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17.灰の街と赤き炉
しおりを挟む灰色の石畳を馬車の車輪が静かに転がる。
公爵邸から馬車でおよそ一刻。ヴァルトシェイド領で最も栄えていると聞かされた城下の街並みが、窓の向こうに広がっていく。
だが、実際に目にするその姿は、エルンストの知る帝都の華やかさとはまるで違っていた。
建物の多くは少し古い様式で、屋根瓦の色もどこかすすけている。往来を行き交う人々は皆素朴で、華やかな衣を纏った者などほとんど見かけない。
エルンストは静かに呟いた。
「なるほど……一見して、貧しいわけではないが、豊かとも言えないな」
「ええ。生活は成り立っていますが、裕福な層がほとんどおらず、商業も小規模なものばかりです」
隣に座るダミアンが手元の資料を広げながら答える。
「本来なら、この街を中継地点として物資が集まり、交易が活発になるべきなのですが……寒冷な気候や険しい地形が流通を阻んでいます。しかも、王都や南方の都市と比べて、需要も低い」
「つまり、栄えているというのは、あくまでこの領の中では、という話か」
エルンストは視線を巡らせた。
街の人々は馬車を興味深げに見つめている。珍しい客だと察しているのだろう。
「市場を見てみたい。商人と話がしたいな」
「すでに視察の旨は伝えてあります。歓迎とまではいかずとも、応じてはくれるはずです」
馬車が止まり、扉が開く。冷たい風が足元を過ぎっていくが、陽光が射している分だけ幾分かましだった。
エルンストが地に足をつけると、近くに立っていたオルベックが一礼する。
「城下の視察、先導いたします。何か気になる点があれば、なんなりと」
わざわざ護衛を買って出てくれたオルベックに感謝の言葉を伝えつつ、エルンストはダミアン、そしてリーネを従えてオルベックと共に歩き始めた。
まず向かったのは、街の中心にある小さな市場だった。木造の屋台がいくつも並び、干し肉や保存野菜、手作りの工芸品などが売られている。活気はあるが、どこか閉鎖的な雰囲気が漂っている。
野菜や果物が並べられた露店は一見賑やかだったが、その多くは質の良いものではなく、値段も高かった。魚を取り扱う店もあったが、こちらも同様に品質は劣悪で、高価なものばかりだった。特に目を引いたのは小麦粉の価格だ。質は悪く量も少ないというのに、高額な値札が貼られている。
エルンストは商人に声をかけた。
「失礼。この小麦粉、何故こんなに高いのですか?」
エルンストの問いに、商人は最初こそ訝しげな目を向けたが、夫人であると知れると慌てて声色を和らげた。
「これは王都近郊の農地から仕入れてる輸入品です。このあたりでは小麦が育たないもので……」
「土地が痩せているから?」
「それもありますが、気候や土が合わず、何より冬が長すぎて育たないんです。しかも、運ぶにも金がかかる。だからどうしても高くなってしまって」
「なるほど。それでは地元産のものは?」
エルンストが問うと、商人はすっと市場の一角を指さした。
エルンストはそちらへ歩いて行き、露店に並ぶものを見る。
野草と山菜、僅かな木の実、きのこ類……それから、数種類の薬草。保存食は塩漬け肉と硬いパンのみで、他に売られているものといったら鶏卵くらいのものだった。確かに帝都や王都と比べたら貧相だ。だがこの寒い土地においては、これも豊富な方かもしれない。
市場を一通り巡った後、エルンストは職人たちの仕事場を訪ねることにした。
鍛冶屋、革細工師、木工職人──寒さの厳しいこの街でも、技術を受け継ぐ者たちが粘り強く暮らしている。
オルベックの案内で訪れた鍛冶屋は、建物の外からでも鉄の匂いが漂っていた。
戸を開くと、炉の熱気が押し寄せ、火花がちらりと舞った。
炉の光に照らされた作業場では、数人の鍛冶師たちが重い槌を振るい、赤く焼けた鉄を打っていた。
真っ赤に焼けた鉄に火花が弾けるたび、空気が震えるようだった。
エルンストはその様子に感嘆の息を吐いた。ただの労働ではない。そこにあるのは、長年積み重ねられてきた技と、誇りだ。
オルベックが声をかけると、年配の鍛冶師が手を止め、額の汗を袖で拭いながらこちらに向き直った。
「ようこそ。俺たちは公爵家の軍装備を任されています」
「ということは、この街の鍛冶業は公爵家と密接な関係にあるのですね」
エルンストが問うと、男は深く頷いた。
