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7. 宴と虚無
しおりを挟む「にいさま、クラウゼン侯爵令嬢と何をお話してるんですか」
甲高い声が、会話の空気を断ち切るように響いた。
ラウラがちらりと視線を向けた先、エルンストの腕に纏わりつくように抱き着いているのはレオポルトだった。
兄の次に目を引く華やかな服装は、フリル付きのシャツにリボンタイ、そして繊細な刺繍が施されたハーフパンツ。いかにも愛されて育った彼らしい恰好だった。
「……レオ。今はそういう場じゃない」
エルンストは努めて声を抑えた。
内心では舌打ちどころか、怒号を吐きたい気分だったが、それでも笑顔だけは崩さない。
「クラウゼン嬢、失礼いたしました。弟はまだ社交界の作法に不慣れでして」
軽く会釈しつつ、レオポルトの背を押して距離を取らせる。
エルンストとラウラが気の置けない仲とはいえ、レオポルトが礼儀を弁えない振る舞いをするからには、こちらはきちんと礼を尽くさなければならない。
周囲の視線が更に鋭くなるのを感じながらも、エルンストはラウラに向かって再び微笑んだ。ラウラもその意図を理解し、顔を覆うように扇を広げる。
「まあ……エルンストの弟御ですもの。多少の無作法は目を瞑りましょう」
ラウラは微笑みを浮かべたまま、扇を軽く振る。
だがその目は冷ややかで、まるで弟でなければ見向きもしない、と告げるようだった。
「レオポルト。挨拶を」
エルンストが促すと、レオポルトは慌てて姿勢を正し、気取ったように頭を下げた。
「レオポルト・ロートベルクです。ラウラ・クラウゼン嬢、初めまして。兄がお世話になっていると伺っています」
自信ありげな笑顔とは裏腹に、言葉の端々にはぎこちなさが滲んでいた。
「……ロートベルク伯爵令息。初めまして」
ラウラはやんわりと距離を置くように、肩書きをきっちりと口にした。礼儀正しい口調ながらも、ひとつひとつの声音に棘がある。
そしてその視線は、まるで博物館の展示品でも眺めるかのように冷たく静かだった。
レオポルトは気づいていない。彼の目には、ラウラはただの美しい令嬢に映っているらしい。エルンストはその呑気さに、怒りを通り越して呆れを覚えた。
エルンストの顔がなければ、クラウゼン家の前に立つことすら叶わないという自覚が、まるでない。
ラウラの反応が悪いことに、フォローを求めるようにこちらを見る弟の様子に、喉の奥が熱くなるほど苛立った。
「あなたを独占しては悪いわね。ご家族と積もる話もあるでしょう。……手紙、必ず書いてね」
ラウラは目で合図をし、その場から優雅に離れていった。最後までレオポルトに視線をまともに寄越さず、あくまでもエルンストとラウラだけの交流であると主張するようだった。
その背は完璧な貴族令嬢のそれであり、二人の間に残されたのは、重くなる沈黙だけだった。
エルンストは、ひとつ息を吐く。
「にいさま、あのクラウゼン嬢……きれいな方ですね。社交界の華というのも頷けます」
心を奪われたとでも言いたげなレオポルトの言葉に、エルンストの眉が僅かに跳ねた。
「……レオポルト。他人を品評するような口ぶりは慎みなさい」
氷のような声色に、レオポルトは初めて兄の不快感に気づいたようだった。
「……ごめんなさい」
うるうるとした瞳で見上げてくる弟は、ちっとも自分が悪いと思っていやしない。エルンストの言葉がどれだけ自分のためになっているかも理解していない。だがこれ以上叱っても無意味だと、エルンストは諦めた。
「いいよ。にいさまのかわいいレオは反省してくれたから」
エルンストは一転して優しい表情を作り、レオポルトの頭を撫でた。それだけで、レオポルトの機嫌は簡単に治る。
彼はいつもそうだ。無敵の笑顔と愛らしい振る舞いで周りの注目を集める。その愛嬌で何でも許されてしまう。エルンストは時々、それが羨ましく思えた。
「にいさま、公爵様はどうされたのですか?」
あからさますぎる質問だった。大方、誰かに指示されて聞いてくるように言われたのだろう。
そういえば、すぐ戻るとは言っていたが、ローガンがいなくなってからずいぶんと時間が経っている。
エルンストは内心の不安を隠すように、平静を装った。
「少し用事があるらしい。すぐ戻るよ」
エルンストは曖昧に答える。
「早速、妻を置き去りにするなんて、悪い旦那様ですね」
レオポルトは無邪気に微笑む。その声量は無防備すぎて、貴族としては失格だ。
エルンストは溜め息を吐きたくなったが、それを押し殺し、周囲に目を走らせた。表面上は談笑に興じる貴族たちが、ちらちらとこちらを気にしているのが見て取れる。
────今この場で最も話題なのは、間違いなく俺だな。
宴の主役なのだから当たり前だが、話の内容は決して祝福ではない。エルンストは自嘲気味に笑った。
「閣下はフェンリュクスの公爵であられるから、色々とお忙しいんだ。それに、俺は閣下のことを尊敬しているし、とても良くしてもらってるよ」
「そうですか? にいさまが幸せなら僕も嬉しいです」
レオポルトはにこにことしながら見上げてくる。この弟は本当に自分のことしか考えていないなと思う。
「にいさまがいないと寂しくなりますね」
エルンストの腕をひしと抱き締めて、レオポルトはそんなことを言う。毛ほども思ってないことを口に出来るのは、なるほど血筋だろうとエルンストは感心した。
少しの苛立ちと悪戯心が湧き上がって、エルンストは声を張ってレオポルトに向き直る。
「寂しがる暇もなくなるさ。何せ、俺の事業の大半を父上とレオが引き継ぐのだから」
「えっ……」
レオポルトは少し面食らったように目を見開いた。だが、エルンストは追い打ちをかけるように続けた。
「父上とレオなら、俺が築いたものを大成させられるだろう? 楽しみだよ、レオがどのように事業を大きく広げていくか」
「に、にいさま……」
エルンストの言葉に、周囲の貴族たちの興味が一気に集まった。密かな囁き声が聞こえ始める。
社交界ではすでに、ロートベルク家の評価は決まっている。悪名高くも優秀な長男エルンストと、それに対比される無能な父と次男。
レオポルトは容姿が良く素行も良いが、甘やかされた故に勉強はからきしで、事業の才能も皆無だ。それを社交界全体が理解している。
エルンストの事業のほとんどを二人が引き継ぐということは、貴族たちはこぞってロートベルク家を狙いに来るだろう。
精々ハイエナの群れに食い荒らされればいい。エルンストは内心でそう嘲笑った。手塩にかけて育てた事業ばかりだったが、もうエルンストにはどうでも良かった。また稼ぎ直すくらい、訳ないことだ。
周囲の視線に狼狽するレオポルトを見て、エルンストは溜飲を下げた。
そんなことをして自分を慰めながら切り抜けたが、結局ローガンはパーティーが終わるまで戻ってこなかった。
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