。
だからこそのこの反応なんだと思うけど。
「え!? これって……! まさかこんな事が!?」
この反応だけで俺の予想が外れていなかったことがわかる。
「結果を教えて下さい」
早くその内容を知りたくて先を促すと。
「『ピンクサルバの果実水』、効能『回復、浄化』……。これ、一体どういうことなの……?」
エレナさんは信じられないといった表情で、おそらく彼女の目に映っているのであろう鑑定結果の画面を見つめている。
「この浄化ってまさか……?」
エレナさんの問いかけに俺は黙って頷くと、水筒を受け取り、ルロイさんの寝ているベッドに座った。
「ルロイさん。これを飲んで下さい」
ルロイさんの身体を抱き起こし、水筒の飲み口をルロイさんの口に近付ける。
しかしボトル状の広い飲み口は案外飲ませづらい上に、眠気がきていて意識を飛ばしかけているルロイさんは、ほとんどそれを口に入れることが出来ていない。
どうすれば……?
少しの思案の後、念話の魔法でネイトさんに呼び掛ける。
『ネイトさん』
『どうされました?』
『ルロイさんが寝ている体勢でも水分補給できるようなものを用意してもらえるとありがたいんですけど』
『わかりました。すぐにお持ちします』
数分とはいえ、今は待ってる時間すらもったいなく感じた俺は、直に水筒に口をつけるとピンクサルバの果実水を口に含みルロイさんの唇を塞いだ。
受け身の体勢を取っているルロイさんはそれを吐き出すことも拒否することも出来ないせいか、絶え間なく襲ってくる眠気で意識朦朧としながらも何とかひと口飲み込んでくれた。
するとルロイさんの目がうっすらと開き、虚ろな瞳が俺を捕らえる。
「もっと飲めそうですか?」
そう問いかければ微かに頷き返された。さっきよりもほんの僅かではあるが、飲み込む力が強くなり意識がはっきりしてきている気がしてホッとする。
特効薬なんて言えるレベルじゃないし、もしかしたら気休め程度にしかならないかもしれない。でもほんの僅かでも命を繋げる可能性があるなら、この方法を続けてみる価値はある。
俺はもう一度ピンクサルバの果実水を口に含むと、ルロイさんの唇に流し込みながら、この後どう行動すべきか考えた。
ノックの音とともにネイトさんが静かに入室してくる。少しだけ困惑したような顔をしているのは、俺が何をしたいのかわからず戸惑っているせいかもしれない。
これはネイトさんにも協力してもらわないといけない事だから、ちゃんと説明しとかないと。
「コウキさん、先程頼まれた物をお持ち致しました。こちらでよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます」
差し出されたのはガラス製の吸い飲み。
俺はルロイさんをそっとベッドに寝かせてからそれを受け取ると、水筒の中身を容器に注ぎルロイさんの枕元に置いた。
「ルロイさん。眠くて身体を動かすのも億劫だとは思いますが、頑張ってこれを飲むようにして下さい。症状が改善とまではいかなくとも進行は防げると思います」
ルロイさんは黙って頷いてくれたが、その様子を見守っていたネイトさんとエレナさんの目が蛍光ピンクのケバケバしい色合いの液体に、釘付けになっているのがわかった。
この色だけ見てると、口にしていいものだって思えないもんな……。
「これはピンクサルバの果実水にキラービーの蜂蜜と塩を混ぜたものです。普通の水よりも効率よく水分補給が出来るため、脱水症状の予防や回復に効果があります。それだけだったら他の柑橘類や普通の蜂蜜や砂糖でも代用できるんですが、その代用品じゃただの水分補給にしかなりません。この果実水は見た目はちょっとビックリする感じですが、素晴らしい特徴がありまして。
エレナさん。今度はこっちを鑑定してもらってもいいですか?」
もうひとつの水筒をエレナさんに渡す。エレナさんは不思議そうにそれを眺めると、鑑定の魔法を使ってくれた。
