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第九章 異世界訪問編

第44話 ハンティング

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 眠りから覚めると、『赤いサソリ』は自分が住居としているアパートにいることに気づいた。

 何かおかしい。普通じゃない。
 そこで、彼は自分が異世界からの帰還者を暗殺する任務を遂行中だったことを思いだした。
 さっきまで、自分は日本の地方都市にいたはずである。
 しかし、目が覚めたらこんなところにいる。

 彼は、自分の記憶が一部、すっぽりと抜けおちているのに気づいた。
 一体、その間に何があったのか。
 ラップトップ型PCの電源を入れる。
 日付は、覚えている日の翌日、朝六時である。
 時差を考えるとかなりの時間寝ていたことになる。

 日本の国内ニュースをチェックする。男はスパイ時代に、数か国語を身につけている。
 その中には、日本語もあった。

 異世界帰還者が死んでいるなら、大きなニュースになっているはずである。
 ところが、そのような記事は無かった。
 念のため他国のニュースも調べたが、何も無かった。
 苦労して帰還者の地元新聞をチェックしたが、ここにも目当てのニュースは無かった。

 通常はしないことだが、何としても依頼者とコンタクトを取らねばならない。
 この仕事の成功には、娘の未来が掛かっているのだ。

 彼は、インターネット上のとある投稿サイトに、一週間前のル・モンドの記事に関して脈絡のない記事を書いて投降した。
 記事の題名と、一週間前のル・モンドが、キーとなっているから、それで差しつかえない。

 夕方には、彼の投稿にスレッドがついていた。
 内容は、これも取りとめのないことだったが、文が三つからなるものだった。
 これで、「三日後に例の公園で」という意味になる。
 今時、複雑な暗号など不要である。

 三日後、「赤いサソリ」は、正午前に公園のベンチに座っていた。
 昨日、一昨日と温かい日が続いたから、公園の雪はかなり溶けていた。
 春の訪れが遅いこの国にも、そろそろ春風が吹きそうである。

 少ししか残っていない雪を踏みしめる音がして、中年の男性が現れた。
 先日の男とは別人だが、この男も特徴がない顔つきだった。

 座った男は、二人の間に一週間前のル・モンドを置く。

 「赤いサソリ」がそれを取ろうとしたとき、彼は額に灼熱感を覚えた。

 特徴がない顔つきの男が右手に持ったサイレンサー付きの銃が、目の端に映ったが、彼の意識はそこで途切れた。

 イリーナ……

 薄れゆく意識に浮かんだのは、愛する娘の笑顔だった。

 特徴が無い顔つきの男は、ル・モンドを手にすると、急ぐ風でもなく、口笛を吹きながら公園を後にした。

 ◇

 冷戦時、武器商人としてその名をはせた男を父に持つ若者は、イライラを押さえきれなかった。

 失敗できない任務だから、わざわざ高い金を払って『赤いサソリ』に依頼したのに、ヤツは失敗しただけでなく、緊急時の方法で連絡をとろうとした。

 全く信じられないほどの間抜けである。
 おかげで、次の暗殺者を決めるのに、また「会合」を招集しなければならない。

 その場で、自分を糾弾する声が上がるのは目に見えていた。
 もしかすると、紛争地域を一つ、手放さなければならないかもしれない。

 まだ、二十台後半の男は、トレードマークのサングラスを掛けた。

 ノックがあり、執事が入ってくる。
 赤いバラの花束に手紙が添えてある。
 花束は、根元を黒いリボンで留めてあった。

 サングラスの若者が封筒を開ける。封筒には白紙が入っていた。
 始末は終わったか。

 マンハントを専門とする子飼いの男がしくじるとは思っていなかったが、ほっと息をついた。
 机の上のベネチアングラスに、お気に入りのスコッチウイスキーを注ぐ。
 極上の香りを楽しみ、一口含んだところで、彼の意識は無くなった。

 ◇

 サングラスが目を覚ますと、暗い部屋の中だった。

 辺りを見回す。まっ暗で良く見えないが、近くに何人かの気配がある。
 体を動かそうとしても動かない。なぜか、声も出せない。

 それから、どれだけ経っただろう。
 辺りが明るくなった。部屋中央の天井辺りにある玉が光っている。
 玉は、どう見ても宙に浮いているように見える。
 壁は、石を削ったような跡が残っている。どこかの洞窟かもしれない。

 おかしい。この部屋はあらゆるところに違和感が漂っている。

 どこかで手をパンと叩く音がしたとたん、体が動かせるようになった。

「ここは、どこだ?」

 声も出せる。

「ど、どこだ、ここは?」
「どうなってる?」
「いったい、なんなんだ?」

 聞こえてくる声には覚えがある。武器商人達だ。

「ニコライ・アレクセイ、二十七才。カザフスタン在住。父は有名な武器商人」

「リー・パイラン、六十五才。香港在住。〇〇団のボスでもある」

「ナーリー・ブェノ将軍、四十七才。〇〇国軍部の実力者」

 どこからか少年の声が、聞こえてくる。それは、十人の名前を呼びおわるまで続いた。
 恐ろしいのは、本名を徹底的に隠してきた男の名まで、少年が正確に読みあげたことだ。

「十人の共通点は、武器を扱う死の商人であること」

 サングラスの若者ニコライには、少年の声が、地獄の晩鐘に聞こえた。

「はじめまして、俺は、シロー。
 帰還者として知られている」

 立ちあがった十人が一斉に青くなる。
 その時、突然壁に白いパネルが現れ、そこに茶色い布を頭に巻いた少年が映った。
 それは確かに、ニュース映像などで彼らが知っている帰還者だった。

