Falli’n

ももくり

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scene2

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 意外と頭の中は冷静で。

『これが成人男性の正常な反応だよね』とか、
『頑張った、尾崎さんはよく我慢した!』とか、
『酔ってあの声を聞かされたら当然だわ』とか。

 そんな同情的な目でその人を見上げていた。

「イヤなら抵抗してくれ、頼む」

 尾崎さんが求める返事をしてあげようと思うのだが、瞳の奥を覗いてもなかなか正解を見出せない。どうやら私の願望の方が強いせいで、その気持ちが読めないみたいだ。

 …この人に、抱かれたい。

 ずっとずっとそう望んでいて、今まで必死でそれを隠していた。手を伸ばせば届くほどの距離にいながら誰よりも遠いこの人に、とにかく触れて欲しかった。

 私は初めて尾崎さんの気持ちよりも、
 自分の願望を優先することにした。

「い…いですよ、尾崎さんなら」

 その目元がクシャッと緩み、微かに尾崎さんの匂いが漂う。

 ──ああ、好きだな。

 ぶっきらぼうで冷たそうに見えるのに、
 実は物凄く優しいところとか。

 私なんかを『放っておけない』と
 仕事でも私生活でも常に気に掛けてくれて、
 困っているとさり気なく助けてくれたりとか。

 こんな人を好きにならない方がおかしいよ。



 無言のまま、互いの吐息だけが響く。

 はあ、はあ、あ…。
 ん、ふう、ふ…。

 それはどんどん大きくなり、間隔も短くなって最後はギシギシとベッドが軋む音に掻き消され。

 遠くから聞こえてくる、郷田さんの彼女の声。

 >好き、好き、
 >すっごく好きいいいッ。

 私もそう言えたらラクなのに。
 そんなことを思いながらそっと尾崎さんの頬にキスをした。






 翌朝、目覚めると尾崎さんがベッドに座ったまま私を見ていて、その表情で全てを理解する。

 ああ、そうか。
 この人は後悔しているのか。

 酔った勢いで好きでもない女とヤッてしまい、
 何と謝罪すれば良いのか迷っているんだ。

「うーっ、こういうのあんま慣れてなくてさ。順序が逆になったけど、その、付き合おうか俺たち」

 だからその言葉が予想外過ぎて、思わず穴が開くほど顔を見つめてしまう。

「あれっ?おい、聞こえてる?奈津ちゃん??」

 何故このタイミングで『ウブ子』ではなく名前で呼ぶのか。悔しいことに、一瞬だけキュンとしてしまったではないか。ダメだ、額面通りに受け取るな。これは尾崎さんの本心ではなく、真面目な人だから責任を取ろうとしているだけなのだ。

 …でも、素直に『はい』と答えれば尾崎さんの彼女になれるのに?

 バカなことを考えるな。責任を感じて付き合って貰っても、そんな関係が長続きするはず無い。今までこの人が一度でも私に対して好意を示したことが有るか?ほら、これっぽっちも無いではないか。

 自問自答を繰り返し、私は漸く心を決めた。
 尾崎さんが望む返事はきっとコレだろう。

「尾崎さんが酔ってたのは分かってますし、責任を取っていただかなくても大丈夫ですよ。とにかく私がココを出て行けば万事解決ってことで。えっと、今まで以上に本腰を入れて死ぬ気で物件を探しますので、どうか気になさらないでください」
「いや、そうじゃなくて。俺、本当に奈津ちゃんのことはイイ子だと思ってて…」

「そう言っていただけるのは嬉しいですが、でも、『イイ子』と『好きな子』は違いますよ。わ、私も早く好きな男性を見つけよっと。尾崎さんも心の底から好きになれる女性を頑張って見つけてくださいね。よおし、競争ですからッ!」
「……」

 なんて、しらじらしい。…でも明るく振る舞わないと尾崎さんが気にすると思い、必死で笑顔を貼り付けた。

 そんな私に、神様は粋な計らいをしてくださったらしく、当日の昼休みに不動産会社からの電話を受け、仕事帰りに下見をしてアッという間に新居決定。その数日後にはバタバタと逃げるように引っ越した。

