真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

dear 1

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 このままじゃダメだと思うけど。

 …それは確か数日前も、
 ううん確か数カ月前も、
 いえいえ確か数年前も、

 よく考えると、
 物心がついた頃から思っていて。

 じゃあいったい、
 いつなら「このまま」じゃ
 無くなるのかって考えてみると、

 たぶんきっと死ぬまで
 ずっと「このまま」で。


 少しずつ変化しているにも関わらず、
 ずっと「このまま」と言っていることに
 ようやく気付き始めた今日この頃である。





 ────
「そう言えば営業部の番匠さん、高橋さんと付き合ってるんだって」
「えーッ嘘?!」

 この声は多分、広報部の田村さんと南さんに違いない。広報部は営業部と同じフロアだから、こうして同じトイレを使用するのだ。残念ながら噂されている張本人が個室の中にいるとも知らず、キラキラ女子たちの噂話は止まらない。

 うっ、こんなことならトイレでスマホの確認なんかしなければ良かった。だって光正が外出先からそりゃもう長いメッセージを送ってきて。今晩の予定に変更が有るのかと思い、こっそりとチェックしていたのだが。内容を見ればなんてことは無い、クライアントがTV取材を受けたのでそれを録画しておいて欲しいと。慌てて確認して損をした…なんて独りごちたところで、この出るに出られない状況だ。

 あの“お疲れ会”から1カ月が経過し。積極的に交際を公表こそしなかったが、それでも2人揃って堂々と食事したり、外出する姿はかなり目立ったらしく。訊かれればハッキリ『付き合っています』と答えたので、営業部内ではそれなりにその関係が浸透している。だが、まだ社内での認知度が低いのは、この組み合わせがあまりにも意外過ぎて信憑性に欠けるからだろう。

 …まあ、分からないでもないけど。

 終業直後だというのに、キラキラ女子たちは既に化粧直しに入っているようで、それらしい音が聞こえてくる。仕方なく息を潜めていると彼女たちはこう言った。

「この前の日曜に、番匠さんと高橋さんが仲良く手を繋いで買い物してたらしくて。それを総務の丸山さんが番匠さん本人に確認したんですって」
「丸山さん、そういうの得意だもんね~」

「そしたら恥じらいながら『付き合ってます』と答えたそうよ」
「うわあああ!男前っ!!ていうかさ、好感度アップだよね~」

「うん!すっごい美人とかじゃないけど、高橋さんって性格二重丸だもん」
「私、高橋さんと同期なの。あのコ、裏表なくて付き合い易いよ」

「これで番匠ファンも激減かあ」
「でもまあ、誰も自分が付き合えるとは思ってなかったって。それにさ、彼って言っちゃ悪いけど、顔はイイのに話すとそんなでも無いよね」

「あはは、イケメンだから仕方ないよ。確かに優しいけど面白味に欠けるかなあ」
「そうそう、観賞用って感じ」

 な、なんて酷いことを。ここに光正がいなくて良かった…。などと胸を撫で下ろしたその時、彼女たちは意外なことを言い出すのだ。

「…あ、そう言えば経理部の佐久間さん、どうやら部長から厳重注意を受けたって」
「うん。知ってる~!あの人、目当ての男性社員を奪われるとお相手の女性社員に嫌がらせしてたよね」

 えっ?!私にとって一番の懸念材料だった例の佐久間さんが?

