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67.睦言と冬籠
エルンストは、夢の底からふわりと浮かび上がるように目を覚ました。
薄暗い部屋の中、視界はぼんやりと霞んでいる。
すぐそばに、温かい気配がある。柔らかく、心地よい匂い。このままずっと眠っていたいと思ってしまうほどの安心感だった。
やがて意識がはっきりし、どこにいるのかを思い出す。
ローガンの寝室。しかも、ローガンの腕の中。
昨夜の出来事が胸元から一気にこみ上げ、エルンストの頬はかっと熱を帯びた。
愛されていると確かに感じられた夜。緊張も、不安も、すべて抱きしめられて溶けていった。
ローガンは穏やかな寝息を立てている。
起こすまいと思いながらも、その整った顔立ちに視線が吸い寄せられてしまう。
そっと身じろぎした瞬間──ふわり、と柔らかな何かがエルンストの身体を撫でた。
ぱさり、と落ちてくるそれは、上等な絹糸の束のようだった。
ローガンの尻尾が、無意識に揺れているらしい。
肌に触れる感触は妙にくすぐったく、心をそっと撫でるようだった。
────こんなに近くで見るのは、初めてかもしれない。
息をひそめる。
ローガンの耳も、尻尾も、普段は威厳に包まれ注視することすら躊躇われた。
けれど今は、深く眠る獣そのものだ。存分に眺めていられる。
柔らかな毛並みを見ているうちに、どうしても触れたくなってしまう。
そっと手を伸ばす。
あと少しで指先が銀の毛に触れようとした、その瞬間──。
「……見すぎだ」
尻尾がするりと逃げ、ローガンが目を開けた。
まだ眠気を帯びた銀灰の瞳がエルンストを捉え、くつりと笑う。
「っ、起きていたんですか……!」
「君がどんな悪戯を仕掛けてくるか、見届けようと思って」
「い、悪戯なんて……何もしてませんよ」
「本当か?」
揶揄うように喉を鳴らし、ローガンはエルンストの腰を軽く抱き寄せた。
「観察していただけです……」
エルンストは恥ずかしさから目を逸らしたが、どうしても気になる気持ちが勝った。
「あの……触ってみても、いいですか?」
ローガンの瞳が一瞬だけ揺れる。そのあと、少しだけ息を整えた声で答えた。
「……もちろん。好きに触れてくれていい。ただし──」
耳元にそっと顔を寄せ、内緒話をするように囁く。
「少し……敏感だからな。気をつけてくれ」
「敏感……?」
「耳や尻尾は、獣人にとって感情が出やすい場所だ。戦場ではそれが命取りになることがあるから、普段は極力出さないようにしている」
ローガンの声音には照れが混じっていた。
昨夜の興奮気味の尾の動きを思い出し、エルンストは胸が温かくなる。
「私に……見せてくださるんですか?」
問いかけに、ローガンは尾を差し出すように傾けた。
ゆっくり、誘うように揺れる。エルンストはおそるおそる触れた。
「……わ」
驚くほど柔らかい。
毛並みはさらさらとしているのに、生きた温もりが掌に吸い付くようだった。
毛の流れに沿って撫でると、尾が微かに反応して揺れる。
「ふふ……すごくきれい……」
指先を滑らせると、ふわりと毛が広がる。
まるで言葉がなくても会話しているみたいに感じられた。
「くすぐったいですか?」
返事はない。
代わりに、ローガンの銀の耳がピクリと動いた。
「……耳も、触ってみていいですか?」
エルンストの気は大きくなり、図々しいおねだりもすんなり口から出てしまう。
「……好きにしろ」
許可を得て、エルンストはそっと獣耳に触れる。
輪郭をなぞり、そっと耳の付け根に触れた。思ったよりもずっと繊細で、温かい。
皮膚の薄い部分を指先で優しく撫でると、耳が小さく震えた。
「ん……」
低く小さな声が漏れる。
エルンストの胸が、きゅっと掴まれたように熱くなる。
耳の毛並みは驚くほど繊細で、指の腹に柔らかく馴染む。
ローガンの銀の毛並みを梳くように、指を通していく。すると次第に、ローガンの尻尾がまた揺れ始めた。ふわふわと、ゆらゆらと。最初は小さく、だけど次第に大きく、明らかに落ち着かないリズムで揺れている。
なんだかいけないことをしている気分だった。エルンストはさらに大胆になっていく。
今度は耳の先端をそっと指先で挟んだ。そのまま耳の付け根に向かって撫で下ろしていく。すると、ローガンは力が抜けたみたいにベッドに沈んだ。
