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第24話 Nihilism 20XX
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「だから、彼の為にこの世界、いや、『在ることそのもの』を無くしてしまおう。そうすれば、もう誰も苦しまなくなる、いや、苦しみさえなくなるんだ!」
「出てって!エリさんから出てって!!」
――カナは、サトシとミコトを和解させたかった。
まずはミコトの話を聞きたい。その為に、エリの協力の元、共にお茶するのがいいのではないかと考えた。
ところがそのとき、エリがエヌとなってしまう。ミコトと話すどころではなくなってしまった――
しかし、カナはミコトと連絡先を交換するこができた。以後、カナはミコトとスマホでやり取りをするようになったのである。
***
『お前と話がある。エリのことだ』
カナのスマホに通知が来る。それはウラトからのメッセージであった。
「話ってなにかしら……」
カナはメッセージを読んだとき、胸に一抹の不安を覚えた。だからといって行かないというわけにもいかない。カナはウラトの元に向かうことにした。
カナは執務室の前に来た。ドアノッカーを鳴らす。
「入れ」
扉の向こうからウラトの声がする。それを聞いたカナは、おずおずと中に入った。
「カナ。先日、エリの元で茶をしたそうだな」
「はい」
ウラトはいつものように傲岸不遜な口ぶりである。だが、顔つきから不安な様子が浮かび上がっていた。
「そのとき、エリが『奴』に変貌したと」
「『奴』って、無名経典のことですよね?」
「そうだ。マキから聞いた……」
ウラトは言い終わるや否や、カナに詰め寄った。表情も険しくなる。
「お前! エリに何をした!?」
そして、カナに怒声を浴びせた。カナは立ちすくむ。
「……私は、なにもしてません……」
カナはすっかり怯えていたが、どうにかして絞り出すように声を出した。
ウラトはカナを睨んでいたが、しばらくして落ち着きを取り戻す。
「……すまぬ。余はエリのこととなると冷静さを欠いてしまうのだ」
「私は大丈夫です。エリさんのことが心配なんですよね」
カナはウラトを庇う。
「『なぜエリさんが無名経典になったのか』ですよね。えーと……それが私にも、よくわからなくて……」
カナは先のエリとミコトのお茶の様子を思い返す。けれど、全く検討がつかなかった。
「そうなのか。あまり、気に病まんでもよい。奴は気まぐれだからな」
「……実は、前からお伺いしたいことが……」
カナはおっかなびっくりとした様子で尋ねた。
「なんだ」
ウラトは真顔になる。
「この際だから、全部聞かせていただきます」
カナはいつになく真剣な面持ちになる。
「……答えられる範囲でいいんですけど……」
ボソボソ声で一言付け足す。
カナの真剣な眼差しは、ウラトを突き刺していた。なにより、無名経典はカナの前にも現れたのだ。隠し事をするべきではないだろう。
――カナならば悪用することもあるまい。もしかしたら、全てを終わらせてくれるやもしれぬ――
「奴が何を企んでいるか知らん。しかし、お前はエリの信を得たのだ。悪用せぬと信じておる。気になることがあるなら、なんでも聞いてくれ。ただ、余にもわからぬことがある故、答えられぬこともあるが」
ウラトは眼差しからカナの覚悟を感じ取る。それを受けて、ウラトも腹を割ると決めた。
「ありがとうございます! 早速ですが、私が飲まされた薬って、えーと……」
「『スロートバイト』か」
「そうそう、それです……肝心の聞きたかったことを忘れるなんて……」
カナは己の不甲斐なさにしょげる。
「スロートバイトは散々お前を苦しめたのだ。苦しみのあまり忘れてしまったのだろう。別におかしくはないわ」
「あ、ありがとうございます」
カナは一礼する。
ウラトは尊大で人を人と思わぬ冷淡さがある。けれど、そう振る舞わざるを得ないだけで、本当は優しいのだ。カナはエリがそんなことを言っていたのを思い出した。
「そのスロートバイトという薬は、イハラさんが飲んだというものと同じなんですか?」
カナは改めて質問する。
「同じものかどうか、か……余が服用したのは大戦末期に作られたものだ。実用には至っておらん。まぁ、分析した結果、当時のものと成分が酷似していたがな。