「ええ。公爵家があるからこそ、この炉も火を絶やさずに済んでるようなもんです。もし公爵家がなくなれば、俺たちも食っていけなくなる」
「それほどの依存関係……。王都の装備と比べて、こちらの品の特徴は?」
「質が違います。軽くて、強くて、切れ味が良い。ここでしか作れない鉄を使ってますから」
鍛冶師は、壁に立てかけられていた一本の剣を手に取った。
ずしりとした重量と研ぎ澄まされた刃。鍛錬の跡が美しい紋様となって浮かんでいる。
「この地の地下には、昔から特別な鉱脈がありまして。そっから採れる鉄が、冗談みたいに硬くて粘りがある。うまく火を入れれば、刃こぼれも少なく、研ぎも早い。ここらじゃ『獣鉄』って呼んでるんです」
「獣鉄……」
エルンストはその響きを噛みしめるように繰り返した。
「その鉱脈、今も健在ですか?」
そう問うと、少し間を置いて、オルベックが言葉を継いだ。
「……いいえ。正直なところ、今はかなり細っています」
「理由は?」
「先の戦で、大量の武器と防具が必要になったからです。公爵軍は精鋭揃いでしたから、質の高い装備を揃える必要があったのですが、そのぶん獣鉄の消費も多かった。結果、鉱脈の負荷が増し、今では掘ってもほとんど出てこない状態です」
「……加えて、鉱山労働の過酷さと賃金の低さから、人手不足も深刻化しているのが現状ですね」
オルベックの説明に続けて、鍛冶師も補足した。
「材料がなきゃ、どうにもなりませんからね。でも、希望は捨てちゃいません」
エルンストはその言葉に静かに頷いた。技術も意欲もある。問題は、資源だ。
彼らがこの状況に悲観的ではないことが、エルンストを安堵させた。
「鉄があるなら、まだ活路はある……」
小さく呟きながら、その言葉を自分の中で何度も繰り返す。
絶望の中にも確かに灯る、微かな光。それを見つけたような気がした。
「貴重なお話をありがとうございます。公爵家も、領民の皆さんも、同じ未来を見据えていけるよう努力します。私もその一助となるつもりです」
エルンストの言葉に、鍛冶師たちは深々と頭を下げる。
彼らに礼を述べ、再び外の光の下へと足を踏み出す。エルンストの思考はくるくる廻り、顎に手を当てて考え込みながら進んでいく。
ふと頭の片隅にある記憶が過ぎった。エルンストは歩みを緩め、傍らの男に声をかける。
「……オルベック卿。鉱脈の話が出たついでに、ひとつ聞いておきたいことがある。ノクタルナイト──あの宝石は、領内で採れるのだろう?」
あの美しい婚約指輪を思い出す。ローガンは、あの宝石は領で採れると確かに言っていたはずだ。新種の宝石ならば、需要があって当然なのだ。
しかし、ここにきてノクタルナイトの話を一切聞いていないことに気がついた。
「ノクタルナイトですか? はい、かつては旧鉱区で採れておりました。今でも僅かながら原石は見つかるようですが……」
「今でも、ということは、採掘自体は続けられているのか?」
「一応、ですが。ただし宝石としてではなく、冶金の副産物として扱われることがほとんどです」
エルンストは眉を寄せる。
「……何故、冶金用に? あれほどの色合いなら、細工師が放っておくとは思えないが」
オルベックはやや困ったように唇を引き結んだ。
「鉱床が浅い場所にあるため、掘り進めれば進めるほど獣鉄と混じってしまうのです。結晶の質が落ちやすく、宝石用として加工するには歩留まりが悪い。それなら鉄の精錬に回したほうが合理的、ということで……」
「……つまり、実用と効率を優先していて、宝石としての使い道は後回しにしているのか」
「そういうことになります。ですが、宝石の評価がゼロというわけではありません。細工師の一部には、いまだにノクタルナイトを好んで探している者もおります。不純物のないノクタルナイトは本当に希少なので、そもそも出回らないんですよ」
エルンストはその言葉に、微かな笑みを浮かべた。エルンスト自身も、あの宝石が好きだった。
夜のように深く、銀と紫の光を秘めた星空石。ローガンが贈ってくれたお気に入り。あの輝きは、間違いなく本物だった。
「……ならば、再び世に出すまでだな」
エルンストはそう呟き、地面を見つめた。靴の先に広がるのは、まだ掘り起こされていない可能性の層。
まだ街の隅々に目を向けなければならない。
だが今、この街の根底には、確かに息づく力があると、そう感じられた。
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