魔導兇犬録

蓮實長治

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第一章:海にかかる霧

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「え……えっと醤油は……?」
「センパイ、こう云う寿司屋では、客が醤油に付けるんじゃなくて、煮切りが塗られてるのが普通なんですよ」
「煮切り?」
「良く見て下さい。寿司のネタに醤油みたいなモノが既に塗られてるでしょ」
「あ……ああ、そう」
 多分、魚も米も酒も、酢飯に使われてる酢や煮切りとやらさえも、俺のこれまでの人生と残りの人生のどっちでも絶対に縁が無いような超高級品なんだろう。
 でも、味わう余裕なんて無い。
 十年ぶりにあった妹弟子は……。
 男ものの三つ揃いのダークスーツ。
 多分、超高級品なんだろうが……よく判らねえ。
 判るのは、かなり強力な「防護魔法」がかけられてる事ぐらい……。
 あれ? ところで、ここって、正装で来るような店? で、……そこに「休日にパチンコに行ってる工事現場のおっちゃん」みたいな格好で来てる俺。
 場違いだけど、仕方ねえだろ。
 昨日まで、本当に「工事現場のおっちゃん」だったんだから。
 クソ、「何で、こんな珍獣がここに居るんだ?」「野良犬は外に居ろ」的な店員の視線が痛過ぎたんだぞ。
 もっと安い店にしろ……。
 と、言いたいとこだが……。
 俺は力を失なった「多少の魔法が使える一般人」。そして、ここの一番の上座に居るのは……。
 アデプタス・イグセンプタス……日本語に訳すると「被免達人」。
 「近代西欧オカルティズム」系の「魔法結社」では、「肉体を持っている『魔導師』の中では最上位の階位。それ以上の階位は故人か本当に居るか判らない『霊界の指導者マハトマ』に与えられる『名誉階位』」「魔法結社の総帥に相応しい実力の奴以外が名乗ると不遜を通り越してギャグにしかならない階位」だ。
 奴は……どうやら、それを名乗るのに相応わしい「霊力」を持っているようだ……。
 ひょっとしたら、「教祖系」と言われる「莫大な霊力と引き換えに、いささか以上に頭がおかしくなった『魔法使い』」になってしまったのかも知れない……。
「センパイが力を失なった、って噂は本当みたいですね」
「わ……悪いか……」
「でも、全く『魔法』が使えなくなった訳じゃないでしょ」
「ま……まぁ、多少はな……」
「実は、『九段』地区の自警団『英霊顕彰会』から、あるモノを取り戻してくれる人を集めてるんですよ」
「ちょ……ちょっと待て。今のお前は、最盛期の俺より遥かに強い筈だ……。力を失なっても、それ位は判る。お前の弟子の中に、今の俺より強い奴なんて、いくらでも……」
「まず、将来的に『英霊顕彰会』と喧嘩するにしても、向こうが悪いって形になるのが望ましい。なので、ウチの人間は使えないんですよ。もし、センパイが『英霊顕彰会』に捕まっても『今の私とは疎遠になってる昔の兄弟子』ってオチにする必要が有るって事ですよ」
「お……おい……」
「次に、力のある『魔法使い』は『九段』内に迂闊に入れないんですよ」
「どう云う事だ?」
「『九段』の周囲には強い『気』『霊力』を持つ人間や呪物の出入りを検知する『結界』が張られてるんですよ。他の『自警団』に所属する、ある程度以上強力な『魔法使い』が招かれもせずに『九段』に入るのは……宣戦布告も同じなんですよ」
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