 さあ、何もかもリセットして次の恋に進もう。
 尾崎さんとは距離を置こう。

 そう決心する私を嘲笑うかのように、今日も彼は私を誘ってくる。

「奈津ちゃん、帰りにご飯たべて帰ろうよ」
「え、あの、引越しで貧乏になったので…」

「奢るから大丈夫だよ」
「で、でも、今日は帰ってテレビを観たいんですが」

「じゃ何か買って奈津ちゃんの部屋で食べよう」
「あ…はい」

 長らくお世話になった手前、断れない私。しかしカラダ目当てなのかと思いきや、普通に食事して、ほどよい時間で解散する。私の部屋に来ても、泊まったりはせず、深夜だろうが帰って行く。よくよく聞けば毎回タクシー利用なのだそうで、それが週3ペースになった頃に思わず言ってしまった。

「尾崎さん、良ければウチに泊まりますか?」
「えっ、いいの?!やったあ」

 引っ越した意味無いし。
 なんだかもう、自分で自分が分からない。

 モヤモヤした気分のままテレビでドキュメンタリー番組を見ていたら、カニクイザルというのが紹介されていた。蟹だけを食べて生きているワケではないが、それでも蟹を多めに食べる猿なのだと。

「あんなに食べ難いモノを、何で主食として選んだんですかね?殻でガッチガチだから歯茎に刺さりまくったりして、消化にも時間掛かりそう」
「もしかしてソフトシェル的な柔らかい殻の蟹なんじゃないかと思うんだが」

「うわっ、しかもエボラウイルスの感染媒体かもしれないんですって、悲惨~」
「いやいや、俺的には『宇宙飛行の実験動物によく用いられる』ってことの方が悲惨だと思う。宇宙に飛ばされたっきり、帰って来れないとか俺なら泣くね。そんな寂しい死に方、辛すぎる」

 なんかもう私たち、倦怠期のカップルみたいだ。

 こんな会話をするためにわざわざタクシーに乗り、大枚をはたいていたのかこの人は…という目で見ていたら、その視線に気づいたらしく尾崎さんが頬を染めた。

「な、何?俺の顔に何かついてるかな?」
「いいえ、別に」

 うん、『良ければウチに泊まりますか?』は、我ながら大胆なセリフだったと思う。しかし何故か尾崎さんのビジネスバッグにはお泊りセット的なものが入っていて、本人は『突然仕事で徹夜になった場合の備え』などと言っているけど、じゃあこのコンドームはいったいどういうことなのかとは訊けないまま、彼がシャワーから出てくるのを待っている。

 もしや『泊まりますか?』の言葉を、ずっと期待して待っていたのか?

 まあ彼も健全な成人男性だし。

 私があの部屋を去ってからも定期的に郷田さんの彼女の喘ぎ声を聞かされ、悶々とした日々を過ごしているに違いない。性欲解消に一番手近な存在がこの私だが、彼の中でも色々と葛藤が有るのだろう。

「麦茶、勝手に貰うよ」
「あ、はい、どうぞ」

 髪も生乾きのまま尾崎さんが戻って来て、急に真面目な顔をしてこう言った。

「あの…さ。もう分かってると思うけど、やっぱり付き合って欲しいんだ。その、これで断られたら本当に諦めるから。どうしても俺じゃダメかなあ?」

 この人の望む答えなんか、分かってた。

 ただ性欲を満たしたくて、でも自分を悪人にはしたくなくて、折り合いをつけようとした最良の策が『付き合う』ということなのだ。

 私の気持ちなんか要らないクセに。
 カラダだけでいいクセに。

 そんな関係なんか長続きするはず無いのに、結局私は傷つく方を選んでしまう。

「私で良ければ宜しくお願いします」
「うわあ、後でヤメたって言ってもダメだよ。もう今から俺の彼女だからね!」

 そう言われて正面から抱き締められ、嬉しいのか悲しいのか分からないけど私は涙が出そうになるのを必死で我慢する。



 その翌日、時間差で出社すると既に私と尾崎さんの仲が広まっており、朝礼が始まる頃には部署全体に周知されていた。男性社員の上別府さんと石田さんが冗談っぽく言う。

「別れないでくれよ~。羽場さんと愛利ちゃんが一瞬だけ別れた時には、ほんっとおおおに気を遣ったんだから。オフィスラブってのは面倒臭いんだよ、特に周囲がッ。いいか覚えとけ、俺らは知ってて知らないフリしてやってるんだからな!」