「お前たちは、俺の家族を狙ったな」

 誰もしゃべろうとはしない。

「しゃべる必要はないぞ。
 すでに分かっていることだ」

 少年の声が続く。

「ど、どういうことだ。
 そんなこと、どこに証拠がある!」

「証拠か。
 お前自身が分かっているだろう。 
 証拠などに何の意味も無いことを」

 画面の少年の雰囲気が変わる。
 ぼーっとしていた少年は、輝くばかりの美しい天使としてそこにいた。
 ただ、それは死の天使だった。

「お前たちには、俺の家族がそうなったであろう体験をしてもらおう。
 時間の許す限り楽しんでくれ」

 男たちの体が、再び動かなくなる。

 なぜか全員の顔が上を向き、口を開ける格好になる。
 天井の近くに、細長い物体が現れる。
 注射器のように見える。

「これは、『赤いサソリ』が俺たちに使おうとした、放射性の毒物だ。
 君らには、一滴ずつこれを飲んでもらう。
 それでも生きていたら、その者は解放しよう」

 ニコライは絶望に駆られた。
 彼はその毒物の効能を知っていた。
 一滴どころか、その百分の一でも人を殺す力がある。
 そして、本当の問題は、その死に方にあった。

 や、やめてくれ!

 彼は必死に叫ぼうとしたが、声が出ない。
 喉に何かが詰まったような感覚がある。
 注射器は、まっ先に彼の上に来た。
 針の先にゆっくり水滴が膨れあがる。
 ぽとりと落ちたそれは、彼の口の中に入った。
 必死で吐きだそうとするが、体はピクリとも動かない。

 注射器は全員の口に一滴ずつ毒を落とすと、幻のように姿を消した。

「さあ、それでは、そこでしばらく生活してくれ。
 生き残るのは誰かな?」

 少年が映ったパネルが消えた後、場には静寂が立ちこめた。
 全員動けるようになったのに、動こうともしない。
 最初に動いたのは、パナマ帽をかぶった白人だ。

「ちくしょー、なんでこんなことに! 
 おい、ニコライ! 
 てめえのせいだぜ!」

「その通りだ。
 おめえが帰還者なんか狙うって言わなかったら、こんなことにはならなかったはずだ」

 中南米出身の男がパナマ帽に同調する。

「お前らやめんか! 
 それがあいつの狙いだと分からんのか。
 大体、さっきのが毒かどうか分からんじゃろう」

 中国系の老人が落ちついた声で言う。

「確かにな。
 気分も悪くならないし、さっきのは水か何かだったのかもしれん。
 俺たちがお互いに殺しあうのをどこかで見ているんだろう」

 軍服姿の黒人が老人に賛同する。
 そのとき、ぼそりと低い声が聞こえた。

「終わりだ。
 もう俺たちは死んだも同然だ」

「貴様、ニコライ! 
 誰のせいでこうなったと思ってる!」

 サングラスの若者を将軍が殴りたおす。
 サングラスが壊れてしまった若者は、それを拾おうともせず、のろのろと立ちあがると、壁際にある木箱の上に腰を下ろした。
 パナマ帽の男が木箱の一つを開ける。

「おい、水も食べ物もたんまりあるぜ。 
 お! 
 こっちには、簡易トイレまであるじゃねえか」

 男たちは、木箱に群がった。
 ただ一人、木箱に座りつづけるニコライに、老人が話しかける。

「お主は、なぜ木箱を開けようとせん」

「俺の考え通りなら、俺たちの命を長らえさせることこそヤツの狙いなんだ」

「どういうことじゃ?」

 老人が尋ねたが、ニコライは答えようとしなかった。

 ◇

 男たちは一人、また一人と死んでいった。
 さっきまで元気だったのに突然血を吐いて倒れる男もいたし、だんだん力を失っていき、眠るように死んでいく男もいた。

 死んだ者に共通するのは、体が水袋のように腫れていることだった。
 そして、ほとんどの者が、死ぬまで長く苦しんだ。
 それも並の苦しみ方ではない。

 ニコライは腕時計をつけていたが、時間の感覚を失っていた。
 なぜなら、ここでは時間など何の意味もないからだ。

 核兵器を消した能力を考えたら、帰還者に手を出してはいけないと分かったはずである。
 それなのに、自分はどうして彼を殺そうなどと考えたのか。
 今から考えると魔がさしたとしか言いようがない。

 しかし、なぜ帰還者は俺たちの所までたどりついたのだろう。
 俺とヤツとは、何の接点も無いはずである。
 ましてや、ヤツは、暗殺を決めた十人全員をここに集めている。
 考えれば考えるほど分からない。

 ぼやけていく思考の中で、ニコライはそういうことを考えていた。
 他に考えるべきことを思いつかなかったからである。

 自分が殺させた『赤いサソリ』から、魔術を帯びた点が子飼いの暗殺者に移り、その男から帰還者が彼にたどりついたと知れば、ニコライは、何と言っただろうか。
 『赤いサソリ』は、命を失いながらも、最後の一刺しを残したのである、

 男たちの中で最後まで生きていたのは、皮肉にもニコライだった。
 それは、一番長く苦しんだのが彼であるということでもあった。
 彼の死体は、右手に壊れたサングラスを握りしめていた。

 その日、カザフスタンの古い廃坑で大規模な落盤事故があり、政府はその一帯を立ちいり禁止にした。
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