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パブロフの犬
しおりを挟むスタートダッシュが遅かったせいか、同期の中でも目ぼしい男性は皆んな他の女性社員達に囲い込まれていた。だから仕方なく大学時代の友人に声掛けして何人か紹介して貰ったのだが、やはり湊のインパクトが凄すぎて、同タイプのチャラ男では物足りなく感じてしまい、即座に断る私に女友達はキレ始める。
『何人紹介したと思ってるのよ!もうこれで最後だからね!』そう言われて会った米沢さんは、残念ながら28歳にして頭頂部が薄い…いわゆる若ハゲだったが、それを吹き飛ばすほど内面が素晴らしかった。会話の端々に知性が感じられ、それを誇示せずいつでも控え目に周囲を楽しませようとしてくれる人で、一緒にいるとアッという間に時が過ぎたし、しかも驚くことに彼は私にゾッコンだったのだ。
>朱里ちゃんはその存在自体が可愛い。
>朱里ちゃんを創った神様に感謝するよ。
>朱里ちゃん、生まれてきてくれて有難う。
湊に寄ってズタボロにされてた自尊心が米沢さんのお陰で少しずつ復活し、このままこの人と付き合ってしまおうかな…と思った矢先に
湊に会ってしまう。
それは、米沢さんと仲良く和モダンな居酒屋で飲んでいた時のことだ。偶然、後からやって来た湊に向けて慌てて作り笑いをしたところ、彼は哀しそうに私を見詰めたのだ。哀しそう…いや、違う、『憐れんだ』と表現した方がシックリくるかもしれない。湊の隣には相変わらずとびきりの美人が立っていて、その腰に手を回してから彼は歪な笑顔を貼り付け、残酷なひとことを言い放つ。
「随分と妥協したもんだな」
「えっ?」
去って行く湊の後ろ姿を眺めながら、私はこう考えた。
そっか、私は彼を傷つけてしまったのだ。
彼を、彼の…プライドを。
『あれほど俺のことを好きだと言っておきながら、次に選んだ男がそのレベルなのか』と…多分そういう意味で吐いた言葉なのだろう。同じ人間なのに、容姿の優劣でこれほどまでに蔑まれるのはいったい何故なのか。
『早く米沢さんをフォローしなければ!』と思うのに現実は残酷で、あれほど高評価だったはずの目の前の人が、急に色褪せて見える。私はなんて心の汚い女なのかと激しく自分を責めながら、同時にこうも思った。
こんな気持ちにさせる米沢さんが悪い。
ううん、全然悪くないよ、
この人に非は1つも無いんだから!
でも、もう一緒にいて
彼氏だと思われるのは嫌でしょ?
そんなことは無いし、
これからも会いたいと思ってるよ!
自分の善の部分と悪の部分がせめぎ合い、この気持ちをどう伝えればいいのか分からなくなってしまった挙句に長い沈黙が訪れた。
そんな私を見て、申し訳なさそうに米沢さんの方からこう切り出して来る。
「ごめん、俺なんかと一緒にいたせいで。やっぱり朱里ちゃんはああいう感じの男の傍にいる方が似合うよ。もう、これからは会うのを止めようか」
もしかしてそれは、試されていたのかもしれない。
『そんなことは無いよ』と『気にしないでまた会おうよ』と私が答えることを期待していたのかもしれないが、そう言おうとした瞬間スマホが鳴り、思わずそれに応答してしまう。
「朱里?俺、湊だけど。ツレの女は帰したからさ、一緒に別の店に行こうぜ」
「えっ、な…んで…」
「は?なんでって、俺の誘いが嬉しくないのかよ」
「……う、れしい」
それは最早、パブロフの犬みたいなもので、私はどんな時でも湊から誘われれば喜ぶようになっているのだ。米沢さんに対する罪悪感がアッという間に消え去り、湊と一緒にいられることの嬉しさで脳内が満たされていく。
「ごめんなさい米沢さん、わ、私…もう帰ります」
「え?!ああ…うん、分かった…」
お詫びの意味も込めて多めのお金をテーブルに置き、私はフラフラと店を出た。そこには湊が満足気に微笑みながら立っていて、まるで愛犬の躾が成功したかのような勢いで頭を撫でられてしまい。
そして私は再び、湊との決別を強く決心するのだ。
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