 それに対して私も尾崎さんも曖昧に笑って誤魔化す。

 なんだかそれが私達の関係を物語っている様で少し寂しい気持ちになるが、忙しくしていれば余計なことは考えないと思い、通常業務に加えて備品発注等もしていたらアッという間に正午になった。

 この日予定していたランチミーティングが、社長からの提案で他部署とのランチ交流会となり、急遽加わったデジタルコンテンツ部の面々に、人見知りの私は緊張しまくりだ。なんとか右端の席に座れたものの、正面に座っている女性社員は明らかに私を避けており、斜め向かいに座る女性社員も同様で。

 どうしてこんなに女ウケが悪いのか、私。

 ボッチで1時間を乗り切ろうと決心したところ、残念ながら隣席のフレンドリーな男がそれを許してくれない。志山凌シヤマ リョウと名乗るその彼はどうやらデジタルコンテンツ部の王子様的存在で、目の前の女子達からすると私は王子様をたぶらかす悪い魔女に見えるらしい。

 いや被害妄想では無いのだ、
 何故なら彼女達がハッキリと言ってくれたから。

 普通、陰口って相手に聞こえない様に言うよね?隣り同士で内緒話をしているフリをしつつも対象者の耳にハッキリと届けるとは、なんたる高度なテクニック。

「うわ、男漁りが目的で転職したって本当だわ。羽場さんの次は志山さん狙い?これだからサセコは怖いよねえ」

 サセコ?私の名前は奈津ですけど。と、思った直後に理解した。

 な、なんたる下品な言葉を。『サセコ』ってアレをいっぱいアレさせる女で、普通のお嬢さんは口にしちゃダメなやつでしょッ?!あなたたち、そんな可愛い顔をしてそんな汚い言葉を使ったら自分で自分を貶めますよ…と思ったけど、説教なんかしたらもっと嫌われるのは目に見えているワケで。

 ひたすら葛藤する私に向かって、志山さんが呑気に呟く。

「俺、岡本さんみたいな色っぽい女、大好き。ねえ、今度一緒に飲みに行こうよ。連絡先、教えて~」

 このテの誘いには慣れているというか、もう聞き飽きているのだ。曖昧にボカシながら断っても本意は伝わらないので、端的にスパッと答える。

「イヤです」
「ええっ?」

 笑顔のまま固まる志山さん。この反応だと多分、今までモテモテの人生で女性から拒絶されたことが無かったのだろう。

「お断りします」

 畳みかけるように言うと、何故か向かいの女子たちがキーキー怒り出す。

 >社交辞令も知らないのかしらッ?!
 >志山さんが親切で誘ってくれたのに、
 >こんな人前で恥をかかせるような断り方、
 >ほんと有り得ないわッ。

 >そうよそうよ!!
 >あ、もしかして気を惹く為なんじゃない?
 >さすが男慣れしている人は違うわッ。

 OKしたら怒るクセに、断っても怒るんだな。っていうか度々『さすが』の枕詞が付くけど、私、過剰評価され過ぎじゃない?

 しかし、敵もなかなかの強者。
 テーブルに置いていた私のスマホを勝手に掴む。

「指紋認証どころかロックすらかけてないの?」
「え?あ、はい。…面倒なので」

 そっか、デジタルコンテンツ部ということはメカに強いんだな、この人。いやいや、今どき『メカ』なんて言わないか。そんなことを考えているうちに、彼は何やら勝手に操作する。

「ちょうど俺のと同じ機種で良かった。パスワードでロック設定してあげたよ」

 クソ面倒なことを…そう思ったが、顔には出さず無言でそれを奪い返す。

「わざわざ有難うございます。それでパスワードは何ですか?」
「忘れた」

 こんなに清々しく嘘をつける男を私は今まで見たことが無い。青空の下、どこまでも続く草原の真ん中で寝そべりながら心地良い風に吹かれている…そんな表情で彼はもう一度言うのだ。