それともうひとつ。ミドリ製薬の現社長トウドウ=マナブは、616部隊隊長の孫だ」
「孫、ということは……」
カナは以前、エリと二人でお茶をした時の話を思い出した。ウラトは、616部隊隊長トウドウ=タカアキの許嫁だったのだ。
「トウドウはあの後、別の女と結婚したわ。マナブと余の血の繋がりはない」
「そうなんですか……」
カナは相槌を打つ。
「ハルビンでの研究結果は米軍に渡したことになっている。ま、バカ正直に全て渡すわけがないがな。例の薬は『廃棄処分した』ことになっているし」
「あのー、すみません。『米軍に渡した』というのは……」
「なんでも『研究結果を渡せば、罪を問わない』だそうだ。中にはしれっと復職しておるのもおるしな」
「はぁ……」
日本は平和な国だ。しかし、先の大戦の根は想像以上に深い。カナはこの話を聞いた時ほど、そう思う事はなかった。
「ありがとうございます。スロートバイトのことはわかりました。次は無名経典のことです」
『無名経典』
その名を聞いたウラトは、眉をピクっとさせる。
「無名経典って一体なんなんですか? ジェイさんと何の関係があるんですか?」
それを聞いて、ウラトは目頭を押さえるようなポーズを取った。
「ジェイと奴との関係はわからん。ただな、奴はこう言っておったわ『在ることそのものを無に帰す』と」
ウラトは頭を上げる。眉間には皺が寄っていた。
「なんでも、奴――エヌは、元々は人間だと言っておった。しかし、ある日『混沌』に触れた際、『在ること』それ自体に強烈な嫌悪感を持つようになった。
それで、『全てを終わらせる方法を記した』本に姿を変え、あらゆる時空を飛び回るようになったそうだ。
全てを終わらせてくれる読み手を探すために。
奴め。エリに顕現したことをいいことに、聞いてもいないこと喋りおって」
「そうだったんですね……そういえば、『『在ることそのもの』を無くしてしまおう』って言ってたような気がします」
カナはエヌが顕現した時のことを思い返す。
「本当に世界を滅ぼす力があるなら、とっくに滅んでおろう。奴にそんな力はないわ」
ウラトは乾いた笑みを浮かべた。
「世界を滅ぼせるかどうか……それはひとまず置いておきます。けれど、悪いことばっかり起こっているじゃありませんか」
「『悪いこと』ねぇ……」
ウラトは意地の悪い笑みを、カナに向ける。
「そもそも、今起こっている出来事は、無名経典が原因じゃないですか。それを悪用した日帝が悪いのは言うまでもないんですけど……」
カナはウラトをまっすぐに見る。声は震えていた。
「大勢の人が命を落とすことになるんです……イハラさんが、無名経典を使い続ける限り」
カナは断言する。
「無名経典は災いしか引き起こさん。そんなことはわかっている。だがな、放棄したところでエリは無名経典のままだ。それこそ、ミドリ製薬の手に落ちたらどうなる」
ウラトは薄ら笑いから一転、険しい顔つきになった。
「わかっています。イハラさんがエリさんのことを大事にしてることは……」
カナは言葉を詰まらせる。その場が、しばし沈黙に包まれた。
「ごめんなさい。色々難しい立場なのはわかっています。イハラさんだって大変なんだということも」
しばらくしたあと、カナは頭を下げる。
「今日は大変、失礼いたしました」
一言添えたあと、カナは部屋を後にした。ウラトはカナが部屋を出るのを見届ける。
「……小娘にまで気を使われるとは。余も耄碌したか」
部屋の扉が閉まったあと、ウラトはため息をついた。
***
カナは自分の部屋に戻る。今日のウラトとのやり取りに思いを巡らせていた。
「とにかく、無名経典をなんとかしないといけないような気がするわ。スロートバイトだったらなんとかなりそうだけど……」
スロートバイトもとんでもない代物だ。けれども、これは薬物である。薬物であるなら、対処法はあるだろう。
それにひきかえ、無名経典は底のしれない魔術書だ。魔術となると、対処のしようがない。
「イハラさんは、そんな力はないって言ってるけど……」
もしかしたら、本当に世界が滅んでしまうかもしれない。カナはそんなことを考えていた。
「でも、無名経典をどうにかするっていっても、どうにかできるのかしら? 仮に、どうにかできたとしても……」
無名経典をどうにかできたとしても、エリがどうなるのかわからない。だからこそ、ウラトは使わざるを得ないのだろう。例えそのことで、エリが苦しむことになったとしても。
