裁判は真実を明らかにする場ではなく、あくまで人を裁く場

蓮實長治

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裁判は真実を明らかにする場ではなく、あくまで人を裁く場

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 まず、この事件を裁くのは、軍事法廷であるべきか? 一般法廷であるべきか? と云う事から問題になった。
 たしかに、軍人でなければ成し得ない犯罪ではあったが、戦争犯罪では無い。軍規違反ではあるが、ここまで重大な結果を招くような「軍規違反」など、軍に関する各種の法律や内部規則が制定された際には、誰も想定していなかった。
 クーデターを防止する為の法律・規則ぐらいしか、この事件に適応出来るものは無いが、それでも、かなり無理筋の解釈が必要になった。
 そして、次は、被告弁護人を誰にすべきか? と云う事だった。確かに、軍人がその立場を利用した犯罪ではあるが、軍の法務部の者が職務として弁護を行なえば、軍に対する国民の反感は更に高まるだろう。
 様々な問題が1つ1つ……満点には到底及ばない方法で解決され……ようやく、軍事法廷ではない、一般の裁判所において、一級殺人容疑として裁判が行なわれる事になった。

「では、検察は訴状を読み上げて下さい」
「はい……」
 だが、検察官が訴状を読み終えた時点で弁護人がクレームを入れた。
「裁判長……被告人達は一級殺人容疑で起訴されていますが……被害者はどこの誰ですか?」
「はぁっ?」
「被害者が、どこの誰か明らかでないのに……検察は被告人達が殺人を行なった事をどう証明するつもりなのか理解に苦しみます」
「い……いや……ですが……」
「我が国の裁判例を調べてみましたが……殺人事件の訴状に被害者の名前が書かれていなかったのは……被害者の氏名その他がどうやっても判明しなかった場合か、特段の考慮すべき事情が有る場合……例えば被害者の名を公表すれば、被害者の家族・知人に危険が及ぶ場合や、何らかの人権上の問題が生じる場合だけです。本件は、どのケースに該当するのでしょうか?」

 訴状の読み上げは、次回に行なわれる事になった。
 そして、訴状の厚みは……数十倍になっていた。
「……以上一万七百三名の方々、ならびに、判っている限りで五千二十六名の氏名不詳の方々を殺害した容疑、ならびに……」
 訴状読み上げが終った時、通常は裁判所の業務が終る時間をとっくに過ぎていた。
「裁判長……」
「何ですか弁護人……」
「訴状の内容に疑問が有ります」
「何ですか?」
「私が把握した限りでは、二十七名について、訴状に印刷されている氏名と検察官が読み上げた氏名に相違が有りますが……どちらが正しいのでしょうか?」
「いや、待て……あんだけの人数の名前を読み上げれば、それ位の読み間違いは……」
「弁護側としては……本件を訴状の不備および検察側の明らかな準備不足を理由に棄却すべきと考えますが……どうでしょうか?」

 その国では、軍の高官の命令で首都に大量の毒ガスが散布され、数多の人々が命を失なった。
 ……何故、その軍高官がそのような命令を下し、軍人達が、このような命令に唯唯諾諾と従ったのか……。
 その動機とメカニズムは未だに明らかになっていない。
 そして……明らかにする為には……どうやら、裁判以外の方法を考えるしか無いらしかった。
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