「忘れちゃった、ゴメンね」
「冗談は止めて、早く教えてくださいよ。もし電話が掛かってきたらどうするんですか?」

「大丈夫、ロック状態のままでも応答は可能だよ。あ、そうだ、試そっか?俺が掛けるから、岡本さんの電話番号を言って」
「えっと、はい…」

 テンパっていた私は、まんまと答える。

「もしもし…志山さん、応答出来ました!」
「ははっ、じゃあパスワードを思い出したらこの電話番号に連絡するね」

「ええっ、そんな、嘘でしょう?パスワードを忘れたりなんかしてませんよね?」
「忘れちゃった、ほんとゴメン」

 女性社員達はこのやり取りを見ていたはずなのに、それでも親の仇のようにして私を睨んでおり。そんな時に注文したものが運ばれて来たので、やるせない思いのまま食べ始める。

 ピーチクパーチク。
 聞きたくなくても聞こえてくる女子トーク。

「わあ、真紀ったら頑張ってるよ!」
「狙い通り尾崎さんの隣りの席に座れたんだね。なんかイイ感じじゃない?カップル誕生しそう」

 その言葉に、思わず私は手を止め、彼のいる方向へと視線を移した。尾崎さんは私と同じ並びの中央の席にいて、その隣には噂の女性が座っている。残念ながら非常に見難い位置だったので、志山さん越しに見ることとなり、前後に頭を揺らしている私に志山さんは言う。

「挙動不審」

 でしょうね。

 でももう志山さんと会うことは無いだろうし、接点はスマホのパスワードだけなので、聞こえないフリで観察を続けた。

「もしかして尾崎さんのことが好きなの?」

 向かいの女子たちより気遣いが出来るらしく、志山さんは私の耳元でコッソリ訊いてくる。だから私も彼の耳元でコッソリ答えた。

「別に隠してもいませんが、昨日から付き合い始めたんです」
「えーっ、尾崎さんに岡本さんは似合わないよ。スグに別れちゃうと思うなあ」

 どうしてだろうか。恋愛慣れしている人間の意見は、物凄く真実味を増して聞こえる。

「どうせ遊びのつもりだったのに、あっちが本気になったとかでしょ?」
「そんなじゃないです」

 じゃあ、どんなだ?
 
 純粋に好き同士が付き合っているかと言えば、そうではない。セフレ以上、恋人未満の関係。

「なんかさあ、彼氏が出来たばかりの女ってウキウキして楽しそうに見えるんだけど、キミはそうじゃないんだよね。嫌なら無理して付き合うこと無いんじゃない」

 残念ながら『真紀』というその女性は、真面目で可愛らしくて尾崎さんにお似合いで。だから余計、志山さんの言葉が胸に刺さった。

 もしかして私、尾崎さんの将来を邪魔してる?

 新しい恋に繋がる素敵な出会いを、
 私が潰しているのではないだろうか。

 志山さん越しにもう一度コッソリ覗くと尾崎さんと目が合い、彼が優しく微笑んだので私も笑った。

 どうすれば良いのだろう?

 私はただ、尾崎さんに幸せになって欲しくて。だからそれを自分が邪魔していることがとても辛い。

 そうだ、今ならまだ間に合う。

 そして私は決心した。軽くて愛人にするにはピッタリで、誰とも本気で付き合うことが無い女。…岡本奈津はそう思われている。だから本当にそうなれば、尾崎さんもきっと離れていくに違いない。

「尾崎さんから別れを切り出させたいんです。だから私と付き合ってるフリをしてくれませんか?」

 志山さんにそうお願いすると、彼は気軽にOKしてくれた。その日から私は尾崎さんの誘いを断り、目立つような場所で志山さんと出歩く。

 >やっぱりそういう女だったのね。
 >尾崎さん、可哀想に。

 噂はアッという間に広まった。

 人事部長の愛人説と同様に、どこかで誰かが広めているらしい。まったくヒトというのは、特定の人物に対して粘着しておきながら実際はその人物に無関心だったりするものだ。この場合、正に私がその『特定の人物』で、口寂しくなると私をネタに盛り上がるクセにその内容の真偽はどうでもいいらしい。

