悪夢の男の楽園

蓮實長治

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悪夢の男の楽園

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 給料日直後の最初の休日だったので、いつも行ってるのより、少し高級な喫茶店で朝食を取る事にした。
 店に入ると、朝の9時ごろなのに、何故かレジの前には行列。
 店員さんに席まで案内してもらうタイプの店なので、店員さんの手が空くのを待つしか無い。
 そんなに長い時間ではないが……体感時間は結構有るように感じた。
 私の次に、1人の男性が店に入って来る。
 私の父親と同じ位の年齢。
 がっしりとした体格。
 容姿も服装も、親類によく居る「野暮ったい田舎のおじさん」と云う感じだった。
 やがて……。
「お待たせしました。席に御案内いたします」
 先に店員に声をかけられたのは、後から来た初老の男性だった。

「あの……私が先に来てたんですが……」
 えっ?
 気のせいだよね?
 ほんの一瞬だった。
 初老の男性は「何、言ってんだこいつ」と云う顔になり……店員は凍り付き……他のお客さんの中にも、何故か、非難するような目で私を見る人も居て……。
「あ……申し訳ございません」
 店員のその一言で、その場の空気は元に戻った……ように思えた。

 案内されたのはカウンター席。
 だが……。
 横に座ったのは、さっきの初老の男性だった。

 食べていた。
 食べていた。
 更に食べていた。
 問題の初老の男性は、黙々と、しかし、とんでもない勢いで、3~4人前のパンやケーキを食べ続けていた。
 口の回りにはパン屑が付き、胸元には、これまたパン屑がこぼれている。
 私には感心が無いようだ。
 しかし、私は、食欲が湧く筈も無かった。

 多分、気のせいだろう。
 レジに行くと、一瞬だけ店員は非難するような視線を、私が居た席の半分以上食べ残したモーニングセットに向けた……ような気がした。
「ありがとうございました。また、おこしくださいませ」
 わざと棒読み口調にしているように感じられる声。
 店を出ようとすると、悲鳴を上げそうになった。
 私の背後うしろには……あの初老の男性が居た。

 何でなんだ?
 喫茶店を出て入った本屋でも、あの初老の男性と出会った。
 相変らず、私には感心が無いようだ。
 私の横で雑誌を立ち読みしている。
 だが、一体、どうなっている?
 何で、初老の男性が、私ぐらいの年齢の女性向けのコスメ系の雑誌を立ち読みする必要が有るのだ?
 やがて、初老の男性は何の本も手にしないままレジに向かい……。
 初老の男性とレジの店員は何かを話している。
 店員と初老の男性は、チラチラと私の方を見る。
 心臓がバクバク鳴り始める。
 よくよく考えれば、そんな真似をすべきでは無かっただろう。
 何とかして気を落ち着けるのが先だっただろう。
 しかし、私は、とにもかくにも、一刻も早く、この店を出ようとした。
 だが、当然ながら……。
「あの……お客様……」
「えっ?」
「あくまで、形式的な確認ですので……申し訳ありませんが、御協力いただけますか?」
「はっ? はっ? はっ? はっ?」
「他のお客様が、お客様が万引きをされていたと……」

 冗談じゃないが、当然だ。
 挙動不審な人物が、あわてて店を出ようとする。
 しかも、その人物について、他の客が「あいつ万引きしていたぞ」と告げられている。
 当然ながら、何も出なかった。
 しかし、店員は「お前が悪い」と云う目で私を見て……そして、私の方には、何かを言う気力など残っていなかった。

 週明けの朝、出勤するついでにゴミを出そうとした。
 そして、玄関のドアを開けると……アパートの隣の部屋の玄関も開いており……そこから出て来たのは……。
「あ……あ……あ……あ……」
「どうかしたのか?」
 あの初老の男性だった。
 待って、一体、何がどうなってる?

 しばらくの間、深呼吸をする。
 何とか心臓の鼓動も収まった。
 私はゴミ置き場に向かい……あ……あの初老の男性が近所の人達と何かを話している。
 そして、初老の男性は去ってゆき……えっ?
 さっきまで、初老の男性と話していた近所の人達が私に近付き……。
「あのさ……そのゴミ袋の中身を確認させてもらえんかね?」
「えっ?」
「あんたさ……何回も、燃えるゴミの日にペットボトルをゴミ袋に入れて出してただろ」
「ああ、そうだ。覚えが無いとは言わせんぞ」
 い……いや……ちょ……ちょっと待って……知らない……本当に覚えが無い……。

 近所の人達によるゴミ確認の間に起きた事は思い出したくも無い。
 男の人達……それも無神経極まりないおっさん達によって、たまたま使用済みの生理用品が入っていたゴミ袋の中身を微に入り細をウガァ~って調べられた、と言えば、どんな屈辱的な気持ちになったかは仮に男の人であっても想像が付くだろう。
 次なる問題は……このままでは会社に遅刻する。
 私は大通りに出ると、たまたま走っていたタクシーを拾い、最寄り駅まで到着、電車に飛び乗り……えっ?
 何故か、すぐ近くに、あの初老の男性が居た。

 男の人は、私の職場の最寄り駅で降りた。
 幸か不幸か、電車の中では何もしなかった。
 だが……。
 ああ……もう会社の始業時間を過ぎている。
 冗談じゃ……。
 その時……誰かの腕が私の腕を掴んだ。
 私は悲鳴を上げ……。
 えっ?
「あの……お客様……他のお客様から、あなたから電車内で『痴漢をやった』と云う濡れ衣を着せられた、と云う苦情が有りまして……御同行願えますか?」
 駅員と……そして……何で……何で……警官まで居るの?
 冗談じゃない……ここは……現実……いや……そう言えば……何で……何で……。
 何故か、周囲には男しか居ない。
 何百人、何千人居るか判らない男達は……完全に取り乱している私を「これだから女は……」とでも言いだけな侮蔑の目で見ていた。
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