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伏線ならぬ伏線
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変な言い方だが、世の中には「頭のいい馬鹿」が存在する。
それも2種類。
1つは、政治や社会について、自分と同じ判断をしない人を、知識が足りないか論理的思考能力が劣る馬鹿だと考えてしまう「頭のいい馬鹿」。
もう1つは、マトモな社会生活を送れる程度には頭がいい人間が、政治や社会について、自分と違う判断を下した場合……何か裏が有ると考えてしまう「頭のいい馬鹿」。
いや、その2種類「頭のいい馬鹿」の脳内で起きている事は99%同じで、残りのほんのわずかな違いが、表面上の言動の違いを生んでいるのかも知れないが……。
そして、これは、後者についての物語である。
「いや、しかし……本当に伏線の張り方が見事ですね。第1章の何気ない描写が、あのオチに繋るなんて……」
俺が担当編集をやる事になったのは、推理小説の新人賞で大賞を取った小説だった。
そして、俺は、作者との最初の打ち合わせの際に、そう切り出した。
「い……いや、違うんですよ」
まだ、二十代前半の作者……工学部の大学院生だそうだ……は、照れ臭そうに、そう答えた。
「え?」
「全4章の内の、3章目の6~7割まで書いた時に、最初の方で書いた事が伏線として使えると気付いたんですよ」
「ちょ……ちょっと待って下さい。まさか、オチは何も考えずに書かれてたんですか?」
「ええ……高校の頃から趣味で小説を書いてたんですが、そう云う書き方をする方が、自分のスタイルに合ってたみたいで……。推理ものでも、オチを考えずに書き出しても、第一稿を70%か80%まで書いた時に、自然とオチを思い付いちゃうんですよ。それまで、深く考えずにやってきた描写が自然と『伏線』として機能しちゃうようなオチをね……」
その作者は、ポリポリと頭を掻いた。
「逆に、最初にオチを考えた場合は、どうしても途中でスランプになって書き終える事が出来ない場合がほとんどなんですよ」
後にして思えば……これこそが「重大な伏線」だった。
ところが、出版するのに必要な「わずかな修正」が中々進まなかった。
彼の「本業」である大学院での研究で、学術誌に投稿した論文が話題になり……そして、指導教官から博士課程への進学を勧められたらしい。
「注目の新人作家」は同時に「注目の若手研究者」になり……彼は、平均的な「工学部の大学院修士課程の学生」より遥かに多忙になった。
あくまで、彼の受け売りなので、私自身が、ちゃんと理解出来ている訳では無い。
彼の専門はAIなのだが……どうやら、AI研究には2つの流れが有ったらしい。
1つは、人間の経験や直感を再現するもの。もう1つは、人間の理性や論理性を再現するもの。
この2つは、根本的に仕組みが違い……そして、我々AIの事を良く知らない者が「AI」として知っているモノの大半が前者らしい。
何故なら、前者の研究は大きな成果を上げ、様々な分野で使われているが、後者はイマイチで、重要性は有っても目立ちにくく、「実は、それがAI研究の成果だ」と云うのが判りにくいモノに使われる場合が大半だそうだ。
そして、彼は、この2種類のAIを「繋げる」為の理論を考案したらしかった。
彼になんとか暇が出来た頃には、あれが起きていた。
そう……あの伝染病の世界的流行だ。
1年目には、他社が出している、部数はそれほどでも無いが歴史の有るSF専門誌・ミステリー専門誌が「編集部員の安全を確保する為」一時休刊する程の事態になり……ウチの会社も、それ相応に業務が滞る羽目になった。
それでも、ようやく、「注目の新人作家」にして「注目の若手研究者」が書いた推理小説第一作は刊行に漕ぎ着ける事が出来た。
あの伝染病の2年目の夏が終る頃……東京だけで1日あたりの新規感染者は万を超えているらしいが、検査体制が破綻しているので、酷い状況な事だけは判るが、どこまで酷いのかは全く判らない……そんな噂が流れる中でも、一応は、日本社会は機能していた。
ひょっとしたら、何十年も後、今はまだ生まれていない世代は、我々の時代を異常極まりない時代だと思うかも知れない。それでも、SFか何かのように未来や過去に逃げ出す手段など有る筈はなく、他の国にさえ逃げ出す道すらも限られている状態では、我々は、この社会の中で、仕事をして、金を稼ぐしか無い。
そして、「注目の新人作家」にして「注目の若手研究者」の2作目の小説の執筆が進んでいたのだが……。
「彼が、君を担当編集から外してくれ、と言ってきたんだよ」
ある日、いきなり編集長からそう告げられた。
「あ……あの……何で……なんですか?」
WEB会議アプリを使って、私は彼にそう聞いた。
「貴方に反日活動家の疑いが有るからですよ」
な……何を……言っているんだ?