「あら? さっきとは違って鑑定出来ないわ。これには魔力が含まれてないのね」
「そうなんです。でもこうすると」
さっきと同じく水筒ごと回復と光の浄化魔法をかける。
俺が何を説明したいのかわかったらしいエレナさんは、彼女の眼前に表示されているのであろう画面を食い入るように見つめていた。
「すごい……。こんなことが出来るなんて……」
エレナさんはそう呟いたまま呆然と立ち尽くしている。
俺は事情がよくわかっていないだろうネイトさんのために、説明を続けた。
「どういう理由でそうなるのかはわからないんですが、この果実水に魔法をかけることで、その効果を付与することができるようでして」
「え?」
俄には信じがたい話にネイトさんは目を丸くしている。
そりゃビックリするよな。俺もその可能性に気付いた時、驚いたもん。
エレナさんに鑑定してもらうまでは半信半疑って部分もあったけどさ。
「ここで話しているのもなんですし、詳しい話はオーナーの部屋に戻ってからにしましょうか。ネイトさん。誰かルロイさんに付き添ってもらうことは出来ませんか? ずっとじゃなくてもいいんですけど、もしルロイさんが起きなくても数時間おきにこれを口に入れるようにしてもらいたいんです」
「ええ、すぐに人を呼んで参ります」
ネイトさんが部屋を後にする。
さて、効果もわかったことだし、俺は俺でやれるだけのことをやりますか。
「ルロイさん。絶対に助けますから、それまではどうか……」
ルロイさんの手を握り、光の浄化魔法を流しながら懇願するように小さく呟く。
すると。うっすらと目を開けたルロイさんがさっきよりも格段に強い力で俺の手を握り返してくれた。
「……あなたのお帰りを、お待ちいたしております」
小さな呟きに俺は祈るような気持ちで頷いた。
俺達と入れ替わる形でルロイさんの付き添いとしてやって来たのはハルだった。
「コウキさん……」
ルロイさんの部屋の前。ハルは不安そうな顔で俺の名前を呼んだ。
散々ルロイさんに世話になってきたハルにとって、漸く一人前になってきたと思ったこのタイミングで起きた不測の事態は、とてもじゃないが受けとめきれるものじゃなかったのだろう。
「絶対にどうにかしてみせるから心配すんな。それまでルロイさんのこと頼むな」
安心させるように笑顔で告げると、今まで張りつめていたものが一気に緩んだのか、ハルは大粒の涙をポロポロと溢しながら人目を憚らず泣き出した。
「うぅ……、コウキさぁん……」
「……デカい図体してガキみてぇに泣いてんじゃねぇよ」
いつの間にか俺より高い位置にある頭を軽く小突いてやると、ハルは慌てたようにやや乱暴に涙を拭った。
「お前はいつも笑ってろ。そのほうがルロイさんも安心する。俺の育ったところには『笑う門には福来たる』っていう言葉があってな、暗い顔してメソメソしてる人のところより、笑ってる人のほうにこそ幸せがやってくるって言われてるんだ。お前の良さは明るいとこだろ? だから今は辛くとも笑っとけよ。幸せがくるように。
──心から笑い合える未来を絶対に勝ち取ってきてやるから」
「……っ、はい!」
泣き笑いの顔で元気よく返事をしたハルの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
まったく……。もうじき男娼デビューを控えてるやつのする顔じゃないな。
こんなんじゃルロイさんも心配するだろうが。
俺はひとつため息を吐くと、ちょっとだけハルのやる気スイッチを押してやることにした。
「無事に帰ってきたら、お前の水揚げ俺が引き受けてやる。だから、今まで以上に気合い入れて勉強しとけ」
「え?」
ハルは何を言われたのか理解できなかったらしくキョトンとした顔をしている。
「ルロイさんに教わった教育の成果を元ナンバーワンの俺が直々に確認してやるって言ってんだよ」
「マジっすか!? 頑張ります!」
