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~幕間~ 漁師と女神
しおりを挟む※今回は第三者目線です。
ロイの世界は、とても狭い。
うら若き女性が海に身を投げ、
浜辺に置き去りにした子供、それがロイだ。
そのロイを憐れに思い、
育ててくれたのが漁師のダンである。
ダンは母親が罪人だったせいでずっと孤独だった。口さがない周囲の人々の話を纏めると、彼の母親は愛する夫が自分と別れて浮気相手と暮らすと言い出したことに怒り狂い、傍に有った刃物で刺してしまったのだと。幸い、命に別状は無かったものの母親は捕らえられ、大きな商家の跡取りだったはずのダンは追い出されてしまったらしい。
しかし、事実は大きく異なる。
あれはロイが8歳になった頃のこと。普段は無口なダンが、珍しく酔って饒舌になり、全てを明かしてくれたのだ。『母さんは父さんに嵌められたんだよ』と。彼の父親には妻とその実家に恩義が有った。借金を肩代わりし、傾きかけていた事業を助けてくれたという恩義が。後に事業は軌道に乗ったものの、いつまで経っても妻に対する後ろめたさは消えず、それが男としての矜持を挫いて浮気相手へとのめり込ませてしまったと言うのだ。
「『刺された』というのは母さんと自分を追い出す為の狂言で、浮気相手が隠れて生んだ男児を跡取りにしたかっただけのこと。よく覚えておけ、ロイ。世の中は汚い。決して誰も信じるな。俺の母さんは実家からも縁切りされ、最後には自ら命を絶った。残された俺の暮らしは言葉に出来ないほど悲惨なものだったよ。今、こうして漁師として生きているのが奇跡だと思える程にな」
当時まだ10代だったはずのダンが、なぜ老けて見えるのかをその時ようやく理解した。それと同時に、幼いロイにはとても恐ろしいことの様に思えたのだ。そうか、誰かと関わればそんな風に裏切られてしまうのか。だったら自分は誰とも深く付き合わないことにしよう。今でもそんなに交友関係が広い方では無いし、友人と呼べる存在もいない。大丈夫、今ならまだ間に合う…と。
一緒に暮らしながらも、殆ど喋ることの無いダン。そして、漁で獲ってきた魚を買い取ってくれる仲買人の男。この2人だけが、ロイの世界の登場人物だ。太陽が昇る前にダンと一緒に海へ出て、昼近くまで漁をする。その後は船の手入れをしたり、網を繕ったり。他人から見ればつまらない人生だと思われるかもしれないが、ロイ自身はとても満足していた。
何せ、比較するものが無いのだから。
とにかくロイは今日も海に出る。嵐で亡くなった漁師の家族から安く譲り受けたという船は、分不相応なほど大きい。この船にダンと乗るだけで、不思議と心が浮き立つ。今まで生きてきた中で、いちばん幸福なひとときである。
まだ海と空の境界線も分からないほど暗くても、いつもの漁場には難なく辿り着けるだろう。他の漁師達が嫌う、岩場近くのそこは地元でも人気のチダキという魚がよく獲れる。きっと今日も大漁のはずだが、ほどほどにしておく。あまり獲り過ぎると価値を低く見られ、買い叩かれてしまうから。ダンも自分も口下手で、交渉などしたくない。ならば、そうする必要が無い程度に獲ればいいだけの話だ。
「おい、あれは何だ?」
「え」
珍しくダンが口を開いた。まだ漁場には程遠いが、何かを見つけたらしい。彼の視線の先をロイも目で追うと、──空から柱の様に水が落ち続けている。
「あそこだけ雨が降っているのか?」
「えっ?雨には見えないけど」
本来ならば、危険を回避するため近寄らない方がいい。けれど好奇心の方が勝ってしまったせいで、船は迷うことなく水柱の方へと進んで行く。
暫くして、ロイとダンは己の目を疑った。
「…なあ、ロイ、俺は幻を見ているのか?」
「幻…なのかな?でも、俺にも見えてるんだけど」
海の上に、人が浮いている。
透明な手の平に掬い上げられているかの如く、横たわる男。その傍には女が跪き、両手を天に向けて必死に何かを祈っていた。
「…女神様だ、…なあ、ロイ、そうだろう?!」
「め…がみ?」
「ああ、そうじゃなければ、どうして涙が出て来るんだ?なんて…美しい…、こんなに…どうして…」
「天国からお迎えが来てしまったということか?いったいどうなってるんだ…」
その時、女神様がこちらに気付いたらしく。
俺達を見て、ゆっくりと微笑んだ。
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