私はむしろ……その……。
「貴方は、SNS上で東京五輪の開催に格別反対もせず……むしろ、消極的とは言え賛成派に見える意見を書き込んでいた」
当り前だ。
ウチの会社の編集者だと云う身分を明かして本名でSNSをやっているので「炎上」には気を使っている。
「そして、東京五輪が始まってからも、日本人選手がメダルを取った事を喜ぶ書き込みや記事に『いいね』を付けていた」
これも当り前だ。
「炎上」を避けたければ……多くの人達がやっているのと同じ事を……。
その時、彼の目を見て気付いた……。
理知的で意志が強そうな目……。
ひょっとして……彼は……ああ、彼のデビュー作も多くの人がイメージする「理系」そのままの……。
彼は、他の誰かとの摩擦を避けようとする人間や周囲の大勢に従ってしまう人間……つまり「空気を読める人間」の気持ちを理解出来ない人間では無いのか?
モニタ越しに俺と会話している相手は……「理屈の上ではマズい事になると判っている選択を状況に流されてやってしまう弱い人間」が居ると云う事を知らない人間なのでは無いのか?
「東京五輪を開催した結果、こんな事態になるのは予想が付いていた筈だ。では、何故、貴方はいずれ落ちると判っているものを可能な限り高くまで持ち上げようとしたんですか? いずれ確実に落ちる時に受けるダメージをより大きくする為としか考えられない」
あれから何年かが経った。
彼の新作は、その後、全く出る事がなくなり、その手の学術誌に載っている論文を検索してみても……彼の名前は見当らなくなった。
あくまで噂だが……ノイローゼになり、小説家も研究者も引退し……農家をやっている親類を手伝っているらしい。
そして、ようやく、俺は気付いた。
関連のない記述を伏線として機能させ、1つの「物語」にする事が出来る「能力」。
似て非なるモノを1つの論理で結び付ける事が出来る「能力」。
それらの「能力」に似たモノを……俺は知っている。
陰謀論だ。
それも2種類。
1つは、政治や社会について、自分と同じ判断をしない人を、知識が足りないか論理的思考能力が劣る馬鹿だと考えてしまう「頭のいい馬鹿」。
もう1つは、マトモな社会生活を送れる程度には頭がいい人間が、政治や社会について、自分と違う判断を下した場合……何か裏が有ると考えてしまう「頭のいい馬鹿」。
いや、その2種類「頭のいい馬鹿」の脳内で起きている事は99%同じで、残りのほんのわずかな違いが、表面上の言動の違いを生んでいるのかも知れないが……。
そして、これは、後者についての物語である。
「いや、しかし……本当に伏線の張り方が見事ですね。第1章の何気ない描写が、あのオチに繋るなんて……」
俺が担当編集をやる事になったのは、推理小説の新人賞で大賞を取った小説だった。
そして、俺は、作者との最初の打ち合わせの際に、そう切り出した。
「い……いや、違うんですよ」
まだ、二十代前半の作者……工学部の大学院生だそうだ……は、照れ臭そうに、そう答えた。
「え?」
「全4章の内の、3章目の6~7割まで書いた時に、最初の方で書いた事が伏線として使えると気付いたんですよ」
「ちょ……ちょっと待って下さい。まさか、オチは何も考えずに書かれてたんですか?」
「ええ……高校の頃から趣味で小説を書いてたんですが、そう云う書き方をする方が、自分のスタイルに合ってたみたいで……。推理ものでも、オチを考えずに書き出しても、第一稿を70%か80%まで書いた時に、自然とオチを思い付いちゃうんですよ。それまで、深く考えずにやってきた描写が自然と『伏線』として機能しちゃうようなオチをね……」
その作者は、ポリポリと頭を掻いた。
「逆に、最初にオチを考えた場合は、どうしても途中でスランプになって書き終える事が出来ない場合がほとんどなんですよ」
後にして思えば……これこそが「重大な伏線」だった。
ところが、出版するのに必要な「わずかな修正」が中々進まなかった。
彼の「本業」である大学院での研究で、学術誌に投稿した論文が話題になり……そして、指導教官から博士課程への進学を勧められたらしい。
「注目の新人作家」は同時に「注目の若手研究者」になり……彼は、平均的な「工学部の大学院修士課程の学生」より遥かに多忙になった。
あくまで、彼の受け売りなので、私自身が、ちゃんと理解出来ている訳では無い。