今度はちゃんと理解出来たらしく、やや食い気味に返事が返ってきた。
さっきまで泣きべそかいてたくせに……。
「おう。この俺が抱かせてやるんだからそれに見合ったサービスしろよ。無駄金払わせたらどうなるかわかってんだろうな?」
半ば冗談で脅しをかけると、ハルは慌てたように姿勢を正した。
「はいッ! 任せてください!」
大きく出たハルに、俺は内心苦笑いしながら歩き出す。
ハルは単純だけど打算や駆け引きとかしなくていいから気が楽だ。みんなハルみたいだったら世の中さぞかし平和だろう。
俺はこれから話をしなきゃならない内容とそれを実現するための交渉相手の顔を思い出しちょっとだけうんざりした気持ちになりながら、少し離れたところで俺達のやり取りを見ていたネイトさんと肩を並べ、オーナーの部屋へと戻ることにした。
しかしいくら大声で呼んでも、揺り動かしても、目覚める気配はない。
それがやはり『眠り病』を発症している証拠のようで、俺はルロイさんの身体に直接触れてちゃんと体温があるってことを確認せずにはいられなかった。
「ルロイさん……」
ベッドサイドの床に膝を着くと、ルロイさんの手を握りそれを自分の額につけながら呼び掛ける。
どうか目覚めて欲しい。もし瘴気が原因だっていうのなら俺がきっちり大元を浄化するからさ……。
ルロイさんに心の中で語りかけながら、少しずつ光の浄化魔法を流し込んだ。
しかし瘴気は身体の中全てに浸透しているようで、少し流したくらいじゃすぐにその効果は掻き消されてしまうらしく、目に見えて劇的な効果は得られていないように感じられ、焦りの気持ちが沸いてくる。
かといって一気に浄化してしまったら、瘴気は早く消えても、今度は身体に負担がかかりすぎてルロイさんの命のほうが危ない気がする。
こうしてずっと流し続けていればいつかは消えるのかも知れないが、そんな悠長なことはしていられない。
やっぱりこの方法じゃダメかな……。
と思った時、眠っていたルロイさんの目蓋が震え、ルロイさんの紫色の双眸が僅かに現れる。
「……コウキ、……さん……?」
その声には明らかに力はないものの、とりあえず意識が戻ったことにホッとした。
しかし。
「ルロイさん!」
俺の呼び掛けに憂いを帯びた笑顔で応えてくれたルロイさんは、今にも儚く消えてしまいそうで。
俺は握った手から浄化の魔法を流しながらも、ルロイさんの目が再び閉じてしまわないうちに、さっき思いついた計画を実行に移すことにした。
「ルロイさん、眠くてツラいとは思いますが、少しだけ頑張ってもらえますか?」
鼓舞するように話し掛けながら、邸から持ってきた例のスポドリもどきが入った水筒ごと魔法を掛ける。
「エレナさん、これ鑑定してもらってもいいですか?」
「え? ええ……」
背後にいるエレナさんに水筒を差し出すと、戸惑った様子でそれを受け取ってくれた。
エレナさんの鑑定は魔力を持った物や人にしか使えない。
だからこそのこの反応なんだと思うけど。
「え!? これって……! まさかこんな事が!?」
この反応だけで俺の予想が外れていなかったことがわかる。
「結果を教えて下さい」
早くその内容を知りたくて先を促すと。
「『ピンクサルバの果実水』、効能『回復、浄化』……。これ、一体どういうことなの……?」
エレナさんは信じられないといった表情で、おそらく彼女の目に映っているのであろう鑑定結果の画面を見つめている。
「この浄化ってまさか……?」
エレナさんの問いかけに俺は黙って頷くと、水筒を受け取り、ルロイさんの寝ているベッドに座った。
「ルロイさん。これを飲んで下さい」
ルロイさんの身体を抱き起こし、水筒の飲み口をルロイさんの口に近付ける。
しかしボトル状の広い飲み口は案外飲ませづらい上に、眠気がきていて意識を飛ばしかけているルロイさんは、ほとんどそれを口に入れることが出来ていない。
どうすれば……?