「実はこれも総務の丸山さん情報だけど、営業部の井崎くんが絡んでるらしいの」
「えっ?!井崎も私の同期なんだけど」

 …は?なんで芳が。

「うーん、なんか井崎くんって、高橋さんとメチャクチャ仲良いでしょ?どうやら佐久間さんのお目当てリストに、番匠さんが含まれていたらしくて」
「嘘!まさか高橋さんを守るため、経理部長に直談判したってこと?」

 …え?どうして芳が。

「それがね、あちこちの部署で被害に遭った女性社員に頭を下げて、その嫌がらせ内容を聴取してから一冊の報告書にまとめたとかでさ」
「ああ、仕返しされるのを怖がって、皆んなダンマリを決め込んでたものね~」

「そうなの。それを説得しまくって、8件ほど被害例を集めたらしいよ」
「う、うわああ。井崎ってスゴイ」

「って、これ内緒らしいから、絶対に他の人には言っちゃダメだよ」
「もちろん!…って、あ、でも、それで経理の窓口が佐久間さん以外に?良かったあ。あの人、本当に怖くて。井崎、グッジョブだわ~」

 その言葉を最後にキラキラ女子たちは去って行き、トイレの中はシーンと静かになった。


 …芳?

 あの“お疲れ会”で私が佐久間さんに怯えていると漏らしたから、だから経理部長に直談判したの?ま…さかね。そう自分で自分に言い聞かせ、私はようやく個室を出ることにした。

 オフィスに戻るとザワザワしていて、何だろうと思いながら真っ直ぐ自席に向かうと祐奈が近寄って来る。

「なんかね、富本さんのボールペンが消えちゃったんだって」
「ほえ?あの高級ボールペンが?」

 富本さんというのは38歳の既婚男性なのだが。とにかくお洒落な人で、スーツはもちろん小物にも拘っている。財布はイタリア製のオーダー品で9万円もするそうだし、いま無くなったと騒がれているペンはメーカー側で廃番になった商品とかで、5万円以上すると聞いている。それを無造作にデスクに置いておいても、我が営業部では勝手に触る人なんていないはずだが。

「なあ、おい、床とかに落ちてないか?」
「確認したけど、有りませんでした」

 滝沢主任の声に富本さんが即答する。

「なんか気持ち悪いよなあ。見つかるまで探そうぜ」
「皆さん、お忙しいところ俺のせいで申し訳ないです」

 富本さんのデスクの周りには、途端に大勢の人だかりが出来た。私と祐奈も念のため床にしゃがみ込んで探してみたが、それらしき物は見つからない。30分ほどその状況が続き、富本さんが『もう諦めます』と宣言。後味の悪いままワラワラと解散して、それぞれが残務整理や帰り支度を始めた。私も帰ろうと思い、ノートパソコンの電源を落としてから静かに蓋を閉めた、その時。

「え?どうして…」

 ゴッホが愛用したというそのフォルムは、シンプルだけど素晴らしい質感で。誰もが『富本さんのペン』だと認識しているソレが、なぜ私のパソコンの真後ろに有ったのか…一番戸惑っているのは私自身だと思う。思わずペンを掴んで呆然としていると誰かが背後に立った。

「貸せ」
「えっ?!あ、でもっ」

 物凄い勢いで奪われ、一瞬だけその人はしゃがみ込んでから今度は勢いよく立ち上がって大声で富本さんの名を呼ぶ。

「富本さーん!ペン発見!!こっちまで転がってましたよ!」
「おおおっ!!でかした芳っ!なんでそんなとこまで散歩に行ったかな、俺の可愛いペンちゃんは」

 このやり取りで部署内にドッと笑いが起きる。だけどどうしても私は笑えなくて、眉間に皺を寄せたまま立ち尽くす。その腕を掴んで芳が私に小声で言う。

「雅、5分後に屋上へ来い」
「…う…ん」

 モヤモヤとした嫌な予感。それは多分、芳も気づいているはずで。私は言われたとおり、その5分後に屋上へと向かった。屋上のドアを開けるとすぐそこに芳が立っていて、なんとなく正面から顔を見るのが照れ臭くて壁にもたれ掛かったら、芳も私の隣りでもたれ掛かる。