「ぅ……」
低く抑えた声がこぼれる。エルンストは思わず手を止めたが、すぐにローガンが手首を掴んだ。
「続けてくれて構わない」
エルンストは再びローガンの耳に触れた。今度は、外側から内側へと、ゆっくり撫でていく。時折、人差し指で耳朶をくすぐるようにつまむと、ローガンは眉をひそめて喉を鳴らした。
エルンストの手の動きに合わせて、彼の耳が小刻みに震え、尾がシーツを撫でる。
エルンストが尻尾の付け根に手を添えると、ローガンは小さく息を詰めた。
「ローガンさま……?」
「……」
ローガンは答えず、エルンストの腰を抱き寄せる腕に力を込めた。そのまま頬をすり寄せてくる。エルンストの体温を求めているような仕草に、胸が締めつけられる。
「ふふ、可愛いですね」
エルンストがそう言うと、ローガンは不満げに眉を寄せた。
「君こそ……」
ローガンは言葉を切ると、エルンストの耳元に唇を寄せた。吐息が触れる距離で囁かれる声に、背筋が粟立つ。
「本当に可愛いな」
「そんなことありません……」
「謙遜するな。こんなにも愛らしい」
「っ!」
エルンストは羞恥に顔を俯せた。だが、ローガンは逃さないとばかりにさらに身体を密着させてくる。互いの鼓動が伝わるほど近い距離で抱き合っていることに改めて気づき、ますます顔が熱くなる。
「っ、あの……」
「何だ?」
「おっきくなっちゃってる、んですけど……」
エルンストの太腿に触れるローガンのものが、ゆるやかに硬さを取り戻しつつあった。エルンストは慌てて腰を引こうとするが、ローガンの腕に阻まれる。
「付け根は特に敏感だ。君があまり触るからだ」
「そ、そんな……触ってはいけないところがあるなら最初から言ってくだされば」
「君が触ってはいけない場所など、あるわけがないだろう」
ローガンはエルンストの抗議をあっさり受け流し、それどころかさらに強くエルンストを抱き寄せた。エルンストの腹に熱いものが当たる。否応なしにその硬さと質量を意識してしまう。
「も、もう朝ですから……っ」
「朝? ……もう昼を過ぎているぞ」
「……え、──ええ!?」
でも、窓の外は薄暗いのに、とエルンストは目を白黒させた。
「今日は吹雪だ」
ローガンの言葉を受けて、耳を澄ますと、風の唸り声に混じって、雪が枝に叩きつけられるような音が聞こえてきた。
「この時期は時間がわからなくなる。こういう吹雪の日は、みんな家に籠って過ごすんだ」
ローガンはエルンストの頬に口づけを落としながら、その腰を撫でる。その動きだけで、ぞくりと期待に震えてしまう自分がいる。もう身体は正直だった。
「で、でも、こんな……一日中ベッドの上なんて怠惰なこと、みんなはしないでしょう……?」
規則正しい生活をしてきたエルンストにとっては、今の状況はあまり前例のないことだ。
「怠惰……。いや、俺たちにとっては普通のことだ。一緒に過ごす時間を大切にする」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。吹雪の日は特に、伴侶や家族と過ごすことが多い。共にいて、互いを癒す時間になるんだ」
「……っ」
ローガンの手がエルンストの太腿を撫で上げる。内腿の柔らかい部分を辿られ、びくりと身体が跳ねた。ローガンの低い声が耳元に注がれる。
「このあと、吹雪はいよいよ激しくなるだろう。城の者はみんな理解しているから誰も邪魔しにこない。冬籠りの始まりだ」
エルンストは、はっと息を呑む。
「まさかそのつもりで私から仕事を取り上げたのですか」
吹雪の間は堅牢な城の中で過ごすしかない。仕事もやることもない二人が冬籠り──。
これは完全に蜜月期間ということだ。そういう意図があって、休暇を設けたのか。
「……さあな」
ローガンは悪戯っぽく笑い、エルンストの首筋に顔を埋めた。ざらりとした舌が皮膚を這う。
「あ……っ」
「エルンスト。吹雪のせいにしてしまえ」
「っ、ずるい……」
嵌められた。エルンストはそう確信してローガンを見上げたが、すぐにその瞳は甘く蕩けてしまう。結局エルンストはローガンの腕の中から抜け出せないまま、再びシーツの海に沈んでいった。
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