ヴェロニカの結婚

ももくり

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キッシンジャー家の娘

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 ──密かに、そして長いあいだ囁かれている噂話。



 キッシンジャー家の末裔には神から特別な力が授けられ、それは必ず自然に関連したものらしい。

 例えば、雨雲を自由に操れる者やどんな荒波でもすぐに凪らせてしまう者、大昔には変幻自在に竜巻を起こせる者なども存在したという。

 そんなキッシンジャー家に生まれた娘は、幼いうちにその力を執事という名の管理人から見極められ、国王への報告が義務付けられている。何故かと言うと、自然災害に苦しんでいる領主の元へと嫁がせる為である。

 雨雲を操れた娘は、定期的に川の氾濫で水没していた町を治める領主の元へと嫁ぎ、水量を安定させた上で堤防の強化工事を実施させたし、荒波を凪らせることが可能だった娘は港町を治める領主の元へと嫁ぎ、突然の嵐に転覆しかけた商船や漁船を幾度となく救って大いに感謝された。竜巻を起こせる娘に於いては、辺境伯の元へと嫁ぎ、攻め入る敵国をその力で難なく撃退してしまったのだと。

 適材適所…その嫁ぎ先を選定するのは宰相やそれを取り巻く重鎮たちで、当事者である娘やその相手に拒否権は無い。もし有ったとしても無駄な抵抗で、それが王命であることは勿論、大勢の人命を救うことを考えれば一個人の恋愛感情は塵よりも軽いからだ。

 因みにそんなキッシンジャー家は侯爵位を拝しているが、もともと子沢山な家系なのか、後継者となるべき子息は代替えのたびに誕生するので娘を嫁がせても困ることは無い。





 
 とまあ、とにかくそんな事情で、私ことヴェロニカ・キッシンジャーは目の前にいるアンドリュー・ローランドと婚約中だ。

 ローランド家には子息が2人。

 『月と太陽』と比喩されるほど対照的な兄弟で、私の婚約者は『太陽』と称されている16歳の弟の方だ。サラサラと音がしそうなほど艶やかな金髪に、青空を思わせるような碧眼。見た人を一瞬で虜にしてしまうと評判のその美貌を、微かに歪めながら彼は私を詰っていた。

 いや、正確に言うと実際に詰っているのは彼の恋人であり、私の同級生でもあるエミリー・ハモンドで。赤毛で派手な顔立ちの彼女は、男女合わせて5、6人の取巻き連中を従えながらこの私を指さしつつ甲高い声で叫んでいる。

「貴女みたいな見映えの悪い女性が婚約者だなんて、アンディが可哀想よ!どうせ政略結婚なんだから、そちらから破棄するようにと御自分の両親に願い出てちょうだい!」

 無表情なままのアンドリューを眺めながら、私は首を傾げた。

 残念だが我が家は、公爵家であるローランド家よりも格下の侯爵家なのだ。立場的にこちらから断ることは出来ないし、それ以前に王命を拒絶すること自体、相当の覚悟が必要となる。謀反と受け取られた場合、一体誰が責任を取ってくれるのだろうか?更に言わせて頂くとエミリーの父親は子爵で、うちよりも随分格下だ。社交界のしきたりに沿って考えれば、私に対するその口の利き方は失礼以外の何物でも無いのだが。

「何よ!文句が有るのなら言えばいいでしょ」

 どうやらエミリーはアンドリューという後ろ盾を得て、気が大きくなっている様子だ。両脚を踏ん張り、豊満なバストを突き出しながら彼女は更に続けた。

「キッシンジャー家の令嬢は美女揃いだと聞いたけど、フフッ、それも貴女の代でお終いね。勉強しか取り柄の無いみすぼらしい女が、どうして家柄だけでアンディと結婚出来てしまうの?ねえ、皆さんもそう思うでしょう?私の方が美しいし、私の方が相応しいわ!」

 ヒソヒソ
 クスクス

 残念なことに、次から次へと観客が増えていく。

 学院のカフェテリアで言い争いを始めれば、それは『要注目!』と叫んでいるのと同じ意味を持つ。

 集団心理とは恐ろしいもので、1人が頷くとそれに倣ってその殆どが頷き始めている。いや、これは集団心理ではなく私が一匹狼だからなのかもしれない。陰気で気弱そうな女、しかも仲間が皆無となれば敵に回しても問題は無いと誰もが考えているのだろう。

 ああ、面倒臭い…
 そう思いながら私は静かに口を開いた。

「かまいませんわ、婚約破棄して頂いても。でも立場的に考えますとこちらからは無理ですので、アンドリューの方から陛下にそう申し出てくださいませんか?例えどの様な結果になったとしても、私はキッシンジャー家の娘として責務は果たしますから」

 ニッコリと微笑んでみたものの、こちらの表情は見えていないだろう。

 自慢ではないが私は濡れたような黒髪を腰まで伸ばしており、顔の上半分も前髪で隠れているのだ。12歳から16歳の現在までずっとこの風貌なので、多分この学院の生徒は私の素顔を見たことが無いはずだ。

 …なのに『みすぼらしい』と言われてしまうのは何故なのか。

 キッシンジャーの家名を出したことで少しだけ周囲をザワつかせてしまったが、それに気付かないフリでカフェテリアから飛び出す。廊下にいた数名が心配そうに視線を投げて来たので、どうぞお気になさらずという意味を込め笑顔を向けてみた。だが、きっとこれも前髪のせいで伝わりはしないのだ。

 ええ、全然大丈夫なんです。だって、もうこれ恒例になっていて、最近では週に一度のペースで詰られていますから。




 今日はもう授業も無いので、そのまま学生用の宿舎へと戻った。宿舎と言っても貴族仕様なので、各自が家から連れて来た侍女が部屋に控えている。

「ヴェロニカ様、お帰りなさいませ」
「ただいま、モニク」

 リスを思わせる風貌で常に素早く動く侍女は、何も言わなくても私の意を酌んでくれる。

「どうぞ、こちらへお座りください」
「うん、今日も鬱陶しかったわあ、この前髪」

 上質なブラシで髪を梳かれ、真ん中で分けられた前髪が左右に編み込まれていく。途端に私の顔が鏡に映し出された。

「ああ…。やっぱりヴェロニカ様は本当にお美しいですわ」
「んもう、毎日それ言うのヤメてよ」

「いいえ、言わせてください。希少なアメジスト色の瞳、薔薇色の頬、妖艶なのに少女の様にも見える絶妙なバランスの唇!さすがキッシンジャー家の血を引くだけあります!こんっなに、こんっなにお美しいお顔を隠さなければならないだなんて、モニクは悔しくてなりませんッ」
「…いいのよモニク。私が納得しているのだから」

 私の代わりに顔を真っ赤にして怒っている侍女の手をそっと握ると、あの人の声が思い浮かび自然と口元が綻ぶ。


 >いいかい?
 >その美しさを誰にも気付かれてはいけないよ。
 
 >俺が全てを成し遂げるまで、
 >待っていて欲しい。

 
 大丈夫、まだまだ頑張れる。

 鏡越しに遠い未来を見つめながら、私は何度もそう呟いた。

 
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