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32.side桐生臣音 1
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彼との出会いは偶然だった。
それを必然の出会いであったのだと望むようになったのはいつからだろう……。
思えばあの日。初めて会った樹の濡れたような瞳を覗き込んだ瞬間から、俺はもうとっくに囚われていたのかもしれない。
──それを認めるだけの勇気が俺になかっただけで。
三年前。年度も変わろうとしている三月下旬。
季節外れの小雪がちらつく街角で、傘もささずに佇んでいる人影を見つけた。
俺はその日、たまたまその場所から程近い建物の一室にいて、暇潰しにもならないような無駄な時間が終わるのを常時貼り付けた笑顔でただじっと遣り過ごしながら、何とはなしにガラス越しの夜の繁華街を見下ろしていた。
そこは所謂ハッテン場といわれる男同士の出会いを求める場に使われる飲食店が多く軒を連ねる街に繋がる繁華街の入り口で。
俺も最初は彼がそういう目的で誰かとの出会いを待っている人間のひとりなのかと思っていたのだ。
しかし、ふと顔を上げた彼の頬を伝ったように見えた雫に、俺の目は釘付けになった。
あれは単に彼の上に静かに舞い降りた雪が溶けだしたものが、たまたま雫となって伝っただけのことだったのかもしれない。
そうは思っても、それを目にした瞬間からまるで心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けた俺の胸は忙しなく早鐘を打ち続けた。
結果。その場所を訪れていた目的が終わった途端、その衝撃は焦りに似た感情となってほぼ無意識に俺の身体を彼の元へと急がせていた。
彼を目撃してから少し時間が経ち過ぎている。
もしかしたらもうあの場所にはいないかもしれない。
そうは思っても確かめずにはいられない。
もし出会えないのだとしたら、彼は俺の人生においてほんの僅かな時間だけ、今までに味わったことのない感情を抱かせたただの通りすがりの人ということで、縁がなかった相手ということになるのだろう。
でももし彼と接点を持つことができたなら?
俺はまるで自分の人生の一部を賭けてゲームに挑んでいるような妙な高揚感を抱きながら、彼のいた場所へと辿りついた。
逸る気持ちを抑えつつゆったりとした足取りで彼のすぐ前に立つ。
「誰かと待ち合わせ?そんな薄着でこんなとこに立ってたら風邪ひくよ?」
寒の戻りですっかり冷え込んでいたにもかかわらず、白いパーカーにジーンズというカジュアルな服装の彼は、俺が傘をさしかけると弾かれたように顔を上げた。
彼の濡れたような瞳が俺に向けられたことにドキリとさせられる。
少しだけ赤くなった目元。
やはりあれは涙だったのだろうか。
しかし彼は恥じ入るように目を伏せると。
「……何もかも忘れさせてくれる相手を待ってただけ」
酷く抑揚のない声でそう返してきたのだ。
その瞬間。
俺は周りの視線から彼を隠すように抱き締めると、傘で見えないのをいいことに遠慮なく彼の唇を奪っていた。
彼は見ず知らずの男にいきなり良い様にされてしまっているのに、全く抵抗しなかった。
それどころか、すっかり冷えきって色を失いかけていた唇はあっという間に熱を取り戻し、絡めとった舌は拙い動きながらも俺をしっかり求めてくれていた。
彼とそうしているだけで、今まで味わったことのない感情が身の内から湧き出てくるような錯覚に襲われる。
たぶんこれが情欲というものだろう。
生まれた時から将来が約束された身で、結婚なんて恋愛の延長線上にあるものではなく、どれだけのメリットを生むかということでしか考えてこなかった俺は、そこそこ遊んできた自覚はあっても、こんな風に行きずりの相手と関係を持とうと思ったことも、感情が先走って衝動的に身体が動いてしまったこともない。
でも彼にだけはまるで全ての欲求を剥き出しにされてしまったかのように抑えが効かなかった。
結局俺は彼をここで解放することなど微塵も考えられず。