「神様、私はどうすればいいのでしょうか……」
神に祈りを捧げる。今のカナにはこれしかできなかった。
「出てって!エリさんから出てって!!」
――カナは、サトシとミコトを和解させたかった。
まずはミコトの話を聞きたい。その為に、エリの協力の元、共にお茶するのがいいのではないかと考えた。
ところがそのとき、エリがエヌとなってしまう。ミコトと話すどころではなくなってしまった――
しかし、カナはミコトと連絡先を交換するこができた。以後、カナはミコトとスマホでやり取りをするようになったのである。
***
『お前と話がある。エリのことだ』
カナのスマホに通知が来る。それはウラトからのメッセージであった。
「話ってなにかしら……」
カナはメッセージを読んだとき、胸に一抹の不安を覚えた。だからといって行かないというわけにもいかない。カナはウラトの元に向かうことにした。
カナは執務室の前に来た。ドアノッカーを鳴らす。
「入れ」
扉の向こうからウラトの声がする。それを聞いたカナは、おずおずと中に入った。
「カナ。先日、エリの元で茶をしたそうだな」
「はい」
ウラトはいつものように傲岸不遜な口ぶりである。だが、顔つきから不安な様子が浮かび上がっていた。
「そのとき、エリが『奴』に変貌したと」
「『奴』って、無名経典のことですよね?」
「そうだ。マキから聞いた……」
ウラトは言い終わるや否や、カナに詰め寄った。表情も険しくなる。
「お前! エリに何をした!?」
そして、カナに怒声を浴びせた。カナは立ちすくむ。
「……私は、なにもしてません……」
カナはすっかり怯えていたが、どうにかして絞り出すように声を出した。
ウラトはカナを睨んでいたが、しばらくして落ち着きを取り戻す。
「……すまぬ。余はエリのこととなると冷静さを欠いてしまうのだ」
「私は大丈夫です。エリさんのことが心配なんですよね」
カナはウラトを庇う。
「『なぜエリさんが無名経典になったのか』ですよね。えーと……それが私にも、よくわからなくて……」
カナは先のエリとミコトのお茶の様子を思い返す。けれど、全く検討がつかなかった。
「そうなのか。あまり、気に病まんでもよい。奴は気まぐれだからな」
「……実は、前からお伺いしたいことが……」
カナはおっかなびっくりとした様子で尋ねた。
「なんだ」
ウラトは真顔になる。
「この際だから、全部聞かせていただきます」
カナはいつになく真剣な面持ちになる。
「……答えられる範囲でいいんですけど……」
ボソボソ声で一言付け足す。
カナの真剣な眼差しは、ウラトを突き刺していた。なにより、無名経典はカナの前にも現れたのだ。隠し事をするべきではないだろう。
――カナならば悪用することもあるまい。もしかしたら、全てを終わらせてくれるやもしれぬ――
「奴が何を企んでいるか知らん。しかし、お前はエリの信を得たのだ。悪用せぬと信じておる。気になることがあるなら、なんでも聞いてくれ。ただ、余にもわからぬことがある故、答えられぬこともあるが」
ウラトは眼差しからカナの覚悟を感じ取る。それを受けて、ウラトも腹を割ると決めた。
「ありがとうございます! 早速ですが、私が飲まされた薬って、えーと……」
「『スロートバイト』か」
「そうそう、それです……肝心の聞きたかったことを忘れるなんて……」
カナは己の不甲斐なさにしょげる。
「スロートバイトは散々お前を苦しめたのだ。苦しみのあまり忘れてしまったのだろう。別におかしくはないわ」
「あ、ありがとうございます」
カナは一礼する。
ウラトは尊大で人を人と思わぬ冷淡さがある。けれど、そう振る舞わざるを得ないだけで、本当は優しいのだ。カナはエリがそんなことを言っていたのを思い出した。
「そのスロートバイトという薬は、イハラさんが飲んだというものと同じなんですか?」
カナは改めて質問する。
「同じものかどうか、か……余が服用したのは大戦末期に作られたものだ。実用には至っておらん。まぁ、分析した結果、当時のものと成分が酷似していたがな。
それともうひとつ。ミドリ製薬の現社長トウドウ=マナブは、616部隊隊長の孫だ」
「孫、ということは……」
カナは以前、エリと二人でお茶をした時の話を思い出した。ウラトは、616部隊隊長トウドウ=タカアキの許嫁だったのだ。