「私のせいで志山さんも悪く言われてますよね、ほんと申し訳ないです」
「んー、別にィ。俺、噂話とか気にしないし。それよりさ、奈津ちゃん1回ヤラせてよ」

 さ、爽やかだナー。この外見がね、卑怯なんだって。どんなにゲスなことを口にしても、とてもポップに聞こえてしまうから。

「イヤですよ。私こう見えて好きな人としかしないんです」
「そんなの今どき流行らないよ。もっと人生を謳歌した方がイイんじゃない?」

 この人、こんなだけど一応彼女いますからね。彼女いるけど、他にセフレもいるんだそうで。本人曰く、地方の進学校から某有名私大に入り、そこで悪い友人とつるむようになって、倫理観なんかどこかにフッ飛んだのだと。

 >俺、ヤバイ薬飲ませて女を襲わないし、
 >乱交とかはしてないから、まともな方だよ。

 などと真顔で言われたときには、引いた。これ以上近づいてはいけないと思った。だが、よくよく話してみるとこの人も犠牲者で、平凡な容姿であれば無難に生きていけたのに、イケメンだったせいで悪い仲間に引き摺り込まれたのだ。地方から出て来た真面目な青年が、大都会・東京で生き抜くためには、朱に交わるしか無かったのだろう。

「そういうの、真顔で語るのヤメてくれない?なんかさ、奈津ちゃんてイメージと違い過ぎる」
「好きな言葉は『愛と真心』ですっ」

「はいはい。あ、振り向くなよ、絶対に振り向くな」
「そう言われると振り向きたくなりますよお」

 会社近くの居酒屋。
 思いきり笑顔で振り返るとそこには尾崎さんが立っていた。

 こ、心の準備が…出来ていません。

 きっと私は間抜けな顔をしているだろう。他の男と2人きりだというのに、尾崎さんはあまりにも普通で。ニッコリ微笑みながら、こう言った。

「仕事終わりに上別府さんと石田に誘われて、これからココで食事を兼ねて飲むんだよ。今日はこのまま奈津のマンションに泊まるから。そっちは何時頃に帰る?」
「えっと、もうあと30分ほどで帰るかと…」

 『分かった、じゃあ俺の方が遅いな』と言って尾崎さんは去って行く。し、心臓に悪い。というか、この状況を望んでいたはずなのになんだこの罪悪感。手汗をおしぼりで拭いていると志山さんが感心したように呟く。

「尾崎さんと奈津ちゃんのツーショット、初めて見たかもしんない。可愛いね、尾崎さん。俺のこと牽制してさ。『彼氏です』ってアピールしまくりじゃん。今夜、泊まりに行くってよ。絶対ヤルだろ?いやらしいなあ、もう」
「いやらしい?どっちが?!」

 ぷうっと頬を膨らませていると、志山さんはまだ続ける。

「てっきり奈津ちゃんは尾崎さんのこと、好きじゃないから遠ざけようとしてるのかと思ってた。…でも違うんだね、すごく好きなんじゃん。なんで別れようとしているワケ?」

 どうして好きだと分かるのか?
 問い返す私に彼は鼻で笑ってこう言った。

「見りゃ分かるってそんなモン。あんな真っ赤な顔してスキスキ光線出してりゃ、バカでも分かるっつうの」

 ここで観念して、私は説明するのだ。彼氏だと思っていた人に、セフレ扱いされていたこと。住む所が無くなり困っていたら、尾崎さんが助けてくれて。その同居人が激しい夜の営みをするせいで、ついウッカリ彼は私に手を出してしまい。根が真面目だから、私と付き合うことで責任を取ろうとしたのだと。

