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廣瀬さん、ゴメンナサイ

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 気付いたら、朝だった。
 
 
 瞼を開けるとそこは見慣れない部屋で、どうやら私は誰かのベッドを占領しているらしい。混乱しているうちにキイとドアの開く音がして、人の気配を感じた。


「ん、起きたのか?おはよう…」
「おはようございます」

 蚊の鳴くような声で挨拶をし、そのまま掛布団を目元ギリギリまで引っ張って顔を隠す。何故なら悲惨な顔面と化しているに違いないからだ。

 廣瀬さんは力なく微笑みながらベッドに腰掛ける。

「大丈夫か?体は辛くないか?」
「えと…、あの…、まさかこれって」

 ワンナイトラブしちゃったのでしょうか?
 
 そう訊くのが無性に気恥ずかしくて、モゴモゴしているうちに廣瀬さんが優しく私の前髪を撫でながら経緯を説明してくれた。

「千脇さんは酔っていたから覚えていないと思うけど、あれから店を2回変えて、その後キミがどうしても俺の部屋に行きたいと言うからこうして招待したんだよ」
「そ、そう…でしたか…」

 確かに全然記憶に無い。現在の私は下着姿で、これはアウトともセーフとも取れる微妙なラインだ。懇願するように私は続きの言葉を催促する。

「いやあ、止まらなくてね。結局4時まで続いたよ」
「そんなに?!」

 驚きの余り、上半身を起こして廣瀬さんに詰め寄る。だって私、ソッチは結構淡白で。前田とだっていつもお行儀よく1回だけで終わらせてしまうのに。そんなに長時間いったい何を?あ、もしかして遅漏とか??

「千脇さん、結婚について延々と語ってた。理想と現実の埋められない誤差というか、俺がどうすれば結婚出来るかとか、夫婦生活というのは綺麗ごとだけじゃ長続きしない的な説教をただひたすらに」
「ええっ?!」

 結婚もしていない私が、結婚についての説教をこのミスター完璧パーフェクトに?そ、それはなんたる愚行。身の程を知れと思われても仕方ないですね。

 思わず布団の上で深々と頭を下げる私。

「ちょ、どうして謝るんだい?!」
「朝4時までそんな苦行を強いたとは。無意識だったとは言え、本当に失礼なことをして申し訳ありませんでしたッ」

「お願いだから頭を上げてくれないかな、だってなかなか興味深い話だったし。変な意味に受け取らないで欲しいんだけど、今まで俺、女性からダメ出しされたことが無かったんだよ。だからあそこまで否定されると逆に嬉しかったと言うか…」
「ひ、ひ、否定…したんですか?!天下の廣瀬様をこの私ごときが??」

 酔ってる私、無双かよ。

「またまた~、あんなケチョンケチョンに貶しておいてさ。あれはきっと、日頃からそう思っていたことをアルコールの後押しで一気に解放しただけだと思うなあ」
「ケチョンケチョンに…けなした…」

 何を言ったんだ、私。それを廣瀬さんに訊くのもおかしい気がしてひたすら悶絶していると、とにかくシャワーを浴びるよう勧められたので素直に従うことにした。浴室へ向かう途中でリビングが目に入り、ソファの様子から廣瀬さんがそこで寝たことを察知し、再び激しい自己嫌悪に襲われる。

 …ああ、何から何までゴメンナサイ。その後、私は出社までの2時間をひたすら謝罪に費やした。




 ………
 当日の昼休憩。

「千脇さん、ちょっといいかな?」
「あ、はい!」

 総務部前の廊下で清水さんに呼び止められた。

 丁度良かった、平田さんとの会食は流れてしまったのだし、奢られるにしては高額過ぎるのでお金を返そうと思っていたところだ。1万2千円はかなり痛いが、そのお陰で廣瀬さんとも打ち解けられたのだし、何より料理が美味しかったのでその価値は十分有ったと思う。

「本当にごめんね、昨晩のこと。平田の奴、やっぱり当分彼女は要らないとか言い出してさ」
「いいえ、いいんですよ、どうぞお気遣い無く。それよりも代金をですね…」

 財布を取り出した途端、清水さんが更に申し訳なさそうな表情になる。

「結局、廣瀬さんと食事したんだってね。朝イチでその廣瀬さんから返金されてしまって、断ったんだけど『どうしても』と聞き入れて貰えなかったんだ。悪いんだけど、千脇さんからこのお金を廣瀬さんに渡してくれないかな?」
「えっ、廣瀬さんったらお金まで払ったんですか?」

 あの人はどこまで完璧なんだよッ。

「そうだよ、俺のお陰で千脇さんとの仲が深まったからって、なんだか嬉しそうだったけど。ふふっ、もしかしてあの廣瀬さんを恋に落としちゃったのかい?」
「お、落としてもいないし、拾ってもいませんけどッ」

「ふうん。でもあんなに柔らかく微笑む廣瀬さんは初めて見たなあ」
「と、とにかくお金は清水さんが受け取っておいてください。後は廣瀬さんと私とで話し合いますから」

「そうはいかないんだって!俺が勝手に予約して支払ったんだからさ」
「いや、でも、本当に廣瀬さんと楽しく食事出来て、感謝してるんでッ。お金は結構です!」

 地味メガネとの膠着状態に困り果てていた、その時。

「なんで千脇が廣瀬さんと2人だけで食事を?」
「えっ?」

 その声に振り返るとそこには、前田が不機嫌そうな顔で立っていた。
 
 
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