「じゃあ、俺が忘れさせてやるよ」
気付けば彼の耳許でそう囁いていた。
それを必然の出会いであったのだと望むようになったのはいつからだろう……。
思えばあの日。初めて会った樹の濡れたような瞳を覗き込んだ瞬間から、俺はもうとっくに囚われていたのかもしれない。
──それを認めるだけの勇気が俺になかっただけで。
三年前。年度も変わろうとしている三月下旬。
季節外れの小雪がちらつく街角で、傘もささずに佇んでいる人影を見つけた。
俺はその日、たまたまその場所から程近い建物の一室にいて、暇潰しにもならないような無駄な時間が終わるのを常時貼り付けた笑顔でただじっと遣り過ごしながら、何とはなしにガラス越しの夜の繁華街を見下ろしていた。
そこは所謂ハッテン場といわれる男同士の出会いを求める場に使われる飲食店が多く軒を連ねる街に繋がる繁華街の入り口で。
俺も最初は彼がそういう目的で誰かとの出会いを待っている人間のひとりなのかと思っていたのだ。
しかし、ふと顔を上げた彼の頬を伝ったように見えた雫に、俺の目は釘付けになった。
あれは単に彼の上に静かに舞い降りた雪が溶けだしたものが、たまたま雫となって伝っただけのことだったのかもしれない。
そうは思っても、それを目にした瞬間からまるで心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けた俺の胸は忙しなく早鐘を打ち続けた。
結果。その場所を訪れていた目的が終わった途端、その衝撃は焦りに似た感情となってほぼ無意識に俺の身体を彼の元へと急がせていた。
彼を目撃してから少し時間が経ち過ぎている。
もしかしたらもうあの場所にはいないかもしれない。
そうは思っても確かめずにはいられない。
もし出会えないのだとしたら、彼は俺の人生においてほんの僅かな時間だけ、今までに味わったことのない感情を抱かせたただの通りすがりの人ということで、縁がなかった相手ということになるのだろう。
でももし彼と接点を持つことができたなら?
俺はまるで自分の人生の一部を賭けてゲームに挑んでいるような妙な高揚感を抱きながら、彼のいた場所へと辿りついた。
逸る気持ちを抑えつつゆったりとした足取りで彼のすぐ前に立つ。
「誰かと待ち合わせ?そんな薄着でこんなとこに立ってたら風邪ひくよ?」
寒の戻りですっかり冷え込んでいたにもかかわらず、白いパーカーにジーンズというカジュアルな服装の彼は、俺が傘をさしかけると弾かれたように顔を上げた。
彼の濡れたような瞳が俺に向けられたことにドキリとさせられる。
少しだけ赤くなった目元。
やはりあれは涙だったのだろうか。
しかし彼は恥じ入るように目を伏せると。
「……何もかも忘れさせてくれる相手を待ってただけ」
酷く抑揚のない声でそう返してきたのだ。
その瞬間。
俺は周りの視線から彼を隠すように抱き締めると、傘で見えないのをいいことに遠慮なく彼の唇を奪っていた。
彼は見ず知らずの男にいきなり良い様にされてしまっているのに、全く抵抗しなかった。
それどころか、すっかり冷えきって色を失いかけていた唇はあっという間に熱を取り戻し、絡めとった舌は拙い動きながらも俺をしっかり求めてくれていた。
彼とそうしているだけで、今まで味わったことのない感情が身の内から湧き出てくるような錯覚に襲われる。
たぶんこれが情欲というものだろう。
生まれた時から将来が約束された身で、結婚なんて恋愛の延長線上にあるものではなく、どれだけのメリットを生むかということでしか考えてこなかった俺は、そこそこ遊んできた自覚はあっても、こんな風に行きずりの相手と関係を持とうと思ったことも、感情が先走って衝動的に身体が動いてしまったこともない。
でも彼にだけはまるで全ての欲求を剥き出しにされてしまったかのように抑えが効かなかった。
結局俺は彼をここで解放することなど微塵も考えられず。
「じゃあ、俺が忘れさせてやるよ」
気付けば彼の耳許でそう囁いていた。
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