彼の専門はAIなのだが……どうやら、AI研究には2つの流れが有ったらしい。
1つは、人間の経験や直感を再現するもの。もう1つは、人間の理性や論理性を再現するもの。
この2つは、根本的に仕組みが違い……そして、我々AIの事を良く知らない者が「AI」として知っているモノの大半が前者らしい。
何故なら、前者の研究は大きな成果を上げ、様々な分野で使われているが、後者はイマイチで、重要性は有っても目立ちにくく、「実は、それがAI研究の成果だ」と云うのが判りにくいモノに使われる場合が大半だそうだ。
そして、彼は、この2種類のAIを「繋げる」為の理論を考案したらしかった。
彼になんとか暇が出来た頃には、あれが起きていた。
そう……あの伝染病の世界的流行だ。
1年目には、他社が出している、部数はそれほどでも無いが歴史の有るSF専門誌・ミステリー専門誌が「編集部員の安全を確保する為」一時休刊する程の事態になり……ウチの会社も、それ相応に業務が滞る羽目になった。
それでも、ようやく、「注目の新人作家」にして「注目の若手研究者」が書いた推理小説第一作は刊行に漕ぎ着ける事が出来た。
あの伝染病の2年目の夏が終る頃……東京だけで1日あたりの新規感染者は万を超えているらしいが、検査体制が破綻しているので、酷い状況な事だけは判るが、どこまで酷いのかは全く判らない……そんな噂が流れる中でも、一応は、日本社会は機能していた。
ひょっとしたら、何十年も後、今はまだ生まれていない世代は、我々の時代を異常極まりない時代だと思うかも知れない。それでも、SFか何かのように未来や過去に逃げ出す手段など有る筈はなく、他の国にさえ逃げ出す道すらも限られている状態では、我々は、この社会の中で、仕事をして、金を稼ぐしか無い。
そして、「注目の新人作家」にして「注目の若手研究者」の2作目の小説の執筆が進んでいたのだが……。
「彼が、君を担当編集から外してくれ、と言ってきたんだよ」
ある日、いきなり編集長からそう告げられた。
「あ……あの……何で……なんですか?」
WEB会議アプリを使って、私は彼にそう聞いた。
「貴方に反日活動家の疑いが有るからですよ」
な……何を……言っているんだ?
私はむしろ……その……。
「貴方は、SNS上で東京五輪の開催に格別反対もせず……むしろ、消極的とは言え賛成派に見える意見を書き込んでいた」
当り前だ。
ウチの会社の編集者だと云う身分を明かして本名でSNSをやっているので「炎上」には気を使っている。
「そして、東京五輪が始まってからも、日本人選手がメダルを取った事を喜ぶ書き込みや記事に『いいね』を付けていた」
これも当り前だ。
「炎上」を避けたければ……多くの人達がやっているのと同じ事を……。
その時、彼の目を見て気付いた……。
理知的で意志が強そうな目……。
ひょっとして……彼は……ああ、彼のデビュー作も多くの人がイメージする「理系」そのままの……。
彼は、他の誰かとの摩擦を避けようとする人間や周囲の大勢に従ってしまう人間……つまり「空気を読める人間」の気持ちを理解出来ない人間では無いのか?
モニタ越しに俺と会話している相手は……「理屈の上ではマズい事になると判っている選択を状況に流されてやってしまう弱い人間」が居ると云う事を知らない人間なのでは無いのか?
「東京五輪を開催した結果、こんな事態になるのは予想が付いていた筈だ。では、何故、貴方はいずれ落ちると判っているものを可能な限り高くまで持ち上げようとしたんですか? いずれ確実に落ちる時に受けるダメージをより大きくする為としか考えられない」
あれから何年かが経った。
彼の新作は、その後、全く出る事がなくなり、その手の学術誌に載っている論文を検索してみても……彼の名前は見当らなくなった。
あくまで噂だが……ノイローゼになり、小説家も研究者も引退し……農家をやっている親類を手伝っているらしい。
そして、ようやく、俺は気付いた。
関連のない記述を伏線として機能させ、1つの「物語」にする事が出来る「能力」。
似て非なるモノを1つの論理で結び付ける事が出来る「能力」。
それらの「能力」に似たモノを……俺は知っている。
陰謀論だ。
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