「へ?でも、尾崎さんって奈津ちゃんのこと…」
「え、何ですか?」

「いや、なんでもない。そっかあ、経験人数2人なのかあ。まあ、それはそれで調教のし甲斐あるよなあ」
「は?!」

 キッと志山さんを睨むと、彼は急に真顔になり。

「やっぱり奈津ちゃんって、イイなあ。エロい外見に純な中身。まったく男の理想そのものだよ。よし、俺と付き合おう!!」
「ま、またまた~、彼女がいるクセに」

 冗談だと思っていたら電話とLINEでサクサク身辺整理してしまい、『さ、これでイイでしょ?』と私に迫って来る。

「女ってさ、弱いことが前提で…だから群れるんだよねえ。そんで群れると必ず仲間割れすんの。その仲間割れを避ける方法、知ってるか?」

 私がフルフルと首を左右に揺らすと、箸の先をこちらに向けながら彼は答える。

「簡単さ、共通の敵を作るんだよ。自分たちとは違う誰かを仲間うちで貶す。それだけで団結力が高まるってワケ」
「はあ」

 正直、戸惑っていた。いきなり私に交際を申し込み、彼女もセフレも切ったかと思えば突然『オンナ論』を語り始めたからだ。

「奈津ちゃんはさ、そういう敵に選ばれ易いの。なぜだか分かるかい?」
「いいえ、分かりません」

「群れないからだよ。いつも一匹オオカミなんだもん。どうして群れないか?…それは弱くないからなんだろうなあ」
「そ、そんなことないです。私はこう見えても、ビビリで臆病で…」

 志山さんは珍しく真面目に語り続けるのだ。

「キミ自身が気づいていないだけで、奈津ちゃんは強いんだ。どこででも1人で過ごせるし、沈黙を怖がって無理に話したりもしない。『常に誰かと一緒にいて、楽しそうにしていなくちゃダメ』…そんな強迫観念が無いってスゴイことだよ。俺にもその強さがあれば、いろいろ間違えなかっただろうになあ」

 えっと、私がいつでも『ぼっち』なことを褒めてくれているのだろうか?それって嬉しいような悲しいような。

「あのさ、奈津ちゃんといるとやり直せるような気がするんだ。『このコは信じられる』って、『このコになら本音で喋れる』って。そんなワケで、もう一度言うよ。…俺と付き合ってみない?」

 軽い志山さんの告白は意外に重く、そのことに私は戸惑うばかりで。

「あの、私はあっちがダメなら次はこっちとか、そんな要領良く切替出来なくて」
「世界で一番好きだ!!こんな気持ちになったのはキミが初めてだ!!」

 なんと情熱的な…。頬を染めて俯くと、志山さんはニヤニヤ笑いながら続ける。

「そっか、やっぱこう言うとグラッとするんだ。奈津ちゃんも女だねえ」
「ひどっ、ええっ?もしかして私を揶揄ったんですか?!」

 本当は分かっていた。私が困っていたから、冗談にしてくれたのだと。結局、この時は曖昧なままで私たちは解散した。



「奈津ちゃん?」

 数時間後、ウチに尾崎さんが来て。何やら話し掛けられたようだが、頭の中の志山さんに邪魔されて右から左へとスルーしてしまう。

「ご、ごめんなさいボーッとしてて。もう一度言ってくれませんか?」

 『はああっ』と溜め息が聞こえ、そのことに驚いた。今までどんなに私が迷惑を掛けても、こんな風に露骨な態度を取られたことが無かったからだ。

「だからさ、一応俺と付き合ってるんだし、他の男と2人きりで会うのは控えて欲しいんだよ」

 >一応付き合ってる

 そっか『一応』なんだな、『一応』。で、男のメンツ的なものが潰れますよと。それは申し訳ないことをした。是非別れると言ってください、スグそれに従いますから。

「あのね、デジタルコンテンツ部の女性で尾崎さんのことを狙ってる人がいるって。ほら、ランチミーティングで隣りに座ってた人。あの人の方が私よりも全然、可愛いし、きっとお似合いだと思うのね。えっと、だから…」

 トドメを刺したつもりだったのに、なぜか目の前の人が服を脱ぎ出した。

「え、ええっ。何してるの?」
「嫉妬したんだろ?その女に。はは、それで俺の気を惹こうとしたってことか」

 いいえッ、違います!!