少しの思案の後、念話の魔法でネイトさんに呼び掛ける。
『ネイトさん』
『どうされました?』
『ルロイさんが寝ている体勢でも水分補給できるようなものを用意してもらえるとありがたいんですけど』
『わかりました。すぐにお持ちします』
数分とはいえ、今は待ってる時間すらもったいなく感じた俺は、直に水筒に口をつけるとピンクサルバの果実水を口に含みルロイさんの唇を塞いだ。
受け身の体勢を取っているルロイさんはそれを吐き出すことも拒否することも出来ないせいか、絶え間なく襲ってくる眠気で意識朦朧としながらも何とかひと口飲み込んでくれた。
するとルロイさんの目がうっすらと開き、虚ろな瞳が俺を捕らえる。
「もっと飲めそうですか?」
そう問いかければ微かに頷き返された。さっきよりもほんの僅かではあるが、飲み込む力が強くなり意識がはっきりしてきている気がしてホッとする。
特効薬なんて言えるレベルじゃないし、もしかしたら気休め程度にしかならないかもしれない。でもほんの僅かでも命を繋げる可能性があるなら、この方法を続けてみる価値はある。
俺はもう一度ピンクサルバの果実水を口に含むと、ルロイさんの唇に流し込みながら、この後どう行動すべきか考えた。
ノックの音とともにネイトさんが静かに入室してくる。少しだけ困惑したような顔をしているのは、俺が何をしたいのかわからず戸惑っているせいかもしれない。
これはネイトさんにも協力してもらわないといけない事だから、ちゃんと説明しとかないと。
「コウキさん、先程頼まれた物をお持ち致しました。こちらでよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます」
差し出されたのはガラス製の吸い飲み。
俺はルロイさんをそっとベッドに寝かせてからそれを受け取ると、水筒の中身を容器に注ぎルロイさんの枕元に置いた。
「ルロイさん。眠くて身体を動かすのも億劫だとは思いますが、頑張ってこれを飲むようにして下さい。症状が改善とまではいかなくとも進行は防げると思います」
ルロイさんは黙って頷いてくれたが、その様子を見守っていたネイトさんとエレナさんの目が蛍光ピンクのケバケバしい色合いの液体に、釘付けになっているのがわかった。
この色だけ見てると、口にしていいものだって思えないもんな……。
「これはピンクサルバの果実水にキラービーの蜂蜜と塩を混ぜたものです。普通の水よりも効率よく水分補給が出来るため、脱水症状の予防や回復に効果があります。それだけだったら他の柑橘類や普通の蜂蜜や砂糖でも代用できるんですが、その代用品じゃただの水分補給にしかなりません。この果実水は見た目はちょっとビックリする感じですが、素晴らしい特徴がありまして。
エレナさん。今度はこっちを鑑定してもらってもいいですか?」
もうひとつの水筒をエレナさんに渡す。エレナさんは不思議そうにそれを眺めると、鑑定の魔法を使ってくれた。
「あら? さっきとは違って鑑定出来ないわ。これには魔力が含まれてないのね」
「そうなんです。でもこうすると」
さっきと同じく水筒ごと回復と光の浄化魔法をかける。
俺が何を説明したいのかわかったらしいエレナさんは、彼女の眼前に表示されているのであろう画面を食い入るように見つめていた。
「すごい……。こんなことが出来るなんて……」
エレナさんはそう呟いたまま呆然と立ち尽くしている。
俺は事情がよくわかっていないだろうネイトさんのために、説明を続けた。
「どういう理由でそうなるのかはわからないんですが、この果実水に魔法をかけることで、その効果を付与することができるようでして」
「え?」
俄には信じがたい話にネイトさんは目を丸くしている。
そりゃビックリするよな。俺もその可能性に気付いた時、驚いたもん。
エレナさんに鑑定してもらうまでは半信半疑って部分もあったけどさ。
