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41.side 桐生臣音 10

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そして迎えた金曜日。

取引先企業の幹部との食事会の席に赴いた俺は、自分の迂闊さと、周りの連中が用意していた余計な気遣いにただただ憤りを感じていた。


(やられた……)


目の前には取引先である小泉物産の社長の娘。

何度か見合い話が持ち上がったものの、今のところ誰とも結婚するつもりがないからという理由で丁重に断りを入れ、会うことすらしていなかった相手だ。

父親の代わりに出席したはずなのにこれってことは、予め仕組まれていて父親もグルだったってことだろう。

以前、会社の体制に不満があるならさっさと取締役になるか、会社にとって有益な相手と結婚しろと言われたことがあったのだが、取締役になることを選んだことで結婚の必要性が薄くなったと油断してたのが完全に裏目に出たらしい。


(最近何も言ってこないのをおかしいと思うべきだった……)


以前はやたらと結婚の重要性を主張してきた親戚連中が最近大人しかった理由は、裏でコソコソこういった事を画策をしていたからなんだろう。


(さて、どうしてくれようか……)


父親と数人の狸達の顔を苦々しい気持ちで思い出しながら、これからの対応ついて即座に考えを巡らせた。


そんな俺の様子には微塵も気付くことのない小泉物産の社長令嬢は、この話に随分乗り気らしく、いかにこの話がお互いにとって利益のあることかということをしきりにアピールしている。


樹以外の人間と付き合うつもりも、況してや結婚なんて考えてもいない俺は、やたらと嬉しそうに話しかけてくる彼女にうんざりとしながらも、今ここで波風を立てるのは得策ではないことくらいは承知しているため、表面上は穏やかにこの無駄な時間を過ごしたのだった。



まだまだ一緒にいたいとアピールしてくる彼女を何とか言いくるめ、予め店側に頼んで呼んでもらっていたハイヤーに乗せた。

万が一結婚の必要性があり、どうしてもその選択肢を選ばなければならない日がきても彼女はない。

でもここではっきり言って女性に恥をかかせるのはマナー違反だ。

次の約束についての話が出たが、あえて何も答えず、笑顔を浮かべて見送るだけにとどめておいた。


ひとりになった途端、無性に樹に会いたくなった。

今日は無理だということは百も承知で、俺はダメ元で樹へメッセージを送る。

すると。
意外にもすぐに既読がつき『わかりました。一次会が終わり次第向かいます』という返事が返ってきた。

たったそれだけのことで、さっきまでの苛立ちが一気に凪いでいく。


(ああ、やっぱり俺は樹じゃなきゃダメなんだな……)


今更ながらに訪れた初恋とも言うべき事態に戸惑い、ごちゃごちゃ難しく考えていたのが嘘のように、その気持ちがストンと胸の中に納まった。


その途端、もう変に格好つけて、樹のほうから俺の気持ちを求めて欲しいだとか変な駆け引きをするのが、いかに馬鹿馬鹿しく無駄な時間だったのかということを思い知らされた。

それと同時に身体だけ繋がっても心が繋がっていることを実感出来なくては何の意味もないのだということを痛感させられる。


(俺、二年間もの間何をやってきたんだろう……)


これがビジネスだったらとっくにポシャってる案件だ。

樹が頑なに俺をセフレとしか認識したがらないのもわかる気がする。

俺は今までの自分の所業をたっぷりと反省した。


(まずは俺の気持ちをちゃんと伝えよう)


三十をとっくに過ぎて中学生のように告白から関係を始めるのは気恥ずかしいが、今の俺達にはそのプロセスが必要なのだと強く感じた。

樹のことをもっと知りたい。

そしてお互いのことをもっと知り合って、他愛もない話もたくさんして、一緒の時間を過ごしたい。

身体の関係などなくても、朝まで隣で眠るのが当たり前の関係になりたい。


この時既に樹の中で俺との関係が終焉に向かっていると認識されているとは思わず、俺は樹との関係が新たな形へと進んでいくことに希望を感じていたのだった。
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