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いやぁ、あの特別展は恐かったね……

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「ええ、今、SNSで話題になってる○○博物館の特別展でしょ? 私も観に行きましたよ。たしか一去年の4月か5月に……」
 彼女は、話を聞いた他の人達と同じ事を言っていた。
「ええ、途中までは良く出来た冗談企画だと思っていましたよ……。しかし、本当に最後は恐くて……」
 ここも、その「特別展」を見たと言っている他の人達と同じだ。
「その最後って、どんな事が起きたんですか?」
「えっ? えっと……アレ? おかしいな……思い出せない……。でも恐かったのだけは覚えてますよ。それ以降、位に……」
 ここも同じだ……。口調までも……。
「あの……ところで、お怪我の具合は……?」
「ええ、平気ですよ。よく有る事ですから」
 彼女は、あの「特別展」を見たと言っている他の人達と同じような抑揚の無い口調で、そう答えた。
 表情から何の感情も感じ取れないのも、他の人達と同じだ。
 彼女の片腕と片足にはギブスが有った。
 ここ2年で3度目の「大怪我」らしい。
 どうやら、人生最大の恐怖を感じて以降は……大概の事は「それほど恐くない」と思えるようになってしまったらしい。
 あの「特別展」を見たと言っている人達と同じく、まさしく日常生活においても「恐怖と云う感情を失なった」としか思えない行動を取るようになったのだ。
 恐怖と云う感情は……見方を変えれば何かの「危機」を予測する能力でも有る。
 では……恐怖と云う感情を失なった者は、どうなるのか?
 例えば、町中を歩く。例えば、自転車に乗る。例えば、車を運転する。例えば、工場勤務だったり、土木・建築の現場作業員だった場合の仕事ぶり……。例えば、休日に山や海に出掛ける。
 その様な色々な場合に「大胆」を通り越して「無謀」な行動を取りがちになる。自分が「無謀な行動」を取っている事を言われれば理解出来るが、感覚的には気付いていないままに……。
 その結果が……彼女の今の状態だ。
「ところで……頭のその怪我は、いつのものでしょうか?」
「えっ? ここんとこ、よく怪我をするんですが……頭に大きな怪我をした覚えは無いんですが……」
 彼女の額・頭頂・側頭部・後頭部には……いくつもの……デタラメな縫合痕が有った。
 デタラメには2つの意味が有る。
 一つは……手術跡だとしたら、何故、そこを手術したか見当が付かない事。
 二つは……余程腕の悪い外科医がやったとしか思えない位にやたらと目立つ縫合痕だと云う事。
 ……そもそも……「一去年の4月か5月」に○○博物館で「特別展」など開かれた筈は無い。
 その時期には……○○博物館は例の伝染病による緊急事態宣言で閉館していたのだから。
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