 そう答える前にチクチク攻撃を受ける。ヒゲが伸びてますよ尾崎さんッ。ちょっとした凶器ですってば、コレ!それから豪快に舌を絡められ、キスという名の拷問開始。

「ふっ、ぐう、あああん」
「くっそ、本当にエロイな」

 そんなとこ触るからですってば。

 別れるつもりが逆に盛り上がり、いつの間にか尾崎さんの下で喘いでいた。いや、むしろいつもより燃えてる感じなんですけど。

「バカ言うなよ、ほんともう分かってるクセに。そういう小細工するなって、あーもう、クソッ」

 小細工?どの部分が?

 訊きたいけど、訊けない。
 再びチクチク攻撃を受けているから。

「奈津ちゃん、奈津…。離さないからな、お前は俺のだ」

 そんなこと言うと、勘違いするよ?
 もしかして愛されているのかもって。

 しかし残念ながらその翌日から、真紀さんとやらの猛攻撃が始まるのだ。彼女の名は真紀稚恵マキ チエ。どうやら『マキ』は名字だったらしい。デジタルコンテンツ部…通称デジ部は我がイベント部と同フロアに位置するが、ほぼほぼ接点は無い。何故ならデジ部は内勤だし、イベント部は外回りがメインだからだ。

 しかし、社長からの鶴の一声で接点が増え出す。

「他部署との交流を密にしよう!新たに休憩室を設置するから、是非使ってくれ」

 休憩室とは言え、パーテーションで区切って自販機と椅子を置いた程度の簡素なものだが。それでも朝礼前や夜になると大賑わいとなり、特にデジ部の女性社員達は入り浸っていた。彼女たちが怖くて私と愛利ちゃんは利用しなかったのに、男性陣はそうでもなかったようだ。頻繁にそこで集ってはデジ部の人々と交流を深め、知識や情報を提供し合い、有効活用していた。

 それはある早朝のこと。

 ウチは職種柄、始業前でも電話を受けていて、羽場さんへの取次が入ったので休憩室へ走る。残念ながら彼は携帯で別の誰かと電話中で、早く戻って折り返しにしようと思ったのだが、なぜか羽場さんが話中のまま私に手招きした。

 どうやらココで『待て』ということらしい。
 その電話はすぐ終わり、早口で羽場さんは言う。

「ゴメン、岡本さん。もしかして大洋堂の東さんから電話入った?じゃあその電話に出てくるけど、ちょっと俺、ここでデジ部の志山くんと待ち合わせしててさ。代わりに相手してあげてくれないかな?」

 『はい』と即答したものの、戸惑いは隠せない。あれからかれこれ1週間、私は志山さんを避けており。というか、この先ずっと避け続けるつもりで。好きと言われ、その気持ちに応えられないのにどのツラ下げて会えるのかと。

 尾崎さんとは自力で別れようと決心した途端、この予想外の展開は何なのか。更に近くでは尾崎さんが女子に囲まれていて、何やら尋常ではない雰囲気を醸し出している。

 あ、尾崎さんが私に気付いた。

 何となくいたたまれない気分で俯くと、それと同時に志山さんが入って来る。

「あ、志山さん、こっちです」
「え?あれッ、奈津ちゃん!」

 ごめんなさいね、あからさまに誘いを断って。電話だっていつも驚きの速さで応答してたのが、いきなり居留守だなんて分かり易いでしょ?そんな後ろめたい気持ちを必死で隠しながら私は言う。