「早速、本題に入るけどさ。雅、さっきのアレどう思った?」
「んー、何か悪意を感じたなあ」

 一瞬だけ私を横目で見た芳は、『ふう』と小さな溜め息を吐く。

「…だよなあ。だとすれば原因は多分…」
「光正と付き合い出したことを、よく思っていない人だよね」

 予想はしていたのだ。でもそれは陰口を言われるとか嘲笑されるという程度のもので、これほど陰険だとは思ってもみなかった。

「残念ながら、アレやったのって営業部の人間だろうなあ」
「そ、そっかな?でもほら、他部署の…例えば企画部とか商品開発室の人もウチに出入りしてるし」

 芳も私も足元を見つめているので、お互い表情は分からないのだが。声のトーンでなんとなく伝わるのだ…とても哀しそうだということが。

「それがさあ、富本さんってあのペンを持ち歩くだろ?今日は朝から外出してて、夕方戻りでさ。戻って30分後に紛失騒ぎが起きたから、その間に営業部にやって来た他部署の人間はゼロなんだよなあ」

 こめかみに心臓が有るのかと思うほど、ドクドクと音が聞こえた。そっかあ、日頃一緒に頑張ってきた仲間が、私を憎んでいるなんて考えたく無かったな。ひたすら黙り込む私に芳は明るく言った。

「バーカ、お前には味方がいるだろ?番匠さんはもちろん、祐奈に健介、それに俺。あ、そうそう滝沢主任もな!」
「う…ん、そうだね…」

「な?この人たちは間違い無く信じていい人たちだ。…でな、雅」
「な、なに?」

「今日から俺、お前と表面上は縁を切る」
「…なんで?」

 もう光正と付き合っているのだから、『なんで』もクソも無いのだが。それでもそう言わなければ気が済まなかった。すると芳は努めて明るく答えるのだ。

「多分、まだまだ仕掛けてくると思う。それで雅の仲間がいる前ではきっと行動しないだろうから、俺が仲間じゃ無くなったフリをするんだ」
「…フリ?」

「そう、フリだけだよ。まあタイミング的にも丁度いいだろ?雅にベタベタくっついていた俺が、番匠さんを気遣って離れたというテイで犯人には油断させておいて、…実はコッソリと雅の周辺を見張るんだ」

 あまりにも嬉しそうに作戦を語るので、つい私も笑ってしまう。

「ぶっ、アンタはコナン君かっつうの」
「そうだぞ、知らなかったのか?!」

 物凄く不安だったはずなのに、どうにか心を持ち直した気がする。

「有難う、芳。でもどうして…」
「言っただろ?俺は雅が幸せになればそれでイイって。それに俺が番匠さんに言ったからな、『雅との交際を隠すな』って」

 口を開けばきっと『有難う』しか出てこない気がして。芳は同じことを何度も言うと怒るから、しばらくそのまま黙り込む。長い沈黙が続き、なんとなく横顔を盗み見た。ほんと意志の強そうな顔してるなあ。この人は昔から怖いモノ無しで、やりたいように生きて来たから。私や光正みたいに見えない何かに怯えることは無いのだ。

 強くて明るい芳。

 そんなアナタが、
 ずっと羨ましかったよ。

「…あんま、こっち見んな」
「う、だって、久々に喋った…ね」

「仕事のことで、結構話してるだろ?」
「うん、でも仕事は仕事だもん」

 そおっと芳がこっちを見た。一瞬だけ視線がぶつかったかと思うとすぐに目を逸らされ、少し焦ったように話題を変えられる。

「あっ、あ…のさ、パソコンにはパスワードを掛けて、重要ファイルはUSBメモリに保存しろ。盗られて困る物は机の中に入れておくな」
「分かった」

「番匠さんにもきちんと報告するんだぞ」
「えっ…あ…」

「どうせ雅のことだから、内緒にしようと思ってるんだろうけど、蚊帳の外にされるのが一番辛いからな」
「う…ん、そうだね…」


 この10分程度のやり取りの後、
 私と芳は仕事以外での接触を一切絶った。

 
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