「トウドウはあの後、別の女と結婚したわ。マナブと余の血の繋がりはない」
「そうなんですか……」
カナは相槌を打つ。
「ハルビンでの研究結果は米軍に渡したことになっている。ま、バカ正直に全て渡すわけがないがな。例の薬は『廃棄処分した』ことになっているし」
「あのー、すみません。『米軍に渡した』というのは……」
「なんでも『研究結果を渡せば、罪を問わない』だそうだ。中にはしれっと復職しておるのもおるしな」
「はぁ……」
日本は平和な国だ。しかし、先の大戦の根は想像以上に深い。カナはこの話を聞いた時ほど、そう思う事はなかった。
「ありがとうございます。スロートバイトのことはわかりました。次は無名経典のことです」
『無名経典』
その名を聞いたウラトは、眉をピクっとさせる。
「無名経典って一体なんなんですか? ジェイさんと何の関係があるんですか?」
それを聞いて、ウラトは目頭を押さえるようなポーズを取った。
「ジェイと奴との関係はわからん。ただな、奴はこう言っておったわ『在ることそのものを無に帰す』と」
ウラトは頭を上げる。眉間には皺が寄っていた。
「なんでも、奴――エヌは、元々は人間だと言っておった。しかし、ある日『混沌』に触れた際、『在ること』それ自体に強烈な嫌悪感を持つようになった。
それで、『全てを終わらせる方法を記した』本に姿を変え、あらゆる時空を飛び回るようになったそうだ。
全てを終わらせてくれる読み手を探すために。
奴め。エリに顕現したことをいいことに、聞いてもいないこと喋りおって」
「そうだったんですね……そういえば、『『在ることそのもの』を無くしてしまおう』って言ってたような気がします」
カナはエヌが顕現した時のことを思い返す。
「本当に世界を滅ぼす力があるなら、とっくに滅んでおろう。奴にそんな力はないわ」
ウラトは乾いた笑みを浮かべた。
「世界を滅ぼせるかどうか……それはひとまず置いておきます。けれど、悪いことばっかり起こっているじゃありませんか」
「『悪いこと』ねぇ……」
ウラトは意地の悪い笑みを、カナに向ける。
「そもそも、今起こっている出来事は、無名経典が原因じゃないですか。それを悪用した日帝が悪いのは言うまでもないんですけど……」
カナはウラトをまっすぐに見る。声は震えていた。
「大勢の人が命を落とすことになるんです……イハラさんが、無名経典を使い続ける限り」
カナは断言する。
「無名経典は災いしか引き起こさん。そんなことはわかっている。だがな、放棄したところでエリは無名経典のままだ。それこそ、ミドリ製薬の手に落ちたらどうなる」
ウラトは薄ら笑いから一転、険しい顔つきになった。
「わかっています。イハラさんがエリさんのことを大事にしてることは……」
カナは言葉を詰まらせる。その場が、しばし沈黙に包まれた。
「ごめんなさい。色々難しい立場なのはわかっています。イハラさんだって大変なんだということも」
しばらくしたあと、カナは頭を下げる。
「今日は大変、失礼いたしました」
一言添えたあと、カナは部屋を後にした。ウラトはカナが部屋を出るのを見届ける。
「……小娘にまで気を使われるとは。余も耄碌したか」
部屋の扉が閉まったあと、ウラトはため息をついた。
***
カナは自分の部屋に戻る。今日のウラトとのやり取りに思いを巡らせていた。
「とにかく、無名経典をなんとかしないといけないような気がするわ。スロートバイトだったらなんとかなりそうだけど……」
スロートバイトもとんでもない代物だ。けれども、これは薬物である。薬物であるなら、対処法はあるだろう。
それにひきかえ、無名経典は底のしれない魔術書だ。魔術となると、対処のしようがない。
「イハラさんは、そんな力はないって言ってるけど……」
もしかしたら、本当に世界が滅んでしまうかもしれない。カナはそんなことを考えていた。
「でも、無名経典をどうにかするっていっても、どうにかできるのかしら? 仮に、どうにかできたとしても……」
無名経典をどうにかできたとしても、エリがどうなるのかわからない。だからこそ、ウラトは使わざるを得ないのだろう。例えそのことで、エリが苦しむことになったとしても。
「神様、私はどうすればいいのでしょうか……」
神に祈りを捧げる。今のカナにはこれしかできなかった。
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