「羽場さんと待ち合わせしてたんですよね?急ぎの電話が入って、今オフィスにいるので、もう少しこちらで待っていて欲しいそうです」
「ああ、うん、分かった」

 じゃ、用件は済んだので私は戻ります…という意味で軽い会釈を残して去ろうとすると、腕をグイッと掴まれた。

「まだもう少し朝礼まで時間あるし」
「いや、でも私は忙しいので…」

 志山さんの笑顔が怖い。何を言っても許されない感じがビンビン伝わってくる。

「時間、あるよね?」
「はい、実はあります」

 ヘナチョコな私は呆気なく残留。すると例の女性社員達が、いつものテクニックで私に聞こえるよう陰口を叩き始めた。

 >ほら見て!
 >岡本さんったら、また志山さんと一緒だわ。
 >志山さん、優しいから断れないのよ。

 >どうやって育てたらあんな女になるのかな?
 >元職場じゃ、男性社員を食い尽くしたってさ。

 嬉々として語られる、根も葉もない噂話。その内容よりも、込められた悪意に切なくなる。するとここで真紀さんが口を開いた。

「ねえ、そういうのヤメようよ!なんか聞いてて気分良くないし。それ、本当かどうかも分からないんでしょ?知らない人が聞いたら真実だと思い込むよ?いくら私が尾崎さんを好きだからって。彼女である岡本さんをそんなふうに攻撃するの、私の援護射撃をしてくれてるつもりかもしれないけど全然嬉しくないよ」

 それを真横で聞いていた尾崎さんが固まった。

 >いくら私が尾崎さんを好きだからって。

 えっと、さり気なく告白したようなモンだし。真紀さんは天然なのかな?しかも尾崎さん、色恋沙汰に不慣れですからね。きっと対処方法が数パターンしか無いと思うんだ。あ、ほら。咳払いして、聞こえないフリした。

「真紀さんって…」
「ああ、そんなに悪いコじゃないよ。俺の同期だけど、なんか真っ直ぐなんだ。男女問わず愛されてるって感じかな」

 志山さんの言葉に、少しだけガッカリする。

 そっか、イヤな人だったら良かったのに。誰からも愛されて、しかも性格もイイなんてそんなのズルイ。真紀さんの気を惹く為に私の悪口を言っていた女性社員達が、今度は彼女の機嫌を取ろうと頑張り出す。

「真紀ちゃんゴメンね。だってどう考えてもアッチより真紀ちゃんのが真面目だし、性格もいいし、優しいし。尾崎さんにお似合いだと思って…」
「だからそういうのはイイんだってば~。もう、黙って見守っててよお」

 頬を膨らませながらもニコニコ笑う真紀さんを、皆んな『可愛くてしょうがない』という表情で見つめている。

 それを見て悲しくなるのは、どうしてだろうか。
 志山さんがそっと私の頭を撫でた。

「奈津ちゃんだって真面目だし、性格いいし、優しいのにな。アイツらよく知りもしないクセして、なに勝手に真紀の方が上だとか言ってんだ?大丈夫、俺は奈津ちゃん派だから」

 不覚にも、泣いていた。

 志山さん、そういうの本当に卑怯だよ。好きだと言ってくれたのに、一方的に避けて。酷いことをしたって自覚してるのに。それでもそんなふうに優しい言葉をくれたら、泣くに決まってる。

 気付けば、志山さんの胸の中でワンワン声を出して泣いていて。思いっきり周囲から注目の的となっていた。そのうち羽場さんが戻って来たので、慌てて志山さんから離れてオフィスへ戻り…羞恥心と後悔の念に襲われた。

 大勢の人がいる場所で泣くなんて社会人失格だ。いったい皆んな、どう思っただろうか?『志山さんと痴情のもつれで激高した』というところかな。きっと尾崎さんもそう思ったに違いない。

 そのまま短い朝礼が終わり、バタバタと周囲が動き出す。

「奈津ちゃん、さっきのどうした?何か問題があるなら俺に教えてくれ」

 忙しいはずの尾崎さんが私の席まで来て、耳元でそう訊ねる。だけど、アナタのことを好きな真紀さんを応援する女性社員達から悪意を抱かれ、自分には味方なんていないと思っていたら志山さんの言葉で救われた…なんて言えるはずも無く。

「な、なんでもありませんよ。あれはもう忘れてください、お願いします」

 明らかにその表情は納得していなかったが、ゆっくり説き伏せるかのように尾崎さんは言う。

「分かってると思うけど、俺が奈津ちゃんの彼氏だから。困ったことが有ったら何でも言って」
「はい、も、もちろん」

 最後にキュッと手を握り、去って行く。
 その後ろ姿は少しだけ寂しそうに見えた。
 
 
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