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その1
しおりを挟む幼少期の思い出には、
常に怒声と罵声がセットでついてくる。
それは最早、BGMのようなもので、その声の発信源は主に母だ。父はいわゆるクズ男だったらしく、平気で嘘を吐いたそうだ。そこそこ大手企業に勤めていたにも関わらず、ある日突然姿を消し、後に残されたのは多額の借金と署名・捺印済みの離婚届だけ。
そんなクズ男を育てた親もどこか頭のネジが緩んでいたようで、『全ての非は嫁に有る』と昼夜を問わず母を責め続け、狂っているとしか言い様のないほどの攻撃を見せておきながら何時の間にか居を移し、連絡が取れなくなってしまった。残念ながら母の両親は既に他界しており、頼れるような親戚もおらず、たった1人の姉とは折り合いが悪くて連絡先すら知らないという有り様。この時点で母には“相談相手”と呼べる人間が誰もいなかったのである。
小学校に入学したばかりの私とまだ3歳の美空の為に母は看護師として復職し、当面の生活費を稼ごうと仕事に明け暮れた。借金返済に関して弁護士に相談してみたものの、小狡い父の巧妙な罠に嵌められてしまっていたようで、残念ながら全額を支払うことが決定。生来の真面目な気質も災いし、寝る間も惜しんで働いた母は、その数年後に無理が祟って倒れてしまう。
ここで救世主の登場だ。
なんと母は、勤務先の病院にいたバツイチの医師から求婚されるのである。その人を初めて紹介された時の衝撃は未だに忘れない。実父もクズ男なりにそこそこ整った顔をしていたが、このバツイチ医師はそんなモノとは次元が違った。
神々しいほどの光り輝くイケメン。
それも老若男女、全年齢、とにかくオールジャンルに対応するイケメンなのだ。
「初めまして、七海ちゃんと美空ちゃん。これから一緒に暮らす九瀬です」
「……」
無言のまま俯く幼い姉妹に向かって、優しく微笑むイケメン医師。その傍らには年配の女性が立っていて、てっきり身内なのかと思えばベビーシッターなのだと。…そう、イケメン医師は3人の息子を引き取り育てているとかで、私より2つ年下で当時6歳だった祥と、まだ1歳の双子・瞬と愁の3人が一気に家族として加わることになったのである。
この時の私はこう思った。
>新しいお父さん、イケメンで最高!
>お母さんもこれでラクになれるし、
>きっと幸せ一杯の毎日になるぞ~。
…甘かった。
本当に、甘かった。
7人家族となった私達は、傍目からは幸せそうに見えただろう。しかし、程なくして怒声と罵声が響き渡ることとなる。
「バカなの?!バカなんだよね??」
「くそッ、本当に口の減らない女だなッ!!」
義父は、実父とは違う種類のクズ男だった。
再婚から半年も経たないうちに、次々と浮上してくる浮気相手の影。そして私が中学生になった頃には、周囲の人々がご親切にも教えてくださるのだ。
「アナタのお義父さんはねえ、総合病院に勤める前は大学病院の勤務医だったのよ。そこで教授令嬢を奥さんに迎え、出世間違い無しと言われていたにも関わらず浮気なんかして全てを失った…そういう人なの」
「そっ、そうなんですか」
呆れるほど下衆な笑みを浮かべ、そのオバサンは真実を暴露することで私を汚せるとでも思い込んでいるようだった。
「でもまあ、教授令嬢と言っても麻由里さんは愛人の娘だったから。本妻の産んだ優秀な息子さん達と比べると、扱いはゴミみたいなものだったのね。とにかく彼女自身も粗悪品としか言い様が無いわ。だってほら、普通は離婚すると母親に親権が移るものでしょう?なのにそうならなかった。噂では麻由里さんが育児を拒否したらしくて。離婚してからスグに別の男性と再婚…それもなんだかホストみたいなチャラチャラした若い男だったけど、相性が良かったのか未だに結婚生活は続いているみたいよ」
「……」
そんな話、どこか他所でして欲しい。何も、こんな法事の席で、しかも皆んなに聞かせたいと言わんばかりの大声で。もしデリカシーが市販されているのだとすれば、この人に買ってプレゼントしてあげたいと思うほどの醜悪さだ。
私が不快な表情を浮かべれば浮かべるほど、オバサンは嬉しいらしく、最高潮に困った顔をしていたらソレを遠くで発見した祥が飛んできてしまった。
「あら!祥ちゃんも大きくなったわね。七海ちゃんの2つ下だからもう中学一年生?うふふ、じゃあアナタにも実情を教えておいてあげないとね」
「えっ?あの、オバ様!祥はまだ子供なので聞く必要は有りませんから。祥、美空のところに戻りなさい」
年頃の少年を“子供”と称するのは逆効果だと、私は知らなかったのだ。
『絶対にここを動かない、最後まで話を聞く!』と言い張る祥を無下にも出来ず、仕方なく私達は見た目だけは上品で優し気なゴシップ大好きモンスターの話を思う存分、聞かされることとなる。
オバサンいわく、母・容子と義父・和哉の再婚は愛情など皆無なのだと。祥の実母・麻由里が若い再婚相手と蜜月を楽しむ為に、子供は要らないと言うので仕方なく引き取ったが、義父は育児を甘く見ていたようだ。ただでさえ多忙な職業である上に、6歳の祥はまだ良いとして、問題は1歳の双子だ。ベビーシッターも深夜まで面倒は見てくれないし、保育所を利用するにしても限度がある。実家は遠く、それ以前に厳格な和哉の両親は息子の離婚を世間体が悪いと嘆いており、とても子供達の面倒を見てくれそうに無い。
そんな時に、ウチの母が倒れたことでその哀れな現状を知って取引を持ち掛けたというのだ。
借金を完済してあげる代わりに、
子供達の面倒を見ろと。
体調不良ですぐに職場復帰出来なかった母は、背に腹は代えられないとその申し出を渋々受けた。勿論、義父・和哉の悪い噂は耳にしていたものの、幾らなんでも結婚すればその行動は改められると思ったのだろう。
しかし、彼は相変わらずだった。
浮気専用のマンションを借り、愛人との逢瀬を繰り返して滅多に家には帰って来ない。母1人子供5人の生活を暫く続けていたが、そのうち双子達も小学校に入り、再び母は復職する。
ゴシップ大好きモンスターのオバサンから、母と義父の結婚がそんな打算的なものだったと知らされたのは、その頃…つまり、子供同士の結束が固まり始めていた時期なのである。
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