「ここで話しているのもなんですし、詳しい話はオーナーの部屋に戻ってからにしましょうか。ネイトさん。誰かルロイさんに付き添ってもらうことは出来ませんか? ずっとじゃなくてもいいんですけど、もしルロイさんが起きなくても数時間おきにこれを口に入れるようにしてもらいたいんです」
「ええ、すぐに人を呼んで参ります」
ネイトさんが部屋を後にする。
さて、効果もわかったことだし、俺は俺でやれるだけのことをやりますか。
「ルロイさん。絶対に助けますから、それまではどうか……」
ルロイさんの手を握り、光の浄化魔法を流しながら懇願するように小さく呟く。
すると。うっすらと目を開けたルロイさんがさっきよりも格段に強い力で俺の手を握り返してくれた。
「……あなたのお帰りを、お待ちいたしております」
小さな呟きに俺は祈るような気持ちで頷いた。
俺達と入れ替わる形でルロイさんの付き添いとしてやって来たのはハルだった。
「コウキさん……」
ルロイさんの部屋の前。ハルは不安そうな顔で俺の名前を呼んだ。
散々ルロイさんに世話になってきたハルにとって、漸く一人前になってきたと思ったこのタイミングで起きた不測の事態は、とてもじゃないが受けとめきれるものじゃなかったのだろう。
「絶対にどうにかしてみせるから心配すんな。それまでルロイさんのこと頼むな」
安心させるように笑顔で告げると、今まで張りつめていたものが一気に緩んだのか、ハルは大粒の涙をポロポロと溢しながら人目を憚らず泣き出した。
「うぅ……、コウキさぁん……」
「……デカい図体してガキみてぇに泣いてんじゃねぇよ」
いつの間にか俺より高い位置にある頭を軽く小突いてやると、ハルは慌てたようにやや乱暴に涙を拭った。
「お前はいつも笑ってろ。そのほうがルロイさんも安心する。俺の育ったところには『笑う門には福来たる』っていう言葉があってな、暗い顔してメソメソしてる人のところより、笑ってる人のほうにこそ幸せがやってくるって言われてるんだ。お前の良さは明るいとこだろ? だから今は辛くとも笑っとけよ。幸せがくるように。
──心から笑い合える未来を絶対に勝ち取ってきてやるから」
「……っ、はい!」
泣き笑いの顔で元気よく返事をしたハルの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
まったく……。もうじき男娼デビューを控えてるやつのする顔じゃないな。
こんなんじゃルロイさんも心配するだろうが。
俺はひとつため息を吐くと、ちょっとだけハルのやる気スイッチを押してやることにした。
「無事に帰ってきたら、お前の水揚げ俺が引き受けてやる。だから、今まで以上に気合い入れて勉強しとけ」
「え?」
ハルは何を言われたのか理解できなかったらしくキョトンとした顔をしている。
「ルロイさんに教わった教育の成果を元ナンバーワンの俺が直々に確認してやるって言ってんだよ」
「マジっすか!? 頑張ります!」
今度はちゃんと理解出来たらしく、やや食い気味に返事が返ってきた。
さっきまで泣きべそかいてたくせに……。
「おう。この俺が抱かせてやるんだからそれに見合ったサービスしろよ。無駄金払わせたらどうなるかわかってんだろうな?」
半ば冗談で脅しをかけると、ハルは慌てたように姿勢を正した。
「はいッ! 任せてください!」
大きく出たハルに、俺は内心苦笑いしながら歩き出す。
ハルは単純だけど打算や駆け引きとかしなくていいから気が楽だ。みんなハルみたいだったら世の中さぞかし平和だろう。
俺はこれから話をしなきゃならない内容とそれを実現するための交渉相手の顔を思い出しちょっとだけうんざりした気持ちになりながら、少し離れたところで俺達のやり取りを見ていたネイトさんと肩を並べ、オーナーの部屋へと戻ることにした。
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